転校
埠三塚あや乃とは、席が隣だった。一番後ろに用意された席。座ったときに笑いかけられ、単純に、愛想のよい人間だと思った。それも、1限目が終わって休み時間に入るまでの合間の話であったが。
高校によって、教科書は違う。転校するたびに教科書を買うのは経済的によろしくないので、基本的には教師に借りる。しかし、初日というのはどの教師も予備の教科書を持っていないものだ。埠三塚あや乃は喜々として教科書を見せた。小学校みたく、机をつけて。授業中も、何かにつけて話しかけてくる。教師が注意すれば、「転校生なんてレアキャラに興味わかないほうがおかしいと思いまーす」などと平然と言い切って、クラスメイトと、教師を笑わせた。
「まだ転校したばかりで、校舎の内観とかわかっていないでしょ。案内してあげる」
別に、生活していくうちになれるから大丈夫だ。いっぺんに案内されたところで覚えられない。断ろうと口を開いたところで、埠三塚あや乃は言葉をかぶせる。
「じゃあ、放課後あけておいてね。誠君てバス通学じゃないでしょ? 今日、車で来ているのみたもんね。迎えは少し遅くなるって、今から連絡入れているといいよ」
送り迎えなんて今日だけだ。明日からは電車と自転車を乗り継がなければならない。なんとなく成金のボンボンだという印象を、埠三塚あや乃にもたれているようだ。
言いたいことだけ言って埠三塚あや乃は教室を出て行った。
すると、友好的な関係を築きたいのか、数人が俺の前にやってきて、話し始める。自分の自己紹介だとか、俺の生い立ちだとか。毎回同じような目に合うので、受けごたえは適当だ。相手のことなんて覚えていない。下手すれば名前も、転校するまでに覚えられないかもしれない。
適当な相槌を打っているうちに、男子高校生が言った。
「埠三塚あや乃には関わらないほうがいいよ」
「ちょっとー。なんでそんなこと言うのよ。あや乃ちゃんかわいいじゃん。サイテー」
どうせ、テストの成績で負けたひがみでしょー! なんていう女子高生の言葉を無視して、俺は男子高校生を思わず見返した。
「俺、あいつ嫌いなんだよね」
聞いたところによると、埠三塚あや乃は両極端らしい。好かれているか、嫌われているか。好かれている理由としても、嫌われている理由としても、彼女の性格らしい。破天荒な性格で、面白いことが好き。クラスのムードメイカーなのに、成績はそこそこよし。人付き合いも悪くない。それを、八方美人ととるかどうか。前向きにとらえるか、後ろ向きにとらえるか。
「ここが、美術室で、その奥が理科室。科学室と生物室に分かれてる。で、この連絡通路を渡って右側に、音楽室。選択授業の教室は、大体3階に集まってるよ」
結局、埠三塚あや乃につかまる前に校舎から退散しようと思ったが、そこは隣の席。あっさりと捕まった。連絡入れてないからと断れば、じゃあ目の前で連絡してと催促され、案内させるまで返す気はないと意気込まれた。結局根負けした俺が母親に連絡を入れると、初日から遊ぶなんてと笑われて、気長に待つとあっさりと見捨てられたのだった。
埠三塚あや乃の案内はわかりやすかった。場所を教えるというか、ざっくりとこの方向に行けばたどり着けるというアバウトなものだったが、俺にはあっていた。
「PC室とかは、また別の棟にあるの。そっちは連絡通路じゃなくて別棟扱いだから、2階をずーっと奥に奥に進むとたどり着くよ」
そっちの案内はまた後日ね。埠三塚あや乃は階段を降り始めた。夕日が差し込む踊り場に埠三塚がたどり着いたころ、俺は足を止めた。埠三塚はなくなった足音に怪訝そうに振り向いた。
「どうしたの? 疲れた?」
「今日一日、お前に付き合わされて思った」
つき合わされて、じゃない。振り回されて。だけど。
「お前、なんか、おかしいよ」
初対面といっても違いない時間しかいない中で、俺は、唐突に埠三塚あや乃に断言した。小首をかしげて、何もわかりません。なんて顔をする。
「どういうことかな?」
「最初は愛想のいい子だと単純に思ってたけどね。埠三塚、俺は正直言って、君に関わり合いになりたくないと思っている」
彼女を今日一日見ていてわかったことだ。彼女はたぶん、破天荒な性格じゃない。面白いことが大好きというわけでもない。ムードメイカーという役割に必要な、追加要素。完全な猫かぶり。転校を繰り返して人を見続けてきたからこそ分かる、年不相応な違和感。
クラスの中心的な存在でありながら、移動は一人だった。面白くもない冗談をいう女子に対して、顔では笑いながらも、冷めた雰囲気を少しだけ漏らしていた。相容れないクラスメイトに対して見下していた。
ほんの少しだけ。皆が気づかない程度。一瞬だけのそれは、ちょっとした違和感しか残らない。いつもであろう軽さだけが残れば、きっと勘違いだったと、感じた人が思う程度。
そういうと、にこやかに笑っていた埠三塚から表情が消えた。目から光が消える。無表情とは違う。表現できないようなそんな顔。
「君は鋭いね」
たいしてそんな風にでもなさそうに、目の前にいる埠三塚あや乃はそう言った。夕暮れの、階段の踊り場の窓から、夕日が差し込む。見下げる彼女の表情は、わからない。逆光でうまく彼女を隠してくれているから。
「やっぱり、都会の子って違うのかな?」
「都会とか、関係ないと思うぞ。お前は、ありえないくらい異質だ。どこかおかしいよ」
「何処かって、どこだろう? 私はこの上なく、この性格で、ずっとこんな感じで生きてきて、今までみんなにこの性格が受け入れられてきたもんだよ。そういう意味では、私ではなく、君のほうが十分異質だね。誠君」
おどけて、その場で一回転。膝より少し上のスカートが、ひらりと舞った。そして飛ぶように階段を駆け上がる。
「異質っていうのはだね」
一段。
「自分が異質だと理解しているのは、そんなに異質でもないんだよ」
一段。
「自分が気が付いていない君のほうが」
一段。
「よっぽど、異質だ」
埠三塚が、俺の前にやってきた。やっぱり、表情は、なかった。
「は?」
「だって、普通初対面で人に対して異質だなんて言わない。普通は、黙って距離を置く」
肩に、手をかけられた。
「ね? 私、あなたに」
――殺されたいな。
今まであったことないような初対面の女の子に、俺は今まで見たことないような、背筋に何か駆け抜けるような。それはそれは素敵な笑顔で、告白された。