158 狭間の番人
(さてと)
わざわざ人払いをした以上、話があると見た。意識を切り替えた疾がピエールに視線を向けると、向こうも疾に向き直るところだった。
魔力が走り、部屋を覆う。無詠唱で盗聴防止の結界を施すその技量は、正しくノワールの師匠たりうるもの。
「……君は、なぜ魔法士協会と敵対しているのかな」
重い口調で問いかけられる。相手の真摯な眼差しの意図が読めず、疾はいつも通り笑顔での対応を選んだ。
「趣味」
「は……?」
「趣味の一つでも持とうと思ってな。人体実験を行う組織を潰していくっつう娯楽を始めたところ、勝手に協会が敵視してきたってとこだ。表向きは人体実験はしていませんとほざいてるくせに、自己申告ご苦労なこった」
実際、総帥との個人的な怨恨がなければ、そうとしか言いようのない状態だったりする。というか、それ込みで、疾からすれば喧嘩を売られ続けている状態なのだが。
ピエールは唖然とした顔で疾の言い分を聞いていたが、やがてはっと我に返り、ものすごく嫌そうな顔で疾を見やる。
「……なんというか、本当に理解し難い精神性だの、お前さん」
「そりゃ何よりだ。あんたに理解されるようじゃ、趣味で命を落とすお馬鹿さんになりかねねえしな」
「……。そう、かもしれんな」
僅かに浮かぶ苦い表情。薄水色の瞳が遠く映すのは、人の心を食い物にして娯楽とする、人の形をした化け物か。
「あんたらが祭り上げる人外の方がよっぽどだと思うがな。今は随分時間のかかる娯楽にご執心のようだし?」
疾がそう言ってやれば、ピエールの表情が一変した。
「……。いつ、気づいた?」
「さあ? けど、見るやつが見れば一目瞭然じゃねえの」
肩をすくめて、疾は廊下に繋がる扉を一瞥した。おそらくノワールはピエールの意図を汲み、あの外見詐欺を極めたようなお子様に茶の淹れ方の指導でもして時間稼ぎをしているのだろう。そこで語られる内容が自分のことだとは、つゆ知らず。
「温室育ちの天才にしたいのか?」
「……そう見えるかね」
「見えねえけど、あんたの扱いはまさにそれだろ」
総帥に執心されていることにも気づかせず、密かに植え付けられた「不安」という種は丁寧に取り除き。常人が入り込めない安全地帯に匿い養う、ノワールの環境はまさに温室だ。
もちろん、ノワールがそれに甘んじているとは微塵も思っていない。ただの温室育ちの天才なら、初対面の時点で沈ませている。泥臭い戦い方を知っている男が、綺麗なものしか見てきていないなどとは欠片も思わない、けれど。
「見落とすもんも、見失いかねないものもあるんじゃねえの? それが狙いだっつう方が納得いくぜ」
意図して温い環境を用意することで、ノワールの鬼気を和らげようとしていると言われた方が納得がいく。同時に、チグハグな印象を与えるノワールの背景に納得が行ったのも確かだ。
でも、だからこそ。
「それで、なんであいつのあの暴走を、本気で止めようとしてねえんだろうなあ。あいつ自身、止める気もないみたいだけどよ」
本当に──何故、と思う。
安全の確保された環境があり、溢れんばかりの才能に恵まれて。
難点はあれど養い人にも恵まれ、このままここで家族ごっこを続けていたとして、それが本物の家族になるのはそう遠くない未来だろう。
それでもなお、子供すら巻き込むことを躊躇わぬほどの──鬼に半ば以上堕ちたまま戻ってこようとしないほどの「感情」を、疾は今一つノワールから見出せない。
それが総帥が密やかに蒔いていく種のせいなのか、それともこの道化が丁寧に均し抵抗としているのか、あるいはその両方によって、あの異様に極端な振れ幅になっているのか──
「……止められないよ」
静かな声。僅かに細められた水色の瞳に浮かぶのは、悔恨。
