言霊使いと桜の樹
唐突に浮かんだ物語です。
言霊使いの少年と桜の樹の話。
雅はその時葛藤していた。
育ての親でもある師匠と喧嘩し、勢いにまかせて山を飛び出た雅は一銭も持っていなかった。よって目の前にある餡子もちを口にすることは出来ない。柔らかな湯気を上げている、出来立ての餡子もちを頬張れないとはなんたる悲劇。
「あああ・・・・腹減った」
きゅるきゅると寂しげに鳴く腹を押さえ、涙目になる雅。
その姿を哀れんだのか、もち屋の主人が優しく雅の肩を叩いた。
「小僧、どれだけ粘ってももちはやらんぞ。いいかげんに諦めろ」
「・・・・」
今度は金をもってこい、という主人の声を背中に受けながら雅はとぼとぼと歩き出した。なんだよ、一個くらいいいじゃねえか。
ぼやきながら夜の闇をさまよいつづけた挙句、雅は村はずれの大きな樹の下に座り込んだ。ここで夜を明かそう。
すでに露店の灯りは消え、三日月と星々だけが輝いている。
雅はそれを木葉ごしに眺め、ふとつぶやいた。
「・・・・寒いな」
「そうですね」
一瞬遅れて、雅はバッと辺りを見回した。誰もいない。
首を傾げると、その声はまた小さく響いた。
「寒いのは嫌です。寒いから」
「・・・・それ、理由になってないよ?」
笑い声。どうやら上から聞こえてくるようだ。首をめぐらせてみたが、星の瞬きや月光、木葉のさざめきに溶け込んで、その姿は見えない。
だが、細くも澄んだ声は優しく降ってくる。
「今日は、夜がすごく綺麗」
「夜?空じゃなくて?」
「そう、夜。こんなに綺麗な夜は久しぶりです」
声がわずかに弾む。
「雪が降れば、もっと素敵な夜になるんでしょうね」
「雪・・・・もう少し、先の季節かな」
「でも、見てみたい・・・・」
寂しさが滲むその声に、雅は静かに笑って見せた。
「見たい?雪」
「見たいです。ずっと昔からの夢」
「じゃあ、見せてあげるよ」
そう言うや否や、雅はすっと立ち上がった。そして、ざわざわとざわめく樹の下から、美しい絹の夜空を透かし見る。
静寂に風が吹き渡った。
しばらくそうしてたたずんでいた雅は、おもむろに目を閉じ、囁いた。
「我、言ノ葉を紡ぐ」
ふぅっと細長く息を吐き出す。それに乗って、雅の唇から雲のような透明の糸が流れ出した。くるくると舞い上がるその糸を、雅は器用に指に絡みつかせる。そして、その指先で糸を丸く巻きつけ始めた。
糸を生み出しながら、両指を優雅に舞わせる。雅は踊るように、奏でるように糸を紡ぐ。
そうして紡がれた小さな玉は、穢れなく透明に輝き、夜の漆黒を映しこんで黒曜石のごとく艶めいていた。
満足そうにうなずいた雅は、樹を振り仰いで言った。
「君、この“言霊”に想いを吹きこんでくれよ。雪が見たい、その想いをありったけ」
「・・・・驚きました。あなた、言霊使いなんですね?」
「師匠から逃げ出したしょうもない新米だけどね」
肩をすくめ、雅は“言霊”を樹に向けて差し出した。手のひらの上で、小さな玉は何かを待つようにただきらめいた。
やがて、その声は降ってきた。
「・・・・・・雪が、見たい」
降りそそいだ言ノ葉に、玉の中心はふわりと青い光を灯した。
「あっ・・・・」
息を呑む気配が伝わってきた。
「雪だね」
雅は微笑んでつぶやく。
漆黒の夜空に、真っ白な光が舞い始めた。
「綺麗・・・・」
その言葉に、雅はそっとうなずく。
独り、大きな桜の樹の下で。
「ほんと、綺麗な夜だ」




