言霊使いと性悪女
「私の嘘には強い力がある」
そのことに私が気づいたのは、親友の小百合と話している時だった。
何気なく私は小百合に嘘をついた。
「今日、数学の小松先生が授業に遅刻するよ」
それは、宿題を忘れて必死に数学の課題を解いている親友に少しでも心のゆとりを持って欲しくて付いた嘘だった。小松は時間に厳しい先生で、授業に遅れることは一年に一回あるかどうか、というものである。嘘をついた私も小百合もそれが現実に起こるとは考えていなかった。
だが、嘘は現実になった。
小松が授業に遅刻したのである。
「瑛子、どうしてわかったの? 未来予知?」
授業のあと、小百合は興奮した顔で私に尋ねた。四月に行われた進路調査で小説家と書いた小百合は、こういう未来予知とか超能力という言葉に非常に興味を示す。
本人曰く、
「一般的に考えればそういうのはない、と思う。でも、私はあって欲しいと思う。だから、見たいのそういう不思議な現象を」
と、のことだ。確かに小説のネタとしては面白いと思う。
「小百合が望むようなものじゃないよ。ただ単に適当に言ったことが当たっただけ。だから、私は偽物だよ」
「あっそう。つまらない」
小百合が眉を八の字にして唇を尖らせる。この夢見がちな親友は超常現象に興味を示す反面、それらの偽物に厳しい。
昔、『新宿の父』と呼ばれる凄腕の占い師がいると聞いて行ったことがある。彼は私たちのことをよく言い当てたが、小百合はそれが統計学と心理学の応用だと気づいて激怒した。
「あんな偽物がいるから本物を見つけ出せないじゃない! ほんと、偽物は滅べばいいのよ」
本物を限りなく愛する彼女は偽物に容赦がない。それは超能力者だけに向けられるものではない。私たちの学年に小百合と同じように小説家志望だという男子がいる。しかし、彼は本を読むばかりで書いている姿を見た者はいない。
小百合は一度彼に文芸部に入らないかと勧誘をしたのだが、
「小説を読む時間が減るので嫌だ」
と、断られた。その時の小百合の怒りは筆舌に尽くしがたい。
書く気もない偽物が小説家になりたいなどいうな。永遠に読者として生きていろ。そう言う趣旨の話を彼女は延々と語った。それほどまでに彼女は偽物という存在を憎んでいる。
では、私はといえばかなり怪しい。
私には話を盛ってしまう癖がある。
男女が親しげに話していれば、「あの二人付き合っているらしいよ!」と言ってしまう。また、ちょっとした怪我でも「血が出て止まらなかった」とかなり誇張 していってしまう。話しているうちにつじつまが合わない時がたまにあるが、小百合はそれに関して怒ることはない。一度、くだらない嘘をついてクラス中から 責められたことがあるが、小百合だけは怒らなかった。
もしかすると彼女の琴線触れない限り、怒りセンサーの対象にはならないのかもしれない。
「でもさ、万に一つということもあるし、ちょっとなにか嘘をついてみなさいよ」
小百合が意地悪げに微笑む。
「えっ? そんな急に言われても……」
嘘をつけと言われても、すぐに思いつくようなものではない。
私はしばらく考える。目を窓の外に向ければカラスが隣の校舎に止まっているのが見えた。
「カラスは白い」
と、不安げに言った。無論、カラスが白くなることはない。当たり前のことだ。
「瑛子、それは予言じゃないよ。黒いものが白くなるのは現実の改変だよ。色なんてかわるわけ……ない」
小百合は笑いながら窓の外にいるカラスを見ると、小さく驚きを漏らした。小百合は眼を広げて押し黙る。訝しげながら、もう一度窓の外を眺めるが不審な点はない。
「何かあった?」
「……あった? じゃないわよ。カラスが白色になってない?」
「何言っているの、小百合。カラスは黒いよ」
眼をこすってみるが、カラスは黒いままである。
「私の眼がおかしいのかな……」
