132 乱入
1つ息をついて気を取り直したらしく、ノワールは疾にひたりと視線を当ててきた。漆黒の瞳に何ら感情を浮かべず、疾を捉える。
「それで。近頃、協会の周辺組織を襲撃しているのは何の目的だ」
「趣味」
「…………」
たっぷりと沈黙したノワールの目には、ありありと「コイツ正気か」という文字が浮かんでいた。前回も思ったが、無感情な割には眼差しがものを言う。
(それにしても……これも、「開闢の澱」とやらの影響か……?)
人間は、失敗体験に囚われやすい。前回まんまと逃げられた相手と対峙していれば、苦手意識とまでは行かずとも、何かしら負の感情を抱いてしまうが常だ。
だが、現在ノワールが疾に向けている眼差しは、初めて襲撃の理由を明かした他人と全く同じそれだ。前回の失態ごと無かった事にしたようなこの反応は、疾をしても予想外である。
(いや……まさか)
「何を驚いているんだ? てめえだって、役不足の任務を自主的に回収してるだろ? その歳で趣味が仕事とは泣けるものがあるな」
前回の遭遇で対処した敵は、どう考えたって幹部が引き受けるレベルではない。先程蹴り潰した上級魔法士でも片手間に片付けただろう。そんな所に幹部がしゃしゃり出ている時点で物好きだ──と敢えて揶揄してやれば、ノワールはスッと目を細めた。
「……。何故、お前が知っている?」
「おいおいおいおい」
予想が的中したのは良いが、余りにしょうもない理由に、流石に苦笑を滲ませてしまった。
「魔法士幹部ドノっつうのは、随分と頭がおかしいな」
「は?」
「敵ごとまとめて消し飛ばそうとした第三者の存在なんざ、そこにある紙切れ以下、覚える価値もねえってか?」
「…………」
眉を寄せたノワールが、10秒ほど動きを止めてから、頷いた。
「……あの時の、異能者か」
やはり、疾が命懸けで逃亡に成功したあの一戦を、綺麗さっぱり忘れていたようだ。確かに人鬼というのは憎しみの対象以外は全てに無関心になるらしいが、それにしても酷い話だ。
「へー、案外直ぐに思い出せたな、偉い偉い」
ぱちぱちと手を叩いてやれば、今度こそ僅かに不快気な表情が滲んだ。それと同時に警戒の色も浮かんだから、また逃げられる可能性を想定しているのか。
「まあ、つーわけで、別に魔法士協会だけを標的にした覚えねぇけど? 他人様の人権潰してモルモット扱いしようとするクズ共に対して、正当防衛かつ、今後世間様に同様の迷惑をかけないよう処理してるってとこだな。楽しいぞ?」
割と率直に応えてやると、何故か胡散臭そうな目をこちらに向けてきた。
「……百歩譲って正当防衛とみなすとして、だ。お前が、世間の為にと正義を振り翳す性格には、とても見えないが」
「人聞きの悪い。俺は世間一般に埋没する一般人だぜ?」
「はあ?」
何故そこは胡乱げな声を上げるんだろうか。解せない。
「あのなぁ、ノワール」
敢えて馴れ馴れしく呼びかけ、疾はわざとらしく腕を組んで見せた。
「俺は魔法研究に人生費やす集団に所属した覚えはねえし、魔術師として正規登録した覚えもない。寧ろ、ちょっとばかり変わった異能を持ったせいで、そんな集団や魔術師にモルモット扱いで追い回される気の毒な一般人だ。平和な生活を一方的にぶち壊しておいて、反撃されたからと言って襲撃者扱いは納得いかねえなあ?」
「……」
疾の現状を実に端的に示した表現を、実にわざとらしく真っ当に聞こえるような物言いでつらつらと述べてみたところ、ノワールは少し眉を寄せて黙り込んだが、やがて溜息をついて言い返してきた。
「……別に、人体実験を行う連中を擁護する気も無いが。少なくともお前のそれは、「反撃」の範疇を超えて襲撃に両足つっこんでいるという自覚くらい持て。そもそも、支部とは言え魔法士協会所属の研究所を単独で破壊する輩を、「気の毒な一般人」とは間違っても言わない」
「随分と高い評価をどうも」
「だから、褒めた覚えはない。それから、お前の持論は筋は通っているが、反撃を「趣味」と言っている時点で、白々しいとしか言い様がないぞ」
くつくつと笑い声で返してやれば、ノワールはまた溜息をついた。何だか溜息が似合う奴だな、と失礼なことを考えつつ、これまでの会話で手に入れた情報を素早く整理する。
ひとつ。人鬼のなり損ないにしては、非常に理性的であるということ。下手をすればこれまで対峙してきた魔法士達より、余程冷静な応対を行う。
──解析。ひとを止めるほどの負の感情を抱えながらも人鬼に落ちずに踏みとどまる為に、感情の制御術を徹底している。これにより、感情の揺れは極限まで押さえ込まれ、しかし表面的な反応に感情を滲ませることによって暴発を防いでいる。
(やりづらいな)
煽るだけ煽って感情的になったところで隙を付く戦法が、ノワール相手には通用しにくい。他の方法も勿論可能だが、多用してきたメインの戦法が使えないのは少々痛い。
ふたつ。人体実験に対しては否定的であるということ。擁護しないと言いながらも、疾の行動原理を理解した途端に非難の色合いが変わった。理解出来ない敵から、理解は出来るが相容れない相手にまで格下げされた感触がした。
──解析。ノワール自身も人体実験を行う連中に狙われていると推測。魔石を人工的に作り出す闇属性のバカ魔力ときたら、狙うなと言う方が無理だろう。煩わされた経験から、疾に対して同族意識が芽生えたといったところか。つけ込みたいが、他者に無関心な半人半鬼がこれ以上疾へと同情を向けるとは考えづらい。現状維持がベストだろう。
みっつ。疾についての情報はほぼ握っていないということ。襲撃の理由は何度か口にしてきたのに、初めて聞いたような反応を示しているし、こちらが示唆するまで疾の事を思い出さなかった。認識阻害は常時使っているとはいえ、流石に最低限の外見情報くらいはあちらも把握しているだろう。それを見れば流石に記憶を浚うくらいはするだろう。多分。
──解析。これまでの襲撃を重くみた魔法士協会が、幹部による捕獲を決定した。だが所詮はガキの単独行動、1人いれば十分だからと若手に押しつけた。ノワールはノワールで雑務と認識していた為、適当に情報を漁るのみでこちらへ派遣されてきた。
(……妙だな?)
