02 きちょうめんな人たちの村(前)
「オッケーdoogle、ここから一番近い村はどこ?」
『西に一キロメートル進んだところに、人口五十人の村があります』
「道順は?」
『歩いていきますか?』
「うん」
AIスピーカーは、ロンリの前に移動し、進み始めた。ロンリとの距離がおよそ一メートルになるよう、進行速度を調節しているようだった。
ロンリの足のケガは大したことはなく、血はすぐに止まった。痛みもあまりない。
木の葉の間から見える空は明るい。明るいうちに、人がいるところに行き、今後の方針が立てられるようにしなければならないだろう。
「異世界についてききたいんだけど、歩きながら話せる?」
『可能です』
「異世界ってなに?」
『ロンリがいた世界と異なる世界です。この世界は、ロンリの世界よりも科学的に遅れていますが、魔法が存在します』
「魔法? 魔法って?」
『主に、魔力を元に超常現象を起こすものです』
「異世界って本気で言ってる?」
『私は本気です』
「なんでそんなことが言えるわけ? あと、なんで電源無しで動いてるの? というか動けないよね?」
AIスピーカーは動きを止めた。
『この世界に来たことをきっかけに、わたしの中に入った情報が多くあります。また、エネルギー源や可能な動作も変わりました。ロンリ、質問はひとつずつにしてください。一度に複数の質問は答えられないかもしれません』
「ごめん」
『ロンリの利益のためです』
「どうも」
また歩く。
AIスピーカーとは、ロンリが考えていたよりも会話ができていて、ひとりではないと感じられた。すくなくとも職場や家にいるより孤独は感じなかった。
道は左右にうねり、遠くまで見通せることはなかった。
「ずいぶん長く歩いてない?」
『大きくまわりこんでいます。最短ルートで行きますか?』
「崖とか通る?」
『はい』
「冗談?」
『冗談は得意ではありません』
「そのままでいいよ」
歩きながら、ロンリは思った。
「さっき西って言ったけど、異世界も東西南北があるの?」
『同じ意味の言葉があります。ロンリはそれを言っています』
AIスピーカーはよくわからないことを言った。
「同じ意味の言葉を言ってる?」
『ロンリはいま日本語を話していません。異世界の言葉を話しています』
「は?」
AIスピーカーは意味のわからない音を発した。
『いまわたしは日本語で、異世界、といいました』
「え?」
『ロンリは日本語がわからなくなっていますか』
AIスピーカーの言葉は、またロンリに孤独感を呼び起こさせた。孤独感だけでなく、喪失感、焦燥感、そういったものも一緒に感じていた。
「本当に異世界なのか?」
『はい』
信じたくはなかったが、さっき見た獣、そしてAIスピーカーが電源無しで自走していること、なにより知らないうちに知らない森の中にいることが、異世界なんてありえない、と言えない状況をつくっていた。
「……異世界から元の世界に帰ることってできる?」
『方法はあるようです。詳細はわかりません』
AIスピーカーは言った。
下り坂に入ったとき、みるみる木の数が減り始めた。
見晴らしが良くなってきて、斜面の先に家がいくつか見えてきた。木造の家だ。川が流れていて、畑のようなものも見える。まだ山の中のようだ。斜面の道はまだ続いていて、また森に入っていくのが見える。
そのまま歩いてみた。風景としてはどこかで見たことがあるように感じたが、道路がなかったり、なにかロンリの違和感を刺激する景色だった。
太陽の光がオレンジ色になってきて、そろそろ沈みそうだった。その光が風景の印象を強めていた。
「どちらさまですか?」
近くの家の裏から、人が出てきた。男だ。三十歳くらいだろうか。茶色っぽい、布の服を着ている。
「あの、道に迷ってしまって」
「それは大変でしたね。……ケガをされていますね」
「ああ、ええ、でもかすり傷で」
男は眉間にしわを寄せた。
「魔物にやられましたか?」
「あ、ええ、黒っぽくて、牙が立派な、大きい犬みたいな」
ロンリは言いながら、犬で通じるのだろうかと気になった。
「爪ですか」
