見ざる聞かざる、少女は救われず
小説初投稿です。
小説と言えるほど、高尚なものではなく稚拙な文章で頑張って背伸びしていますが、何卒お付き合い頂けると幸いです。
「ねぇ、君はさ、夏にエアコンと扇風機一切着けずに過ごしたことってある?」
人がまばらに点在する市立図書館の一角で、ナツミが卒然と、そんなことを聞いてきた。
「ないよそんなの。そんなことしたら死んじゃうじゃん。…いや死にはしないかもしんないけど、確実に熱中症になるでしょ」
季節は夏。自己主張の激しい太陽のお陰で、今日は猛暑日と報じられている。
冷房が程よく効いた図書館であるから快適に過ごせるが、冷房のない部屋になんていたら干からびる。
「そうね。熱中症になっちゃうわね。でも私はあるのよ。冷房も扇風機もない部屋で過ごしたこと」
白いワンピースを身に包み、麦わら帽子を図書館の中でも被るナツミは、得意気に言った。
「それも一日二日じゃなくて、毎日」
「ふーん。なんか嘘臭いね」
彼女は度々、このような不幸自慢をしてくる。それのどれもがにわかに信じ難く、どうも嘘臭い。
「嘘だと思う?」
ここで素直に即答できればよかったのだが、無意識的に少しばかり間を置いてから答えた。
「…まぁうん。嘘だと思うな」
「はぁ。つまらない人ね」
そう言うとナツミは興が削がれたようにつまらない顔をあからさまに晒し、席をたった。
僕は彼女のあの顔が心底嫌いだった。
嫌いというか、怖かった。
彼女がどこかへいってしまいそうで。
それを想像すると、堪らなく焦る。
なんとか彼女を引き留めようもする。
だから今回も
「うそうそ。冗談だよ。それでどうしたの?」
僕は半ば強引に彼女を引き留め、席に座らした。
強引に座らせたが、彼女は迷惑そうな顔一つせず、むしろ得意気に「やっぱり聞きたいんじゃない」と笑った。
人は、この慢心を隠そうともしない笑顔に、些か腹をたてるかもしれない。顔をしかめるかもしれない。
しかし僕は違う。
笑顔を見せてくれたことに対する喜びと、まだ僕の側にいてくれるという安堵の方が大きく出る。
浅はかにも、こう思ってしまうから、僕は未だに、彼女の道化を止めることが出来ないんだと、理解している。
再度席に座った彼女は、被っていた帽子をようやくようやく外してから、こう続ける。
「私ね、一年を通して、家で空調というものに頼ったことがないの」
「それって冬もってこと?」
そう尋ねると、こくりと頷く。
やはりどうにも嘘臭い。嘘臭いがここで話を遮ってしまっては、先ほどの二の舞になる。
「それはなんというか……辛いね。なんかの修行?願掛けでもしてるの?」
尋ねると、彼女は首を横に振る。
「じゃあ、自分の部屋にエアコン自体がないの?」
なんと、これが正解だったらしい。
何故わかったというと、彼女が満面の笑みを僕に向けたからだ。
この笑顔を向けられると、僕はもうダメだ。
彼女の笑顔に酔い、途端におしゃべりになって、要らないことまで喋ってしまう。
「それってさ、家にエアコンがないってこと?それ結構不味くない?」
「いいえ。家にはあるのよ。合わせて三つ。リビングと両親の部屋と、それと妹の部屋に」
「だったら、リビングか妹の部屋に行けばいいんじゃない。そうすればそんな修行みたいな真似しなくて済むよ」
そういうと彼女の笑顔が急に悲しげになった。
雲一つない快晴の空が、ネズミ色の雲で翳った。
「私ね、家族と不仲なのよ。…不仲って言うか、私が一方的に避けてるだけなんだけどね」
その言い方に僕は少しばかり違和感を覚えた。
彼女は、家族と不仲なのよ、と言った。
僕だったら多分、両親と妹と今喧嘩中なんだよね、とかそういう言い方をしたと思う。
彼女の言い方じゃまるで、自分が家族の一員ではないみたいな、他人みたい言い方に聞こえた。
会話中に出る言葉の綾かもしれないが、それでも、僕の心に、偶々止まった蚊のように煩わしく思ったのは確かだ。
だかしかし、それについて僕は言及することはなかった。
「不仲か…。まぁたまにあるよね、喧嘩みたいな。僕も昨日弟と喧嘩しちゃってさ。でもすぐに仲直り出きるよ」
僕がそう笑いかけると、彼女も笑った。
「…そうね。そうかもしれないわね」
「うん。そうだよ。そのうち仲直り出きるよ。て言うか、何でその話をしたの?自分のすごさを思い占めたかったり?」
僕はイタズラな笑顔でそう言うと、彼女はあきれたようにため息をついた。いや、落胆したのかな。
が、その顔もすぐに笑顔で隠した。
彼女があのとき一瞬、どう思ったのかもう定かではない。
「あはは。そだね。そうかもね。…でも」
そこで一旦区切り、僕を見据えた。
体は前を向いているのに、頬杖をついて、首だけをこちらに向けた。
