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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
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16 地獄の始まり

 父親を貶す言葉を撥ね除けた疾に、子供はすうっと目を細める。


「僕に逆らうの? 生意気だね、おまえ。立場分かってないのか」


 ぐいと髪を掴まれた。焼け付くような痛みに、疾がぐっと奥歯を噛み締める。


「おまえさ、僕の実験動物モルモットだって自覚ある?」

「は……?」

「モルモット。被検体。研究対象。玩具なんだよ、おまえ。逆らえる立場じゃないだろ」


 更に力を込められ、ぶちぶちと髪が引きちぎられる音が響いた。痛みに、生理的な涙が滲む。


「っつ……離、せっ」

「まーだ逆らうんだ? 痛い目に遭いたいの? まあ、これから何が起こるか分かってないんだろうけどさ」


 ぐっと、髪に加わる力の方向が変わる。痛みから逃れたくて、自然俯く方へ顔が動いた。子供と、目が合う。褪せた緑の瞳が、酷薄な色を浮かべた。


「特別に、僕が直々に教えてあげる」

「……っ!?」


 疾の目が、大きく見開かれる。悲鳴は、くぐもった音となって吸い込まれた。


 何の躊躇いもなく重ねられた唇は、何度もキスを交わしたアリスのそれとは全く異なっていて。吐き気を伴う気味の悪さと嫌悪感にもがくも、自由を奪われた身では満足に抵抗出来ず。

 容赦なく舌を押し込まれる気持ち悪さにくぐもった悲鳴が出るも、子供は不相応な握力で疾の顎を掴んでいて、首を振って逃れることも出来ない。


「う……っぐ……!」


 口の中に、何か固いものが入ってくる。舌で容赦なく押し込まれて、えづきそうになる。構わず押し込まれる固いものをはき出せず、息を詰まらせるそれが苦しくて、疾は飲み込んでしまった。

 子供が離れる。軽く咽せつつ、疾は問いかけた。


「っ、なに、のませ……」

「直ぐに分かるよ」


 子供の指が疾の首筋に触れる。思わず身を強張らせた疾に、子供はにこりと笑う。



「──自分が、人と違う、異常だって感じたことはない?」



「は……?」

「同じように過ごしていても、何か違う。彼らに見えていないものが、自分には見える、感じる。そんな経験はない?」


 この場面で何故そんな事を聞くのかと、疾は眉を顰めて子供を見返す。くすくす笑いながら、子供は疾の首筋、顎、頬、と少しずつ指を滑らせながら、続けた。


「あるだろ? 勘、とか言って誤魔化してたのかな? 僕を見て、おまえは恐怖した。おまえ以外には、僕はただの子供でしかないのにね。おまえが何かを察した方が、異常なんだよ」

「……」

「ふうん? 全くの無自覚じゃないんだ」


 言い返す言葉を咄嗟に思い付かない疾を見て、子供は少し唇を持ち上げる。指先で唇をなぞり、嫌がって首を振る疾に、にこりと笑いかけた。


「ねえ。おまえは、そっちにいられないよ」

「な……?」

「そっちで人間の振りをしても、無駄。おまえは所詮、こっち側の化け物だ。そっち側に居座ろうとするから、おまえは周りを狂わせる」

「何を、勝手に……」


 ぐっと眉を寄せて、疾は子供を睨む。言われる言葉の節々に、えもいわれぬ不快感を覚えて、ちらつく不安を振り払う為に、そうせずにはいられなかった。


「分かるだろう?」


 くすくす。くすくす。


 笑い声が、部屋に木霊する。くらりと、疾の視界が歪む。


「おまえの中にあるものだよ。おまえが抱え込んで、隠してきたものだよ」

「な、にを……っ」

「ほおら。隠しきれなくなってきた」


 とん、と指先で疾の胸を突いて。


 ──トクン。


 何かが、動き出す。


「僕に見せてごらん」

「あ……っつ……!?」


 熱い。

 胸の奥から込み上げてくる、得体の知れない熱が全身を暴れ出す。


「なっ……うあ……っ!?」

「ふふっ、良い声。もっと聞かせなよ」

「う、っあ……つ、い……!」


 ぐるぐると走り回る熱が、身体を傷付けていくのが分かる。削って、焼いて、内側から溶かされていくような。


 熱い。痛い。


「あっぐ……うっあ、なに、し、た……!」

「へえ、まだ喋れるんだ。凄い凄い」


 くすくすと。どこまでも愉しそうに、子供は疾の苦悶に満ちた表情を眺めている。


「言ったでしょ、おまえが隠してたものを引っ張り出しただけ。おまえが元々持っていた、化け物の力だよ」

「っぐ……ち、が」

「違わないってば。ほーら、まだまだこんなもんじゃないだろ?」

「あ……ぐ、ぅあ……あぁあああ!」


 疾の身体の中で、炎が燃えているようだ。身体の奥底から止めどもなく熱が溢れ出して、駆け巡る火にさらなる燃料を与えていく。

 熱から逃げたくて、痛みが耐えがたくて、疾は無我夢中で暴れた。けれど冷たい鉄の枷は、揺るぎもせずに疾を壁に釘付ける。


「あっぐ、うあ、あぁあ……! い、や、だ……ぁああ!」


 怖い。

 病気とも、怪我とも違う。経験したことのない熱が、痛みが、怖い。

 得体の知れないものが、自分を身の内から食い破ろうとしているかのようで。


(いや、だ……!)


