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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
10章 「鬼」
172/232

172 準備完了


「で? 今回の依頼内容は何だった?」


「……」

 疾の問いかけに、ノワールがふいと視線を逸らした。構わず、疾は笑顔を浮かべたまま詰める。


「なあノワール、自分自身の評判って聞いた事あるか?」

「……」

「聞いて驚け、『吸血鬼関連以外は職務に忠実』だとよ。聞いた時には思わず己の耳を疑ったぜ? 俺は少なからずお前の「職務」とやらに鉢合わせることが多かったしな」

 そこで一拍間を置いて、疾は少しだけ笑みを深めて続ける。

「さて、『職務に忠実』な魔法士協会幹部、スブラン・ノワール。てめえにとっての『原因調査』っつうのは、『正体は不明だが人に害をなすものだから全て消滅させた』なんていう、クソ巫山戯た報告書を提出すればオーケーなのか? きょうび中学生でももう少しまともな仕事をするぞ」

「……」


 ノワールが今度こそ顔ごと背ける。どこを向こうが、この周辺一帯の魔物を綺麗さっぱり消し飛ばして、今回の黒幕への手掛かりひとつ残っていないという事実は変わりようが無い。疾としてもまともな報告書は提出できなくなるわけで、流石に多少は物申さないと気が治まらない。


「それとも何か? 魔法士協会っつうのはこれで『忠実』ッつう評価を得てしまう程度のレベルなのか? 世界を跨ぐ異能集団、魔術師の上位職が泣かせるな」


 声に隠しようのない嘲笑を滲ませてやれば、ようやくこちらを向いたノワールは据わりきった目をしていた。


「……お前は本当に、口を開くと腹立たしいな」

「ああなんだ、腹を立てる程度には耳に痛い事を言われているとは感じてたのか。安心したぜ、てめえにもまだ常識の欠片程度は残されていたんだな」

「…………」


 何かを言いかけて、ノワールは深い深い溜息をついてから飲み込んだようだ。その様子を鼻で笑い、疾は足元のたき火を軽く枝で突いた。ぱちり、と音を立てて爆ぜる。

 側に引っかけておいたホットワインがゆらゆらと湯気を上らせていたので、小さな魔法陣を展開し、片方は自分に、もう片方はノワールに移動させた。僅かに目を細めたノワールだったが、疾が口を付けるのを見て自らのカップを傾ける。それを目に入れて、疾はくるりとカップの中身を回した。


 しばしの沈黙。どこぞの阿呆がぶっ放した魔法の余韻か、鳥や虫の声すら聞こえない夜半の静寂に、火の爆ぜる音だけが響く。


「……お前は」

「あん?」


 呟くような声で何事か問いかけてきたノワールに、生返事を返す。別のことに思考を回していた疾は、続く問いかけに眉を上げた。


「お前は、他人から押しつけられた仕事に対して、忠実に取り組むわけでもないだろう。他人事のように正論を押しつけてくるのは何故だ」

「他人事だからに決まってんだろ」


 ノワールの眉間に皺が寄ったが、コイツは一体何を言っているのだろうか。頭の片隅で不思議生物を眺めるような気分を味わいつつ、ひとまず答える。


「つーかこの仕事、協会の任務とやらじゃねえだろ。これを幹部サマに依頼かけるやついたら頭おかしいぞ。下手すりゃ余波だけでこの森一帯消し飛ばす火力の持ち主を調査に回すなんざ、人事の正気を本気で疑う」

「……魔法士も、魔法効果対象指定の技術は当然身に付けている」

「知ってるっつうか、ついさっきこの目で見たな。周辺の魔物を一匹残さず消し飛ばしながら、森林やその他生物が一切被害なしっつうのは確かに技術として大したもんだ。が、問題は技術(そこ)じゃねえだろ」


 上級魔術師の上澄みと魔法士幹部まで行けば、周辺被害なんて虫けらを潰した程度にしかみなさない倫理観の持ち主だらけだ。それを暗に示せば、数少ない例外であったはずのノワールが束の間黙り込む。その様子を横目に、疾は森の奥に目を向けた。


「ま、だからこそてめえが『職務に忠実』なんつう評価を得るんだろうがな。いずれにせよ、こんな任務でわざわざ幹部を動かすわけがない、技量としても中級魔法士がいれば事足りる。にもかかわらず、てめえはアンデッドの噂を追って遠路はるばるこの世界に渡ってきた」

