14 現実
予約していたアトラクションへ向かう途中。
「……?」
「アヤト?」
不意に足を止めた疾に、アリスが怪訝そうに声をかける。疾は視線を前方に止めつつ、アリスに尋ねた。
「アトラクションって、この先……だよ、な」
「? ええ、ここを真っ直ぐよ」
地図を確認するまでもなく、目的地は目の前だ。だからこそ何を言うのかと訝しげなアリスに、疾は迷いながらも、言う。
「ごめん、本当にごめん。けど……物凄く、嫌な予感がする。ちょっと、迂回していいか」
今までで最も強く、本能が警告していた。ここから先に進むと考えただけで、足元から震えが広がっていくようだ。
「……何があるの?」
「分からない。けど……ここは、行かない方がいい」
「ん……分かった。じゃあこっちから行きましょう? 大丈夫、予約の時間までまだあるわ」
アリスも、疾のただならぬ様子に、察してくれたらしい。疑うことなく、提案に応じた。ほっとして、疾も足を迂回路へと向ける。
(……なんだったんだ)
最後に一瞬だけ気になって、肩越しに振り返った。そこには賑やかな営みがあるばかりで、疾が怯えるようなものはなにも見えない。
「アヤト、行きましょう」
「ああ」
何にせよ、関わらない方がいい。そう思い、アリスの促しに応じて、疾は歩き出した。
30分後。
「……どこ、ここ?」
「えーと……ここをこう曲がったんだから、こっちの筈、だけど」
相も変わらず人混みの中で、首を傾げ合う2人がいた。
「迷った、のかしら」
「いや……」
2人とも、地図読みは強い方だ。これまで園内を歩き回っていても、特に混乱することもなく、目印を見つけて方向を確認出来ていた。昼下がりの時間帯、ある程度園内にも慣れた2人が揃って迷子になるとは考えづらい。
「……おかしい、よな」
「そう、ね」
疾もアリスも、表情が固い。これを即座に「異常」と認識出来る程度には、年の割には状況判断能力が長けていた。
「風景に変化が無いのも、不気味だわ」
「目印となるアトラクションも見つからない。これだけ歩いていて何もないなんて、ありえない」
疾とアリスは顔を見合わせた。一瞬の逡巡をおいて、疾が告げる。
「アリス、今度埋め合わせする。今日はこれで切り上げよう。父さんに連絡する」
「……そうね」
残念そうではあるものの、アリスもここで我が儘を言う気にはならなかったらしい。すこしほっとしつつ、疾は端末を取りだし父親に電話する。
『どうした』
開口一番尋ねてきた父親に、端的に伝えた。
「居場所が分からなくなった。悪いけど、迎えに来て欲しい」
『分かった。そこを動くな』
それだけ言って、電話は切れた。疾はほっと息をついて、アリスに伝える。
「動くなって。疲れてないか?」
「大丈夫よ。ありがとう」
にこりと笑うアリスに笑い返し、疾は周囲に視線を向けた。まだ安全を確保出来たわけではないから、と警戒をするつもりで。
そして。
「みーつけた」
「……っ」
目が、合った。
どこにでもいる、子供だった。褪せた金髪をきちんと切り揃えた、薄い緑の瞳の子供。年格好は、楓と同い年くらいだろう。ありふれた服を身に纏い、ちょこんと塀に腰掛けている。
あまりにも「普通」な、子供に。
疾は──総身鳥肌立った。
(ちょ、っと待て。なんで、こんな……っ)
異常事態において、この「ありふれた」子供は、だからこそ奇妙だ。どうして子供がたった1人でここにいるのか。
どうとでも説明の付きそうな違和感に、疾は強烈な不快感を覚えた。
疾の反応に気付かなかったアリスが、少し心配そうな声を出す。
「あら、迷子かしら?」
「……ア、リス……っ」
緊張を解いたアリスの手を、辛うじて掴む。視線をその子供から外せないまま、疾はアリスの手を強く握った。
「アヤ、ト?」
アリスの驚いた様な声かけにも、疾は答えられなかった。
──恐怖。
彼の体をがんじがらめに縛り上げるそれは、本能からの警告。
(なん、だ、こいつ……!?)
言葉に出来ないまでも、疾は、その子供が、これまで彼に「違う」と評させたモノ達と同質で、けれど明らかに別格である事を悟っていた。
だからこそ、彼は父親に言われた通りに、判断する。
「逃げるぞ」
「えっ?」
「はやく……っ」
必死で手を引いて、竦む足を動かす。訳の分からない様子のまま、アリスが疾に従い走り出そうとして──
「あはは」
──何の前触れもなく、かくん、と倒れた。
「っ、アリス!?」
倒れ込んできたアリスを咄嗟に支える。それは、無意識の行動だった。
これまで積み上げてきた、疾自身の価値観と、常識。無意識に動けるほど、疾にとって身に付けたそれらは当たり前のもので、簡単な事だった。……簡単すぎて、止められない。
──アリスを捨ててでも、逃げる。
理性では納得していたはずの父親の指示を、思い出すより先に、体が動いてしまった。
(……っ)
受け止めてから、思い出して唇を噛む。
ここで足を止めてはダメだ。まずは逃げて、父親と合流して、それからアリスを──
「ざーんねん。時間切れだよ」
愉しそうな声を最後に、疾の意識は途切れた。