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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
6章 『鬼』と『冥府』
123/232

123 医師

「さて、と。……ここまでは取り敢えず、君のお父さん用の返書にしておきます」


 不意に、医師の声が少しだけトーンを変えた。疾が顔を向け直すと、医師はにっこりと疾に笑いかけた。


「それじゃあ、もう少し深いところまで話をしようか。あの金の亡者相手に騙し討ちのような交渉を仕掛けた少年君?」

「……」


 急に胡散臭くなりすぎだろう、と思った疾は、それでもやはり驚かない自身の反応に戸惑う。何だコイツ、隠す気あるのかと内心で呟くことでひとまず戸惑いは押しやり、疾は軽く頷いた。


「おや、動じないねえ。それじゃ、確認だけど。相変わらず魔道具無しでは、目や耳は相変わらずかな?」

「……音はぼんやりと聞こえますが、識別は出来ません。目は相変わらずですね」

「猫被らなくても良いよ、別に。魔力の乱れはどのくらい気にしてる?」


 敬意を払っていたつもりが「猫被り」と称されたことについて言いたい事はあるが、ひとまず要望に応じた。


「魔術戦の後は意識的に流れを整えるようにしてるが、その程度だ」

「魔術戦の頻度は?」

「そこそこ」


 魔術師事情にも遠慮無く踏み込んでくる医師の問いかけを適当にはぐらかす。やたらとにこやかなまま、医師が首を傾げた。


「医師には守秘義務があるから、大丈夫なんだけどなあ」

「関係者として知識を持つ以上、完全に信頼する根拠がない」

「おや、警戒されちゃったか」


 大袈裟に肩をすくめる医師に、疾は胡乱げな眼差しを向けた。警戒されると分かっていてこの態度を取っているくせに、何を言っているのだろうか。


「……とはいえこれじゃあ話が進まない。ひとまず問診を続けよう」


 そのくせ、あっさりと引き下がり切り替える早さは、場の空気を理解しているもののそれ。やりにくい相手だと思いながらも、疾は淡々と問診に答えていった。



「うん、なるほど。無茶のしすぎだね」

「はあ」


 自覚はある。あるが、今更引き返せる道でもない。やり遂げるところまで押し通すしかないだろう。


「適度な休養が大事だよ。魔力回路を時々は丸1日休ませるように。異能もそうだ。大事なのは両者のバランスをとること。どっちを使いすぎても身体には影響が出るから、常に体内の力の流れに気を使っていくのが肝要だね」

「分かった」


 理解したという意味で相槌を打っておく。魔力制御は魔術師として基本技能だが、身体への負荷緩和にも繋がると断言されたのは大きい。異能とのバランスをとるべきというのも納得だ。地獄で追い回された時は、異能ばかりを使ったせいであれほど消耗したのだろう。経験則から考えても、やる価値はある。


 ……まあ、あの状況下で、医師の指導を全て実行出来るかどうかは別として。


「うーん、何だか懐かしいなあ」

「は?」


 唐突な独り言に顔を上げると、医師は少し遠い目で虚ろな笑みを浮かべる。


「俺の知る中で1番厄介だった患者さんに、似てるなと思ってね。理解力も記憶力もある、返事は良くて聞き流してるわけでもないのに、いざ実行に移す段階で綺麗に記憶から消しちゃうんだよね。そしてそのまましらばっくれる」

「…………」

「で、それについて指摘すると、素直に反省するけど改めないっていうさ」


 ……同じような内容で父親に説教されていた母親を思い出し、疾はほんの少しだけ目を逸らした。客観的に性質が似ていると理解していても、あの「なんとかは紙一重」を体現したような人物との相似を突き付けられるのは、何とも言えない気分だ。

 とはいえ、それを初対面の人物に指摘されたからといえど、改善する気も無い。出来ないものは出来ないし、疾の中にある優先順位は既に固定されている。


「というわけで、はい、これ」


 ゴトッと重そうな音を立てて机に置かれたそれを見て、疾は瞬いた。やたらとにこやかな医師が続ける。


「魔力の流れを整える装置。あいつが設計したのはもう何年も前の論文を元にしたものだけど、それでも効果があったんだろう? 更に改良したからね、使って損はないよ」

「定期的に通院して使えと?」


 学校、テロ活動、依頼ときて、冥官からの無茶ぶりに馬鹿の妨害まで増えそうな疾は、控えめに言って多忙だ。魔力回路が不調を訴える度に通院するとなると、そろそろ睡眠時間が犠牲になるレベルである。