「……ああ、そうだ」

「押しつけられてもねえ、てめえの意志で取ったのに雑な仕事してる自覚もしてねえなら、やめちまえ」


 疾が吐き捨てるように言い放った途端、ざわり、と空気が変わった。


「誰がやめるか。俺は、止まる気は無い」

「……あっそ」


 肌にひりつくような殺意を隠しもしないノワールに、疾は視線を戻す。底の見えない深い憎しみを讃えた瞳が、感情のはけ口を見つけてギラついていた。


「目的が果たせるのなら、他者の目や反応などどうでも良い。不要に命を巻き込まなければ、俺が何をしようと勝手だろう」

「うぬぼれんな、ド阿呆。てめえがどんだけ暴走しようが突っ走って自滅しようが心底どうでも良いんだよ」


 ノワールが僅かに目を細める。更に鋭さを増した殺気に構わず、疾は冷たい目を向けた。


「てめえの獲物なんざ興味はねえがな。たかが可能性如きで、他人様の仕事ごと邪魔するような雑極まりねえ暴走をしておいて、他人の目がどうでも良いとかガキみてえな事を喚いてんじゃねえぞ」

「……」

「はっきり言ってやろうか? 今日のお前は、俺にとって、ただただ邪魔だ」

「ッ……」


 ノワールが顔を歪める。顔を背けて黙り込むその横顔には、僅かに後悔を滲ませてはいるが、それ以上に明瞭な危うさがあった。疾はその横顔に視線を当て、問う。


「で? 何か言うことはあるか?」

「……俺とお前は、利害が一致する時に共闘しているだけだ。俺の利益にお前が一度でも気を使ったことはない。たまには振り回される側にもなれ」

「……あっそ」


 それは、ノワールらしい返しのようでありながら、あまりに虚ろで脆いハリボテだった。


 膨れあがったものが今にも弾けそうな声音と、危うげに揺れる眼差しを見て取った疾は、静かに空を見上げた。



 心の中で呟く。──ここまで、全て台本通り(順調)だ。



 疾は事前調査で得た情報をもとに、網を張った。ノワールは偶然この世界で合流したと思い込んでいる──否、思い込ませたが、実際はこの依頼がノワールの耳に入り、選び取られるよう細工をして誘い込んだ。

 疾自身は3日前からこの世界に潜入し、準備を重ねている。魔法士協会経由で得られる情報を、疾が知らないわけがない──そう気付けない程度には余裕を失っているらしい。 


(……ま、時間の問題ではあった)


 総帥が少しずつ言葉や態度で精神的に追い込んだ結果、ノワールは今、視野が極端に狭くなっている。吸血鬼を追う際に僅かでも障害になりうると判断しただけで、殺意を剥き出し周辺被害構わず排除に走るのはそのせいだ。

 以前の依頼で遭遇した時から暴走気味ではあったが、少し会わない間に更に悪化している。協会の情報を漁っただけでも、他組織とトラブルを起こしたり依頼主の迷惑になるような被害を出したりと、傍迷惑な暴走を繰り返しているのが現状だ。今回も、不必要に高火力の魔術を操り、敵を跡形残さず消し飛ばしている。


(ぎりぎり……辛うじて、一般人への暴走はないが。……時間の問題だろうな)


 疾にここまで言われても足を止めないのであれば、遅かれ早かれ『人』を巻き込む事に躊躇いを失う。疾の目にはそう見えた。



 ──そんなノワールが、疾のささやかな「嘘」に気付けるはずもない。



 魔石稼ぎで魔石を大量に消費して世界転移するのは余りに非効率だ、とか。


 ここまで疾もノワールも、転移直後なのに魔術を使っても魔力酔いをしていない、とか。


 魔術的意義のある儀式を、ノワールの目をかいくぐって施していた、とか。

 


 魔法や魔術を極限まで突き詰めたこの男が気付けぬはずのない不自然さに、僅かにも疑問を見せず。今も疾から完全に視線を逸らし、何事か考え込んでいる。

 味方ではない相手の前で物思いに耽っている──そのリスクにすら、目を向けていない。


(……)


 音に出さぬよう、静かに息を吐き出す。ゆっくりと意識を周囲に広げ、疾は淡々と仕上げ作業を進めていく。ノワールは微動だにせず、話は終わったと判断したのか、仮眠に入ろうとする姿勢すら見せている。



 ──もしも。

 もしも、疾が僅かにでもノワールに悪意を持っていれば、彼も気付いただろう。

 ノワールは闇と同調しているせいで、他人の負の感情を自動受信してしまう。それ故に、暗殺や地下組織の監禁などの危険に対しては無類の強さを誇る。こうして疾の前で隙を見せるのは、本人も無意識にこの特性に依存しているからだ。


 だが。


(……「他人から押しつけられた仕事に対して、忠実に取り組むわけでもないだろう」、か)


 軽く俯いた疾の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。成る程、確かに自分は冥官の命令に対して、決して忠実などではない。ただただ、事務的に、成すべき作業として、粛々と事を成せるだけだ。



 例えそれが、始末命令だったとしても。



(だから……)

 内心で零れかけた呟きを飲み込み、疾はゆっくりとカップを置いた。一度目を閉じて、再計算をして、開く。



 下準備は全て整い、条件は揃った。あとは、成すだけだ。



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