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見ちゃダメ

作者: 兄連

 茶髪の男がまるで抉り取らんばかりに目を擦り始めた。

 「あんた、やめなさいよ。ねーったら」

 若い女がそいつの手を取ってそれを阻もうとする。駅のホームの真ん中で痴話喧嘩でも始めたのかと二人の周囲には人だかりができていた。その野次馬を掻き分け現れた一人の背広姿の男が、徐に目を擦っている男の手を捩じ上げた。

 「痛―よ」

という叫びと同時に男の手の名から目玉が落ちた。

 背広の男は若い男女の間に分け入り、革の手帳を出して名乗った。

 「鉄道警察隊第分屯所の本山です」

 そして、若い女に向かってこう続けた。

 「事務室まで来ていただきますか。被害届を出されますね」

 興奮冷めた女は野次馬の存在がやっとわかったかのように恥じ入る表情で頷いた。ホームに投げ出されていたバッグを拾おうと前屈みになった女のミニスカートのウエストラインから尻が半分近くはみ出ていた。


 「石田さん、この記憶機能付の義眼の使用には特別許可が必要なことはご存知ですよね」

 「・・・」

 「記憶チップを再生すればわかることですよ。あなたがどのような目的でそれを使われていたかは」

 「電話を一本かけたいのですが」

 石田は顔に垂れかかった豊富な茶髪を震える手で掻き上げ、本山巡査部長から顔を背けながら言った。

 「いいですか。認めてしまえば、簡単な手続きで、まぁー平たく言いますと罰金だけで終わりなんですよ」

 「電話、いいですか」

 「話をややこしくすると面倒が長引きますよ。それでもいいんですか」

 結局、本山巡査部長は電話のある部屋に石田を案内して退出した。窓もない部屋の中央にただ黒の年代物の電話機を置いたテーブルがあった。

 「石田と申しますが、城戸弁護士をお願いします。急いでいます」

 石田の切迫した声を聴いて、事務員はすぐに電話を取り次いだ。

 一通り話しを聞いた城戸弁護士は言った。

 「石田さん、すぐに参りましょう。私が行くまで黙秘してください。いいですか。そうしたからと云って何も問題ありませんから」


 「あくまで、プレー用にアキバで手に入れたんですよ。今日朝、ラブホから会社に直行というわけで換える暇なくて・・・」

 「石田さん、事情はわかりましたが、向かいの女性の腿の奥を覗いたことは事実なのですね?」

 「いやー、覗いたというか目に入ったというか。その、まぁー、でも彼女、見ました?半ケツですよ!見せびらかしてんですよ」

 電話をかけてきたときは消え入らんばかりだった石田の態度は、今はすっかり変わっていた。弁護士に会うと何か勘違いするのか、強気になる被疑者が実際のところ多い。城戸は置かれた状況を認識できない石田をたしなめるでもなく、目を閉じ、しばらく石田の言いたいままにしておいた。城戸の話は次第に脱線して昨日キャバクラからベッドに直行した彼女が巨乳でそれを自分の手で揉みしだく様を再生しながら後から責めることがいかに気持ちいいか、ということを語っていた。

 「もうね、脊髄からギューンっていう感じですよ。城戸先生も一度やったらもう病みつきになりますよ。今度貸し・・・」

 「石田さん、いいですか!」

 ここが先途と城戸は大声を張り上げて石田のエロ談義を遮った。

 「お持ちだった記憶機能付義眼は元来は所有する事だって法で禁止されていることはわかっていますよね。ネットやアキバで売られていることはまぁー周知のことといってもお上は密室で使用する範囲内で大目に見てくれている。しかし、電車の中で使用することはその時点でもう盗撮なんですよ。意識していたか否かは関係ないし、ましてや相手の女性がどんなに大胆な姿勢で座っていたからと云ってそれで赦されるものでは全くないんですよ」

