平野健の推理
「それじゃあ、俺から推理を披露させてもらおうか」
部屋の座卓を囲み、北に平野さん、東に私、南に山田君、西に先生と、発表順に時計回りに座った。
平野さんが意気揚々と口を開く。
「まず、外部犯の可能性を潰したいと思う。外部犯だと仮定すると、外部犯は前々から女中たちを殺してやりたいと思っていたことになる。犯人は殺意と動機を持っていたんだな。そして今回毒を用意して屋敷に侵入し、野沢の部屋にあった饅頭を発見、それに毒を混ぜた。外部の人間が犯人だったとすれば、このような行動を取ったはずだ。しかし、これは本来有り得ないんだ」
平野さんは自信たっぷりに続ける。
「いいか? 野沢と小梅以外の十八人の女中が全員毒殺されたんだ。ということは、もし外部の人間が犯人だったとすれば、当然そいつは毒を女中の人数分用意したってことになるよな? つまり最初から女中たちを皆殺しにするつもりだったとわかる。それなのに、野沢のような女中の一人の部屋にある饅頭に毒を全て入れるだろうか?」
「なるほど。外部犯だったとしたら、野沢の部屋にある饅頭が茶の席で振る舞われるかどうかわからないわけだから、その饅頭に毒を混ぜるのはおかしいというわけですね。最初からその饅頭が茶の席に用意されるとわかっていなければ、そのような行動は出来ない」
「その通りだ山田。もし毒を入れるなら、茶の席に振る舞われるだろう確率の高い、茶菓子置き場などの菓子に混ぜるはずだ。それなのに、女中個人の部屋に置かれている饅頭に混ぜては、わざわざ人数分まで用意したのに、女中を一斉に殺すことはできないし、むしろ野沢だけを殺してしまうことになりかねない」
「野沢だけを殺したかった外部犯、の可能性は?」
「だったらそこまで大量の毒を手に入れる必要はないだろう」
人数分の毒が入っていた時点で、女中全員を殺したいという思惑があったということか。
「となると、その饅頭に毒を入れた人物は『茶の席でその饅頭が振る舞われると知っている人間』ということになる」
平野さんははっきりと告げた。
「ではその人物は誰か? それはもちろん、小梅に饅頭を渡された側であり、茶の席で饅頭を振る舞った野沢だ」
平野さんの言葉には淀みがない。
二十個のうち一つに毒を入れたのは小梅、そして他に入れたのは野沢。それが平野さんの推理のようだ。外部犯にはその犯罪を行うはずがないという論理が、振る舞った人物こそ犯人であるという論理に綺麗に繋がっている。普段はがさつな性格の平野さんだけど、やっぱりこういうところで綺麗に言葉を扱えるのだろう。私は感心する。
「ではここでホワイダニット――なぜやったのか、つまり当然『動機』も考えなきゃいけない。小梅は刑部様が好きだった。だから彼を奪った野沢が憎かった。だから毒を入れた。小梅には立派な動機がある。しかし、野沢には無いじゃないかって? そう思うよな。ところが、野沢にはしっかりとした『動機』があるんだよ。それは、たった一言の言葉で説明できる。それは――『嫉妬』だ」
一呼吸。
「刑部様はとても女性に好かれる人だったらしいな。相当に容姿が整っていたんだろう。山田の話――つまり、その事件の話では、女中たちは皆こぞって刑部様が好きだったみたいだ。女中だけでなく、色々な女性たちが皆刑部様に好意を寄せて、あわよくば関係を持ちたいと思っていただろう。彼と特別な関係になった野沢は、そこに不安を抱いたんだ」
「不安、とは?」
山田君が問うた。平野さんは自信ありげに頷く。
「考えてもみろ。自分の周りの女たちが、皆自分のことが好きだと擦り寄ってくるんだぞ。いくら刑部様と言えども、それだけの環境にあれば、何かのはずみで誰かと懇意になってしまうことだってあるかもしれない。酒に酔って野沢と関係を持ってしまうくらいだしな。となるとだ、野沢はこう考えるだろう。『自分が刑部様をお慕いして、やっと心が通じ合ったというのに、こうも女性に囲まれていると、刑部様が他の女中になびいてしまうのではないか』……」
普段から意気揚々、色恋に興味津々の平野さんらしい推理だ。
「そもそも野沢と刑部様は、一夜の間違いから起こった関係だろう? ということは、簡単に終わる可能性のある関係であるとも言える。野沢にとっては、奥様を亡くされたという傷心につけ込んでしまったみたいなものだから、彼女は自分と刑部様の関係がそれほど深いものではないと悟っていたんだ。となると、刑部様が別の女性と仲良くなる可能性は大きい。それが不安で仕方がなかったはずだ。つまり、他の女性たちに奪われるのが不安であり、普段の生活で他の女中たちと関わっている刑部様を見て、彼女たちに『嫉妬』した。だから、彼女たちを皆殺しにしようと思ったんじゃないか?」
「待ってください。毒の入った饅頭を用意したのは小梅さんですよね? 彼女の殺意はどうなるんですか」
私は思わず訊いてしまったが、平野さんは手のひらをこちらに向けて、制止の合図をした。
「まあ待ちなさい。それはまた話すよ。野沢が毒を入れたもう一つの『嫉妬』……それは、野沢の嫉妬ではなく、他の女中たちの野沢に対する嫉妬だ」
平野さんは再び私たち一人一人を見渡し、話し始める。
「まず刑部様はとても女性に好意を寄せられる立場の人間だった。だとすれば、そんな刑部様と一人だけ特別な関係になった野沢は、他の女中たちから嫉妬されるに決まっているよな。もちろんさっきの山田の話には、そんな話はなかった。むしろ祝われていた節がある。奥さんを失くして落ち込んでいた刑部様を、恋仲になることで立ち直らせたのは野沢だ。だから彼女たちの関係を認めた。そんな感じだったろう。だが――本当にそうだったのか?」
「つまり?」
「裏では嫉妬され、『苛められていた』んじゃないのか?」
そうか。
それは有り得る!
