176 勝者は誰ぞ
疾が仕掛けた戦いの結果──というか、ほぼノワールの抵抗のみで、疾達がいた周囲一体の森林は綺麗に禿げ上がった。もはや原因調査どころか、被害の上塗りだ。
確実にギルドの依頼は未達成、どころか周辺被害の上塗りで違約金を請求される。おそらく今後は要注意人物として、まともな依頼は引き受けられないだろう。
(ま、予想通りだな)
歩く原発が抵抗してこの程度で済んだのが幸運なくらいだ。そうなることも計算の上で、疾でもまず来ることのない世界を選んだのだ。そこまで痛い損失にはならない。
……ちなみに、協会がこちらの動きを察知し妨害しづらいように、という選択理由もあったのだが、こちらは杞憂で済んだようだ。注意深く網を張っていたが、第三者が監視、介入する気配は最後まで無かった。数少ない情報の収入である。
とはいえ、今回の一件は根掘り葉掘り聞かれる大事件であるのには変わりがない。何せ一夜で森の大規模消失だ、場合によっては軍隊が出動しなければならない事態である。事情聴取などと言う面倒極まりない──何せ事実が一番信じて貰えなさそうである──後始末に時間を費やすつもりは毛頭ない。
よって、疾はノワールに後の全てを押しつけ、ついでに「これ以上周辺を無闇に巻き込むような傍迷惑な暴走をしやがったら見逃せねえからな」と一応の警告もして、さっさとその場を去った。十分な距離を置いた後、予め預かっていた「権限」を行使する。
瞬き一つ、白一色の世界に戻った。
「……」
ゆっくりと、疾はその場に座り込む。顔を顰め、手を口元へと運ぶ。
「っ、げほ……っ」
何度か咳き込み、掌を見下ろす。予想通り、赤黒い血がべったりと付いていた。
「はあー……」
大きく漏れた自身の溜息を聞きつつ、疾はぐったりと横向きに倒れ込む。
「…………ねぇわ」
げんなりと呟いて、目を閉じた。
「何がだ?」
涼やかな声が問い返してきた。予想していたので、疾は大した反応も返さず、投げやりに答える。
「あの人間としての枠組みを軽く無視した野郎相手に、よりによってこの俺が、鬼狩りとして対峙することに決まってんだろ」
「そうか? まだまだ余裕そうに見えたが」
「てめえの目は節穴か……?」
あんまりな台詞に、疾は目を開き、冥官を胡乱げに睨み付ける。いつも通りの笑みを浮かべたまま、冥官は首を横に傾げた。
「相手のことばかり指摘していたが、疾も最初から積極的に殺そうとしていなかったからなあ」
「……」
「手を抜いてもあれだけ追い込めるんだから、余裕だろう?」
「……阿呆か」
苦い気分で言い返し、疾は2度3度と咳き込んだ。今度は赤くは染まらなかったものの、口の中に嫌な酸味が広がる。内臓に相応のダメージが行っているが、もはや治癒魔術一つまともに操れない。おまけに、じわじわと痛みが広がってきた。事前に飲んでおいた鎮痛剤も切れたらしい。
疾は、腕で目を覆った。
(……本当に、何故、殺さなかったんだろうな)
余裕など、なかった。
限界ギリギリまで思考を回し、思い付く限りの備えをして、それでも生死の境をかなり危ういところですり抜けた。一つでも間違えていれば、今頃自分は肉塊になっていた。それはまあ、もはやいつもの事になりつつあるし、戦う以上は避けようのないリスクだと既に受け入れてはいる。
が。
(……もう二度と、同じ手は使えない)
ノワールは決して馬鹿ではないし、猪突猛進でもない。憎しみに身を任せて盛大に暴走した時ですら、周辺被害を慮りあの馬鹿げた火力を制御するだけの冷静さを残して動ける。雑な部分もあるものの、目的の為ならば冷静に情報収集や準備をこなしていくタイプだ。
だからこそ、今回疾が仕掛けた魔力毒や魔力酔いやジャミングといった手は、次までに必ず対策してくる。疾が罠を多用するスタイルなのも理解しただろうから、初手で潰されかねない。いや、そもそも罠を仕掛けた時点で気付かれるか。
今回は初見かつ、本人の視界が極端に狭くなっていたから上手くいっただけだ。まだ育ちきっていないフージュも、そう遠からず前線に出てきて、脅威になるだろうという直感もある。
(今回が、絶好の機会だった)
……魔法士協会を、総帥を敵と据えるのであれば、確実に障害となるだろうノワールを殺すには今回が千載一遇のチャンスだった。それを無碍にした……否、最初から、殺したくはないと、心のどこか片隅でそんな甘えたことを考えていたのだろうか。
(なにやってんだ……)
相手は人鬼に堕ちる一歩手前の修羅で、疾を容易く殺せる、疾が殺す理由のある、敵なのに。今回を逃せば、次は比べものにならないほど難易度が高いと、そこまで分かっていたのに、疾は。
(殺さなくて良い理由を……探した)
こんなにも自分は、生半可な覚悟で戦場に立っていたのだろうか。
それとも──
「…………!!???」
──唐突に口内に広がったえげつないクソ不味さに、思考に埋没していた疾はその全てを吹っ飛ばして悶絶した。
「!? !?」
