116 『世界の不具合』
「疾?」
「何だ」
思考を中断され、疾はぶっきらぼうに答える。覗き込んできた冥官が、にこりと笑う。
「怪我が治ったのなら、仕事の話をしようか」
「すればいいだろ」
まだ体は動かさない方がいい。寝転がったまま促せば、何故か笑みに苦笑を滲ませた。
「随分とふてぶてしい部下が出来たものだ」
「何を今更」
「いやあ、前回とは別人だと思うけどな」
「うるせえ」
悪態をつく疾に溜飲が下がったのか、冥官は説明を始める気になったようだ。疾も今回下された命令には違和感を覚えていたので、望むところである。
「とりあえず、普段の鬼狩りとしての仕事は、さっき瑠依とフレアがいる場で説明した通りだ」
「間違いであって欲しいところだがな」
渋面を浮かべて吐き捨てる疾に、冥官はあろう事か首を傾げて疑問の声を上げた。
「何か問題があったか?」
「大ありだボケ」
つい悪態をつくが、冥官は首を傾げただけである。疾は眉間に皺が寄るのを感じた。
「あんな危険物と常時効率の悪い仕事をしなきゃならないのが問題じゃなきゃ、他に何が問題なんだ」
「ああ、それか」
ぽん、と手を打って。冥官は、にこりと笑って宣った。
「仕方が無いだろう。瑠依は疾にしかどうしようもない。──「世界の不具合」たる『伊巻』の中で、恩恵の最たるものを受けてしまった存在、だからな」
「…………あれがか」
疾も『伊巻』の名だけは、業界で仕事を引き受けるうちに耳に挟んでいる。だがまさか、あのどうしようもないお馬鹿がその『伊巻』であるとは、どうしても思えなかったのだ。
(ああ、いや、そうか──)
「それで、親戚筋が軒並み「行方不明」か」
「そういう事だ。流石に、一度に二名以上が持って行かれるのは、初めての事態らしいけれど」
「あんなもんを召喚したところで、召喚者の意図に沿うとは思えねえんだがな」
世界規模でバグ扱いされている彼の一族の共通性として、自分の欲求の為だけにしか全力を出さない、というものがある。これがなかなかに曲者で、欲求を叶える為に一見遠回りに見える道を全力投球し、かと思えば、ここぞというところでそっぽを向いてしまう。他者には理解しがたい理論を掲げており、大層扱いにくいらしい。
そして、ひとたびその気を起こすと、世界の法則相手にすら喧嘩を売り、冗談のような不具合を叩き出すのだから始末に負えない。結果ではなく不具合であるという点が、この一族の最大の問題点である。
「冥府のような、世界の構成要素にほど近い機関にとっては、彼らは常時監視の目を入れたい存在だからな。こうして問答無用で職務に縛り付けない限り、表舞台には出て来てくれないし」
「出さない方が世の為じゃねえの?」
「その時はその時で、予想だにしない方法で不具合を生じさせるんだよなあ」
聞けば聞くほど、大迷惑な一族である。冥官がここまで言うとは、恐ろしい。
「あんたでもどうにもならないのか?」
「うーん……何と言えば良いかな。どうにかはなるんだよ、力は確実に俺が上だ。だから、その気になれば、いつでも『扉』を通せるけれど……俺が干渉できる一線を絶妙に避けて、紆余曲折を経て、いつの間にか影響を及ぼしてしまうって感じだな」
「…………」
現状、ものの見事に疾を掌で踊らせている冥官をして、これほどに手をこまねく一族が『伊巻』であるらしい。そして、その中でも最も強い恩恵を受けるのが、あの馬鹿である、と。
「……なんでそれを、俺に面倒見させるんだ」
率直な疑問を口にする。そんな危険物、あんな中途半端な女狐にどうにか出来る筈も無いが、はっきり言って疾にだって手に負えない。というか、関わりたくない。
「いや、それがさ。疾も見ての通り、瑠依は恩恵が強すぎて、弊害が出ているだろう?」
「単純に、性根の問題な気がするがな」
冥官の言葉には、条件付きで肯定する。なるほど、瑠依の馬鹿さ加減は、何があろうと『何故か死なない』からこそ危機感を抱かず、故に頭を使わないという仕組みらしい。……人類としていかがなものかと思うが。
「力のある人間が、他人に良いように振り回されると、碌な事にならないからなあ」
「それには同意するが、アイツの場合、何だかんだ死なないんだから、良いんじゃねえのか」
「いや、それが「伊巻」の厄介なところでさ。気付けば周囲を巻き込み、不具合を引き起こすんだ」
「……」
「瑠依の場合、神力の制御不足まであるから、本当に何が起こるか予測が立たない」
想定以上に厄介な生き物だった瑠依に、疾は舌打ちした。そんな迷惑極まりない生き物の面倒を見させられるなど、冗談ではない。
「もう少しふんだくっておくべきだったか」
「あれ以上は、フレアの権限では出せないだろうなあ」
「上司に経費として、直接請求してやろうか?」
「残念ながら、職務に関する予算計上は局長に一任しているんだ」
にこにこと躱す冥官に、もう1度舌打ちをして、疾は話を戻す。
「で。あれとわざわざ連携の真似事をさせてまで、俺に何をさせたい?」
「疾は基本単独行動が多いから、他人に足を引っ張られる経験は不可欠かなと」
「……せめて、相手選べ」
いくら何でも、あんな大迷惑散布機で経験させるのは無いと、疾は思う。
「経験豊富な奴とも一度は組ませたいし、候補はいないわけでもないんだけどな。まあ、取り敢えずは、瑠依とやってみてくれ」
「何故」
「現状、脅威になりうる鬼を単独で討つ能力を持つ鬼狩りは、稀少なんだ。瑠依は呪術は優秀だからなあ、何とか使い物にしたい」
「あれに頼らないと拙いって、鬼狩り大丈夫か」
「うん、あんまり大丈夫じゃない。だから、疾や瑠依が鬼狩りになったんだ」
「……そうだな」
身も蓋も無いが、真実であった。