107 交渉
そこから疾は、数ヶ月で10の施設を破壊し尽くした。
勿論箱物の破壊だけで終わらせても意味がないから、混乱に乗じて機密文書は全て破棄し、データもクラッシュし、資本は根こそぎ奪いとった。換金困難なものは破壊したので、結構な数の稀少な魔法関連の道具が闇に葬られたのは確かだ。疾から見て、大して価値の無いものばかりだったが、案外最後の破壊行為がもっとも重大視されていたのは面白い。
(敵の敵は味方っつうが、所詮は敵対組織の行く末なんざどーでもいいってこったな)
疾としては大変都合が良いので、魔法具の破壊は程々にして組織破壊に全力を注ごうと決めた。
とはいえ、ここまで派手に敵対行動をとれば、流石の魔術師連盟も放置できないらしい。ここ最近、身辺の探りも本格的になってきた。が、疾はそれを逆手にとって、「手出しする気があるってことだから正当防衛だよな」などと難癖を付けて関連組織を数カ所、無視できない程度の被害を出した。下手に手出しをすると割に合わない目に遭うと認識してもらう為の牽制だったが、暗部ともいえる組織まで釣り上げられたので、そちらは潰しておいた。
ここまでくれば、疾の存在が魔術師界の鼻つまみ者になるのは当然の事だった。
「……君は、一体全体どうしてこんな馬鹿げた真似をしているんだい?」
「楽しいから」
「…………」
どん引きした顔でたっぷりと沈黙したのは、『知識屋の魔女』。ここ最近、依頼の仲介もされないためご無沙汰だったが、久々に魔術書が入っていないかと顔を出したらこれだ。全く、客に対しての態度がなっていない店長である。
「なんというか……君ほど訳の分からない傲岸不遜を見ていると、知り合いのマッドサイエンティストの顔が浮かぶんだよなあ」
「魔術書の著者か?」
「……発禁だから」
「対価は」
「君の真っ当な精神」
「んなもん端から持ち合わせてねえ」
「……言い切ることじゃないよ」
頭痛を堪えるようにこめかみを指で押さえて、『魔女』は1冊の書を疾に差し出した。
「取り敢えず序章読んでみて、君の精神が無事なら売ってあげる」
「随分と予防線張るな、『魔女』よ。読み手の資格を見極めるのがあんたの仕事だろ」
「……資格があってもおかしくなった例が身内にいるんだよ……」
溜息混じりに遠くを見やる『魔女』の不用意な発言は聞かなかったことにしてやり──そのうち調べて手札にさせてもらうが──、疾はぺらぺらと魔術書を斜め読みした。
(……、……)
序章の内容を大雑把に把握して、疾はぱたんと書を閉じた。不安半分期待半分でこちらを観察する『魔女』に、改めて訊いた。
「で、対価は?」
「……期待を裏切ってくれるよね、つくづく」
「そりゃどうも。つーか、この程度で発狂するくせに魔術を探求しようっつう方がどうかしてるだろ、現代人なら」
「現代科学と魔術を一緒くたにみなして、さらに神学をミックスして一から理論を考え直そうだなんて発想を、「魔術の追求」の一言で片付けるのはどうかと思うけどね」
「何も知らない中学生のガキなら喜びそうだがな」
「…………中二病扱いされるとは、あれも夢にも思わなかっただろうなあ」
(どーだか)
案外、自覚した上で徹底的に突き詰めてみた結果の産物な気がする、と内心で呟いて疾はその魔術書を買い上げた。……たまには、父親が世間一般向けに発信した知識を流し読みするのも悪くないだろう。
関係者が目の前にいるとは露とも知らぬ『魔女』は、疾から対価を受けとりながら愚痴混じりに軽口を叩いた。
「というか……君の魔力量で、何なのその資格。魔法士レベルじゃないか」
「魔力量はあんたの言う「資格」の一要素ではあるが、肝心なのはそこじゃねえだろ」
「それにしても尋常じゃない、って言う話。魔力を篭めないと読めない書だってあるだろ」
「クソ真面目な優等生みたいなこと言ってんじゃねえよ」
「……察した。本当に器用だな」
呆れた顔をした『魔女』は、対価を確認し終えて、丁寧に頭を下げた。
「ご利用ありがとうございました」
「とっとと帰れってか」
「……店長として挨拶しただけだよ。どうせ、今後君が破壊する予定の組織を聞いたところで時間の無駄だろ」
「そっちを対価にしてこない辺り、情報が遅れてやがるな」
「……え?」
言葉の意味を捉え損ねたように一音だけを発した『魔女』を鼻で笑い、疾はひらりと手を振った。
「っ、ちょっと」
「ここから先は客と店主の会話じゃねえだろ。しかるべきもん取りそろえて出直せ」
