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坂口安語の推理(2)


「しかし、今の推理も僕は否定しよう。別の解決があるのさ」






「言っただろう。この犯罪、君たちの推理では偶然が多すぎる。列挙してみようか。まず、女中たち、小梅と刑部様が三者とも殺人の手段に『毒』を使用したこと。第一、誰かを殺すのに毒を使うのは理に適っていても、たった一人を殺すのには毒は向かないんだ。入手経路を辿られ、一発で自分の犯罪が露見する。近場の包丁を持ち出して殺すか、水汲みの雑務の時に井戸に落とすか――それくらいの方が確実だ。それなのに、奥様を殺すために女中たちが毒を使い、野沢を殺すために小梅が毒を使い、女中たちを殺すために刑部様が毒を使う。皆一様に毒を使っている。こんな偶然の一致がありうるだろうか」

「でも先生。使用された毒は『斑猫の大毒』ですよ。それで死んだ人間は、病気にしか見えない。だったら、包丁で殺したり井戸に落としたりするよりは、毒の方が自分の犯罪は発覚しにくいと思います」

 山田君が質問をする。

「確かにそうだね」

 先生は、怒涛の推理を披露する。

「だが、刑部様が奥様の死が実は殺人であり、それが毒であるといつしか突き止めたと推理したね山田君。つまり『病気にしか見えない誰かの死が、毒によって殺された』と知る機会が日常の中にあったということだ。刑部様がどうやってその事実に気付いたかはわからないが、奥様が死んで、この毒殺事件が起こる一年の間に、それを知ることができた。となると、女中たちの完全犯罪は失敗だったということになるだろう。病気に見せかけて殺すことのできるから良い毒なのに、後にそれが毒だったと誰かに悟られては意味がない。そして今回はその場合だったというわけだ。となると、この『斑猫の大毒』は決して素晴らしい毒とは言い切れない。それなら、井戸に落としたり、水で滑って転ばせたり、腐った食べ物を食べさせて病気にさせた方が確実だ」

 谷崎潤一郎がそんな短篇を書いていた記憶がある。確か、プロバビリティの犯罪だ。水で滑って転ばせたり、腐った食べ物を食物置き場に放置しておくことは、決して犯罪ではないけれど、長い目で見れば誰かを殺すことに繋がる。確かに後に毒殺だと発覚する毒を使うよりも、そんな方法の方が確実ではあるし、何より発覚はしない。

「それに、毒を手に入れるためには商人を介さなければいけないね。自分で毒は手に入れられない。だけど、その商人を本当に信頼できるのかい。ある意味で共犯者だ。『自分が毒を使って、誰かを殺そうとしている』ということを、商人は毒を売った時点ですぐに察してしまうのさ。となると、その時点で犯罪の手がかりや証言になりうる重大な要素を、自分以外の他人が知ってしまっていることになる。もしそんな商人が裏切ったらどうする? 裏切らないという保証があるのか? そんな危ない橋に渡るよりは、自分一人で勝手に行える殺人の方が安心さ。包丁で刺して、強盗がやったかのように見せかければよい」

 先生は続けた。

「となると、やはり『斑猫の大毒』を使うというところにすでにリスクが生まれ、使う行為に疑いを持たなければならないだろう。それなのに、女中たち、小梅、刑部様という三つの殺人の発端者が、皆一様に毒を使っているというのは、僕はちょっと奇妙に思うね」

「でも、実際そうだったんじゃねえのか? 皆毒を使ったんだろう?」

 平野さんが言う。先生は彼に、不敵な笑みを向ける。

「女中が十八人死んだ。これだけ大量の毒を手に入れられるのは、刑部様しかいなかった。これは事実で揺るぎない。刑部様の奥様も、その亡くなり方から鑑みても、毒で殺されたのは確実だろう。だが、小梅が毒を入れたということ。これは、『彼女がそう言っているだけ』で、小梅が毒を入れたということが論理的に説明できない」

 先生は告げた。

「小梅は毒を入れていない」



 


「まさか……」

 山田君が眼鏡を指で押さえた。

「彼女は毒を一つだけしか入れていない、それだけは譲れないと頑なに誓っていました。第一、彼女は刑部様と野沢の関係に嫉妬していたんですよ。だから殺そうと思った。そう言っているはずです。それも嘘だって言うんですか?」

「口では何とでも言える」

 前提をも覆すというの。

 私は驚きを隠せなかった。

「何度も言ったが、やはりこれだけの殺人の発想を抱いた者たちが、毒を使うことに縛られ過ぎている。しかし、小梅は自分が毒を一つだけ入れたと言っているだけで、実際に彼女が入れたと論理的に説明が出来ないんだ」

 大量の毒を手に入れるためにはお金が必要。だから、女中たちを大勢殺したのは刑部様。

 奥様は体調を崩してその日のうちに亡くなるという不自然な死に方をした。これは『斑猫の大毒』特有の死に方である。だから、彼女が毒を使って殺されたのは事実だ。また同時に、後に刑部様が女中たちを殺したという結果から考えると、女中たちがその犯人であり、その復讐のために刑部様が毒を使って女中たちを皆殺ししようとした、というのも論理的に説明できるし、動機的な側面でも理に適っている。だけど小梅さんが毒を入れたかどうかは、彼女がそう証言しただけで、本当のところはわからないのだ。

