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黒い穴の先に飛び込んで、俺が最初に見たものは真っ赤な絨毯だった。その絨毯に顔からダイブした俺は、鼻をさすりながら立ち上がるとあたりを見渡してみる。
絨毯は端まで敷かれていて終わりが見えないほどだ。両端においてある花瓶が相当遠いことからも、ここから両端まで相当な距離があることがわかったし、十字格子の窓から見える青い空と揺れる木々の緑から、ここが建物の中で高所に位置しているのが分かった。
「なにここ廊下?」
俺のつぶやきを聞いてそうですね、と興味なさげに小夜さん。さっき蹴り飛ばした件についてはなにもなしですか、そうですか。俺は足形がばっちりついた背中を見て、さすりながら小夜さんにジト目をおくる。
廊下のただ中に居るらしい俺達の目の前には学園長室と書かれた札の下げられた両開きのドアが一つ。学園長、つまりここは学校というわけか。それならかすかに聞こえている人の声に説明がつきそうだ。
一人でうんうん、と頭を振って納得している俺を無視して、親父ははあ、とため息を漏らす。
「相変わらず無駄に広い廊下だな、あの教育バカは……なんだってこんな悪意の塊みたいな廊下を…」
親父は辟易し、独りごちながら頭をかく。その口ぶりだとここの設計者は知り合いみたいだ。
小夜さんはというと一歩前に出て、目の前の扉を二回ほどノックして、失礼します、と改まって挨拶をする。中からどうぞ、という澄んだ女性の声が返ってきた。
いや、うちに来るときとは大違いだな。小夜さん。
ドアを開け中に入っていく小夜さん、俺も失礼します、と控え目に添えて、同じように中に入っていく。
中はザ・校長室といった感じで、ショーケースの中にはいろいろなトロフィーやら大きな旗やらが飾られているし、部屋の真ん中には見るからにフカフカそうな真紅の椅子が向かい合う形で配置されている。
そして部屋の奥には、銀糸を思わせる艶やかな髪を肩までできれいに切りそろえた女性が、黒真珠を思わせるピカピカな机の上に、顔の前で手を組んで、愛想よさそうに微笑みかけながら座っていた。なんというできるお姉さん感!
その女性は、宝石を思わせる青い眼、上向きに整えられた細い眉、そして見ようによっては美男子とも取れるような中性的な顔立ちから凜とした雰囲気が溢れ出ている。
外資企業のキャリアウーマンぽいという印象を俺に与えた。おそらくこの部屋にいる時点で学園長なんだろうけども。
「やあ、よくきたね小夜君、白人君。私はミレイ・マーリン。その後ろにいるバカの古くからの腐れ縁かつ、この学園の学園長をしているものだ。歓迎するよ」
ミレイさんは顔を綻ばせて、優しく笑いかけてくれる、その様子からは本当に俺たちの事を歓迎してくれているのが分かる。
初めての常識的な人だ、と俺はうれしさのあまり小躍りでもしたい気分になったが、ぐっとこらえてありがとうございます、と頭を下げる。
「ミレイ、こいつが前に言っていた俺の息子だ。よろしく頼むぜ。」
親父はミレイさんに俺の頭を手でガシガシしながら紹介する。さっき会ったばっかなのになれなれしいおっさんだなとか思いながらも悪い気はしないので許してやろう。
「ふむ、じゃあまずは軽く神性診断でもしてみようか。」
ミレイさんはそういうとぱちんと指を鳴らす、何もないところから薄黄色の紙が筒状に丸められた状態で出てきて、ミレイさんはその紙を俺のほうに投げて渡すと再度微笑みながら説明を加えた。
「神性とはその名の通り神としての性質。逆を言えば人からどれほど離れているかということなんだ、この学園はその名のとおり神学校、神に仕えるもの、そして神を育てることを目的としている学校だ。魔術や呪術といった技術を学ぶところでもあるけど、一番重要視されるのがこの神性なのだよ。」
そういうと次にミレイさんは机の中から赤い液体の入った小瓶を仰々しく取り出すと、俺の前にその小瓶をゆっくりと置く。
その液体は鮮やかな赤色をしていて一瞬その美しさに目を奪われてしまいそうになった。何だろうか、魔の魅力という奴だろうか。
「これは“神の血”と呼ばれる特殊な液体でね。
ある果実から抽出したものなのだけれど、飲むことによってその者に“ギフト”を与える。ありていに言えば特殊能力を得られるってところかな。
でも気を付けてほしいのがこの液体、神性が高くないと飲むことができない。だから神性ごとに濃度を調整して渡すようにしていてね。その意味でも神性判断は重要なんだ。」
ミレイさんがわかりやすく説明してくれたすぐ後、俺の横で立っている小夜さんが、ぼそりと、しかし確かに聞こえる声量で囁く。
「因みに無理して身の丈に合ってない濃度のを飲むと拒否反応で死にます。」
……
「こわいこというなよ!」
しれっとミレイさんの説明に余計なことを付け加える小夜さん。俺はたまらず叫ぶが、小夜さんはどこ吹く風だ。きになってはいたけど、不安になるようなことは伏せとくのがおもいやりじゃあないのか!
