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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
9章 『漆黒の支配者』
154/232

154 戦闘か、破壊か

 凍りついた空間は、音すら吸い込まれる静寂の世界だ。普段ならば意識にも上らない衣擦れの音すらやけに響く。

 小細工を弄しづらい環境に内心舌打ちしつつ、疾は試しに火属性魔術を構築してみた。一瞬だけ炎が燃え上がったが、すぐに縮んで消えてしまう。


「ふん、その程度か?」


 見せつけるように嘲笑した男が、得意げにモノクルを押し上げる。疾の周囲がさらに冷えつき、ダイヤモンドダストの反射光が現れ始めた。

 鬱陶しい光に僅かに目を細めながら、疾は笑みを浮かべたまま冷静に分析を進める。


(炎は消えるのではなく縮小し、ダイヤモンドダストは風に流されることすらない……冷却ではなく振動数減少による温度低下だな。干渉領域の広さと干渉強度は、伊達に幹部名乗ってねえ)


 物質の運動を阻害する空間は、時間が経過するほどに絶対零度へと近づいていく。物質への直接干渉による温度低下ということは、おそらく逆もまた可能なのだろう。だからこそ、火属性魔術は意味をなさない。魔術で生み出された「火」が物質として扱われ、停止させられたのだ。

 こういった空間干渉型の魔法に対抗するセオリーは、空間ごと干渉を遮断する結界に引きこもることだが、これほどの強度だ、生半可な結界では干渉から身を守ることはできないだろう。


「まあ、いまだに凍りついていないだけ、これまでの雑魚どもよりは僅かにマシだがな」


 ──その環境下で、魔術強度はいまだ下級魔法士にも及ばない疾が平然と立っていられるのは、単に相性と場慣れである。


(あの馬鹿火力に比べちゃあ気の毒だが……やっぱり幹部にも力量差はあるな)


 余波だけで熟達した戦士を気絶させる人外じみた魔力圧。あれを何度も浴びながら、体内魔力回路に影響を及ぼさないよう魔力と異能の調整を繰り返してきた疾にとって、特定の事象へ干渉する魔力を遮断するのはさほど難しいことではなかった。

 魔法士の中でもずば抜けて魔力量の多いノワールは、総帥のお気に入りなだけあって、魔法士幹部の中でも頭ひとつ抜けているようだ。疾の目で見る限り、この魔法士は上級魔法士と比べて極端な魔力量の差はない。ノワールと比べたら微々たるものである。それでも通常の魔法士よりは多いし、魔術師と比べれば雲泥の差だが。

 何より、現時点でノワールとこの男では攻撃性に凄まじい差がある。ノワールだったらとっくに首をかっ切ろうと刀片手に突っ込んできていただろう。


(まあ、あれは特殊だけどな)


 返す返す、ノワールの非常識ぶりがよくわかる話である。ついでに言えば、魔法による干渉力も、明らかにノワールの方が上だ。この間、吸血鬼を周囲の土地丸ごと凍りつかせて粉々に砕いていたし。

 内心で結論を出した疾は、思考を目の前の状況に戻す。自身の有利を確信してか、相手の男はまだ動かない。

 現状、疾は凍りつくことこそないが、新たに魔術を構築することはできない。この干渉強度を上回る魔術を構築するだけの魔力も技量もない上、魔道具は取り出した時点で凍りつくだろう。かといって、異能を行使して干渉を遮断したまま身体強化魔術を扱えるほど器用でもない。魔術戦も近接戦も難しい状況である。

 だからこそ、相手も防戦一方だと思って余裕を見せているのだろう。いずれこちらの魔力が尽きればくたばるだろうと、持久戦の構えだ。一見、強者の余裕とも見える。


 が。


(素直なやつだな)


 ほぼ間違いなく、こいつは戦闘慣れしていない。外見そのまま、本質は研究者なのだろう。これまでは自身の魔法技能だけで敵を叩き潰してきただけの、力任せの暴虐だ。

 それで幹部にのし上がれるだけの力があるのも事実だが──


「温いな」

「……ほお?」


 ノワールを、総帥を欺き生き延びてきた疾を相手取るには、少々力不足だ。

 そう笑う疾に敵が僅かな警戒を見せるより先、疾は無造作に両手の銃を構え、撃った。


 銃声。

 そして、破壊音。


「っ!!??」

「はっ」


 モノクルが粉砕され、男はこれまでの余裕が嘘のように驚愕を露わにする。疾は短く嘲笑を漏らしながら、さらにもうひと仕掛け。

 魔法陣を男の周囲に(・・・・・)展開。空間効果が拡張され、男の周囲の温度が急速に下がっていく。


「貴様……!」

「どうした? てめえご自慢の魔法に何か不満でもあるのか?」


 憤りを隠し切れない様子の男にそう返し、疾はにっこりと笑ってみせた。


「さ、どうする?」

「っ……!」


 状況はしっかりできているようで何よりだ。歯軋りせんばかりの相手の様子に、疾はさらに笑みを深めた。


 異能の弾で干渉を無効化し、さらにもう一度異能の弾を寸分違わず後追いさせ、相手のモノクルを──先ほど温度干渉を強める際に触れていた魔法具を破壊した。魔法行使の補助用だったのだろう魔法具《モノクル》を破壊された男は、自身の生み出した凍結領域に巻き込まれないよう、慌てて結界を張り──動きを止めた。

