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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
10章 「鬼」
165/232

165 人鬼と相対す

 一度瞬いて、疾は周囲を見回す。古い社の境内のようだ。木材や石灯籠が薄汚れ、一部欠けている辺り、何年も手が入っていないと分かる。


「……うち捨てられた小さな社……というだけじゃなさそうだな」

「ご明察だ。ただ捨てられただけなら、まだ良かったんだけどな」


 薄く笑った冥官も、疾と同じものを視ているのだろう。その目に浮かぶ色をちらりと眺めてから、疾は改めて観察した。

 社に縫い付けるような黒い影と、そこからじわじわと溢れ出る禍々しい気配。本来であれば、神を祀る聖域として編み上げられるべき結界である。

 だが今、疾の目の前にあるそれは、夥しい瘴気に満ち溢れていた。否、ただの瘴気とその封印であればまだマシだったのだろう。


「……人間っつうのは、行き着くと神さえ手駒にしようとするってわけか。手に負えねえな」

「巡り巡って自分に返ってくるぞ。特に日本という国において、術式の多くは「神に祈りを捧げて恩恵を得る」という回路で構築されているんだしな」

「力を借りるのと利用するのは紙一重、と? 馬鹿馬鹿しい。そんな理解で術式を安易に扱うから、この国の地脈は澱むんだろうよ」


 冥官の忠告をにべもなく言い捨て、疾は薄い薄い冷笑を口元に刷く。魔法士を相手にしている時のような愉悦とはまた違う、どうしようもなく冷たく酷薄な表情を見た冥官が、軽く肩をすくめた。


「主観によって支えられる宗教観を客観性を持って取り扱うのは、相当難しい部類だ。できる術者の方が少ないさ。……ここまで行き着いてしまう例は珍しいけれどな」

「呪詛で神を縛り、鬼の瘴気で狂わせて堕神にしようなんて例が珍しくなければ、この国は早々に天災で沈むだろうよ」


 冥官の言葉にそれだけ返し、疾は軽く息を吐き出した。常人であれば呼吸すらできないほどの濃密な瘴気の中、力むでもなく自然に会話を交わす2人の前に、よろよろとした動きで立ちはだかる影が一つ。


「お出ましか」


 皮肉げに口にした疾に、ぎろりと血走った目が向けられる。鉄を煮詰めたような赤黒い瞳に、疾の冷たい笑みが映る。


「──笑う、な。笑うな、笑うな、貴様、ら、如き、が」


 怨嗟の言葉を重ねる影に、疾は軽く目を細めた。


「なるほど、ただの人鬼よりは知能が残っているようだな」

「そりゃあ、こんなものを編み上げるくらいだからなあ」


 影──人鬼を前にしてもいつも通りの泰然とした姿を崩さず、冥官は疾へにこりと笑いかける。


「というわけで、下手に殺すとあちらがお出ました。いい感じに痛めつけて、これ以上余計な真似をしないようにしてくれ」

「簡単に言うな人外が。あんたはその間何する気だ」

「そうだなあ、人払い?」

「おい丸投げすんな」

「うん、今回は全部任せるよ」

「ふざ──」


 言葉の途中で飛んできた紫の炎を、疾は横っ飛びに避けた。着弾した炎は土を舐めるように広がって、疾と冥官を取り囲んで行く。


「こ、ロス、殺す、邪魔をするなら、殺して、やる」


 人鬼が呪詛のように殺意を口にするたびに紫色の炎が猛り、場に満ちた瘴気がさらに濃度を高めていく。


「……冥官。瘴気はなんとかしとけ」

「ちょうどいい具合に人払いになるし、このままでいいんじゃないか?」

「そうだな、近づくだけで即死だろうな。ちなみに俺もこれ以上悪化すると死ぬんだが」

「ははは、面白い冗談を言うじゃないか」

「冗談はあんたの頭──っ!」


 ゆらり、と揺れた人鬼が一瞬で疾の間合いに入る。人外の速度に舌打ちし、疾は喚び出した銃を発砲した。疾の胸を突き破らんと突き出されいていた腕が大きく弾け飛ぶ。疾は人鬼の胸を思い切り蹴飛ばした。