警戒しているのか侮っているのかが曖昧である。泡食って緊急招集を掛けていれば、ノワールの性格だ、こちらに声をかけるでもなく問答無用で抹殺にかかるはずだ。捕縛命令も同様だ。にも関わらず、こちらの出方を窺っていたとなると……何か、別の目的がある。
(まあ、捕縛命令は出てるか)
考えをまとめながらも、疾はノワールとの会話を続けている。思考、性格、癖を分析していく為のトラッシュトーキングだが、あちらはあちらで時間を利用して大量の魔法陣を編み上げつつある。前回よりも殺傷性が低い辺り、四肢を砕いて実験用に差し出せ、とでも言われたか。自分の身代わりに迷わず差し出す辺り、流石の非情ぶりである。
だが一方で、行動に移らない。前回の件で警戒されているとはいえ、待ちの時間が長すぎる。情報戦や心理戦が得意なわけでもなさそうなのに、いつまでも会話を続けているところに、背後の意思を感じる。
──例えば、協会にまで喧嘩を売るガキの情報を、実地で集めたいとして。
──それが「どのような情報か」ではなく、「誰から得る情報か」に重点を置いていたとしたら。
(……、試すか)
「そういや、ちょっと気になってたんだが」
「……なんだ」
先程から何故か眉を寄せっぱなしの──軽い挑発のせいだろうか、案外短気な──ノワールに問いかけながら、疾は全身の神経を尖らせているのを悟らせないように笑う。
「ただの一般人相手に真っ先に動かされた辺り、お前幹部としては割と若いんじゃねえの? 魔術極めた連中って寿命弄ってる奴多いが、んな気配もねえし」
「延命には全く興味が無い。お前と大差ない年齢だと言っただろう」
「あーそういや言ってたな、外見詐欺ぶりにちょっと忘れてた」
「……」
微妙な顔をした辺り、老けて見えるとは各方面から言われているらしい。日本人のくせに。
「つうことはあれか? 協会に入ったのもそう昔じゃねえの?」
「……ここ数年だ」
「へー、それで幹部とは大したもんだな」
(やっぱり、な)
敢えてこの少年が派遣されたのは、疾を「知らない」からだ。知らされていないのは上級魔法士も同じだが、流石に運営側の幹部が誰も知らないとは思えない。
情報を伏せられた火力過剰を、ここに派遣したとなると……ここらで「人体実験は公には認めない」はずの協会の暗部の生き証人を、ここらで口封じしたいといったところか。
(連盟が規模を拡大している影響か、少し慎重になってるとお袋も言ってたし──)
「ま、だからと言って、人体実験組織を潰すのを邪魔するなら、遠慮はしねえけどな?」
「……非合法組織を潰すだけならば、こちらも目を瞑るが。お前の攻撃規模は既に、協会の敵と認識されても文句は言えないだろうが」
「魔術師連盟も似たり寄ったりの被害だぜ?」
「……何が目的だ」
「だから、正当防衛と趣味っつってんだろ? 楽しいぞ?」
「正当防衛の意味を辞書で調べ直せ」
苛立たしげに髪を掻きむしり、ノワールが疾を睨み付ける。笑顔でそれに応えて、更に踏み込んだ。
「そもそも、協会が人体実験を「非合法」とみなしてるってのが、片腹痛ぇが」
「……。協会への敵対者を人とみなさない、を指して言っているのなら、分かっていてこちらに敵対する自分のバカさに気付け」
「あははっ。本当に、ノワールの言う通り。バカだよねえ」
(────!!)
精神干渉の魔道具を発動。動揺を魔術で無理矢理押さえ込むと同時に、ありとあらゆる感情を一旦全てシャットアウトする。
(……この、タイミング、で──!)
「……暇なんですか?」
「んー? 僕は基本暇だよ。なぁんか、面白そうだったから顔出してみた」
「……一応、俺にとってはこれ、任務扱いですよ」
「僕は任務に縛られないから問題無し。大丈夫大丈夫、ノワールが任務を果たせないから助力に来たわけじゃないよ、面白そうだから首つっこんだだけ」
「尚更迷惑です」
「あははっ。仮にも上司に対して、言うよねえお前も」
無表情ながらも迷惑そうなノワールに楽しげに笑う、褪せた金色の髪の子供。身構えた疾に、楽しげな視線を向けたその目の色は、薄い緑。
「それで? ここ最近、僕の膝元でチョロチョロと鬱陶しい動きをしている害虫ってのが、そこのガキなの?」
「そうですよ、総帥」
魔法士協会最高峰にして、疾の標的。
──疾の人生を踏みにじった張本人が、戦場に突如乱入した。