委員長
冷静になってみれば、いや。冷静にならなくても、あの時はどうかしていた。
転校初日、校内を案内していた埠三塚あや乃に向かって、俺は結構ひどいことを言った。狂人扱いした。本人は気にした風もなく。むしろ「殺してくれ」と囁くように耳元で言われて、そのあと何事もなかったかのように、また明日学校でね。なんて言って帰っていった。俺はそのあとたっぷり5分は動いていなかったと思う。我に返ったのは、親からの連絡があったからだ。
そんな奇妙な初日から、1週間が経過した。もうあと2週間もすれば夏休みになる。その後は、対して大きな接触はない。せいぜい朝と帰りに元気よく挨拶をするくらいだ。おかげでクラスメイトとも馴染みやすくなった。
埠三塚あや乃に自殺願望があるようには思えない。1週間見ていて思ったことだ。毎日楽しそうにクラスメイトとの生活に興じている。……興じている。あながち間違えではないのかもしれない。それとも、転校生をからかうために、狂人ごっこをしていただけなのか。
真実はわからない。俺はこれ以上、彼女にかかわらないのが、一番の選択肢だ。関わればまたきっと冷静ではなくなって、何か傷つけるようなことを言うような気がしたから。
とは言ったものの、初日に何かと俺にかまって以降、担任は埠三塚あや乃に俺を任せることにしたようだ。家の事情は知っているし、自分が本格的な進路相談に応じることになろう時期には、転校するだろうと踏んでいるみたいだ。本格的な進路相談といったって、AO入試は早いところでは始まっているのだし、この教室内だってばか騒ぎしている人たちもいるものの、欠席している人だってまちまちいる。転校ばかり繰り返しているのだから、学力面やらなんやらの相談は管轄外だと言いたいのだろう。担任はどうにも事なかれ主義のような気がした。
「うっちー? うっちーはね、放任主義だよ」
心を読んだかのように、埠三塚あや乃は横から口を出した。水曜日7限目のLHRの時間。まだ担任は来ていなかった。
「うっちー?」
「担任の渾名ね。クラスの中じゃ人気だから。ごくたまにしか干渉してこないからね」
好き放題さー。なんて弾むように言う。埠三塚あや乃には悪意が込められている。確実に。高校生といえば大人の干渉は嫌うし、目障りだろう。この高校は一応進学校に入るが、超進学校で四大以外の進学はありないと考えるところと違う。専門校でも短大でも進学するのはありという考え方も多い。さすがに就職は少ないみたいだけれども。
「誠君、うっちーのこと嫌いでしょ。私もきらーい」
「えー? 埠三塚うっちー嫌いなのー?」
しんじられなーい。と、近くの席の人たちが話が聞こえたのか笑いながら話に加わった。
「私は面倒見のいいお兄ちゃんタイプが好みなんです~」
「ナニソレ。マジウケるー。埠三塚一人っ子じゃんさ」
「そうですよー。だから甘やかしてくれるお兄ちゃんにあこがれるんですー」
「好みのタイプの話じゃないし! 担任としてどうかって話だかんね!?」
埠三塚が担任としてどう思っているか言う前に教室の扉が開いた。担任がけだるげに入ってくる。
「これからLHRはじめるぞー。今日は夏休み明けの体育祭の出場競技決めるぞ。埠三塚ー」
「はーいうっちー! ご用はなあにー」
どこぞのヤギが手紙を食う歌のリズムに乗せて、埠三塚あや乃は悪意の一つも感じさせない完ぺきな笑顔で返事をする。
「司会は頼んだ」
「任せてクレメンス!」
面白くもないギャグを交えて席を立つとるんたったーと声に出しながら教壇に上った。担任から用紙を受け取って何枚か確認すると、「はっじめっるよー!」と高らかに宣言する。担任はまた教室を出て行った。
「競技が、借り物競争、100メートル走、クラス対抗リレー、マシュマロ競争、綱引き、玉入れだって」
「今年組体操とダンスないんだな」
「それに走る系競技ばっかじゃん!」
「私に文句言わないでよ。企画は生徒会だって」
「っていうかいつやるんだよ」
「うーんとね、9月半ば」
「うげー。まだ暑い時期じゃんどうにかしてよ」
「文句は生徒会にお願いしまーす」
なかなか決める段階までにたどり着きそうにないが、クラスはなぜか埠三塚あや乃を中心にまとまっている。
「まーまー。時間もないし早く決めてあそぼーよ。綱引きとクラス対抗リレーは全員参加だってさ。
玉入れは15人選抜で、借り物とマシュマロと100メートル走は5人ずつだって。男女分けはしなくていいみたいよ」
黒板に競技を書き出す。
「100メートル走が決まらなさそうだから、先に100メートル決めようか。立候補者いる?」
4つの手が上がった。あげた人決定ねーと埠三塚は名前を記して、次に移った。ざっくり決めて漏れた人たちを余った枠に入れていく方針らしい。
「借り物出たい人ー」
これにはほとんどの人が手をあげた。そんなに魅力のある競技だったろうか。いまいち借り物のお題が、『眼鏡をかけた先生』とかそんな程度しか思いつかなくて、俺は隣の人に尋ねる。
「借り物ってそんなに人気があるの? なんで?」
「お? 遠坂知らないんだったな。マシュマロ競争は顔を鳥餅粉のトレーに突っ込んで真っ白にしなきゃいけないし、女子は嫌うよ。玉入れも、人にぶつけるのがメイン競技だから、下手するとよけられた玉が勢いよく当たる。去年はデコすりむいてた人もいたし」
どんな体育祭だそれは。俺はそんなアクティブな進学校の体育祭は知らない。
結局両方ジャンケンで決まったようで、埠三塚は5人名前を記した。
「んじゃつぎ玉入れ。残った人たちで構わんね?」
黒板にその他。と大きく書き記して、ブーイングを受ける埠三塚あや乃。
「綱引きの並びは適当でいいでしょ。体重重い子後ろね。リレーの順は……出席番号でいい?」
ちらほらと賛同の声が上がって、終了したようだ。
「あ、100メートルひとり空いたままだわ。うち29人だからなー。うっちーに走ってもらうかー?」
「いや。あのおっさん走らんでしょー」
「っていうか、誠君入れてないから、誠君入れればオッケーだよ」
埠三塚あや乃がクラスメイト達に転校生忘れるなんてと文句を垂れる。
「埠三塚」
不参加が決定していると思い込んでいた俺は、慌てて埠三塚あや乃を呼んだ。
「ん?」
「俺は体育祭までこの高校にいるかわからないぞ」
「えー。でもさ、わからないけど入れないのと、入れたけど転校しちゃったから代理が必要なのってまた別の話だし。ま、そしたらその時考えるからさ」
軽く受け流して、参加用紙に埠三塚あや乃は競技参加者を書き記した。
「あや乃委員長のお仕事終わりっくす」
降壇しながら埠三塚あや乃は宣言した。
「え、埠三塚委員長だったのか」
「そうだよ。知らなかったの? うっちーから案内役頼まれてるのも、委員長だからだよ」
ケタケタ笑われて、埠三塚あや乃が構ってくるのはからかいと好奇心からだと思っていた俺は少し恥ずかしくなった。