 干渉強度を限界まで押し上げた空間は、作り出した本人を効果の範囲外にする設定はできないのだろう。だから最初から範囲外にいたし、範囲に入っては結界が必要になる。そして、魔法具なしでさらに魔術を構築する技能は、男にもない。できるのなら最初から範囲内にいただろう。


 要は、疾と同じ膠着状態に持ち込んだのだ。


「……ハハッ、いいだろう。長期戦がお望みなら応じてやるとも」

「馬鹿じゃねえの? なわけねえだろ」


 余裕を取り繕った男が何か言ったが、疾はにべもなく一蹴した。魔法士幹部相手に持久戦を仕掛けるなんて自殺行為を疾がするわけもなく、ついでに言えばそんなことをする理由がない。

 疾がここにいるのはこの男を倒すためではなく、この研究所を破壊するためなのだから。


 ドン!!


 腹に響く音が鳴り、けたたましいサイレンが鳴り出す。仕掛けた時限トラップが発動したのだろうと、疾は1人笑みを浮かべる。


「貴様、何をした!?」

「何をってそりゃお前、何の為に俺がこんな胸糞悪い場所まで足を運んだと思ってるんだ?」


 勘違いしているのはそちらだろうと、嘲笑う。


「研究資材の多い施設の大規模火災は、さぞ被害がでかいだろうなあ?」

「っ!!」


 目を剥いてこちらを睨みつけてくる男に小さく笑い声をあげ、疾は緩やかに手を横に開いてみせた。


「くくっ……。さあ、どうする? このまま俺に足止めされるがまま長期戦を続けるか? それでも構わないぜ。俺の目的は果たせるしなあ?」


 敵の排除にこだわり、それなりに規模の大きい、他組織も絡む研究所を捨てるか。

 研究所を守るために、足止めに成功した敵を解き放つか。


 どちらも痛みを伴う選択肢に、男が歯軋りせんばかりに疾を睨み付ける。大変気分が良い疾は、にっこりと笑顔を返してやった。相手の殺気がいや増す。

 逡巡の間にも、疾が綿密に仕掛けた火災トラップは順調に被害を拡大していき、すでに壁のすぐ向こうから爆発音が聞こえてくる。これだけ規模が広くなってしまうと、鎮圧には目の前の男が持つ魔法が不可欠だ。ここに出入りする魔法士幹部が氷属性魔法が得意だという情報──実際には少し違ったが──を手に入れたからこその、一手。

 いずれにせよ、男がどう動くべきかの結論を出すには、時間がない。疾としては、この空間にいる限りどれだけ火災が広がろうと自分達だけは無事なので焦りはないが、男はそうもいかない。


「……生ける災厄だな、貴様は」


 低い低い怨嗟の声とともに、男が右手を天井に翳した。吸い取られるようにして、干渉領域の魔力が消え失せていく。

 研究所を守る方を選んだらしい。実に組織人らしい判断だ。……実に、誘導しやすい判断だ。


「褒め言葉だな、っと!」

「なっ!?」


 干渉領域が消えていく間に構築した魔術を発動する。地響きとともに激しい縦揺れが起き、ぐらぐらと足元が不安定になっていく。


「何をした!?」

「柱が砕けて建物が倒壊って、いかにも映画みたいで見応えあるよな」


 男が絶句した。あんぐりと口を開けて疾を凝視してくるあたり、思考停止で文字通り唖然としているらしい。愉快な顔である。


(潮時だな)


 残念ながら今回は機密情報の破棄ができなかったが、施設は綺麗さっぱり破壊できそうなのでよしとする。疾は素早く転移魔術を組み上げ、発動した。


「きさ──」

「じゃ、後始末、せいぜい頑張れよ」


 捨て台詞とともに、視界がブレ、座標が書き換わる直前。


「つ!!」


 何らかの魔法が打ち込まれる。転移のまさにその瞬間、最も無防備になるタイミングで魔法を打ち込んできたのは、狙ったのではなくギリギリ間に合ったが故だろうが、これはまずい。

 魔法そのものは、身につけていた魔道具が自動的に弾いた、が。


(しまっ──)


 平衡感覚が失われる。座標が大きく狂ったのを知覚しながら、疾は何処かの空間へと「落ちて」いった。


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