……思いやりなんかなかったわそういえば。
「でも、この診断のおかげでここのところ拒否反応起こす人はいないし。心配はしなくていいよ。」
ミレイさんはあははは、と愛想笑いを浮かべてフォローする。ここでまともなのはミレイさんだけだと確信して、ミレイさんの存在に感涙を流す俺。
「じゃあまあ俺はそろそろ仕事に戻るわ、後の事は任せたぜ小夜。」
「はい、わかりました。」
俺達の騒動をあらかた見届けた親父は後ろを向いてドアの方に去っていく。鎧同士のガチャガチャと重なり合う音が部屋に響く。
「うん、その方がいい。じゃないと静にどやされるだけで済まないかもね。あの子だって白人君に会いたいだろうし。」
ミレイさんがくくくと笑うと、親父はうるせえ、と一言言ったあと後ろ手に手を挙げて、ドアを開けて出ていこうとする。
しかし、何か言い残したことがあるのか、いったんその足を止めて立ち止まるとこちらに振り返ることなく、一方的に俺に言い放つ。
「おい白人。久しぶりに会えてよかったぜ。」
そう言い残して親父はそのままドアを閉めて行ってしまう。完全なる言い逃げ。俺はというといきなり親父がまともなこと言ったから驚きで硬直していた。鳩が豆鉄砲食らったみたいにというやつだ。
その親父の様子を見てミレイさんはくすくす笑い。小夜さんも口元を少しだけ緩ませていた。なんだかほっこりした空気がオヤジの去った後の部屋に漂っていた。
「それじゃあその紙を開いて持ってくれ。じきに君の神性が表示されるはずだよ。神性ランクはAからDまであってそれぞれでクラス分けをしている。神性が全てというわけではないが成績という点においてけして小さい要素ではないことはいっておくよ」
ミレイさんは笑顔を絶やさず、右手に持っていた薄黄色の紙を俺に手渡して、封を切るように促す。ドクドクと心臓の音が体中に響く。その音が運悪く聞こえてしまったのか、小夜さんがさらに心臓を過労死させるべく追い討ちをかける。
「白人様、A以外認めません」
俺は小夜さんの威圧に無言で答える。緊張で手震えてるぐらいなんだから今は黙って待っててほしいもんです。はあ、とため息をついてもう一度封を解こうと手紙に手をつける。
「神性は親の影響を大きく受ける傾向にあるからね、義経はAだったし君の母親の静もAだった。期待してもいい気はするね」
……そうなのかぁ、じゃ、じゃあ?AはなくてもBぐらいなら大いにありえたりするのかも。俺はそんな希望を胸に抱きながら紙を勢いよく開く。封をきられた紙は青白く発光する。
その発光は三十秒程で収まって、後に残った紙にはよくわからない文字が書かれていた。うん、全く読めない、この世界の文字なのだろうか。俺は不安でふるえる手でミレイさんに紙を渡す。
それを受け取るミレイさんはにこにこと笑って、不安がりすぎだよ大丈夫さ、と俺へのフォローも忘れずに紙を受け取って、その中身を見る
しかし、
「……うーん、こんなこともあるんだねえ」
ミレイさんはとたんに気まずそうな表情に変わり、言い辛そうにえーと……と引き出しからメガネを取り出して結果を見直し始める。俺は我慢しきれずにミレイさんの見る紙をのぞき込むが、やはり結果は読み取れなかった。
「どうだったんですか、どうだったんですか!!」
気まずい様子もお構いなしに俺は鼻息荒くミレイさんに詰め寄る。不安と期待が入り混じった必死な表情な俺が磨きぬかれた机に反射して目に入る。うわー、ひどい顔。
「いいにくいのだけれど……君の神性はDランクだ。」
本当に言いにくそうにミレイさんは俺に告げた。俺は突然の手のひら返しに愕然とする。呆然としていた俺は絞り出した声で再度ミレイさんに詰め寄る。
「な、何かの間違いじゃ……」
しかし、ミレイさんは静かに首を横に振り俺に現実を突きつける。上げて落とすとはこのことか。高低差開きすぎて現実に思えない。
「本当に……使えない落ちこぼれですね」
最初に聞こえてきたのは小夜さんの暴言だった。
今までで一番胸に突き刺さる。え?なんで神の子なのに俺神性Ⅾなの?自問自答を心のうちでしていたはずが口に出ていたようで、ミレイさんは慌てた様子でもう一度紙に目を落とす。
「まあ初めて見たパターンだけどありえないことはないんだけれどね一応。うん、でもⅮでも優秀な生徒はいっぱいいるし!!」
ミレイさんのフォローが逆に突き刺さる。何も言われなかったら期待なんてしないのにあんなに俺の事持ち上げるから!!
