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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
10章 「鬼」
173/232

173 演算実行

「どうした」

 ゆっくりと立ち上がった疾を、ノワールが僅かに目を細めて見上げる。答えず、一歩、二歩と森の方へ歩みを進める疾に、何かしらの警戒を抱いたか、僅かに身を起こした気配がした。



「──人の負の感情には底がない。行き場のない感情は淀み、やがて魂を歪ませる。そうして人としての在り方を止めたものを、「鬼」と呼ぶ」



「……」

 ノワールの気配が僅かに変わる。緊張に近いその感情を向けられた疾は、静かに魔力を操り、足元へ流した。書物を読み上げるのと同じ口調を保持して、続ける。



「一度鬼に堕ちたモノは通常、人に戻る事はない。憎しみの行き先すらも忘れ、ただただ全てを憎悪し人を仇なす化け物と成り下がる。だが稀に、明確に憎しみの対象を残したまま、鬼と落ちるものもいる」



「……随分と詳しいな」


 その言葉に、つい失笑が漏れた。


「意外か?」

「知識量を疑うつもりはない。……が、相当古い書物にしか残されていない記述だ。お前が知らなくてもおかしくはない」


 成る程、それは、魔術師や異能者としての疾を知るノワールらしい判断だ。そして、……滑稽なほど、的外れで、甘い。


「ああまあ、そうだな」

「……わざわざ今、それを掘り出した理由は何だ」


 流石に、ノワールもこれが秘匿事項であるという自覚はあったか。それはそうだろう、人ならざるものに人は寛容ではない。魔法士協会に所属するのならば、身を守る意味でも隠し通さなければならないだろう。──それもまた、的外れで、甘いけれど。


「理由、理由ねえ」


 その言葉を繰り返し、疾はノワールに向き直る直前、静かに目を閉じた。気付かれないよう丁寧に息を吸い、吐き出す。


「そりゃ、勿論──」


 目を開いてくるりと振り返る刹那、疾はごく自然な動作で指を鳴らした。


 それは、魔術の起動合図。



「──本題に入る為だ」



「な、ぐ……っ!?」


 ノワールが息を詰め、苦悶の声を漏らす。立ち上がりかけていたのだろう、片膝を立てた姿勢が、ぐらりと揺れる。


「……、は……な、にを」


 顔を歪めながら、ノワールが疾を見上げる。そして、その漆黒の瞳を大きく見開いた。

 瞳に映る、無機質で冷え切った表情の己を眺めながら、疾は感情を切り離した声で告げる。


「鬼といえど、毒は効くようで何よりだ」

「……解毒魔法の存在を忘れたのか」

「やれるものならやってみろ」


 警戒の中に僅かな戸惑いを残したまま、ノワールが解毒魔法を使おうと魔力を活性化させ──くっと、顔を歪めた。


「まさか……」

「そのまさかだな」


 魔法士に対して毒を盛るのはほぼ意味がない。あらかたの薬物は事前に探知魔法で見つけ出され、症状が出た後からでも解毒魔法と治癒魔法で回復されてしまう。特に目の前の男は暗殺や誘拐の類は日常茶飯事、口に付けるもの全てに警戒しているのは疾も知っている。致死毒すら対処してくるだろう。

 毒を盛るのは意味がない、その常識に対するたったひとつの例外は──魔力に作用し魔力を介して全身を冒す、魔力毒。


「徒人なら無害だが、魔力を多く持つ者ほど致死性の高い猛毒。服毒に細かい手順が必要なのと魔力に染み込むまで時間がかかるのが難点だが、逆に言えば1つ1つは無害で警戒されにくい」


