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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
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17 実験動物

 人権のない実験体が、どういう扱いを受けるのか。

 動物実験ですら厳しい目を向けられる昨今のヨーロッパで育った疾は、否応なくその現状をネットや文献で目にしてきた。

 現在ではかなりの研究施設が、動物相手でも不要な苦痛を与えないよう、あらゆる工夫を凝らしているらしい。過激なサイトで目にするような動物の惨状など、滅多に存在しないという。……表の世界、では。


 では、それら監視の目が届かない、裏の世界は。

 それを、疾はまさに、己の身で体験させられていた。


 麻酔無しで身を削がれる苦痛。血液は勿論、皮膚や脂肪、筋肉まで削り取っていく冷たい刃の感触に悲鳴を上げれば、口をこじ開けられ奥歯を折り取られた。流れた血液は何故か直ぐに止まったが、痛みは少しも和らがない。身体のあちこちに針を刺され、そこから電流を流され、焼きごてを押しつけられた。

 過ぎる痛みが嘔吐を伴う事すら、疾は知らなかった。けれど何度吐いたところで、身体を弄り回す手は止まらない。どれだけ悲鳴を上げて暴れても、誰1人反応を返さない。


 それはまさしく、「モノ」を取り扱う態度そのものだった。


 何度も、拒絶の言葉が込み上げた。やめてくれと、助けてくれと懇願すればやめてくれるなら、地面を這うことになってもこれっぽっちも構わないと、本気でそう思った。

 けれど、視界の端に映る光景が、それを許さない。こちらに気付く様子も無く、周囲の男達に怯える少女の姿が、疾の弱音を封じる。


 ──見捨ててでも逃げろ。

 その指示は、既に逃げる術を奪われた疾には、ないも同然の選択肢だった。


 ここでアリスを見捨てて、恥も外聞もなく助けを求めたところで、自分の扱いが何一つ変わらないと疾は悟っている。ただ、アリスというもう1人の被害者を出すだけだ。

 だから、震える喉を引き絞って、血まみれの歯を食いしばって、疾は耐える。

 それこそが、愉しげに自分を眺める子供の何よりの娯楽だと、分かっていても。



「っあ……!」


 脛に走る抉るような痛みに、掠れた悲鳴が漏れる。既に声は悲鳴で嗄れきって、痛々しい音しか出ない。

 まるでボウリングでもするかのように、細いストロー状の器具を力任せに押し込まれる。刃物とはまた違う痛みに、疾は身もだえた。


「っぐ、ぎ……あっう」


 叫びすぎた喉が、血を滲ませて痛む。悲鳴を封じられなかったのは不幸なのか、それとも幸いなのか。発狂しそうな痛みの中、熱に浮かされた頭がぼんやりとそんなことを思う。

 腕にちくりとした痛みが走った。何かの薬液が血管の中へと送り込まれる感触。


「ひ……っ!」


 身体を苛む痛みの質が変わる。痛みに感覚が麻痺するのを避けさせるかのように、一定の間隔で薬を飲まされ、注射を打たれ。その度に、身体が壊れていく。


「あ、あ……っ! いっあ、ぐ……っ」


 もはや何をされているのかすら、疾はよく分からない。とにかく痛くて熱くて、苦しくて。1つ1つの正体なんて分かりたくもなくて、それ以上は脳が認識しようとしなくなっていた。

 ある種の適応を見せる疾の反応ですら、誰かが記録している。反応の変化1つが、データとして価値があるのだと、それだけが疾の価値なのだと、思い知らされる。



 そうして、永遠に終わりのない様に見えた地獄は、絶対者の一言で変化を見せた。



「うーん、なんか代わり映えしなくなってきたな。飽きた」


 個の判別を許さない、気味の悪い声が響く。ぴたりと、場にいた全ての人々の動きが止まった。こつこつと、足音がする。

 ぐったりと項垂れた疾の顎を掬い上げ、子供は疾の焦点が合わない瞳を覗いた。


「おーい、まだ僕が見えてるの?」

「っ……」


 視界に飛び込んできた褪せた金髪に、疾の身体が大きく震える。その反応に、子供は満足げに頷いた。


「ああ、まだ見えてるね。それなら丁度良いか」


 すっと、瞼を撫でて。


「綺麗な色だし、うん、いいね。もらおう」


 まるで宝飾品でも物色するような口調で、子供は言った。


「え……?」

「おまえ、今の偽りの視界で満足してるなら、1つ欠けたってなーんにも困らないだろ? 僕がコレクションの1つに入れてあげる。おまえのような化け物が、これまで何を見てきたか──何を見ない振りしてきたか、なかなか興味深いからね」