 これは、いらない。必要としていない。

 だから、ずっと隠していたのに。

 ないものとして、しまい込んでおいたのに。


「だあめ」


 無邪気で残酷な声が、愉悦を孕む。


「おまえは、僕の玩具なんだから」


 涙の滲んだ疾の瞳に、おぞましい笑みを映し出し。


「それを、僕に見せろ。徹底的に、何一つ隠さず、全て」

「ひっ……うあ……!」

「安心しなよ。一片たりとも無駄にせず、徹底的に調べ尽くしてあげる」

「い、やだ……あぁああああ!」


 痛い。熱い。──怖い。


 ようやく、疾は理解した。

 自分は今から、この子供に、意思を踏みにじられ、尊厳も何もなく弄ばれ尽くすのだと。何のてらいもなく、「実験動物」と、「玩具」と表されたままの、扱いを受けるのだと。


(いやだ……いやだ、いやだいやだいやだ!)


 苦しさも、痛みも、何もかもがいやだ。

 こねくり回されて、気味の悪い、人間とは別のものに変えられようとするおぞましさと恐怖だなんて、どうして耐えられる。


(助けて……!)


「無駄だよ」


 縋るような思いは、踏みにじられた。


「ここは僕の遊び場だって言っただろ? おまえの父親如きが見つけ出せる場所じゃない。まあ、もしかしたら見つけ出すかもしれないけど……その頃には、おまえはもう、父親を認識出来る状態じゃないだろうしね」

「ひっ……ぐ、うあ……っ」


 痛みと熱に悲鳴が喉から溢れ出るままに、ガタガタと震える疾を見て、子供はちょっと首を傾げた。


「ちょっと、もう壊れるのはつまんないよ? まだ、なあんにもしてないのに」

「や、め……いやだ……っ」

「はあ……これだから、守られてただけのガキは」


 何度も首を横に振り、全身を瘧のように震わせる疾を見て、子供は溜息をつく。そして、何かを思い付いたように、にいっと嗤った。


「うん、そうだ。こうすればいいや」


 子供が、ぱんっと手を叩く。子供の直ぐ隣に半透明のスクリーンが現れて、とある光景を映し出した。


「ほら、おまえの大事な子だよ」

「……! アリ、ス……!?」


 涙でにじんだ視界でも、きらきらと輝く金髪は見間違えようもない。目を見開き、涙がこぼれ落ちた疾の視界に、それははっきり像として脳裏に結ばれた。

 下着以外を全てはぎ取られ、手枷足枷をされ、床に転がされて。周りには屈強な男達が、下卑た笑みを浮かべて、まだ幼い少女を見下ろしていた。


「なん……っ、アリスは、かん、けいっ」

「うん、そうだね。こっちの子供は、本当に、なあんにも力を持ってない、無関係な徒人だ。おまえのような偽物とは違う」


 ただし、と。子供の姿をした怪物は、嗤う。



「──おまえとさえ、関わらなければ、だね」



「……!」

「おまえが、中途半端に自分を偽るから。この子供はおまえのせいで、捕まってるんだよ」


 ひくっと喉を震わせた疾に、愉しげに嗤って。子供は、疾の目を覗き込んで、囁く。


「嘘つきのおまえでも、この子がとっても危険なのは、分かるかな?」

「っ」

「分かるよねえ。おまえも、その顔なら大抵の欲に晒されてきただろうし」


 くすりと笑って。子供は、疾の耳に、吹き込んだ。


「──おまえが嫌だと、やめろと、現実から逃げようとする度に」

「……っ」

「あの子は、壊されていくよ」

「!! お、まえっ」

「あはは。ちゃあんと分かったんだね、良かった」


 距離を少し開け、愕然とした疾の表情を見て、子供は首を傾げる。


「信じられないなら、試してみる?」


 すい、と手を上げて合図を出すと、画面の映像が動いた。男の1人が、アリスの上半身を覆う薄い布に掛かる。


「やめろ!」


 疾の悲鳴に近い怒鳴り声に、子供がまた合図を出す。画面の動きが止まった。


「ふふっ」


 全身を震わせて。未だ身体を侵す激痛に呼吸を荒げながら、それでも、疾の瞳に先程までのような闇雲な恐怖と混乱は浮かんでいない。恐怖に怯えながらも睨み付けてくる目を見て、子供が陶然と笑った。


「さあ。ゲームの始まりだよ」


 ぱちん、と。

 子供が指を鳴らすと、どこからともなく、白衣の人々が姿を現した。誰もが得体の知れない器具を持って、欲望を目に宿し、疾に歩み寄ってくる。


「……っ」


 再び込み上げた悲鳴を呑み込んで。疾は、かたかたと震える奥歯をぐっと噛み締めた。


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