「そもそも君の状態は定期通院が必要なんだけど、それはともかく。ベッドに設置しておきなさい。君は幸い、睡眠時間はしっかり確保する習慣があるみたいだからね。寝る度に魔力が整えば随分違うし、魔力の乱れに気付きやすくなる」

「……」


 確かにそれは、確実に体調に寄与するだろう。疾とて、あの医者に勧められて効果を実感した後、制作を考えなかったわけではない。だが、機能の単純さに反比例するかのようにその魔道具は回路が複雑だ。それだけならば、父親からマニアックなレベルで知識を伝授されている疾でもクリア出来るが、問題は素材だ。


「……この魔道具、あの医師の用意したものは、無属性の巨大魔石が動力源のはずだ」


 魔力を蓄積できる石は殆どが宝石、つまり高級品だ。自然界で長期間にわたり大気中の魔力を蓄えた魔石は、基本属性が混ざり合った魔力を内包する。これらはそのまま使用される場合もあるが、大抵は魔力のバランスを整え魔道具として扱いやすいよう調整される。そのため、年月と手間を計上してとんでもない額が付く。親指の爪サイズでも、家が軽々立つ額だというのだから空恐ろしい。

 そんな高級品を購入できる魔術師ばかりではないので、代用品として魔力の蓄えていない宝石に、自分の魔力を注いで蓄積させたものが良く用いられる。自身の属性がそのまま込められるため偏りはあるが、自分だけが使う分には寧ろ使い勝手が良い。それでも宝石なので、なかなかの額がするが。

 なお疾は前者は資金不足で頻繁には買えず、後者は魔力不足で手間がかかりすぎる為、安い天然石に魔力を篭めて使い捨てにしている。魔力使用効率には自信があるので、他者が侮った隙に痛撃を与えられる便利な道具である。


 そして、この医療用魔道具に利用されている、「無属性」の巨大魔石。これはもはや、個人の手に負えるものではない。


 光属性と闇属性が等分に魔力を注ぎ込み、相殺されたもの。あるいは、世界を渡れど一時代に1人いれば奇跡と呼ばれる、生まれながらの無属性が魔力を注いだもの。通常の許容量よりも遥かに膨大な魔力を蓄えたそれは、どのような繊細な回路も刻めるという夢のような魔石だ。扱われる金額はもはや自然発生の魔石より桁1つ大きいところから始まり、大きさによっては国家予算クラスまで跳ね上がる。

 異能を売りにする依頼屋は儲けが良いが、初めて1年も経たない疾には、とてもではないが手が届かない代物だ。


「属性に偏りがある魔力で、万人の魔力の調整なんて出来ると思うかい?」


 だというのに、あっさりと言う医師に、流石に疾は眉間に皺を寄せた。


「……それを、家で使用しろと?」

「君くらいの魔術師なら、窃盗対策くらい取っているだろう? 問題ないさ」

「俺は魔術師ではなく異能者だがな」


 この世界において、魔術師を公式に名乗るには、魔術師連盟かそれに準ずる組織に属している必要がある。出自不明所属不明師匠不明と三拍子揃った疾は、「魔術を扱える異能者」にしかなりえない。……そもそも、紅晴に来るまでの魔力量に至っては、魔術師として認められすらしないレベルだ。

 とはいえ医師の言う通り、家は要塞クラスの防衛魔術を構築しているし、それ故に魔石の保管もしている。今更高額なものに怖じ気付く可愛げも勿論無い。


 が。


「費用はどうなるんですか?」

「んー検査の類は上手いこと保険に乗せておくけど、これは流石に国からお金取れないんだよねぇ。自由診療、レンタル費用として、ま、このくらいだ」


 ぴっと差し出された請求書に、疾の眉間に皺が寄った。払えない額なのではない。その逆だ。


(……正気か?)