 城戸の厳しい舌鋒に、石田はまるで浮気行為の最中に妻の顔を思い出して萎縮してしまった一物のように小さくなってしまった。

 「どうしたらいいんですか。それじゃ僕は?」

 坊ちゃん育ちの言葉になっていた。困ったときは決まってこうなる。

 『こいつの親父がここにいたら、顔の形が変わるまで殴っていただろうな』

 城戸の今日があるのは石田賢一の父大八のお蔭だった。石田大八は一代で大手不動産コンツェルンを築き上げた男だ。城戸がサビルローであつらえたシルクのスーツを着ていられるのも、石田大八の強引で脱法スレスレの商売を手伝えたからだった。城戸はその恩を忘れてはいない。このお坊ちゃま“賢一”を救いたかった。しかし、こう明白ならば、罰金払って、女性には告訴を断念するべく最低のお金で示談するしかなさそうだった。

 「石田さん、示談金は出来る限り値切るからここは突っ張るのやめましょうよ?」

 「それしかないですかね・・・。あの女、好きそうな顔して舌舐めずりしてやがった。記憶チップも没収?」

 『こいつ一代ですべてなくしそうだな。あの世で親父に殴られるだろうな・・・』

 「今、何て言いました?『女が舌舐めずりして・・・』」

 「興奮したような顔してたんですよ・・・。それでつい図に乗っちゃって・・・」

 「その女性に会わせてもらいましょう」

 「エー、そりゃ無理でしょ?」

 「私は弁護士ですから、大丈夫ですよ。但し、罰金は素直に納めます、いいですか?そうすれば、後は当人同士の示談ということで弁護士の私には会わせてくれますよ。その女性も望むところじゃないですか?」

 石田はまだ罰金を払って済ませることで刑事罰が記録されることを気にしているようだった。

 「スピード違反の罰金と同じですよ。気にすることはないですよ。とにかく、後は私に任せてください」


 城戸は本山巡査部長に違法義眼の使用を認め、迷惑条例違反での科料を払うことを依頼主が同意したことをすぐに伝えた。初犯であり、自己使用目的の出来心からのことだということで巡査部長も承知してくれた。裁判沙汰までしたくないのが警察の本音であり、後は被害女性との民事解決をよろしく、ということだった。

 事情聴取を受けていた女性はまだ署内に残っていたので、すぐに依頼主の言葉を伝えた。

 「破廉恥な行為をしたことは深く反省しており、罰金を支払うことに致しました。あなたに対して極めて不快な思いをさせたことは申し訳なく思っております。どうかここはお赦しいただけないでしょうか」

城戸弁護士は深く頭を下げた。女は街に溢れているお仕着せの不機嫌な表情をしながらこう切り出した。

 「警察の方がどうしたのか、私には関係ありません。今日はもう疲れていますから改めてご連絡しますので、名刺を貰えませんか?」

 城戸は名刺を背広の内ポケットから出しながら

 「もうお会いすることもないでしょう。依頼主の謝罪の言葉は伝えましたので、どうかこれで」

と名刺を渡した。

 「何言ってんの?人の心傷付けておいて。謝罪すりゃ赦されるっていうような話、これ?」

 蓮っ葉な地が出た女は立ち去ろうとしたが、城戸はその女の腕を強く掴み、その目を覗き込んで耳元で囁いた。

 「あんたも十分楽しんだだろ。依頼主があんたの股座覗き込んでマスターベーションする姿でもその編集機能付記憶可能義眼で作ったでしょ」

 女の顔は瞬時に青褪めたが、悟られまいと気をとりお直し、鼻息荒く城戸に抗弁した。

 「何、何、言ってんのよ。馬鹿じゃない。私はね被害者なの・・・」

 「お嬢さん、私の探知機能付義眼なんですよ。あなたの右目、最新鋭の義眼でしょ。警察の目をごまかせても私には通用しません。私の依頼人の持っていたものと違って、それはアキバで買えるような代物じゃありません。刑事さんに話しましょうか、興味持つと思うな?」

 「何、何言ってんのよ。ありえないわ。だいたいあなたの目こそ、もしそうなら違法じゃない」

 「じゃ、刑事さん呼びましょうか。いいですよ。因みに私、国際探偵免許も持ってましてね。特殊義眼の着用が許されてるんですよ。じゃ、呼びましょうか」

 「いや、あの・・・」

 城戸は女の手から名刺を奪い、最後にこう言った。

 「『目は口ほどに物を言う』便利って奴は自分だけじゃなく、他人にもそうなっちまう。お嬢さん、覚えておいた方がいいですよ。じゃー、今日の事はお互い忘れましょう」



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