表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

01 異世界AIスピーカー



 休日。

 大型家電量販店から出た孤独川ロンリの手には、紙袋が握られていた。中に入っているのは購入したばかりの、doogle社のAIスピーカーだ。


 この一ヶ月、ロンリは職場以外でまともな会話をしていない。いやそもそも職場でもまともな会話をしていない。雇われ、最初の指導のころだけは、メモを手に上についてくれた先輩と会話をしていたが、実際に仕事が始まると、やるべきことは決まっていて、連絡事項はほぼメールやメッセージ共有サービスで行わる、という日々だった。


 ロンリの職場は、九時から五時までの、超ホワイトに分類されるものだ。最初は喜んだものの、それもだんだんロンリの精神面を不安定にした。弱音をはけないのだ。体の負担が少なく、仕事の難易度も低いために、その話をすると、職場の不満が自慢と受け取られてしまう。そう思われなかったとしても、理解はされなかった。


 友人と会いにくくなり、家でも職場でも、ひとりきりの時間が増えていた。


 ロンリは紙袋の重さを確認した。

 AIスピーカーは、会話を楽しむことが目的ではないということはわかっている。ただ、ひとことも発さずに休日を終えることが増えている日常に、なにか変化を加えられるのではと考えていた。スマートフォンでは味わえなかったなにかを、すこしでも得られるのではないかと期待していた。


 信号が変わる。

 ロンリは、まっさきに横断歩道に出ていった。


 そのとき高い音と、なにかがこすれる音がした。とても大きな音だ。

 ロンリが横を見ると、壁のように大きなものが迫っていた。端にライト、下にバンパーやナンバープレートがあることに気づいたときには、ロンリは巨大なかたまりに吹き飛ばされていた。




 かたい、と思った。

 目を閉じたままロンリが考えていたのは、カーペットの上で眠ってしまったときに似ている、ということだった。こういうとき、起き上がると体の節々が痛む。面倒だと思った。

 だがロンリが目を開けたとき見えたのは、土の色だった。


 起き上がる。

 まわりには木々が茂り、空は木の葉で隠れていた。

 土や木のにおいを感じる。


 ここはどこだ。

 AIスピーカーを買いに行ったことは覚えていたが、それからどうなったのか。


 背後でうなり声が聞こえ、ロンリは振り返る。

 木の陰から、黒っぽい犬のような生き物が出てきた。

 ロンリとの距離は十メートルほどだ。

 犬の口から出ている牙の長さを見て、ロンリは犬という考えをあらためた。ナイフのような鋭さだった。


 ロンリはかがんだままそっと立ち上がる。相手を見つつ、一歩、二歩とさがる。

 獣は、見れば見るほど犬とはかけ離れている。爪は地面に食い込み、脚の筋肉は大きい。ロンリを見る目は赤く光る。目をそらした瞬間、距離を詰められて爪や牙を突き立てられる気がした。


 なにか具体的な対策があったわけではないが、ロンリはジーンズのポケットからスマートフォンを出そうとした。しかし入っていない。ジーンズのどのポケットにも、パーカーのポケットにも入っていなかった。


