147 魔術の頂き
口約束ながら、一時的な休戦協定を結んだ後。
現れた依頼主の指示に従い、幌馬車を囲むようにして冒険者たちが配置される。疾とノワールは新参者だからか、後方を任された。襲撃を受けた時、真っ先に死ぬのは見知らぬものがいいという心理か。
(賢しいのか脇が甘いのか、どっちかにしておけよ)
内心そう思いながら、疾は小さく欠伸を漏らす。裏切り者に背後を突かれて全滅という危険性は全く考えていないあたり、おめでたいがすぎる。
両手を頭の後ろで組んでだらりと歩く疾に、ノワールが呆れたようなため息をつく。万事無関心そうな態度とは裏腹に、仕事になるとなかなか真面目なようだ。定期的に魔力を波のように放出して周辺探査を行なっている。
(オーバーキルだな)
正直、ノワールが参加すると判明した時点で、今回の仕事はほぼ終わったようなものだ。魔法士幹部がいて守りきれないような魔物の群れが来るとしたら、それはもう護衛がどうのという騒ぎではない。
どちらにせよ疾の出る幕はないため、主目的はノワールの観察と分析へと置き換わっていた。
(こんな機会、そうそうない)
一時的に休戦するだけでなく、協力関係という下地を利用してノワールの出方を伺える。偶然が重なって得られた機会を棒にするほど、疾は馬鹿じゃない。一挙手一投足を観察し、分析して、考察を重ねていく。
「……やる気がないのか」
「幹部様がいるっつーのに、一介の異能者如きが出る幕ねえだろ」
「……その、一介の異能者というホラ吹きはまだ続くのか……」
「ホラなんざ吹いてねえだろ。魔法士にもなれない、魔術師でもない、野良の異能持ちだろ」
「そのくせ魔法士協会に単身喧嘩を売る、と。身の程知らずだな」
「そりゃどーも。その身の程知らずにまんまと二度も逃げられてる幹部様に言われるとは光栄だ」
「……本当に口が悪いな、お前は」
とはいえノワールもそこは同意見らしく、疾との会話に積極的に乗ってくる。互いに手札を読み合いながら、慎重にカードを切って情報を引き出していく。
「つーか、ノワールこそ魔法士としてはやる気ねえ方だろ? この状況だしな」
「自分で言い出しておいてそれか。……俺もこの依頼で目的がある。ひとまず後回しにしているだけだ」
「先延ばしはろくなことにならないぜ?」
「そのろくなことにしないのは、お前だろう」
無表情でこちらを伺ってくるノワールに、人を食ったような笑みで返す。ひたすらにあしらうような態度を取り続けることで、わずかでも「読めない相手」だと思わせられれば万々歳だ。どんなに理性で制御しようとも、心理的に苦手意識を刷り込まれた相手というのは、生死を分かつ一瞬で判断や行動に鈍りが出る。その一瞬こそが、疾の命綱だ。
(相変わらず、我ながら綱渡りな人生だな)
つくづく自分の選んだ道の難易度には笑えてくるが、だからこそ全力の出し甲斐があるというものである。
そして。
「……きたか」
「だな」
ノワールの呟きに疾が応じたその時、隊商の前方から伝令が来る。
「敵襲! 3時方向から魔物の群れだ!」
伝令の言う方角へと視線を向ければ、獲物を狙う肉食獣さながらにジリジリと間合いを詰めてくる魔物の群れ。群れて行動する種族とはいえ、比較的開けた岩地だと言うのにその数は100近い。さすがは群生地というべきか。
「さすがはクーペ地帯……クラスCの魔物が団体様かよ……!」
冒険者の一人が武者震いを交えて吐き捨てる。この世界でクラスCというと、確か10体もいれば軍の一小隊くらいなら全滅を免れないレベルとかだったか。それが100体ともなれば、いかに魔物との戦闘慣れした冒険者といえど、なかなかの危機的状況とも言える。
とはいえここにいるのは、この一帯がこういう場所だと理解して依頼を引き受けている強者たち。悲観的な空気が漂うどころか、空気が熱を孕んで引き締まり、誰もが武器を手に魔物の出方を伺っている。存外練度が高い集団だったようだと、今更ながらに疾は少し感心した。
……まあ、今回ばかりは、その身構えも空振りに終わりかねないが。
チラリと隣に立つ男を見やる。いつの間にか黒い刀を抜き放っていたノワールが、魔物を見据えて薄く笑う。
「──さて、狩るか」
低くつぶやかれた声には、疾の背中を粟立たせるような暗い響きが内包されていた。
魔力が迸り、魔法陣が宙に浮かび、破壊が撒き散らされる。
ノワールが軽く刀を振るうたびに、魔物がなすすべなく消し飛んでいく。
あまりに非現実的な光景を前に、先ほどまで殺気だっていた冒険者たちは、揃ってポカンとした顔で立ち尽くしていた。
(……いや、マジでオーバーキルだな)
内心呟いた疾も、こっそりと乾いた笑いを浮かべてしまうほどの無双ぶりである。軍をもって対応するような魔物の襲撃のはずだが、もはや一方的な虐殺だった。
うっすら愉しげな笑みを浮かべながら、次々と魔法を操り魔物を一撃で屠っていく。もはや本人の言う通り、狩る側と狩られる側が入れ替わってしまっていた。
そして。別の意味でも、疾は驚嘆していた。
(本当に……すげえわこいつ)
息を吐く間も無く、無詠唱で繰り出される魔法の数々。見えすぎる疾の目は、その魔法の美しさもまた如実に写し出していた。
一切の無駄が無い魔力運用。正確に描き出される複雑な魔法陣。滞りなく発動される魔術速度。発動した魔術の威力。
どれひとつとっても、極め尽くされた芸術品のようだ。魔術の構築工程一つ一つを反復し、検証した疾が理想と思い描いた魔術の到達点、まさにそのものを体現したかのような完成度。父親にすら見出したことのないそれを、自分と同い年の少年が、幾度も幾度も繰り出していく。
天才。陳腐なその単語が脳裏に浮かび、疾は小さく首を振った。
(いや、違うな)
確かに才能はあるだろう。これだけの魔術を連発しても息切れ一つしないノワールの馬鹿げた魔力量は生まれもった才能だ。疾が異世界転移を繰り返すという無茶を繰り返しても生涯得られないそれは、天より与えられたギフトである。
だが、本来は魔力量の多いものほど魔力のむらが生じやすい。実際に疾も魔法士を相手取るときにはつけ入る隙としている。しかし今この男が目の前で操る魔法には、それが一切ない。
魔力の少なさと才能ゆえに意図して魔力運用を磨き上げた疾が息を呑むほどの魔力制御と魔術の完成度は、本人の血の滲むような努力がなければ決して得られないもの。
才能を努力で磨き上げて得ただろう、ひたすらに美しい魔術を、疾は美術品を鑑賞するような心持ちで、ただただ眺め続けていた。