 何を、言っている。


「な、にを……」

「おまえさ、頭悪すぎじゃないの? はっきり言わないと理解出来ないなんてさ」


 くすくすと笑って、意味が分からないながらも硬直する疾に、悪戯げに告げた。


「その、眼球。1つ、抉り取らせてもらうよ」

「は……な、ん」


 今、何と。


「右が良い? それとも左?」

「あ……な、に……言っ、て」


 かたかたと、疾の体が震え出す。頭は理解を拒否しているのに、本能が煩いほど警告して、心臓が痛いほど走る。


「だからぁ、どっちの目を取って欲しい? おまえ、利き目はどっち?」

「なに、……な、に……を」


 ひくりと喉が震える。言葉の意味を、分かりたくない。なのに、子供の姿をした絶望が、現実を突き付ける。


「まあ、大体右だよねえ。折角だから、しっかり見る方をもらおうかな」

「あ、う……い、っ」

「じっとしろ」


 意味もなく首を振ろうとした疾の顎を、子供ががっちりと掴む。壁に押しつけられるようにして、疾の頭が固定された。


「まだまだ調べたいことあるし、ここで死なせはしないから安心しなよ。おまえ、思ったより面白そうだし、目でお終いは勿体ない。ちゃあんと止血して、目がないままじゃ見た目もよくないから、僕が特別に直してあげる。ふふ、修復魔法の凄さを、おまえが知らないのが勿体ないね」

「あ……っ」


 空いた方の指が、確かめるように右の瞼を上下に開く。押し開くようにされて目が渇き、涙が自然と溢れた。


「自分の目と、お別れは済んだ? あはは、変な表現」

「……っ、……だ……」

「うん?」


 指が1度離れて、それでも焦点が合わないほどの距離に保持したまま、子供が疾の掠れた声を拾おうとする。モノを観察するような眼差しに、震える喉が、声が、ついに、決壊した。


「っ、だ……や、だ……いや、だ……!」


 傷付けられ、弄り回され。あらゆる苦痛を与えられて。それでもまだ、疾は、全てが終われば、戻れるような気でいた。この地獄を耐えれば、元通りの生活へ帰れると、そんな甘さが、どこかに残っていた。

 けれど、子供が無邪気に示した残酷な行為に、思い知らされる。


 ──本当に、自分は、ここで壊される。


 何もかもを奪われ、人ですらないモノに成り下がり、うち捨てられる。

 その、恐怖に。


「やだ……いや、だ……やめろ……!」


 枷が食い込む痛みも分からず、戒めを振り切らんと暴れて。

 理性も矜恃も、忘れてはいけなかったはずの何もかもをかなぐり捨てて、疾は叫ぶ。

 悲鳴を。懇願を。──拒絶を。


「やだ……っ、もう、やめ……っ!」

「……あはっ」


 心底楽しそうに、子供さながらの笑顔を浮かべて。

 子供は、ゆっくりと疾に手を伸ばした。


「や、め……やめろ、やだ、やめてくれ……!」

「ふふ。良い悲鳴だね」


 ぐっと。

 指が、疾の瞼を開いて。


「やめ……や、だっ、助け……!」

「無駄だって」


 ぞぶり、と。

 あり得ない程深く、押し込まれた。


「い、や! だれ、か……あぁっ」

「おまえを助ける奴なんて、どこにもいないよ」

「あぁあああああああああああああああ!!!」


 ぶつぶつと、引きちぎられる嫌な音。

 光が弾けて、消し飛んだ。

 激痛は、一番最後に。


「あぁああああ! い、あ、がぁああああ!?」

「あはは、まだそんなに声が出るんじゃないか。今までは出し惜しみ?」


 けらけらと愉しそうに嗤う声は、喉から溢れ出る悲鳴に掻き消された。

 痛い。頭の奥に焼けた鉄の棒を刺し込むような激痛に支配され、なのに、右目から溢れ出る液体の感触がいやに鮮明に頬を伝う。


 ──右の眼窩は、ごっそりと落ちくぼんでいた。


「ああ、直すって約束だったね。ほら」


 ぱちん、と総帥が指を鳴らす。次の瞬間には、疾の右目から流れていた血は止まり、何事もなかったかのように、彼の瞳はそこに存在していた。

 唐突に現れた異物に壮絶な不快感を覚えて、疾は耐えきれず嘔吐した。


「う……ぐ、げぇっ」

「あーあ、まーた吐いてる」


 もはや吐くものも残っておらず、少量の胃液だけを吐いてえづく。右目にあるはずのない感触が、どうしようもなく気持ち悪い。


(い、やだ……)


 自分が自分でなくなっていく。右目から何かが全身を流れ、全てを塗り替えていく。

 そんなおぞましい感触に、疾はまともな呼吸すら出来ずにいた。瞳は戻っても視界は戻らないことなど、もはや念頭になかった。

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