 吹っ飛んだ人鬼の軌道に沿うように、瘴気が撒き散らされる。顔を顰めつつも結界へ注ぐ魔力量を調整し、今度は疾の方から仕掛けた。


 魔法陣に魔力弾が撃ち込まれ、魔術が起動する。旋風が僅かに瘴気を押し流し、開いた空白に青白い炎が炸裂した。


「ぐ、ガァ!」


 人鬼が苦痛に叫ぶ。浄化の炎が効くあたり、完全に堕ちてしまっている。ぎろりと疾を睨むも、既に疾は次の手を打っていた。


 強く地面を蹴って上空へと飛び上がる。魔力を一気に隠すと、居場所を見失った人鬼が視線を彷徨わせた。

 無防備な背中に、強烈な蹴りを叩き込む。


「ギィ……!」


 異能を僅かに混ぜて打ち込んだ蹴りに、人鬼が地面へと叩きつけられた。蹴られた分だけ削られた瘴気が、人鬼の回復を遅らせる。


 地面に魔法陣が光った。


 人鬼の体が硬直する。捕縛の魔術で動きを止めた疾は、今のうちにと改めて風を起こして瘴気を押し流し、浄化の炎でさらに瘴気の濃度を下げた。


 ごきり、と嫌な音がした。


 人鬼の体が跳ね上がる。腕の骨が折れるのも厭わずに跳ね起きた人鬼が、ぐるりと振り返り疾へと飛びかかってくる。


「……チッ」


 小さく舌打ちを漏らし、疾は人鬼の攻撃を障壁で横へと流し、体勢の崩れたところでまたもや蹴り飛ばした。視線を滑らせて周囲を確認し、異能を行使する。


「ギャアアアアア!」

「うるさい」


 耳障りな悲鳴に吐き捨て、疾は両腕を失った人鬼を冷たく睨みつけた。手の中で銃を小さく回しながら、思考を巡らせる。


(……捕縛の魔術が効かないとなると、ここまで理性のない人鬼を止めるのは俺の手札じゃ難しい。全く、本気で俺に害意がないんだろうな?)


 疾の異能は術の形で編み上げることはできない。色々と試してはいるが、結局銃弾として扱うか直接行使するかのどちらかが最も効率がいい。理由はおおよそ察しているが、魔術で封じられない相手を封じる術が全くないというのが問題だ。


(消滅させるだけの異能っつうのも使い勝手が悪い)


 些か苛立ちを覚えながらも、疾は小さく息を吐いて切り替える。自分自身の技能でこの人鬼を封じることはできない。ならば、自分以外の技能で封じるまでだ。


 指を鳴らす。あえて魔術の発動に補助をかけ、微細な調整をより確実なものにする。


 疾の足元に魔法陣が大きく広がった。魔力が大きく脈動し、周囲へと拡散されていく。

 数秒待って、疾はポケットから取り出した魔石を宙高く放り投げた。淡く輝いた魔石が、刻まれた魔力回路に従って、その機能を発現する。


「邪魔、スルナぁ!!」

「やなこった」


 言葉に追随するように、冷気すら感じさせる清浄な気が水面のように広がった。疾が撒いた魔力を足場に広がった浄化魔術が、場に満ち満ちた瘴気を押し流していく。


「ずいぶん良いものを持っているなあ」

「いつぞやの依頼がなかなか美味しかったもんでな」


 感心したような冥官の問いかけに簡潔に答え、疾は銃の引き金を連続で引いた。瘴気という壁を失った人鬼が、足を吹き飛ばされて地面へと落ちる。

 魔法陣が地面に浮かび上がり、魔力が供給される。封印の要素も追加された拘束魔術で今度こそ完全に動きを封じたのを確認して、疾は小さく息を吐き出した。


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