128 地獄の管理者
「で? 今日は何の用だ」
「疾は本当に、俺に対して物怖じしないよな」
「訓練が目的なら、そろそろ戻って連絡を入れたいんだが」
戯言は無視して訴えると、冥官はにこりと笑う。
「来る前に連絡を入れてきたんだろう? まだ時間に余裕はあるさ」
「……」
40時間拘束する気かコノヤロウ、という言葉は呑み込んだ。疾とて、今の訓練のみで呼び出されたとは思っていない。
「うーん、まあ、確認が一番の目的なんだけどな」
「確認?」
「そう。調子はどうかと思ってな、随分良いみたいだし何よりだ」
「あっそ」
それに関しては、まあ、一応自覚もあるので、疾は軽く流した。師匠面されたところで、この人外に感謝や尊敬の念など正直欠片も生じない。碌でもない奴という認識が深まっていくのみだ。
「あとは、そうだな——」
あくまで軽い口調で続く言葉に、疾は本能的に跳ね起きて武器を喚び出した。そして、それが正解だったと、次の瞬間には悟る。
「——もう少し、訓練とするか」
視界が暗転した。
(っ、やっぱりか……!)
視線を巡らせた疾の目に映るのは、光の差さぬ赤と黒の世界。立っているだけで汗が噴き出すほどの熱気と、粘つくような不快な気配。
「っ!!」
咄嗟に身体強化を発動しながら前方に踏み出す。間一髪、疾の立っていた位置に灼熱の間欠泉が吹き上がった。
『それじゃあ、前回と同じく、屍鬼共から逃げ切ること。間欠泉は掠っても致命傷になるから、気を付けろよ』
説明など聞かずとも意図は明白だと、疾は猛り立つ屍鬼の気配から遠ざかるように駆けだした。
(相っ変わらず、こいつらうぜえ!)
屍鬼に囲まれた疾は、異能を使えど何度でも復活する不条理さに内心歯ぎしりする。粉微塵に吹き飛ばしても次の瞬間には復活しているというのは、投げやりになってしまいそうだが——
(逃げるだけなら、前回と結果は同じだぞ畜生……どこだ)
冥官の課題は「逃げ切れ」だ。「逃げ続けろ」とは言っていない。つまり、あるはずなのだ、この死ねと言われているとしか思えない訓練にも、活路が。
「こっ、の……野郎!」
魔術を展開。屍鬼を重力から切り離し、浮き上がった連中を突風で吹き飛ばす。一時的にとは言え蹴散らした疾は、1度全身を覆う結界を展開し、大きく息を吸い込んだ。
「……ふう」
逃げることに必死で頭に昇りかけていた血を、全身に余すことなく拡散していくイメージ。1つの深呼吸で冷静さを取り戻した疾は、すぐさま思考を巡らせ、唇を歪めた。
(答えがねえなら、体当たりで試すっきゃねぇな)
伊達に前回死にかけたわけではない。その後に与えられた知識も踏まえて、地獄についての考察も積み上げている。その中で、今回使えそうな対抗策を、順番に試していく他に道はない。
「地道なのは性に合わないんだが、なっ!」
地面を蹴り上げる。障壁を多重展開しながら、吹き上げた間欠泉を足場にして高々と飛び上がった。
「……っ」
障壁越しでも伝わる熱気に汗が噴き出る。僅かでも魔力操作を誤ればまず命はないだろう。竦みそうになる身を叱咤し、障壁の多重展開を操作して間欠泉から僅かに逸れて飛び上がる。
「っらあっ!」
勢いを乗せた全力強化の脚で空間を蹴りつける。魔力放出まで乗せた疾なりの力業は、何ら空間を揺さぶることなくからぶった。
「ちっ」
舌打ちを零し、疾は身を捩って落下する勢いを殺す。待ち受ける屍鬼達を睥睨し、空の右手を振るう。
白く光る刃の形を取った異能が、屍鬼を余さず切り裂いた。
屍鬼達が復活するより早く、着地をした疾は身を捩り地面を蹴る。間欠泉をギリギリで避けながら、思い切り踏みつけた地面がひび割れもしないことに再度舌打ちを漏らした。
(力業は柄じゃないつったって、ここでも通用しないと……ったく、やってられるか)
つくづく、超常的な力に対する才がない自身にうんざりしながらも、疾は自然と吊り上がってくる口端を自覚して、耐えきれず笑いを漏らした。
「くく……っ」
今この瞬間にも精気は削られ、魔力も異能も異様な速度で消耗していく。敵は増えるだけ増えて友好打がないままに逃げるしか道はなく、逃げ先も見つからない。絶体絶命としか言いようのない状況を前にして。
疾は、この上なく気分が高揚している己を自覚した。
(なんで、焦ってたんだか)
前回の自分にまで嗤いが込み上げる。焦りがどこまで視界を狭めていたのかと、未熟さを突き付けられた気分だ。
が。
(まあ、いいさ。今が楽しければ、な!)
