168 鬼狩りの仕事
「お疲れ」
「……」
今まで姿すら見えなかった冥官が、消えた「門」と入れ替わるように現れた。当たり前のような顔で疾を見下ろしてくる相手を、疾は無言で見返す。
「それにしても、思ったより派手にやられたな。あれくらい防ぎ切ると思ったが」
「期待外れで残念だったな」
「いや、期待には十分応えているさ。ただ、予想通りだったので拍子抜けしたかな」
「なるほど、それはさぞつまらない見せものだっただろうな」
薄く笑みを浮かべたまま言葉を返した疾に、冥官は僅かに目を細めた。
「まあ、そうだな」
それだけ言って手を差し出してきた冥官を、疾は無言で見返すが手を伸ばさない。
「どうした?」
「わざわざ門を俺に開けさせた意味は何だ。冥官ならどうにかできたはずだ」
相変わらず無機質なままの琥珀を向けられた冥官は、軽く肩をすくめる。
「それはそうだけどな。今後はお前にも頼むし、そうなったら門を開けることも増えるだろう。自力で対処するか、それとも門を開くか──そこの判断がきちんと出来るのか、実際に門を扱えるのかの確認だな」
「わざわざ門の向こう側に餌をやる必要もないだろう」
「そこはまあ、必要経費というやつさ」
「そうか」
薄く笑んだまま答えた冥官に特に反応せず、疾は冥官から視線を外した。腕に力をこめたが、上体はわずかに浮き上がるだけで直ぐに地面に沈む。改めて魔術を使ってみるも、魔力回路はいまだ麻痺したままのようで、上手く構築できない。
いつまでこの状態が続くのだろう、浮かんだ疑問のままに思考を巡らせようとして──
『──疾』
「っ──」
言霊に、脳を揺らされた。
刹那、上下左右の感覚を失い、中途半端な浮遊感に襲われる。
「動けないのか?」
「……今まさに、あんたに追い打ちかけられたところだ」
吐き気を辛うじて堪え、疾は冥官を睨み上げる。苛立ちが多大に含まれた目で睨みつけられた冥官は、にこりと笑った。
「そうか。じゃあ、帰ろうか」
(……いつか絶対ぶん殴る)
改めて誓いを固め直し、疾は差し出された手を渋々掴む。ぐいと引き上げられると同時、流れ込んだ「力」が全身の麻痺を洗い流すのを感じた。
なんとか自力で立った疾が体勢を整えるのを待ってか待たずか、冥官は柏手一つで白い空間へと2人の居場所を切り替える。
「さて、これで今日の仕事は終わりだな。帰りにローラのところに──」
「いらねえ、帰らせろ」
「……本当に疾は、そういうところが治らないなあ」
苦笑を滲ませている冥官に低く舌打ちしつつも、きっちり言い返す。
「そもそもが無茶な仕事の割り振りをするだけして放置する無責任上司のせいで体調不良が出てるっつうのに、その上司が紹介する治療所なんか信頼するわけねえだろうが」
「疾の信頼する医師というのも見てみたい気がするけどな。まあいい、しばらくはゆっくりするように」
「気が向いたらな」
冥官の言い振りからして、呼び出しはしばらくないようだ。そこまではいいとして、続く指示には頷けない。疾の趣味は休みがある代物ではない。というかせっかく体調が良いから何かしら動こうと思っていた矢先にこれだ、ゆっくりできないのは誰のせいだと言いたくなる。
少し魔力を整えてからまた医者のところに行くべきか、いやまずはショートした魔道具の修繕から、などと思考を巡らせていた疾は、冥官に呼ばれて意識を少しそちらに傾ける。
「さて、疾。ゆっくりした後のことだが、一つ仕事を与えておこうかな」
「──」
否。その言葉に、考えていたことを一旦意識の隅に押しやった。
ゆっくりと目を細めて、冥官を振り返る。軽く微笑んだまま、目をうっすらと赤く染めた人外の男に、言葉少なに確認を取る。
「人鬼だな?」
「そうだ。今なら疾も、わかるだろう?」
「……そういうことか」
最初から最後まで堕ち神と相対させて疾に「理解」させたのは、どうやらこれが目的だったようだ。考えうる中で最も腑に落ちる、それでいて面白くない答えに、つい溜息が漏れる。
「そうだな、期限は2ヶ月としよう」
「……ほんと、あんた俺を殺す気だろ」
「まさか。十分な準備期間を含めたつもりだけどな」
朗らかに笑う冥官の口に銃口を突っ込んでやりたい衝動を懸命に抑える疾を余所に、冥官は軽い口調で続けた。
「まあ、仕方ないじゃないか。疾の方がよく知っている通り、最近少し傾きつつあるからな」
「完全に堕ち切る前に狩れ、と?」
「最終的な判断は任せよう。ただし」
言葉を区切り、冥官はうっそりと笑う。
「──中途半端な情に引き摺られないように。お前は「鬼狩り」なんだからな、疾」