 はあはあという声が耳につく。しかし獣ではない。

 ロンリは、自分の呼吸が乱れていることに気づいた。背中や、手にじっとりと汗をかいていた。冷たい汗だ。


 夢だと思いたかったが、ロンリの頭はクリアだった。

 ここはどこか。なぜここにいるのか。この生き物はなんなのか。



 獣がじり、じりと出てくる。


 ロンリはさがる。


 うなり声が背後からも聞こえた。


 まさか、という気持ちで振り返ると、同じ種類の獣が走ってきた。

 ロンリは横に跳んだが、獣の前足がスネをかすめた。ジーンズの裾が裂けた。中の肌から血がにじんでいるのが見えた。


 いまやってきた獣はいったん離れ、またうなりながらロンリを見ている。

 二匹の獣が様子を見ていた。


 この素早さを見て、ロンリの頭に絶望が広がっていた。スピード的にも走って逃げ切ることはできそうにないだろうし、森の住人である獣に、地の利もない。


 脚がじんじんと痛む。

 獣がその気になれば、二匹が一緒に襲いかかればそれで終わりだろう。それでも襲ってこない。つけいるスキがない。


 生命の危機にさらされているのだ。

 そう思ってしまうと、もう獣に向かっていこうという気持ちにはならなかった。茂みの中へ逃げる気力もなかった。ただただ獣の圧力を感じていた。


 生きたまま食われてしまうのだろうか。

 せめて殺してほしい。

 叶うなら、死んだこともわからないほど鮮やかに殺してほしい。

 そう思ったロンリの視界に、あるものがあった。


 ロンリが最初倒れていたあたりに、紙袋と、そこからこぼれているAIスピーカーの箱があった。

 その箱の中から、なにかが出てくる。

 獣たちが音に気づいてそちらに顔を向けた。


 ティッシュ箱を立てたような高さの円柱形のものが、もぞもぞと箱から出てきた。


 上部がチカチカと二回光った。


『ユーザー登録をお願いします』


 AIスピーカーは言った。

 獣が一回吠えた。


 ロンリは、電源を接続しなければ動かないと店員から聞いていた。無線利用もできるが、バッテリーは別売りだという。

 だが動いている。


『オーナー登録をお願いします』


「……孤独川ロンリです」

 ロンリが言うと、AIスピーカーが光った。

『孤独川ロンリ、ですね?』

「はい」

『登録しました』


 AIスピーカーがこたえたとき、獣の一方が飛び出した。

 AIスピーカーに横からかみつく。しかし。


「キャウン!」

 情けない声を出し、獣はAIスピーカーから離れた。

 AIスピーカーのそばに、欠けた牙が落ちていた。

 二匹の獣は、いっそう厳しい顔でAIスピーカーの様子をうかがう。


『用件をどうぞ』

 AIスピーカーは言った。


「その、獣を追い払うにはどうしたらいい」

 ロンリが言うと、AIスピーカーが二回光った。

『獣の名前を教えてください』

「わからない。どうすればいい」

 AIスピーカーは光った。

 間をおいて、もう一回光った。


『その獣は、指で両目を軽く突くと戦意を失い逃亡します』

 カメラはついていないはずだ。

「指で? 突く? どうやって」

『指を二本出して、目に触れさせる強さでかまいません』

「そういうことじゃなくて、その、獣の動きを止める方法は?」

『その獣は、アウア! と大声を出すと二秒感動きが止まります』


 AIスピーカーからの声で、獣が動きを止めた。

 微動だにしなくなり、うなり声も止まる。呼吸による体のわずかな上下動もなくなっていたが、また動き出した。

 その間およそ二秒。


「大声は、何度でも通じるのか」

『はい』


 ロンリは獣たちに向き直る。信じるしかない。


「あ……、アウア!」

 そう叫ぶと、やはり獣たちは止まった。


 また元通りうなり声が始まる。


 ロンリは決心し、獣に向かっていった。

 獣も応じるようにロンリへと走り出す。


 目前まで迫った。


「アウア!」

 叫びに、獣の足が止まり、勢いのまま転んだ。

 足元に倒れた獣の目を、ロンリは二本の指で軽く突いた。


「キャウン!」

 獣は情けない声をあげ、逃げていった。


 もう一匹は、逃げていく獣を追いかけていった。




 ロンリは獣がすっかり見えなくなっても、まだしばらく見ていた。もう獣たちがもどってこないのだと信じられるようになってくると、力が抜けて、地面にひざをついた。助かったのだ。


 音もなくAIスピーカーがロンリのそばに近づいてきた。

 AIスピーカーを持ち上げてみる。裏に車輪があるわけでもなく、動いている原理はわからない。


 でも、とにかく助かった。

 これで帰れる。


「オッケーdoogle。ここはどこだ」

『ここは異世界です』

 AIスピーカーは言った。


 ロンリはまったく意味がわからなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