 そして、僅かにも手順を変えれば無効であるが故に、疾が口にしても一切の害が無い。隣で口にしているものへの警戒を解くのは人の常だ。


 更に。


「治癒魔法を使おうにも操る魔力に含まれた毒が身を蝕み、その苦痛でのたうち回って死ぬ。「吸収」の特性を持つ闇属性にはうってつけだな」


 闇属性の魔力は、瘴気や毒などを吸収する特性がある。通常であればそのまま磨り潰すように消滅させるが、神話生物から抽出したとも言われるこの毒だけは、同じ闇属性の魔力を帯びているせいか、馴染んで増幅する。その危険性と扱いの難しさ故に存在すらほぼ知られぬ猛毒だが、闇属性殺しには他の追随を許さぬ威力を発揮するのだ。


 それを理解しているのだろう、脂汗を浮かべたノワールが疾を睨み付ける。


「対抗手段がないとでも──」

「出来ると思っているのか」


 両手に銃を召喚。片方をノワール目掛けて発砲する。ノワールが転がり回避しようとするが、回避先に展開された魔法陣に寸前で気付き、歯を食いしばって背後へと飛ぶ。


 ──設置していた魔術罠が発動し、ノワールに雷撃が迫る。


「ちっ」

 舌打ちと共に展開された障壁が雷撃を防いだ。魔法の反動か、歯を食いしばる音が響く。殺気を滲ませた瞳がこちらを見た。


「何のつもりだ」

「鬼狩り」

「!」


 ノワールが表情を変える。意図は十分に伝わった、と判断する。


 もう一度銃口を向けた。今度こそはっきりと殺気を漂わせたノワールは、刀を取り出そうとでもしたか魔術空間が開きかける。しかし、魔力毒に侵された身体がそれを許さない。空間は揺らいで消え、ノワールは大きく体勢を崩した。


「ちっ……!」


 銃弾を髪一筋の差で避けたノワールは、掌を疾へと向けた。魔力が収束する。

 疾は慌てず銃弾で放たれた魔法を破壊すると、地面を強く蹴って跳び上がった。後を追うように着弾した魔法が、地面を大きく抉る。余波をいなして木の枝に飛び移り、次の魔術を発動した。


 たき火が大きくうねり、紫へと色を変えてノワールへと襲いかかった。


 ノワールがそちらに視線を向けた瞬間、疾は続けざまに魔力銃を発砲する。ノワールは体捌きで銃弾を避けつつ、毒気を纏う炎に危機感を覚えたか、はっきりと意識をそちらに傾けた。

 太い枝に着地した疾は、用意していた魔法陣の1つを展開する。虹色の光が地面を縦横無尽に走り、ノワールへと迫った。


「くっ……」


 その効果を知っていたらしいノワールが小さく呻く。それでも展開された2つの魔法陣が、それぞれ炎と魔術を退けようと魔力を注がれていく。


「……はあ」


 小さく吐息が漏れた。無造作に銃を構え、引き金を二度引いた。


 異能の弾が過たず二つの魔法陣を破壊する。


「!!」


 目を見開いたノワールが動くより先、魔術と炎が着弾した。激しく燃え上がる炎に目を細めつつ、疾は結果を見届けずに木の枝を強く蹴って飛び渡る。


 先程まで立っていた枝が、木ごと消し飛んだ。周辺の木ごとまとめて弾け飛ぶのを横目に、爆風を障壁で調整し、疾は無事だった木の枝へと軟着陸する。

 眼下を見れば、ノワールは肩で息をしながらも疾を睨み付けていた。顔色はすこぶる悪い。無理矢理に構築した魔法でまとめて疾の魔術を吹き飛ばして凌いだものの、無理に使った魔力に毒が纏わり付き、全身を巡っている。


(……通常なら致死まであと15分、といったところか)


 属性相性で増強されている反面、桁外れの魔力量故に多少は毒が薄れている。その上、毒を帯びた魔力は極力全身を巡らないよう押さえ込まれている。魔法士協会幹部の汚名挽回──と言いたいが、と目を細める。


 息を整えたらしいノワールが仕掛けてきた。一気に展開された魔法陣が、しかし時間差で起動され疾の逃げ場を潰すように発動していく。それらを異能の弾で破壊し、障壁で逸らし、木々を飛び移って躱した疾は、ずっとたぐり続けてきた魔力の糸に、魔力を注いだ。


