禍福は糾える縄の如し④
ソレは、人の形をしているが自分たちとは全く異なる生物だと誰もが思った。
全身が黒い鱗で覆われており、頭には2本の渦を巻いた赤い角が生え、極めつけは顔がワニのそれだった。
ソレは女子生徒の首に向けてピンと真横に薙いだ状態で腕を張っており、まるで手刀で首を落とした構図に見える。
『ーーーーーー』
張った腕を下ろしながら、化け物は何か喋った。だが当然化け物の言語など理解出来る者が居るはずもなく、しかも学校の人間が殺されたという事実に誰も反応を起こすことが出来なかった。
『ーーーーーーーーーーーーーーー』
さっきより長い間隔で化け物は喋ると、天井にあった炎が大きくなり、その場が明るくなった。
明るくなったせいで、黒い甲冑が目立ち化け物の存在がさらに浮かび上がった。
意識がある学校の生徒・教師達の視線が己に注目したのを感じ取ったのか、化け物はある一点を指差す。
その指差した方にはいつの間にか扉のような物があり、化け物はそこに向かって歩き出した。
化け物は扉から一歩出たところでこちらに振り向くと、また何か喋った。
『ーーー』
玲達は何がなんだか分からず、暫く誰も動かなかった。
「・・・・もしかして、付いてこい、って事か?」
しばらく経って茂がそう呟くと、「ふざけんじゃねぇ」と誰かが吐き捨てるように言った。
「ワケ分かんねぇ事ばっかだけどよ、アイツはっ、アイツは平然と殺したんだぞ?そんな奴の後に付いていけるか!?」
「落ち着けよ。このままここにいたって」
「落ち着けるかよ!!人が死んでるんだぞ!?」
次第にその騒ぎが周りにも伝染し、そこかしこで皆が騒ぎ始める。
そんな騒ぎでも、化け物はただこちらをジッと見ているだけで微動だにしない。だがその爬虫類特有の目が、まるで汚物を見るような冷ややかな目をしていると玲は感じた。
「みんな!落ち着いてくれ!!クソッ!一体どうしてこんな事に…!?どうすればいいんだ…」
茂の声のトーンが落ちいく。この訳の分からない状況と、人々の混乱に呑まれて自分も不安が押し寄せてきたのだ。
そうして学校の面々が喚き叫んでいる中、何故か取り乱すことなく冷静な玲はその場の変化に気付いた。
「皆落ち着いてよっ!ハァ…ハァ…なんか…暑い?」
最初はこの混乱の熱気で部屋の温度が上昇していると思ったが、頭上から圧力を感じて天井を仰ぐと、浮いていた炎が明らかにデカくなっていた。それに驚愕しながら呆然としていると、更なる異変に気付き、叫んだ。
「皆っ!早くこの部屋から出て!!」
その炎が落ちてきている、と確信した玲は、ありったけの声でそう呼び掛けた。
だがさっきまでも玲の声は誰にも届いていなく、その声はやはり誰にも届かなかった。
「茂!しっかりしてよ!このままじゃ皆死んじゃうよ!」
玲が近くにいる茂の肩を揺さぶりながらそう叫ぶ。茂はハッとなった様子で、玲と目が合う。
「茂!早くこの部屋から出ないと死んじゃうよ!上を見て!」
玲が指さす方向に目を向けると、明らかに距離が近くなっている炎が目に入った。
「なん…だよ…ッ、あれは…?」
「早く明日香を背負って!脱出しないと!」
「つっても、脱出ったって…」
チラリと化け物がいる扉を見る。玲も言いたい事は分かったが、それでもそこしか行くところはない。玲はコクリと頷いた。
「さ、早く行って。彼女を守るのが彼氏の仕事でしょ?」
そう言って茂の背中を押す玲。
「な、何だよ?玲も一緒に出るぞ?何で背中を押すんだ?」
「まだ学校の人達が気付いていないんだ。どうにかしないと…」
「でも、今のコイツらはパニックで言葉すら届かないだぞ?どうするつもりだ?」
茂も最初は人を纏めようと努力したが、パニックにより収集のつかなくなった集団は個人には手が余る。残酷かもしれないが、やはり自分と親しい人が優先だ。無自覚にも、茂はそういう線引きが出来る人間だった。
「でも…、俺はほっとけないよ…」
玲が項垂れながらも力強い目で、また周りの人達に声を掛け始める。それを見た茂は「…しょうがねぇな」と自身も再び声を上げる。
「俺たちも手伝うぜ」
「玲ちゃんがこんなに頑張ってるんだもの。私たちがこの体たらくじゃファンクラブの名が泣くわ!!」
そこで2人の声が上がる。柳沢と佐藤さんだ。しかもその後ろにはチーム【柳ニ風】と【玲君保護し隊ファンクラブ】の面々も揃っている。
「みんな…」
「確かにあのヤロウは気に入らねぇが、ワケ分からねぇまま死にたくねぇしな。オイお前ら!パニクって話聞かねぇヤツはブン殴れ!全員で出口に向かうぞ!」
「あなた達も『もし玲ちゃんが不審者に攫われそうになった時用七つ道具』を使ってでも皆の目を覚まさせなさい!」
佐藤さんのセリフの途中に気になる言葉があったが、一気に呼び掛ける人数が増え徐々に人々が動き出す。
呼び掛けにより冷静になった人が頭上の炎に気づき、次々と出口に向かって走り出す。が、あと1歩という所で全員の足が止まった。
そこには、ただこちらをジッと見る化け物が佇んでいるからだ。
前方に化け物、後方に炎とどうしたらいいのかまたもパニックが起きようとした時、2人が化け物に向かって歩みを進めた。
柳沢と玲である。
柳沢はチラリと玲を見て「何でお前も」と視線を送ったが、玲は化け物だけを見据えていてその視線に気付かなかった。
そのまま化け物の前まで歩み寄ると、フゥーッと柳沢は短く息を吐いて相手を睨みつけた。玲もジッと、化け物の目を見据えた。
「ーーーーーー」
それを見返していた化け物はふと何か呟くと頭上の炎が小さくなっていき、最初の明かり程度の大きさになった。
とりあえず目の前の命の危機が去り、学校の面々は安堵の息を漏らしていると、化け物が踵を返して歩き出した。
喋ることもジェスチャーも無かったが、雰囲気が「付いて来い」と誰もが感じ取った。
先程の炎により死の恐怖が植え付けられた面々は、大人しく付いていった方がいいと思い、この人数にも関わらず静かに動き出した。時折小声で話す者や啜り泣く者もいたが、この状況で騒ぐほど馬鹿な人間は皆無だった。
そんな中、前を行く化け物を見ていた柳沢と玲だけが気付いた。先程までの聞き取れない言語でなく、誰もが分かるようなアクション。
1度だけこちらをチラリと見た化け物が、
「クカカ」
そう嘲笑を浮かべたのを。