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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
10章 「鬼」
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167 「開門」

 ふわりと、疾の目の前に気配が降り立つ。いまだ動けぬまま目だけを動かせば、「声」が降ってきた。


『我を解き放ったのは、お主か』

「……」


 問いかけには不用意に答えず、疾は慎重に呼吸を継いだ。言葉一つで人の運命を縛るだけの力を持つ相手にどう応じるか、目まぐるしく思考を巡らせる。

 しかし相手は疾の返答を求めていたわけではなかったらしい。気配が急に濃くなったと思ったら、疾の視界に人の足が入ってきた。人型をとったようだ。


(まずい)


 疾の身の内に鳴り響く警告と、これまでに蓄積した知識が、ゆっくりと足を踏み出してくる存在の危険性を嫌というほど知らせてくる。何とか逃げたいところだが、未だにダメージが抜けない体はろくに動かず、魔術を使おうにも体内の魔力回路が麻痺しているのか魔力が操れない。せめてもの抵抗に、かろうじて動く指先で地面に魔法陣を描こうと試みるが──


『──ふむ、面白い。人の子が、このような力を持ち合わせて生まれるとはな』

「っ」


 手を掴まれた。振り解けずにいる疾をまじまじと見つめる視線を感じる。


『理解か。我らに祈るための理解ではなく、観察するための理解とは業の深いことよ』


 掴まれた手に力が加わり、引き上げられた。痛みに顔を歪めながら、なんとか顔を上げた疾は、「それ」と目が合う。


「──」

『だが……これを喰らえば、少しは糧になるか』


(ああ──)

 疾は、薄く笑った。


 底なし沼のような澱んだその目と、その言葉に、理解した。理解、できてしまったのだ。


『そして我を呪おうという愚かなものの血族に報いを与え、我を忘れ去った人の世に、権能を示さねば』


(──これが、「堕ち神」か)


 知性はある。思考も巡る。だが、道理は歪んで捻れて繋がらない。

 「堕ち」た「神」の成れの果て。瘴気に染まり四魂の均衡を、己を手放し、「理」を歪めて失った、神の形をしているだけの「鬼」。


 ああ、本当に。


「……くだらない」

『何?』


 冷めた声が出た。聞き咎めるような『堕ち神』の声を聞きながら、疾は思考が冷え切っていくのを他人事のように感じた。静かに息を吸い込む。


「──国つ罪が一つ、呪いする罪」

『……』

「たとい神に仇なす人あれど、神は人を呪うことあたわず」


 誦じた疾に束の間沈黙したが、「堕ち神」は低く唸る声を出した。


『知ったことよ』

「だろうな」


 既にこの存在は、あらゆる「カミ」が縛られる「律」を引きちぎってしまっている。禁じられている理由すらもわからなくなってしまった、哀れなほどの愚かしさ。


「同情も憐憫も必要ないだろうな。だから、これだけ伝えてやる」


 口元を歪め、疾はゆっくりと言霊を形作った。



「あるべき処へ還れ。──『開門』」



 門が、「堕ち神」の背後に現れた。

 決して開かぬようがんじがらめに縛り付けていた鎖が、ジャラジャラと音を立てながら地面へ落ちて消える。



『……!? 貴様、まさかっ』

「気付くのが遅い」


 うっすらと笑いを口元に浮かべ、疾はようやく動いた腕で「堕ち神」を振り解いた。地面に叩きつけられる直前まで、疾の目は「堕ち神」を向いていた。

 大きく見開かれる「堕ち神」の目を見返しても揺れひとつない、無機質な琥珀。一切の感情が浮かばぬ眼で、疾は見た。


『ぐ……おのれ……!』


 開いた門の向こう側から伸びた赤黒い鎖が「堕ち神」に固く巻きつき、容赦なく引き込んでいくのを。


 引き込まれていく向こう側、悪寒を覚えるような悍ましい気配がひしめいているのを。


 もがきながら吸い込まれていく「堕ち神」の呪詛すら、門の向こう側に飲み込まれていくのを。



 それら全てを見届けて、疾は、与えられた知識と力の通りに、門を再び閉じた。



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