「止めようとして、儂は失敗した。あの子は儂の意図を理解して、力づくで振り切った……道を、自ら踏み外した。あの時に悟ったよ……あの子は決して、これと決めた意思を覆したりはしない、と」
「……」
「……だから、覚悟を決めて、そこへ至る道を整える方向へと方針を切り替えたんだ。そうしてあの子の師匠である限り、あの子は1人で破滅の道を辿ることはないからな」
「……で、この状況か?」
その割には破滅まっしぐらに見えるぞ、と暗に告げれば、苦い顔でピエールは首を横に振った。
「分かっておるよ。けどな、フージュを拾ってきた時に、少し何かが変わったと感じた。だから、今はあの子のしたいようにさせるさ」
「……左様で」
よく分かった、と疾は息を吐き出した。呆れにも感嘆にも似た感情を抱きながら、疾はピエールをみやる。
思った通り、そして思った以上に、この人物は本気でノワールの「保護者」をやっているようだ。なんの見返りも求めず、どころか取引として見た場合には過剰が過ぎるほどに与え続けている。ここまでの情を向けてしまえば、もはや「師匠」の枠では止まらない。
となれば、まあ、この状況で疾への手出しを止めたのも当然だ。疾の脅しには脅しになるだけの危険性があったのだから。
「ちなみにな。俺は通常の転移魔術の発動中にくらった魔法でここに「落ちた」。使ってた魔術は魔法士が著者の魔術書に書かれたもんだ」
「……いいのかね」
「現状の身の安全確保と、帰り道の確保の対価と思えば安いもんだな」
「…………お前さん、本当にいい性格しておるな」
「褒め言葉どうも。座標軸への干渉中に起こった偶発事故とはいえ、魔法一つで辿り着けちまうようじゃ「番人」気取れねえだろ?」
風切り音。
金属同士が激しく擦れ合う音。
「おいおい、さっきまでとは大違いの待遇だな?」
銃把で振り抜かれた両手剣を受け止めながら、疾は笑って見せる。対してピエールは、感情の抜け落ちた目で疾を睨みつけた。
「どこで知った」
低い声で問いただされる。さてどう答えようかと考え、疾はこの場では最も無難な返答を選んだ。
「世界を渡る術を調べている間に、古い古い文献にちらっとな。明確に番人と書かれていたわけじゃねえし、それがあんたとはまさか載っちゃいねえが……この状況なら丸わかりだろ」
そう言って薄く笑って見せれば、疾がここまでのやりとりで読み取ったものを理解したらしい。ピエールは大変苦々しい顔になった。
「……厄介なやつだな」
「文句ならその厄介な奴を招き入れた自分と身内に言え」
「身内……」
「なんだ、具体的に上げ連ねて欲しいか? 全員ロクでもねえミスだよな」
「お前さん、本当に、性格が、悪いのう……!」
ものすごく苦々しい顔で、一言一言押し出すように言われた。そこまで力を込めて褒めてもらえるとは、大変光栄である。
魔法士全員こぞって、疾という危険人物をこんな超重要拠点に招き入れたという愉快なポカリレーは、少なくとも9割がた疾のせいじゃない。完全なる墓穴である。
しばらく疾を睨みつけていたピエールは、やがて諦めたように肩を落とした。両手剣を引き、腰を下ろす。
「まあいい。ひとまず、お前さんは客人ということで適度に接待して、ノワールに帰らせよう。せっかくだ。食事まで食べていくといい」
「──いや、いい。こちとらそこまで暇じゃねえし、茶だけ貰ったらさっさと帰らせろ」
ピエールから「食事」という単語が出た瞬間、これまで疾を救ってきた直感がものすごい勢いで早く帰れと告げてきたので、疾は一も二もなくそれに従った。我が身が可愛ければここで食事は避けろと全力の警鐘がガンガン鳴り響いている。
「そうか……」
どことなく残念そうなピエールを無視して、疾はいい加減ノワールたちが中に入れるよう結界を解除しろと手振りで催促した。