「ぐ……!?」


 ノワールが膝を付く。その隙を逃さず、銃を続けざまに引き金を引いた。


「っ、ぐぅ……っ」


 まともに五感も働いていないだろう状態で、致命傷を避けただけでも驚嘆ものだろう。こめかみ、左肩、右脇腹と太腿を掠めた銃弾には麻痺の作用を込めていたが、瞬時に解除される。顔を歪めながらも、ノワールは腕を振った。

 顔を振って、刃を黒く塗りつぶされたダガーを避ける。物理的な手段を持ち合わせていたのか、と少しだけ驚きを持ってノワールを見返す。小さく息を吐いて、疾は次の仕掛けを起動させる。させまいとノワールが放つ魔法は、発動することなく消失した。


「!?」


 驚愕の色を浮かべたノワールは、まだ自身の不調の正体──魔力の乱れに気付いていないらしい。


(異世界転移後にあれだけ魔法を使って無事なわけがないだろう)


 これまでは、疾が潜ませた魔力で無理矢理整えていただけだ。今の今まで後回しにさせた負荷を増幅して解放した今、前後不覚になってもおかしくないほどの不調に襲われるのは必然。

 それでも立っているだけで驚嘆ものだが、加えて魔力毒の制御も甘くなっている。状況を把握し切れず動揺するノワールを見た疾は、すぐさま仕掛けを起動した。


 野営地として均した地面から、鎌鼬が立ち上り、回転する。


 地面を埋め尽くすような見えない刃を避けようと身を低くして走るノワールに追い打ちのように火属性魔術と銃弾をお見舞いする。雨あられと降り注ぐ炎弾と銃弾を魔法で打ち消そうとしているが、魔力の乱れで十分な威力が出ていない。時に押し負け、あるいはすり抜けて着弾した余波で、少しずつノワールに傷が増えていく。


「く、そ……っ」


 ノワールの顔に焦燥が過ぎった。毒が回りきるまで時間を稼がれるとでも思ったのか。毒に侵された魔力を完全に掌握してしまえる相手に、そのような温い策は用意していない。

 ノワールが魔法を疾目掛けて放ってきた。これまでと違い魔力がこれでもかと篭められた高火力魔法、しかも追尾機能まで加えられているのには流石に眉を寄せつつ、疾は異能で直接相殺した。


「……!? がはっ!?」

(やっとか)


 血を吐き出したノワールを見て、そう思う。木に飛び移る際に空気よりも重い気化毒を撒き、これまでのやりとりで丁度顔の位置辺りに巻き上げるように仕掛けていたのだが、漸く効き始めたらしい。ノワールは直ぐに解毒魔法を使おうとするが、魔力毒と魔力の乱れで制御しきれなかったか魔法は不発に終わり、ノワールは堪えきれなかったように片膝を突いた。


(──……)


 銃を繰り返し発砲する。起動した魔術罠がノワールの足首を捉える。放たれた魔法は異能で妨害し、設置していた魔術を起動し平衡感覚を奪う。木に隠しておいた物理罠から飛び出た鎖が首に巻き付いて地面へと引きずり込み、首元に魔力が集まる瞬間に鎖に込めた魔力を暴発させた。仰け反ったところに胴体を風の塊で殴りつける。

 一瞬一瞬の積み重ねを繰り返し繰り返す。銃弾と異能と魔術と罠を使い続け、意識を引きつけ逸らして惑わせる。ノワールも目を見張るほどの反応速度で疾の仕掛けに魔力で魔法で隠し武器でしのぎ続け、時に反撃しようと疾へと魔法を放ってくるが、全ていなして仕掛けを操る。


 永遠にも思える程の攻防の繰り返しの果て──



「ぐっ……」

「……」



 地面に伏す者と、それを見下ろす者がそこにいた。



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