 いくら貸与とはいえ、安すぎる。疾の異能を理解していれば、破損のリスクだって馬鹿にならない。というか、盗まれる心配はしないんだろうか。記入した住所はでたらめなのだが。


「一応こっちも、盗難防止対策はさせてもらってるよ。知人にその手の機械に詳しい人がいてね、かなり割安で数揃えられてるんだ」


 だからこそのお買い得なんだよねー、とにこにこ胡散臭く笑う医師の言葉に、疾はふと瞬きして、直ぐに半眼になる。


(おい)

「どうかしたかい?」

「……いや。まあ、助かるからいい」

「それは良かった」


 にこやかに笑う医師に、疾はあの金に執着する医師が「変態的なレベルで献身的な医療者」と言っていたのに内心反論する。


(別の意味だろ、変態って)


 確認すると白黒付くので立場上、有耶無耶にしておくが。これはおそらく「魔道具」ではなく、医師の言葉通り、「機械」だ。そしてこの世界において、魔力制御を行える「機械」は存在しない。あるとすれば、それはすべからく魔力を動力源とする「魔道具」でしかありえない。


 つまり。この機械、作成者はおそらく、異世界人だ。


 異世界との壁が極端に薄く、異世界に迷子になりやすく、また迷い込みやすい環境とはいえ……異世界の知識そのものを道具に医療を行うとは、随分な「善人」もいたものである。

 安易な他世界の知識の活用は、世界の理そのものを揺るがしかねないとすら言われている。疾もその知識には思うところあれど、ある程度は納得している。そして、目の前の人物は、それを理解した上で利用しているように見えた。


「一応確認して良いか」

「うん? なんだい」


 にこりと笑う医師に、疾はほんの少し、唇の端を上げた。


「貴方は、「医師」なのか?」

「うん。俺は、医師だよ」


 その言葉に込められた重みに、疾は笑みを深める。

 覚悟を持って己の職務に投じる姿は、嫌いじゃない。


「では、今後もよろしくお願いします」


 そう言って疾が積んだ札束を見て、医師は少し呆れた顔をした。


「あいつに毒されすぎじゃないかい?」

「貴方が日本の医療制度に毒されてるんだろ」

「それもそうだね。というわけで、うちは賄賂の類は受けとらないようにしてるんだ」


 そう言って請求書分だけ受けとった医師に肩をすくめて、疾はもう1つ交渉に出た。


「じゃあ、残りで口止めは可能か? 肉親も含めて」


 医師の動きが、一寸止まった。軽く手を上げて続ける。


「決して不仲ではない。ただ、あっちの医師と同様に、情報の制限を希望したい」

「……それなら、俺からも1つ。それで交換条件としよう」

「何だ?」


「あいつには金積んでるんだけど。……俺の名前を出さないこと。身内であろうが大切な人であろうが、誰にも、だ」


「……」


 疾は押し返された金のうち半分を引き上げて、機械を受けとる。


「疾君?」

「あんたの事情は聞かない。が、互いに医師患者関係であること、周囲に俺の主治医が誰かを黙秘するのは賛成だ。それは寄付金ということで」

「それはありがたいけど、随分と豪気だね」

「危険手当とでも思ってくれ」


 紹介元の病院は、元々魔法士協会と縁があり、それ故に安易に手出しできない環境だった。だが、この街は魔法士協会とは不干渉と聞く。裏を返せば、何かあれば協会は牙を剥くのを躊躇わないということだ。

 戦う術は持たない筈の──どうにもこの医師は最低限の戦闘がこなせそうな気がするが──医療関係者の命運を握るのは、結局金だ。だったら価値はあるだろうと寄付にしてみたが、医師は何故か意外そうな顔をしていた。


「何だ?」

「いや? 案外優しい真似をするものだなあと思ってね」

「価値のあるところは大事にするさ」


 俺にとって、という前置きは伝わったらしい。医師はぷっと笑って、ひらりと手を振った。


「それじゃあ、遠慮無く。お大事にね」

「ああ。──ありがとうございました」


 挨拶ついでに転移魔法陣を置いて、疾は病院を立ち去った。


「あ、あとそれ、仕組みを調べる為に解体しようとすると爆発するらしいから、念の為」

「……誰なんですか、その殺意に溢れた制作者」

 疾がそれを知るのは、一年後。


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