「けどよくよく考えたらありえますよね、この人……いやこいつ一般人でしたし。」
小夜さんがとうとう俺への敬語口調をやめた。
そんなに悪いことかな!?俺はんば強制で連れてこられて両親ともに神性高いから大丈夫みたいなこと言われて計ったら一般人クラスだったってことでしょ、俺が一番の被害者じゃん!!
「け、けどまあⅮクラスから?上のクラスに上がることもあるんですよね?ミレイさん!!」
「えーと……まあ前例がないわけではないが……」
つまりほとんどないわけですね、理解しました。俺はかがんで地面に指で丸を何度も書いていじける。この仕打ちはひどすぎるぜ。
「ああ、そこは心配いりません」
しかしそこで、さっきからずっと暴言を吐き続けていた小夜さんが意外にもフォローを入れる兆しが!やったー、やっとデレてくれた!!
「このごみに変わって私が戦えばランキングは勝てるはずです。」
小夜さんから出てきたのは新たな罵詈雑言だった。うん、知ってた。
俺は涙目のまま顔をあげてミレイさんを見るとミレイさんはははは、と気まずそうに笑った。
「ランキング?それは上がれば上がるほど神性が上がって優等生みたいな?」
「いや、さっきも言った通り神性は神の性質。つまりは性格みたいなものだだから授業の中には神性に関する授業もあるのだけど、それでもほとんど上がることは無い。申し訳ないけれどね。
ランキングというのは新しい神を決めるにあたっての競争だ。シンプルに言うと一位の人間は神になれるし、その順位が高ければギルドや天使団などに入るのに有利になる。
どこの団体も即戦力を望むからね。最後卒業のタイミングで一位だったものが次の神だ。むこう4年神になることができる。」
なるほどなるほど、神性の理屈も分かったしランキングが何なのかもわかった。でもギルドや天使団というのは何なのだろうそこら辺を聞いてみよう。俺はさっきのショックから立ち直って、それに伴って立ち上がってミレイさんに聞いてみる。立ち直りが早いのが俺の取柄だ。
「ミレイさん、俺の神性が上がりづらいのは分かりました。でもギルドとか天使団ってのはどうして必要なんですか?」
「あはは……ひ、悲観することはないよ。でもいいしつもんだね白人君、ではこの世界の説明から始めよう。
この世界は君たちの世界とは違う次元に存在している。簡単に言えば、今君がいるこの世界は普通の人間以外がいる世界だ。
神もいれば悪魔もいるし、魔物だっている。そしてこの世界の主成分は人間の想像だ。よく子供のころ考えただろう?正義の味方にだとか、女の子ならお姫様にだとか。」
「人間の想像で出来上がっているからこの世界に際限はないし、その想像で最悪の脅威を生み出す可能性だってある。
つまり人間がいる限りこの世界は続いていくしその危機だって訪れる。だから私たちとしては人間を災厄から救わなければいけない、この世界を保つために。
人間という種が滅ぶような運命から人間を救わなくてはいけないということだ。そのための装置が神であり、天使団など。
そしてギルドだが、これは君たちの世界のゲームでよくあるよね。この世界に生まれた最悪の脅威や害となるものを狩る集団だ。」