小百合は眼を何度もパチパチさせるが、結果は変わらないようだった。小百合は前の席に座っていた男子生徒に確認する。
「森君、あのカラス何色に見える?」
「えっ、なんだよ。急に? 黒だよ。カラスなんて黒しかいないよ」
森と呼ばれた男子生徒は窓の外を見ると、当たり前だとばかりに言った。
「……そう、ありがとう」
小百合は男子生徒に謝意を述べると、口元に手を当てて難しい顔をした。そして、しばらく考えると、
「瑛子、明日もう一度、嘘をついてね」
と言って教室から去っていった。
次の日、教室に現れた。小百合は昨日と打って変わって晴れ晴れとした顔をしていた。
「瑛子、おはよう」
「やけに上機嫌だけどなにかいいことあった?」
私が尋ねると小百合はニッコリと微笑んだ。
「わかったの。どうして私だけカラスが白く見えたのか。言霊よ」
「ことだま?」
ききなれない言葉である。こだまであれば聞いたことがある。確か、山でヤッホーと叫ぶやつだ。
「そう、言霊よ。簡単にいうと言葉を使った呪術よ。古くは平安時代に小野小町が和歌で雨を降らしたという言い伝えがあるわ。瑛子は昨日、カラスが白いと言った。そして、それを聞いた私にはカラスが白く見えるようになった。これをどうおもう?」
「どう? と、いわれても……」
私にはわからない。私の嘘を聞いた、小百合にはカラスが白く見えるようになった。だけど、他の人にはカラスは以前と変わりなく黒く見える。
「分からない? きっとあなたの嘘――言霊を聞いた私はカラスが黒いと認知できなくなった。かわりにカラスを白いと認知するようになった。つまり、あなた の言霊は、聞いた人の認知を変えるの。瑛子が白いといえば黒板だって白く見えるし、赤信号を青色に見せることだって出来るわ」
「そんなわけないよ。いままで何度も嘘をついたけどそんなこと起こったことないよ」
私の嘘が他人の認知を変えてしまうと言われても、すぐに飲み込めるものではない。もし、私にそんな力があるのなら私がこれまで付いてきた些細な嘘、優子と野田君が付き合っているとか小さな怪我を大怪我としたことなどはどうなるのだろう。
私が嘘をついたせいで、優子は野田君と本当に付き合ったのか。
小さな怪我も他の人には大怪我に見えていたのだろうか。
まさか、そんな訳があるはずがない。優子の時は「変な嘘ついて、やめてよね。瑛子って嘘つくから嫌いよ」と言って散々クラスの女子から責められた。私の嘘が他人の認知を変えるのならそんなことにならないはずだ。
「それは、瑛子の嘘を直接聞いてないからよ。論より証拠よ。いまから森君にカラスは白いっていう嘘をついてみて」
私は小百合の言う通りに、森君を使えると
「カラスは白い」
と、言った。森君は怪訝な顔をした。
「瑛子、カラスが白い訳ないだろ? お前も小百合も昨日から変だよ。カラスっていうのは……」
窓の外を指差して森君の動きが止まった。彼は口を震わせると大きな感嘆の声を上げた。
「カラスは白いでしょ?」
「……ああ、白いな」
小百合がしたり顔で尋ねると森君は呆然とした表情で同意した。
このとき、私は理解した。私の嘘には力がある。
「瑛子、あなたの力は本物よ。私にもっとあなたの力を見せてくれる?」
小百合が両手を私の肩に乗せて迫る。その表情は、新しいおもちゃを買ってもらった子供のように無邪気で普段のすました顔と大きく違っていた。
それから私たちはクラスの皆に様々な嘘をついた。
「サッカーはバットでボールを打つスポーツ」
「優子は、本当は野田君が好き」
「森君は女子生徒」
私の嘘を聞いたクラスメイトたちは、嘘を真実かのように振舞った。なかでも森君は女子生徒という嘘は最高だった。森君は急に女言葉で話し始めるし、周囲 の女子もそれが当たり前のように話している。もし今日、体育の授業があれば女子更衣室で着替える森君を見ることができた違いない。