みなまで言わせず、疾は『知識屋』を後にした。
***
その夜。
適当に夜の街をぶらついていた疾は、案の定待ち伏せていた『魔女』にそしらぬ顔を向けて見せた。
「珍しいな、あんたが夜中に自ら出張るなんてよ」
「……君との交渉を誰に任せるんだ。迂闊に手出しでもされて、家ごと敵認定されたら目もあてられないじゃないか」
溜息混じりに反論した『魔女』は、しかし疾の予想に反して着物姿ではなかった。夜は『吉祥寺』の関係者として和装を貫いている彼女が、洋装で、更に魔導書すら携えているとくれば。
「へえ?」
「……何だよ」
「いや? 蝙蝠精神もここまで来れば立派と感心すべきか、そこまでしないと腹を決められない臆病さを笑ってやるべきかと思ってな」
「……本当、君は人の神経を逆撫でるのがうまいよね」
疾の揶揄に嘆息一つで苛立ちを紛らわせる『魔女』の表情を見るに、一応意図しての行動らしい。さてどうでるかと首を傾ければ、表情を改めた『魔女』が疾を真っ直ぐ見つめる。
「まず、聞かせてほしいことがある」
「ほお」
「君の事は当然ながら、『嘉上』が注目している。魔術師がやたらと君に手出しをしたがること、それに対し君が過剰防衛気味であること、全て報告が上がってる。「嘉上」としては問題のある魔術師が街に入っては吸い寄せられるように君に潰されていくって、微妙な気分らしいけどね」
「前振りが長い」
「……ここ最近の君の行動はやたらと攻撃的だ。個人的に言わせてもらえば敵方も自業自得な感はあるけれど、やりすぎると厄介なものが動き出すよ」
「……へえ」
納得した。だからこそ、『魔女』として疾の前に姿を現したと言うことか。
「魔法士協会とも繋がりがあるとは、節操ないな」
「知識に世界や立場の隔たりはない。『知識屋』は基本的に中立の立場だからね」
「今ここにいる時点で片腹痛いな」
「……本当に、君という人は」
頬を引き攣らせる『魔女』を鼻で笑いながらも、疾は別に『魔女』のありように文句があるわけではない。情報に隔たりはないという理想論を、彼女なりのやり方で実現していること自体は評価している。ただ、そこまで分かっていて『吉祥寺』の肩書きを手放さない割り切れなさが好きではないだけだ。
「まあいいや……。とにかく、『知識屋』は魔法士協会から魔術書魔道書の卸先になってる。あそこは各世界の知識の管理も司ってるからね」
「傲慢な思い上がりだな」
「……まあね。けど実際、世界間の知識交流には制限がないと危険なのも確かだ。私のスタンスからも納得しているよ」
「可能性の芽を摘むのが管理だというならそうなんだろうよ。で?」
「……本当に、嫌な奴だな君は」
また溜息を挟んで、『魔女』はゆっくりと口を開いた。
「スブラン・ノワールを知ってるよね」
「あんたが著書を売ってきたんだろうが」
「うちには、彼が卸しに来ている。更に言えば、彼は──この国の管理者を務めている」
「……ほほお」
管理者とは、魔法士協会が各世界の魔法文明の興亡を文字通り管理するため、一方的に押しつけてくる人材派遣だ。世界を相手取って先導権を握るだけの知識量と実力がなければ務まらない。あの敵味方確認する前に問答無用で魔法をぶっ放し、殺した敵にさえ一切の関心を向けないような性格の人物が、そんなことをしているとすれば。
「押し付けられたろ」
「……うん、多分」
確実に、面倒ごとの丸投げをされたのだろう。腕は確かなようだし。
「……って、待って。知ってるの?」
「知ってるも何も、とっくに殺りあってる」
「…………何で生きてるんだ、君」
「さあな」
にいっと笑ってみせると、『魔女』が心底嫌そうな顔をした。
「君って本当に、嫌な奴だよね」
「それはどーも」
「褒めてないってば……」
軽口に本気で頭痛を覚えたような顔をする『魔女』を無視して、疾はさっさと話を進めた。
「散々回りくどい説明で時間を浪費してくれたが、わざわざ俺に情報を売るっつうことは、俺とノワールがこの町でやり合うのを危惧してるってわけか。協会に喧嘩を売って、この街ごと滅ぼされちゃ困る、と」
自分勝手だな、と嘲笑うも、『魔女』は動じずに返してきた。
「そういう事。ノワールが本気を出したら、この街を焼け野原にするのに5分も要らないだろ。君は私達を巻き込まないように立ち回る、なんて殊勝な真似はしないだろうしね」
「義理もねえしな」
「だから、このペースで魔術師関連の組織に喧嘩を売るのはちょっと考えて欲しいんだけど。そもそも何で急にテロリスト紛いな事しだすかな」
