117 管理されるのは
「つーか、だったらあの馬鹿こそ、あんたが上司になった方が良かったんじゃないのか?」
ふと湧いた疑問を、疾は適当に冥官に投げる。実際問題、それほど厄介な『伊巻』が、あの女狐に対処出来るわけもない。何故かやたらと死なないあの馬鹿は、十分に冥官の監視対象になり得ると思うのだが。
しかし冥官は、疾の問いかけに目を丸くし、次に苦笑した。
「……成る程な。まだまだ疾には、自覚が薄いようだ」
「は?」
意味が分からず眉を寄せた疾は、次の瞬間、息を詰めて地面を転がり起きた。片膝を付き、銃を呼び出そうとしたところで、喉元に突き付けられた刃に気付いて動きを止める。
「──っ」
「俺が管理しなければならない能力の持ち主など、そうそういないさ」
うっすらと口元に笑みを刷いた冥官の瞳が、赤く染まっている。かつて人として生きたはずの彼が、既にヒトならざるものたる証であるそれは、疾の目には酷く不気味に映る。
「なあ、疾」
「なんだ」
それでも虚勢を張って見返す疾に、冥官は目を赤く染めたまま問いかけた。
「たかだか「死なない」だけの異能が、俺の管理対象だと考える理由は、何だ?」
「人である以上、それは十分に脅威になりうるだろう」
「本気で言っているのか?」
突き付けられた刃が、すいと動く。促されるままに顔を持ち上げた疾は、視線を逸らしたくなるのを堪えて答えた。
「少なくとも、俺が今戦っている世界において、「そういう存在ではない」不死を体現した存在に、出くわしたことはない」
「不死なんて、大した事ではないさ。ある意味、妖だって不死なんだから」
「……」
「妖は土に還るけど、あれは『死』ではないからな」
「アンデッド以外も、その一言で括るか」
冥官の言葉に、疾は眉を顰める。死を克服した、あるいは、死から始まる存在たるアンデッドを「不死者」と呼ぶだけでなく、土より生まれ土に還る「妖怪」をも不死と括るのは、些か乱暴に過ぎる。
「疾がそれを言うのか?」
「は?」
「疾の異能は、「ひとならざるもの」全てに通用するだろう?」
「……それがどうした」
冥官の言葉の真意が掴めず、疾は慎重に問い返す。冥官は僅かに笑みを滲ませた。
「だから、瑠依は管理されず、疾は管理されるんだよ」
背筋に、氷塊が滑り落ちる。
(なん、だ)
何か、自分は、とんでもないところに足を踏み入れようとしている。
このまま行けば、もう、後戻りは出来ない──
「逃げるな」
「っ!」
「逃げても何も変わらない。向き合ってもらうぞ」
す、と刃が引かれた。切っ先が僅かに肌を切り裂き、血を伝わせる。
「さて、行こうか」
「……どこにだ」
ゆっくりと立ち上がりながら、疾が問いかける。既に瞳が黒曜色に戻った冥官が、にこりと笑った。
「俺の仕事を手伝ってもらう為に、必要な場所だ」
それ以上の問答を拒むように、冥官は背を向けて歩き出す。疾は固く目を閉じて息を吸い込み、吐き出しながら目を開けた。
(……選択肢は、ない、な)
分かりきったことを自分に言い聞かせ、疾は後を追って歩き出した。