まっすぐ見つめる彼女に吸い込まれそうで、瞳に写る僕に、僕自身が吸い込まれそうで、少し怖かった。
少しばかりの沈黙のあとに発した彼女の一言は、落胆の一言だった。
「ちょっと期待はずれだったかも。あんま盛り上がんなかったし」
「いや図書館で盛り上がっちゃダメでしょ」
「…それもそうね」
すかさず僕がフォローを入れ、それに頷く彼女。
本当に僕から興味がなくなったようにそっぽを向いてしまったので、僕は慌てて話題をふったが、相手にされなかった。
その後僕たちは何冊かの本を漁っては閉じ、漁っては閉じを繰り返し、その日は終わった。
ナツミとの出会いは何だったか。
今ではもう思い出せない。
そんなに遠い昔のことではない。つい最近の事柄だと思う。ただ、彼女との最初の記憶が色褪せて、シワシワになりすぎて、もう思い出すことも出来ない。
認知症にしては若すぎるし、若年性にしても若年すぎる。
ただいつの間にか、僕は彼女の側にいて、彼女の道化を演じていた。
次の日。
僕たちはいつも図書館の、あの角っこで暇を潰している。
大体彼女が先に来て「遅いわよ」と文句を垂らすことから僕らの無駄な一日が始まるのだが、何故か今日はいなかった。
遅れているかもしれない。そう思い日が暮れるまで待ったが、閉館を告げる、音の割れた不細工な名曲が流れても、彼女は姿を現さなかった。
偶々今日は都合が合わなかったのだろう、と軽く考えていたが、そうではないらしい。
次の日も次の日も次の日も次の日も。
とうとう夏休みが終わっても彼女は現れなかった。
でも僕は、日がな一日、彼女が来る日を待った。図書館の司書さんと顔馴染みになるほどに。忠犬ハチ公が渋谷の町を行き交う人と顔見知りになったように、僕は彼女が来る日を待ち、司書さんと顔見知りになった。
今後役に立つかどうかわからない人脈を広げた夏休みがあけて、しばらくした頃。
空が綺麗な茜色に染まった頃の放課後。
学校帰りに通る公園に、ナツミがいた。
高校の制服であろうセーラー服を身に纏い、公園で遊ぶ子供たちを呆然と見ていた。
彼女の制服姿を始めてみたので、一瞬驚き硬直したが、嬉しさの余り、硬直した体が硬直を忘れ、いつの間にか彼女のもとへ駆け寄っていた。
「やぁ」
僕に気づいた彼女は顔をあげた。
刹那、彼女の眼がネズミ色だった。
いや、その表現は語弊がある。ただ単純に、彼女の瞳に色がなかった。怖かった。
僕を捉えてようやく、瞳に色が宿る。さっきと変わりすぎて、別人のように見えたのは嘘ではない。人は瞳一つでこんなにも変わるのかと思い知ったのは、このときだ。
「あら、久しぶりね。生きてるとは思わなかったわ」
「はは。そだね久しぶり」
そういって僕は彼女のとなりに座る。
久しぶりに会ったナツミに多少の気まずさはあったが、僕はそれを振り払い、彼女に問うた。
「そう言えばさ、何で図書館に来なかったの?僕結構待ってたんだよ?」
「ごめんなさい。ずっと家にいたら時間が過ぎてて、気づいたら図書館が閉まってる時間になってたわ」
何だか、彼女の様子が少しおかしい。
大人びたというか、疲れているというか、何かを憂いているというか。
そして何より、僕に対して他人行儀に思えてならない。
すると彼女は僕の返事も待たず内に、話の腰を折り、唐突に僕を見据え、こう訊ねた。
「ねぇ、何で君は私と一緒にいたの?」
ドキリとした。
何かの核心をつくようで。急に僕の心を鷲掴み、脅しをかけているようで。
言い知れようない恐怖が僕の胸中をたゆたった。
だからうまく思考が回らずワタワタしていると、彼女はクスリと笑い、諦念の宿った言葉を発した。
「私がね、君と一緒にいた理由はね、君に期待してたんだよ」
「…き、期待?」
「そ、期待。一種の希望って言ってもいいかな」
「そりゃ、またなんで?」
尋ねると、バカにされたようにクスリと笑われ
「それが気づけないようじゃ、君もまだまだだな」
そういって彼女は立ち上がり、僕のおでこを小突いた。
「まぁでも、君と一緒にいて楽しくない訳じゃなかったし、そうだな。夏祭りくらいは、行ってやってもよかったかな」
ふいに、どこからか楽しげな祭り囃子が聞こえたような気がして辺りを見渡すと、沿道に浴衣姿の人達が楽しげに歩いていた。
そこでやっと思い出す。
そうだ。今日は近所の神社でお祭りがあるんだった。
僕はここで妙案が浮かび、これみよがしに、彼女を祭りへ誘おうとしたが。
すでに彼女の姿はどこにもなかった。
『君は何で私と一緒にいたの?』
自宅への帰路につくなか、僕はずっと彼女が言った言葉の意味を考えていた。
それは家についても、考えていた。
僕は何故彼女と一緒にいたかったのだろう。貴重な夏休みを全て無為に潰してまで、どうしてあんなにも、彼女が来ることを待ったのだろう。