魔道具を4つ、纏めて起動する。風属性と水属性が干渉し合い、疾に飛びかかっていた屍鬼が纏めて凍り付いた。更に魔道具を高く放り投げ、四方八方に落雷を落とす。
落雷をものともせず飛びかかってきた屍鬼を見据えたまま、疾は数歩後退した。間合いを詰めようと屍鬼が足を踏み出した瞬間、大きく飛び退く。
『——!!!』
耳障りな悲鳴が轟音に呑み込まれる。間欠泉に呑み込まれた屍鬼達は吹き飛び、躯をズタボロにしていく。
「へえ……面白い、なっ!」
もう1度震脚を地面に叩き付ける。誘発された間欠泉が、凍り付かせた屍鬼も呑み込む。それを確認して、疾は駆けだした。
(血の池は潜れて、間欠泉は吹き飛ばされる、ねえ……仮説が当たっていたようで何よりだ)
地獄は罪人達の裁きの場。そして屍鬼達は罪人共のなれの果て。地獄はその構成要素全てが屍鬼達にとって毒であり、処刑台であり、拷問具で——それでいて、生存場所でもある。
つまり。屍鬼達は血の池や間欠泉を耐えられるわけではなく、苦悶に襲われながらもその場で生存出来る——否、生存させられるわけだ。
(碌なもんじゃないな)
生前の罪科がいかほどのものか知らないが、人の罪は冥府にとってどれ程重く見られているのか。しかも情状酌量の余地なしとくれば、戦地で生まれた魂など本気で報われない。
(あー、前世の徳とかいうやつか? 傍迷惑な)
考えていることがいちいち不謹慎な方向に向いているが、その間も疾は魔道具を活用しつつ、間欠泉を利用して屍鬼を翻弄しながら走り続ける。目線は常に彷徨わせ、逃げ先を追い続ける。
(力尽くの脱出はなし。あの野郎も俺の異能を力業として使う気はなさそうだった、ということは……知りたいのは身のこなしと、知識の定着度合いって所だから……)
「っあれか……!」
予想が当たったことを示す光景に、疾は知らず声を上げた。
行く先を阻む崖。おそらく崖下はマグマで満たされ、熱が間欠泉が吹き上がっているのだろう。そして、——反対の崖に向けて、1本のロープが渡されている。
地獄に関する記載の中には、崖を渡る綱を渡りきれば獄卒から逃れ、束の間の平穏を手にすることが出来るというものがあった。それに縋った罪人は綱渡りに挑み、綱を揺らされ、必ず落ちて灼熱に煮られるという。
その結末のどうしようもなさは、ともかくとして。確かなのは、崖の向こう側に渡るというのは1つの「逃げ道」であるという事。
(さて、綱渡りをこなせばクリア——なーんて簡単だったら、あの野郎じゃねえよなあ)
崖に近付けば近付くほど、疾の肌が粟立っていく。理由は明白、待ち構えるように立ち塞がる巨大な鬼に対する畏怖だ。
死者を罰するために存在する鬼、獄卒。死者を捕らえては棘だらけのバットで打ち据えて潰し、マグマを飲ませて躯を内から燃え溶かしていく。残酷ながら、屍鬼すらも地獄に縛り付ける実力を持つ異次元の存在で——冥府の官吏、小野篁の手駒。
(なるほどな)
逃げた先で屍鬼とは桁違いの敵を配置する。逃亡者を絶望させるには単純だが効果的な罠だ。……というか本気で死ねと言われている気しかしない。
「一撃でも掠ったら即死だろあれ、ざけんなよクソ野郎」
聞こえている前提で悪態をつき、疾は息をすっと吐きだした。足を軽く地面に打ち付けて調子を確かめる。
前回よりも余裕を持って逃亡を繰り返していたおかげで、精神的な消耗は抑えられている。だが体力は底が見えつつあり、然程待たずして足に来るのは見えている。魔道具もほぼ底を尽き、魔力も高火力の魔術を使ったら速攻で尽きそうな残量。異能はまだ余裕があるものの、この状況で乱発すれば直ぐに身動きも取れなくなる。
どう考えたって不利な状況だが、疾は不敵な笑みを浮かべて銃を構えた。
(そうこなきゃな)
ただ逃げるだけなど、性に合わない。こういう状況下でこういう相手を持ってこそ、疾もやる気が出るというものだ。
「さあて、第二ラウンドだ」
その言葉に応えるように、獄卒が吠えた。
ゆらり、と揺れたかと思うと、瞬く間に疾の目の前に至る。息を呑む暇すら無く、勢いよくバットが振り下ろされた。
反応すら間に合わないはずの一撃。しかし空振った獄卒は、迷わずバットを旋回しようとして──硬直する。
「よお、間抜け」
バットを踏みしめて佇み、疾は笑顔で言い放った。
「図体でかいと、不便だな」
魔法陣、起動。
同一の魔法陣を3つ重ねて発動させたのは、炎が形作る薙刀。
周囲の空気を灼きながら存在するそれを掴み取り、疾は弧を描くようにそれを振るった。
風を切る音と共に、灼熱が吹き荒れる。
『──!!』
耳障りな咆哮に紛れるように、切り落とされた右腕がごとりと落ちる。
「っ!?」
が、疾は咄嗟にバットから飛び上がった。間一髪、背後から振るわれた釘バットをかわし、障壁を蹴り付けて間合いを取る。
「……あの野郎」
低い唸り声が漏れる。剣呑に目を細め、疾は吐き捨てた。
「本気で俺に害意がねえってんだろうな」
背後から迫っていたもう一体の獄卒を睥睨して、疾は流石に小さく口元を引きつらせた。