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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
7章 『魔法士の天敵』
135/232

135 正気と狂気

「っ、はあ……っ」


 白一色の世界を目にした途端、疾は足から力が抜けて腰を落とした。独りでに浅くなる呼吸を、務めて深く繰り返す。


「はーっ、はーっ……」


 荒れた呼気が耳に付く。額に浮かんだ汗を袖で拭おうとしたところで、疾はようやく手が震えているのを自覚した。同時に、震えが全身に広がっていく。


「はーっ、はあ……っ」


 身体の力が抜けた。抵抗せず大の字になった疾は、白一色の世界を睨み付けるようにして、呼吸を落ち着かせていく。


「……はー……」


 しばらくそうしていくうちに、鼓膜の側で鳴り響いていた鼓動が徐々に小さくなっていく。同時に呼吸と震えもゆっくりと鎮まっていって、疾は一旦目を閉じた。

 外界との通路はとっくに閉じている。最後に総帥が何か魔法を投げつけようとしていたが、理の違う「場」に阻害されて、「道」の先にいる疾には届かなかった。魔法の中身は読み取ったが、更に右目に悪趣味な仕掛けを施す為の呪いだ。


(──つまり、右目はまだ、潰す気が無い)


 最後の言葉通り、疾が王手を掛けるまで、総帥は出てこない気だろう。下手に首をつっこめば、自分の価値を下げてしまうと理解出来ている。

 ──あの人外のプライドの高さは、とっくに知っていたから。だからこそ、あの場で出来る最高の一手は、あれでいい。

 そこまで考えて、唐突に笑いが込み上げてきた。


「……ふはっ」


 やりとりを見れば分かる。今の総帥のお気に入りは、ノワールだ。だからこそ、自分の所行を知られて警戒されることを避けた。敢えて共通の認識である「協会にちょっかいを出す異能者」として扱い、因縁に関わる話題を避けた。


「は……はは、ははははっ」


 ──あの場にいたノワールを利用して、総帥の動きを封じて見せた。


「はははははっ、ははっ、あはははははは!」


 込み上げるままに、笑う。笑い続ける。


「あっははははははは……!」


 怒りも憎しみも恐れも怯えも不安も喜びも、全てごちゃ混ぜになったまま、腹の底から笑い続けた。


(ざまあ、みろ……!)


 身体の内側を直接切り刻まれたように痛い。精神が過剰な感情の暴走に悲鳴を上げているのを感じながら、笑い続けることで正気を保つ。

 頭の中がぐちゃぐちゃなまま、それでも疾の身の内から込み上げてくるのは、歓喜。


(──大丈夫だ)


 身体は笑うに任せたまま、心の裡で疾自身に言い聞かせる。自分は逃げ切れたのだ、と。


(あの時とは、違う。俺はもう、あいつの玩具じゃない)


 総帥の気まぐれではなく、疾の手で鎖を壊した。何も分からずに弄ばれるだけだったかつてと今とは、全く違うのだと。

 だから、


(大丈夫、だ)


 怯える必要はもう、ないのだと。自分はもう、本当の本当に、総帥と敵対したのだと。

 自分の心に、自分の記憶を刻みつける。


(大丈夫……大丈夫、だから)


 未だに肌が粟立ち、手が僅かに震える事実は、無かった事にして。疾は一度力尽くで押さえ込んだ動揺が治まるまで、ただただ笑い続けた。


 決して短くない時間の後。


「……はあ」


 笑い疲れた気怠さに、息を吐き出す。ぐったりとしたまま瞼を押し上げると、冥官が覗き込んでいた。


「無茶をするなあ、本当に」

「人間、生きてりゃ一度や二度は無茶せざるを得ない時期っつーのがあるもんだろ」


 先程から様子を見られているのを知覚していた疾は、冥官の言葉に言い返して薄く笑う。冥官は小さく息を吐いてから、肩をすくめた。


「その通りだが、疾の場合は本当に無茶だぞ? ほどほどにな」

「その為に今回無茶したんだっつーの」


 試しに上半身に力を入れてみたが、動けない。反動で体が動かなくなっている疾に苦笑して、冥官が口を開いた。


「まさか、俺の褒美をこんなに早く使うとはな。気に入ったか?」

「それはもう」


 にんまりと笑って見せる。このハッタリは、今後の協会にかなり大きな影響を及ぼすのは間違いない。「総帥と幹部が逃がした」という事実は、意識無意識にかかわらず、魔法士共に重石としてのしかかる。ただの転移魔術でさえ、裏を疑って対応が遅れれば、その分疾の逃げる時間が稼げるのだ。


「安心しろよ。対魔法士戦を全部が全部、褒美を当てにするほど阿呆じゃねえから」

「そういう馬鹿には、そもそも褒美を与える価値が無いな」


 さらりと言い返して、冥官は疾の目元を掌で覆った。緩やかに力が流れ込んでくる。


「夢も見ずに眠れ。魔力を整えていった方がいいな、ぐちゃぐちゃだ。動けないようだから、医務室にするぞ」

「……、あそこ、は」


 あの場所は不穏な力が流れているからと断ろうとしたが、ゆらゆらと波に揺られるように疾の意識が遠のいていく。


「懸念は分かるけどな、疾が1日やそこらの療養で悪影響を受けることはないよ。異能を使いすぎたわけでもないのに体も動かせないほど消耗してるなら、あっちが良い。少し休んでいけ」

「……、わ、かった」


 眠気に身を任せて、疾はゆっくりと目を閉じた。


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