その答えは、ふいに僕の中に落ちてきた。
僕は、彼女と一緒にいることで、心地よさと快味を味わい浸っていたのだ。
彼女の道化であるから、笑ってくれることが嬉しい。例え嘲笑でも苦笑でもなんでも嬉しい。
彼女は言った。
『私も君に期待してたんだよ』と。
彼女は僕に何を期待し、何を求めたのだろう。
その答えは、僕のズボンのポケットのなかに手紙という形で入っていた。
いつの間にいれたのだろうか、それはわからない。ただ今はそんなことを気にしている余裕などない。
僕は何かに駆り立てられて、その白く無機質な洋封筒を開け、これまた白く無機質な便箋に殴り書きされた、お世辞にも上手いと言えない字を、一心不乱に読んだ。
書いてある中身を要約すると、僕に対する恨み辛みの数々だった。
単純に
『君が憎い』
『君が羨ましい妬ましい』
『君には期待はずれだ』
と言ったことが、手紙の前半、冗漫に綴られていた。
最初は訳がわからなかったが読み進めていく内に、ようやく得心いった。
手紙の後半には、彼女の身の上がつまびらかに語られていた。僕みたいな他人に、これを言って構わないのか、と心配になるほどに、それはもう事細やかに綴られていたのだ。
僕は身の程を弁えている。故に詳しい内容は割愛するが、要点だけまとめるとこうだ。
ナツミの両親が離婚したあと、彼女は母親に引き取られた。慕っていた父との突然の別れに、悲哀に浸り嘆く暇もなく、彼女の母は離婚後間もなくして、新しい彼氏と結婚し、その彼氏がナツミの新しい父になった。
新しい父も一度離婚経験があるらしく、ナツミの歳より一個下の女の子を連れている。その女の子が新しい妹となった。
そしてナツミには新しい家族ができたわけだが、彼女はどうしても、新しい家族に馴染めなかったのは、想像に難くない。
早すぎる再婚に、突然出てきた「義父」と名乗る男と「義妹」と名乗る少女。混乱の末に、精神の未熟な彼女の心は荒れただろう。
「君と仲良くなりたいだ。僕はただ、君と家族になりたいんだよ」
と優しく嘯く「義父」を冷たく突き放し
「お、お姉ちゃんは何が好きなん……ですか?」
と拙くひきつった笑顔を作り、でこぼこな関係を懸命に平らにしようとする「義妹」を気味悪がり、無視してしまったのは、第三者である僕はなんとなく理解できる。
他人だから理解できるが、彼らからしてみれば、歩み寄ろうとしたのに冷たく突き放された、と少なからず不快に思っているだろう。
そしてそんな態度を続けていれば、馴染めるものも馴染めない。
彼女は孤立していった。
やがて彼ら家族は拗れ、紆余曲折を経て最悪の形に収まりをつけた。
わかりやすく言えば、ナツミはDVを受けていた。
ドメスティックバイオレンスと言っても、それには色々な種類がある。
一つに、代表格であるのが殴る蹴るなどの身体的暴力。
彼女が受けていたのはこのような身体的暴力ではなく、精神的暴力だった。
その精神的暴力の細かな内容までは綴られていなかったが、察するに、『部屋に空調の類いがない』というのがそれであろう。
良好な家族関係を形成していたなら、リビングに降りればいい話だけではあるが、前述した通り、彼女はDVを受けていた。
ならば、団欒の場であるリビングに行けないことは明白である。
僕は手紙を全て読み終わり、脱力した。
世の中にはこういうことが身近にあると初めて気づいたし、そして何より、彼女がこのような不遇な状況に置かれていることに頭のどこかで気付き、それを黙殺していた自分に、暴力的な怒りが沸いて溢れた。
『君には期待はずれだった』
公園で言われたあの言葉。この手紙には明記していなかったが、再度、あの言葉を投げつけられた気がした。
そして僕はやっと気付いた。
彼女は気づいて欲しかったのだと。
自分がこれだけ不幸だと、僕にわかってほしかったと。
家庭問題の解決を僕に望んだのか、それはわからないが、ただ分かって欲しかった、それだけは僕にも理解できた。
考えると、彼女は僕の欲望を満たし、快味を与えてくれた。
一緒にいて笑ってくれれば満足である僕の陳腐な願いを叶えてくれた。
彼女は相手が望むものを与えてやったのに、相手からは何の見返りもなかった。
不憫で可哀想な女の子。
「…ごめん…なさい…」
僕はいつの間にか肩を震わせており、見苦しく泣いていた。
胸中に蟠踞していたはずの怒りが、次第に溶け、自己満足な悔悟の念が占拠した。
誰かに聞かれもせず、ただ虚しく泡沫にきえたが、僕はその後も謝罪を止めることができなかった
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
不馴れなので、読みにくいところもあったと思いますが、優しくご指摘頂けると幸いです。m(__)m