舌が痺れるほどの尋常でない甘さが脳を直接引っ掻き回す。遅れて渋みと苦み、えぐみが舌の奥の方に広がり、何故かぴりと辛味までしてきた。味覚が恐慌をきたす余り、吐き出すという判断すら出来ずに飲み下してしまう。
「〜〜〜っ」
残ったのはべっとりとこびりつくような凄まじい甘みだった。人工甘味料とも砂糖ともまた違う、えもいわれぬ不快などぎつい甘みに、口元を押さえたまま疾はその場で転げ回る。
「よし、ちゃんと飲んだな。水飲むか?」
「……っ。よこせ……っ」
のほほんとした声に殺意を覚える余裕すら無く、疾は差し出された水差しをひったくった。一息で煽ったが、口の中の甘みは殆ど変わらない。何度も突き返しては次の水を煽りを繰り返して、ようやくフランスで当たったばか甘いヌガーを口にした程度にまで戻った。
「なんのつもりだ……!」
おどろおどろしい声で問い詰めるも、冥官はにこりと笑うだけだった。
「よく効くだろう? 味を犠牲に効能に全力を注いだ仙薬だそうだ。こちらでしか手に入らないような妙薬がたっぷり入っている」
「劇薬を飲ますな」
あらゆる意味で危険なものを飲まされた気がする。割と本気の殺意を込めて睨んだが、暖簾に腕押し柳に風と、冥官は笑顔のまま疾に手を伸ばしてきた。当然、雑に振り払う。
「……本当に信頼がないなあ」
「だから、信頼を勝ち取るような態度を見せてから言え」
「怪我も不調もしっかり治したじゃないか」
「頼んでない」
吐き捨てるように言い返したが、確かに先程までの鈍痛や苦しさは綺麗に消え去っている。効能は確からしいが、不味いわ勝手に薬を飲まされた不快感は募るわで気分は最悪である。
「本当に素直じゃないな。この調子だと、報告もそんな感じなのか?」
「報告にどんな感じもへったくれもねえだろうが。……取り敢えず、ギリギリ辛うじて人間としての枠組みを見失う手前にいたから、現時点では要観察処分と判断した」
「そうか。頑張ってな」
「おい、そこは上司の裁量だろうが」
疾が担うのは実行と報告であって、細かい役所仕事もとい各方面との調整や今後に向けての細かい詰めなどは管理職の仕事である。流石にそこまで押しつけられたのでは堪ったものじゃないと疾が睨み付けると、冥官は何故か楽しそうに笑った。
「おや。まだ気付いていないとは、疾らしくないな」
「は?」
「あれを、要観察処分とするという意味だ」
「……次の討伐難易度の話じゃなくか?」
眉を寄せた疾を見て、冥官は楽しそうに頷いて、続ける。
「鬼や鬼狩りも秘匿されている上に記述文献もほぼ残されていないが、魔力増幅症も同じようなものだっただろう?」
「ま、そうだな」
「それは異世界転移と同じで、知られては拙い事情があるからなんだ」
冥官の言葉に、疾は口元を歪めた。
「……判明した時点で殺される、あるいは閉じ込められる、か?」
「それもあるし、それをやった奴は軒並み魔力暴走に吹き飛ばされて死んでいるけどな」
さらりと物騒なことを言って、冥官は、けれど、と続けた。
「もっと大きな問題がある。──もし万が一、魔力を暴走させず、魔力を失うこともなく、自力で制御し生き残った場合だ」
まさにノワールのケースだ。これ以上あの歩く原発にどんな厄介事が上乗せされるんだ、とやや身構えた疾は、続く言葉に動きを止めた。
「一般に魔力が一定より多い人間は長生きしがちなわけだが……更に一定値を超えると、魔力が生命力の代替となる」
「……」
「魔力さえあれば食事も要らないから、餓死も難しい。結果、物凄く長生きする。もはや、人の軛を外れるほどに」
「……」
絶句した疾を見下ろして、冥官はにっこりと笑った。
「さて、そういうわけだ」
「待て」
咄嗟に声を上げたが、当然のように無視される。
「さっきの疾の報告に偽りはないし、俺も同意見だ。ただそうなると、魔力増幅症は文字通り、最期の最期まで気を抜かずに監視をする必要がある」
「だったら、あんたが」
「とはいえ俺は門番や川の番人や人鬼狩りの仕事もあるし、なかなか一個人に肩入れするわけにはいかない立場だ。そしてあれをきちんと監視し、必要があれば処分出来る人材というのは、冥府といえどなかなか確保が難しい。鬼としての管理になるから、鬼狩り局以外への振り分けも出来ないだろうな」
「そこは何とかするのがあんたの仕事だろう」
割と必死で悪足掻きをする疾だったが、冥官は楽しそうな表情でその悪足掻きを見守るばかりだ。
「そうだな。だから俺は、俺が直属として選出した部下に任命しようと思う」
ぽん、とやわらかく、だがしっかりと疾の肩を持ち。
「まあ俺も非情じゃないからな、取り敢えず『疾の寿命まで』ということにしておこう。そこから先は、今後またじっくり考えてもらうからな」
「…………拒否権は」
絞り出すような声に、冥官は少し考える顔をして。
「そうだな、疾の代わりを出来る人材を見つけてきたら良いよ」
最初の時と同じ台詞を繰り返して、怜悧なその顔にそれはそれは綺麗な笑みを浮かべた。