「そもそも、小梅のような反応が普通だ。好きな男が同僚に奪われた。だったら普通嫉妬するだろう。もちろん全員がそうだとは言わないさ。きちんと二人の関係を認めた人もいるかもしれない。だが、嫉妬して、野沢に辛く当たってしまうのが一般的な反応というものじゃないか? しかも、真っ当な恋愛というよりも、酒の酔いによる間違いから始まった関係なのだからな。そりゃ、他の女中たちだって割り切れない所もあるだろう。だとしたら当然他の女中たちは、野沢と刑部様の関係を引き裂こうとするだろうし、嫉妬から苛めに値する行為をしたっておかしくはない」
これは伝聞であり、ありのままに描かれた小説なんかじゃない。だから、表面的な部分しか語られていないことだって有り得る。だから、表面では受け入れられた関係であっても、裏ではまったく事実と違っていることすら有り得るんだ。刑部様がとても女性に人気があったのなら、彼と関係を結んだ野沢が女中たちに苛められた。これは推測だとしても、まったくはずれだとは思えない。むしろ、筋が通っている。
「野沢はそんな、見えないところで女中たちに追い詰められていたんだ。こうした一連の刑部様への独占欲、女中たちの嫉妬による自分への苛め――そういった要素が折り重なって、殺人計画を立てるに至ったんだろう」
平野さんは私を見た。
「さっき莉麻子ちゃんが訊ねた、毒を入れる展開だが。恐らく野沢は、あらかじめ毒を手に入れて、どうにかして女中たちを皆殺しする機会を窺っていたんだろう。そしてある日、小梅が手作りの饅頭に毒を仕込んでいるところを目撃してしまった。野沢はきっと、これを利用しようと考えたんだ。毒を入れたのは紛れもなく小梅だから、彼女を犯人に仕立て上げることが出来る。なおかつ女中たちを皆殺しにできる。小梅が裏の商人たちから毒を買うことができるんだから、野沢も可能だったはずだぜ。野沢は小梅と同じように裏の商人から毒を買った。そして、小梅が渡してきたお菓子の全てに毒を入れて、さも『小梅がすべてのお菓子に毒を入れた』かのように見せかけた! そして、それを女中たちに振る舞い、女中たちがそれを食べる。こうして、女中たちは全員殺されてしまうというわけだ。計画はこれにて完遂だ」
「待ってください。小梅さんを犯人に仕立て上げるなら、全ての饅頭に毒を入れたら、小梅さんが食べてしまった場合どうするつもりだったんです? もちろん話では小梅さんはきちんと生き残っていますけど」
「愚問だなあ莉麻子ちゃん。野沢は小梅が饅頭に毒を入れた瞬間を見ていたんだ。だから、『小梅は自分の手に取った饅頭が毒入りの可能性を考えて食べないだろう』と予想したんだ。だって小梅は、まさか野沢が女中たちに饅頭を振る舞うなんて考えていなかったはずだからな。すでに饅頭は茶の席に並べてあったんだろう。小梅の席にあった饅頭が毒入りでないなんて保証はない。しかし食べなければ、それが毒入りであろうとなかろうと必ず死なない。だから、小梅は饅頭を食べない。野沢にはそれが予測できたんだ。だから、全ての饅頭に毒を入れ、『小梅は饅頭を食べず、生き残る』という状況を演出することこそ、野沢の狙いだったのさ」
平野さんは息を吐き、そろそろ終わりだ、と告げる。
「さて、女中たちが死に、残るは野沢と小梅になった時、刑部様がやってくると、当然『いったいこの饅頭は誰が持って来たものだ?』と、そうなるだろう? この時、野沢は何を言うかな? それはもちろんこう言うだろうさ。『小梅さんが持ってきました』……。これほど小梅にとって不利な言葉はない。もし小梅が弁解したとしても、寵愛されているのは野沢だから、そちらの言葉に信憑性の重きは置かれるだろう。第一、本当にその饅頭は小梅が持って来た物だからな。野沢は一切嘘を吐いていない。こうして小梅は犯人にされ、死刑に処された」
平野さんは最後に、堂々を告げた。
「俺の解答は以上だ。犯人は野沢。そして彼女は巧妙に計画を立て、小梅を犯人に仕立てあげたのだ」