「瑛子、すごいね。皆、あなたの嘘が本当だと思っているよ」
「私も信じられない。こんなことってあるのだね」
正直、私自身が信じられなかった。自分にこんな力があったなんて。こんな力があればもっと早く気づくべきだった。私の気に食わないことがあれば嘘を付けばいい。そうすれば、相手はそれを真実だと認知する。
宿題を忘れても、「やっています」と、嘘を付けばいい。
テストの採点だって「こことここ、採点間違いです」と言えば先生たちもそれを採点間違いだと認知するに違いない。この力があれば、私の人生はバラ色だ。どんなことがあってもうまくいく。
「ねぇ、瑛子。放課後にもっとすごい嘘をついてみようよ」
「えっ、でも……」
「せっかくの力なのだよ。使わないでどうするの? 力あるものはその力を使わないといけないの。持てる者は持てる者の義務を果たさないと」
小百合は、私の顔をジッと見ていった。きっと小百合は、探し求めていた本物を見つけられて嬉しいに違いない。あれだけ、超常現象に固執してきた彼女である。もっと力を見たいのだ。なら、私もそれに答えなければならない。それが持てる者の義務に違いない。
「分かった。普通じゃ絶対に思わないような嘘をついてみるね」
そして、放課後。私はホームルームが終わった瞬間に言った。
「皆、聞いて!」
今から部活に、友達とのお喋りに興じようとしていたクラスメイトたちの動きが止まり、私に視線が向けられる。
「あのね、皆は私の奴隷です。私の言う事には絶対に従います」
私が言うと、クラスメイトは声を上げて笑った。
「お前、頭おかしいんじゃないの?」
「いろいろ、嘘を聞いてきたけど傑作だよ」
「クラスメイトを奴隷にするって何のマンガ?」
さっきまで私の嘘に従っていたはずのクラスメイトは口々に私を嘲笑すると、教室から出て行った。
「……なんで、私の嘘には力があるはずなのに」
「まだ、そんなこと思っているの? あなたって馬鹿なのね。本当は瑛子の嘘に力なんてないのよ」
私は小百合の言葉を理解できなかった。
私の言葉には何の力もない? そんなの嘘、だって一番初めに認めてくれたのは小百合じゃない。
「なに呆けた顔しているの。馬鹿なのは頭だけにして、顔まで馬鹿面されるとカンに障るの。分かる?」
「えっ、小百合。嘘でしょ?」
「ええ、嘘よ。ぜーんぶ、うそ」
ああ、よかった。全部嘘なのだ。私の嘘は人の認知に変える。嘘であるはずなんてない。
「ビックリした。小百合でも嘘をつくことあるのだね」
「あるわ。ずっとあなたに『あなたの言葉に力がある』って嘘をついているもの。でも、それは私だけじゃないの。クラスの皆、そう全員があなたに嘘をついていたの」
「みんなが嘘を?」
なぜか喉が渇く。小百合の言葉が理解できない。
どうして皆が嘘をつくの?
「はっきり言うね。皆、あなたのくだらない嘘が大嫌いなの。だから、皆であなたに嘘をつくことにしたの。あなたのついた嘘がさも本当であるように振舞うっていう嘘をホント、滑稽だったわ。なにが認知を変える力よ。すべて私たちがあなたの嘘に合わせていてあげただけ、あなたは平凡で何の特技もない嘘つき。それだけなのよ」
嘘。嘘でしょ? そんなわけない。私は選ばれた存在で力がある。
平凡で何の特技もない嘘つきだなんてことは絶対にない。
「小百合、嘘だよね?」
「瑛子。何度も同じこと言わないで、あなたには何もないの。嘘つき瑛子ちゃん」
小百合はゴミでも見るような眼で私を一瞥すると
「本当のことを言うね。私、嘘つきって大嫌いなの。ずっとあなたのつく嘘が嫌いで、あなたのことも大嫌いだったの」
と、言った。
放課後の教室に夕日が注ぐ。夕焼けに染まった小百合は菩薩のように微笑んだ。それは私の知らない親友の顔だった。
最近は割とさわやかなものばかりを書いていたような気がするので、毒のあるものを書いたつもりです。どうでしょうか?