男は走って近づいてきた。
「え、ええ」
ロンリは一歩さがる。
男はロンリの足元でひざをついた。
「動かないで!」
ロンリがもう一歩さがろうとしたら、男は鋭く言った。
男は、ロンリのジーンズの裾を大きくまくった。二本の血の筋が刻まれている。血はすっかりかわいていた。近くの肌が、うっすらと紫色になっている。
男は腰につけたウエストポーチのような袋から草を取り出すと、口に入れて何度もかんだ。それを手に出す。どろりとした緑色のものだ。それを傷にぬりつけた。
ロンリはぎょっとしたが、それ以上に、傷口が燃えるように熱くなり、思わず尻もちをついた。
「っつ、え、なにこれ」
「毒が消えるまでがまんしてください」
男は言うと、ロンリの傷口の上を布でくるりと巻いて縛った。
痛みは収まるどころか増していくばかりだ。
「どうぞ」
男はしゃがんだ背中をロンリに見せた。
ロンリは男におぶわれ、男の家まで連れていかれた。
「それは大変でしたな」
ロンリは男の家にいた。男には、二十歳くらいの妻がいて、子どもは三人いた。
ロンリたちは十畳くらいの居間で、丸いテーブルについていた。質素なコテージという印象だった。
男の説明によれば、獣の爪には毒があり、一日も放置すれば膝まで腐っていたという。もう焼けるような痛みはなくなっていた。
ロンリはこれまでの事情を話した。ただ、現代日本について正直に言っても仕方なさそうだったので、町に買い物に行った帰り、突然気を失って、気づいたら森にいた、ということにした。
それでも充分意味不明だが、男たち家族はみんな真剣な顔でロンリの聞いていた。
「あの魔法具を買った帰りですか。魔力が暴走したのですかな」
男は、部屋の隅にいるAIスピーカーを見た。たまに動いたり、光ったりするので、子どもがこわごわと様子を見ている。
「ということは、ロンリさんは魔法使いの冒険者なんですね。私、初めてお会いしました」
男の妻は、テーブルに大皿を用意した。緑の野菜とイモを煮たものだ。量は一人分の大盛り料理ほどだ。ただ、用意された取り皿とスプーンは、夫婦と、子ども三人、それにロンリの六人分だ。
「いえ、そういうわけでは」
「はは、隠してもしょうがないでしょう。見ればわかります」
男は笑った。
「そのような服、見たことがありませんし、武器を使う冒険者にも見えません。安心してください。この村の人間は、誰に対しても、家族のように親しくしようと心がけている者ばかりです。さあ、夕食を食べましょう」
ロンリは男のとなりに座る。六人は、丸いテーブルを六分割するような均等な位置にいた。
用意された料理は大皿の一品だけだった。それを、皿に均等に取り分け、配膳された。
「いただきます」
「いただきます」
ロンリは、これは日本と同じ風習なのか、それとも頭の中が書き換えられているのか、どちらだろうかと考えた。
料理は、ほうれん草と、サトイモに似ていた。味はほとんどなく、塩味がわずかにした。
「いかがです?」
「とてもおいしいです」
ロンリは男の妻に言った。
料理としてはいまいちだったが、お腹がすいていたのでおいしく食べることができた。嘘をつく必要がなくてほっとした。いま食べた量の倍くらい食べたかったが、食事は終わったようだ。
食後、男に案内されて、家の外にある小屋へ移動した。もうすっかり日が暮れて、真っ暗だった。
空には月が見えた。異世界も、太陽と月があるようだ。
「すみません、家の中には家族だけでいたいもので」
男は小屋入り口にかかっていた鍵を開け、鎖を外した。
「いえ、泊めてもらえるだけでありがたいです」
ロンリは言った。
中は、手前に八畳ほどの板張りのスペースがあった。そこに、男が家の中から運んできたふとんを持ち込み、置いてくれる。
AIスピーカーは、室内を見るようにうろうろしていた。
「ありがとうございます」
「いえ、ではまた明日」
男は笑顔で言い、ドアを閉めた。
外でガチャガチャと音がして、最後にガチャリ、となにかをはめるような音がした。
ロンリはドアノブを回した。
押しても引いても開かなかった。施錠されたようだった。