166 堕ち神の解放
ぱちぱちと拍手が場に響いた。
「お見事」
「本当に高みの見物しやがって」
疾は低い声で吐き捨てた。白々しい賞賛と共に鳴らされた手の音だけで、疾が浄化しきれなかった瘴気が綺麗さっぱり無くなったのが、また絶妙にイラっとする。
「たまには素直に褒められたらどうだ?」
「無駄に手札を浪費させといて抜かすな」
最初の時点で冥官が瘴気を浄化していれば、疾がせっかく大枚はたいて手に入れた魔道具や貴重な魔力を消耗せずに人鬼の動きを止められた、と詰るも、当然のように受け流された。
「さて、今のうちにあっちもな」
「……おい。本当に今回なにもしない気か?」
「そんな感じだ。まあ頑張ってくれ」
一度でいいからこいつを本気でどつき倒したい、と思った疾は悪くないはずだ。たぶん。
一つ呼吸を挟んで苛立ちを紛らわした疾は、顔を上げて社を振り返る。社を縫い付けるような影が健在なのを確認して、軽く眉を寄せた。
「おい、冥官」
「なんだ?」
「これは曲がりなりにも封印だよな」
「そうだな」
あっさりと肯定する上司に、疾の眉間の皺がやや深まる。
「……俺の知識に誤りがなければ、この呪いと祝詞でガッチガチに縛り付けられた挙句に瘴気を注ぎ込まれて狂った神を宥めるためには、正規の術師が扱う術式か、鬼狩りの遠距離専門勢が扱うような術式が必要なはずなんだが」
「そうだなあ」
「……俺は、術式は、どっちも扱えないんだが?」
「ほら、そこ疾の異能で上手くやってさ」
「今俺は無性にその異能をあんたに向けたくて仕方がない」
前提となる知識を非合理的な無茶振りで蹴飛ばしてくる上司の横暴に、疾はじっとりとした眼差しを向けた。当然のように笑顔を返され、舌打ちをこぼす。
腕を組み、改めて社を見上げる。じっくりと呪いを観察し、分析し、中の堕ち神へと意識を向ける。前回の副轍は願い下げなので、努めて焦点は合わせないようにしつつ眺めた。
(……安直に浮かぶ方法は、消滅させるか、解放してから叩き潰すか。前者は荷が重いし、後者は撒き散らされる影響を抑えきれない。封印を残したままなんとかすることを前提とすると……狙い定めて異能を発動しろってか?)
疾の異能行使は実は結構大雑把だ。銃弾として放つか、ざっくりと放出して障壁あるいは刃として放つ、の二択しかない。これまで狙いといえば銃の照準、刃の飛ばす軌道程度しか定めていない。力任せに敵を文字通り消し飛ばすだけの暴力だ。
疾にも自覚はあるし、冥官もおそらくそれ故に「才能がない」と言っている。そして今回こんな状態の堕ち神を丸投げしてきたことから考えると、扱い方を鍛えたいのだろう。
……多分、おそらく。そんな練習台がわりに出来るようなぬるい存在でもなければ、失敗した時に及ぶ影響値は尋常ではないのだが。疾もそろそろ、その辺りもひっくるめて「死に物狂いでやればなんとかなるだろう」という冥官の思考回路が予想できるようになってしまっていた。
「やっぱあんたをぶん殴る方が優先順位が高い気がする」
「俺は敵じゃないんだけどなあ」
「敵じゃないからこそ一度ぶん殴るべきだろ」
「そうか? まあ、そのうち頑張れな。今はほら、そっちの拘束もちょっと長持ちしそうにないし、急いだ方がいいんじゃないか?」
にこにこと笑顔を浮かべてのたまう上司を一度横目で睨みつけてから、疾は右手で銃を構えた。す、と目を細める。
丁寧に観察し、分析した結果をもとに弾道を計算する。目的である堕ち神の瘴気と、瘴気の核となる均衡の崩れた四魂だけに狙いを絞って照準を合わせる。
(──いける)
そう判断するとほぼ同時に、引き金を引いた。
複雑に編み上げられた封印の僅かな隙間をすり抜け、異能の弾丸が狙い過たず堕ち神を撃ち抜いた。
疾の異能が瘴気と堕ちた四魂を消滅──させるのをろくに確認せず、疾は動く。
魔道具を起動。結界を周囲に張り巡らせると同時、足元に魔法陣を重ねて結界を強化する。更に防御魔術を重ねようとしたが──
「──!!」
本能に身を委ね防御体制をとった疾は、しかし爆発的に膨れ上がった凄まじいまでの力に吹き飛ばされ、何メートルも先の大木に叩きつけられた。
「か、はっ」
強制的に息が吐き出される。あらかじめ用意していた結界は容易く打ち破られた。かろうじて受け身を取りつつ緩衝魔術を発動させても尚、疾は叩きつけられた体がずるずると木にもたれたまま崩れ落ちていくのを踏み止まれない。
「……っ、っぐ」
疾はなんとか身を起こそうとして、顔を歪める。衝撃を受けた影響で、全身が痺れていうことを聞かない。それでも力を入れようとすると、鈍い痛みが動きを阻害する。治癒の魔道具を発動させようとして、身につけていた魔道具の回路が全てショートしていることに気づく。
(堕ちても神は神、ってか……)
異能によって隠の気に染まりきっていた四魂を冒していた瘴気を消しとばし、隠の気を力づくで打ち消した。その反動で暴発した陽の気が、封印も人鬼も、ついでに疾が念入りに強化した結界も一緒くたに打ち砕いたわけである。見るものがみれば、疾が五体満足なことこそが幸運と言われるだろう。身動ぎ一つできない疾自身は、幸運どころか現在進行形で不幸が迫っているとしか言いようがないのだが。