「趣味の1つも持とうかと思ってな」
「…………テロ行為が趣味…………?」
心底どん引きする『魔女』に、疾はふと引っかかった疑問を投げ掛けた。
「つーか、そこまで分かってて俺を協会につきださねえのな。まあ動きがあれば家ごと潰すが」
「だろうから、私が必死で他の家を説得してるんだけどね……それに」
1つ言葉を句切って、『魔女』はそこで初めて、彼女によく似合うシニカルな笑みを浮かべる。
「紅晴は、魔法士協会からの干渉を一切受けない。そういう取り決めが成されているからね」
「ほーお?」
「監視は見逃すけど、手出しをしてくるようなら、例えノワールが相手だろうと全力で抗うよ」
「自滅行為じゃねえのか、それ」
「保護と称して傀儡政治を行わせる気は無いから、ね」
「……で? 何が聞きたいんだ、結局」
やたらと自ら情報を開示してくる『魔女』の誘いを無視して、疾は改めて問いかける。小さく肩をすくめて、『魔女』はさらりと答えた。
「君が選んでいた施設が人体実験を行っているのは公然の秘密だ。そして、魔法士協会も人体実験を繰り返しているのは公然の秘密。だから君が敵対を選んでも意外ではないけど、その気があって趣味を続けるのかどうかで、こっちの対応も違ってくるだろう?」
「だろうな」
「だから、そこの意思確認と、……本気で事を構えるなら戦場はこの街以外にして欲しい、ってところかな」
「あっちの世界でやれ、とはいわねえのな」
「私の管轄はこの街だけだし、そこまでの対価だとは思っていないよ」
にこり、と作り笑顔を浮かべる『魔女』の言葉に、疾はやれやれと息を吐きだした。
「つくづく、中途半端なヤツだな」
「そうでもないよ? 『魔女』は気まぐれってだけさ」
シニカルに笑う言葉の意味に、疾は僅かに沈黙する。意味が分からないのではない。寧ろ、分かってしまったからこそ、言葉を選ぶ必要があった。
「……気まぐれ、ね。そんな生き物を中枢に置く『家』の正気を疑うな」
「それは同意だね。あの『家』に情なんて殆どないし」
くすくすと笑い、『魔女』は首を傾げる。
「少しは君に計算外と思わせられたかな」
「悪くない対価だな」
そう言って疾が相手のご希望通り苦笑を浮かべてみせれば、『魔女』はにっこりと笑う。言葉にせず求めてくるそれに、疾は両手に銃を呼び出すことで答えとした。
「『魔女』の気まぐれと違って、俺の「趣味」は俺が楽しむ為にある」
「……まあ、趣味だものね」
「よって、場外乱闘なんて相手を喜ばせるだけの手抜きは臨むところじゃなくてな」
「……君の魔術の腕前は、本当に常識の向こう側だよなあ」
ぼやきながら、『魔女』は腰のホルダーから書を取りだし、開いた。一瞥では1冊に見えたが、分冊が束ねられていたらしい、薄いノート上のそれは情報量は少ないはずだが──溢れ出た文字の量は、一般の魔導書と匹敵するか、それ以上だ。
「人聞きの悪い。魔術師でもない異能者相手に、躍起になってる阿呆共が雑魚ってだけだろ」
「魔法士の資格も満たさないのに喧嘩を売る「趣味」の持ち主を正気とは思わないよ」
「『知識屋の魔女』ドノに褒められるとは光栄だな」
「褒めてない。断じて、絶対に、褒めてない。君のような災厄、とっととこの街から出て行って欲しいと常々思ってるよ」
「どーも」
「だから褒めてないって……っ!」
口遊び中に声を荒げた『魔女』が、魔導書を展開する。結界となって初撃を弾いた強度を目視で確認し、疾は身体強化魔術を足に発動しつつ地面を蹴った。
「え、ちょ」
軽い衝撃。結界を足場に高々と跳び上がり、疾はそれと対面する。
「──調子に乗った若造に灸を据えてこい、と本部から司令があった。相手が悪かったと後悔するが良い」
「はっ」
敵の戯言を鼻で笑い、疾は障壁を足場に空中に留まった。地上戦では建物に影響が出るが、空中戦なら流れ弾程度だろう。あれだけ大量に魔導書を持っていれば、どうにかする。
(正当な対価には正当な結果を。ま、あんたの希望通りにゃいかねえが)
予想外の方向から、しかし求められた結果は出す。依頼を受けていたスタンスは、敵対者以外には変えない。そうする事で、得られる繋がりもあるだろう。敵の敵は味方、協会を相手取るには重要である。
「てめえらこそ、分かってないな」
「何?」
「誰を相手にそんな分不相応な台詞を吐いているのか、きっちり教え込んでやるよ」
そう、笑って。疾は、銃口を相手に──魔法士協会のバッチを付けた男に、向けた。