「小梅の毒によって殺された、としっかり判断できる被害者が一人もいない。小梅が饅頭の一つに毒を入れた。それが正しい証言だったとしても嘘だったとしても、どちらにしろ刑部様の入れた毒と『重なっていた』ため、毒で殺される人間は生じる。だから、彼女の証言の正否は証明できず、また実際入れてなくても『ひとつは自分の用意した毒だ』と証言すれば、嘘が真実に変わるんだ。つまり、『毒を入れていなくても、毒を入れたと周りに誤認させられる』――『毒を入れていないのに、毒を入れたことにできる』のさ」

「小梅がそんな嘘を吐いて、そして『自分が入れたと誤認』させて、何の意味がある?」

 平野さんが反論する。

「それはもちろん、山田君の推理のように周りを信じ込ませるためだ」

 先生は淀みなく返す。

「飽くまで偶然――そう、偶然小梅と刑部様が同じ饅頭に毒を入れたから、小梅が生き残り、刑部様が処罰されたのだと、そう周りに思わせるためだ」

 山田君が悔しそうにする。

「これにより、全てが何らかの運命や偶然によって終わった犯罪事件だと確信させ、刑部様の運の無さばかりが取り立てられ、『真実』が見えにくくなる。つまりだ、『偶然が重なった結果、このような結末を迎えた』と周りに信じ込ませることで、『実はこの事件が全て、必然によって支えられていた』という『真実』を隠すことが出来る」

「何が言いたい――」

「つまりだね、野沢と小梅は共犯だったのさ」






 私たちは、愕然とした。

 偶然を排除したパズル。

 それを追い求める先生の論理は、私たちの予想を凌駕していた。

「先ほど僕は、小梅と刑部様が偶然同じ饅頭に毒を入れ、そして野沢は『小梅が毒を入れる場面』を目撃したにもかかわらずそれを見過ごし、その事実を黙って刑部様に伝えることで、かなり遠回りに刑部様を処刑に追い込むという、野沢による遠隔殺人の推理を披露した。でも、その時やたら僕は『偶然を排除して』だの何だのと言っていたくせに、『野沢が小梅の毒を入れる場面を目撃した』というところは偶然に頼っている。排除するならば、徹底的に排除しなければならないというのにね」

 先生は自嘲気味に笑った。

 けれど、先ほどの推理が今の推理に繋がっているのなら、やはり先ほどの推理は布石だったのか。

 先生は冴え渡る強気な口調で、私たち一人一人に視線を配りながら続けた。

「だからこそ、野沢が小梅の毒を入れる場面を目撃したという『偶然』も排除しなければならない。つまり、小梅の毒を入れる場面など目撃していない。それで済む話なんだ」

「だが、刑部様は野沢の『小梅からもらったこの饅頭に毒を入れて、彼女に罪を被せましょう』という進言によって毒を使うことを決めたんじゃないのか。第一、目撃していない例ならさっきの山田の推理がそうじゃねえか」

「確かに山田君の推理の方が偶然を排除している。けど、目撃していないではなく、そもそも毒を入れていないというところまで行き着いていないのが僕との違いだ。いいかい、『小梅は毒を入れたが、野沢は目撃しなかった』ではなく『小梅が毒を入れてないから、そもそもそんな場面は存在しない』が正しい。目撃も何も、そんな場面の存在すらなかったんだから、それつまりイコール、目撃していないということだ。山田君のものとはニュアンスが異なるのさ」

 先生は微笑む。

「前々から刑部様に女中を殺したいという話を聴いていた野沢は、小梅から受け取った饅頭を刑部様に見せて『小梅からもらったこの饅頭に毒を入れて、彼女の罪を着せましょう。これを茶の席で振る舞えば、女中を皆殺しにし、かつ死んだ小梅が犯人だったとして事件を終わらせられます』と告げた。刑部様は野沢を犯人にするつもりだったがそれを隠し『それなら毒を手に入れよう』と野沢の計画に乗っ取り、人数分の毒を手に入れ、野沢は饅頭に毒を入れた。このままの推理なら山田君の推理と同じだ。だが、ここからが異なる」

 先生は続けた。

「小梅と野沢は『小梅が二十個の饅頭のうち、たった一つにだけしか毒を入れていない』という『架空の設定』を二人の間に作り上げ、それを前提として刑部様を殺すことを考えたんだ。だから僕が披露した一つ目の推理にように『毒を一つだけ入れたことを目撃しておきながらそれを言わず、遠回しに刑部様を処刑による死に追い込んだ』という推理に繋がる。本当に小梅はたった一つの毒を饅頭に入れたのか、それを確かめる余地はない。木を隠すなら森の中とも言うが、彼女が毒を入れたとしても、その毒は刑部様の用意した毒で隠されてしまったからね。だから、小梅が毒を入れたかどうかは全て『小梅の証言』と『野沢が目撃したかどうか』に左右されている。この二人の証言に左右されているということ自体、すでに作為的だ」

「じゃあ、野沢は、さっきのお前の第一の解決のような素振りで動いた『ように見せかけた』ってわけか」

「そうだ。さも、『毒を入れる場面を見て、それを利用して刑部様を処刑に追い込んだ』という風に、こういう探偵役が解釈するように誘導したのさ」

「でも、それに意味はあるんですか?」

 山田君が問う。

「さっきも言っただろう。二人が共犯だということを悟られないためにだ。飽くまで偶然――偶然、小梅が毒を入れていた饅頭に同じように刑部様が毒を入れたために、このような事態になったと勘違いさせるためだ。そうなれば、小梅と野沢の共犯の線は見えにくくなるだろう」

「なぜそこまで共犯を隠すことにこだわったんでしょうか……」

「簡単だ。山田君、君はこう推理したね。共犯関係になるのは――つまり『殺害計画を話し合う』のは、話す側と話される側、どちらにも殺害の動機があり、殺す対象が共通であった場合である。女中たちが手を組んだのは、彼女たちが『奥様』という共通の憎むべき相手がいたからだと。また、刑部様と野沢は『女中たち』という共通の憎むべき相手を持っていた。だから刑部様は野沢に計画を話して、野沢との共犯関係になりうると、そう君は推理したね。綺麗な論理だ。僕も賛同しよう。だが――野沢と小梅も、ある意味で同じ条件下にあるといるのではないかな」

「つまり、二人にはそれぞれ、刑部様殺害の動機があった……?」

「そうだ」

「でも まったく思いつかないのですが……」

 山田君が唸る。

「小梅が刑部様と野沢の仲に嫉妬して、野沢を殺そうとしたのではないのですか? 野沢は、自分と無理やり関係を持った刑部様を恨んでいる。野沢側の動機は分かります。しかし、小梅には刑部様を殺す動機が見当たりません」

「いや、あるよ」先生は微笑んだ。「小梅にも、刑部様を殺す動機はある」

 そして、力強く告げた。

「小梅は『野沢を無理やり奪った刑部様』に『嫉妬』し、彼を殺そうと考えた。小梅が愛していたのは、野沢だったのさ」





「そんな……」

 山田君が言った。

「彼女は、刑部様を愛していたのではないのですか?」

「同心の取り調べには『刑部様と野沢の関係に嫉妬した』と答えている。これは一見、小梅は刑部様を愛しているからこその嫉妬とも考えられるが、そんなことは一言も言っていない。野沢を愛していて、それを奪い取った刑部様に嫉妬した。そう捉えることもできるだろう。それが動機であり、小梅と野沢が共犯となるに十分な理由になる」

 先生は、その言葉に奇妙な冷静さを交えて、しかし力強い確信を伴って続けた。

「野沢は刑部様に無理やり関係を結ばされて、彼を恨んでいた。そして、小梅は野沢を愛していた。恐らく野沢も――小梅を愛していて、二人は同性愛的な関係にあったのだろう。二人は共に家族を亡くし、苦難を共にした。信頼し合っていたに違いない。そこで性別を超えた関係に発展しても不思議じゃないだろう。野沢は、刑部様にされたこと、彼を恨んでいることを小梅に話した。野沢と小梅は互いに愛し合っていたので、当然小梅は二人の関係に嫉妬し、刑部様に怒り、彼に恨みを抱く。こうして共通の殺意を抱く相手を得る。二人は共犯となり、刑部様を殺す計画を考えた」

 同じ立場。

 同じ境遇。

 そこで生まれた愛が、為したもの。

「野沢は『以前から刑部様が、奥様を殺した女中たちを殺してやりたいと話している』ことを小梅に教えた。これを利用して、刑部様を処刑に追い込み、彼を殺すことができるのではないかと考えたんだ。つまり、野沢は刑部様に『小梅がこの饅頭の箱詰めの中の一つに毒を入れているのを目撃しました。これに便乗して毒を盛ることで、女中たちを皆殺しし、かつ小梅を犯人に仕立て上げることが出来ます』と告げる。もちろん小梅は、毒など一切入れない。そして、女中たちが死んだ後に、『自分は一つしか毒を入れていない』と証言する。何もかも嘘だ。しかし、そうすることで商人を介入させ、刑部様を犯人にし、処刑に追い込むことができる」

 外で静かに、鳥が鳴いた。

 屋根伝いに流れ落ちた雫が、ぴしゃりと音を響かせる。

 先生は静かに、告げた。

「この事件は多くの思惑が重なった果てに出来上がったものだったんだ。これは、女中たちによる刑部様夫人殺人事件であり、その復讐のための刑部様による女中殺人事件。そして同時に、野沢と小梅による刑部様殺害事件だったのさ。三つの殺人が奇妙に重なり合い、刑部様は真犯人として処刑される。最終的に生き残ったのは、愛し合う野沢と小梅だけだった。これにて、僕の推理は終了だ」


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