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初陣(2)

 日が傾く、地に茜が差す。空気が孕む臭いが変わった。

 草木と土の優しい臭いから、鉄と人体の臭いへ。張りつめた空気は、兵士一人一人の恐怖の総和である。

 これから起こる事を望むものなど、十指で数える程も居ないだろうに、人死には間もなく訪れる。




 村雨は、兵士達の最前列に居た。

 『錆釘』の精兵十人が、一列に横に並ぶ。その背後には政府軍の兵士、数にしておよそ二千五百。


「壮観だねぇ、これは。こんなものは見た事が無いよ」


 背後に並ぶ槍の列に、左馬が上ずった声を発した。昂揚と緊張と恐怖とが、全て混ざり合った声であった。


「初めての女みてぇな事を言うなぁ」


「事実初めてだよ、薊。この規模の戦場に出向いた事は無い。お前はどうだ?」


 横に立つ巨漢へ、顔を見ないまま左馬は問う。薊の顔も左馬と同じで、数種の感情が混ざって引き攣っていた。


「おう、俺も初めてだ」


「つまり童貞か。そのまま死ぬなよ、死にきれないぞ」


「馬鹿女、戦場の事だよ。俺もこの規模は初めてだ……そっちのはどうだ?」


「最後にやった殺し合いは、商家の夫婦喧嘩の仲裁だったなぁ」


 火縄銃を九つも背中に括り付けた男が、薊の言葉に戯れ返した。笑ったのは数人ばかり、何れも『錆釘』の面々だった。政府軍の兵士達は、笑うどころか軽口に耳を貸す余裕さえ無い。


「そっちの爺さん、あんたはどうだい」


「開国の時に……盛岡藩で、海戦してきたのが最後じゃな」


「へぇ、アボルダージュに混ざってきたのか。どうだった、百人切りでもしてきたかい?」


 火縄銃の男は、隣に立つ老人に訊ねた。白髪、白髭、得物は刀が一振り。指の分厚いことは、格闘家にも劣らない、健康的な老人である。


「いいや、斬り込まれた方だ。斬り込んだ側は蜂の巣、一匹残らずな。俺は一人も斬っちゃあいねぇ……平和な戦争だった」


「おじいちゃん、昔の自慢は止めてください。疼きが止まらなくなるじゃないですか」


 老人の横には離堂丸――長身の女。農耕用の鎌を十本、金属の棒と交互に繋いで輪の形にした、奇妙な形状の武器を手にしている。輪の一か所を外せば、十本の鎌は金属の鞭に早変わりという、珍しいが扱いづらいだろう凶器だ。


「けぇっ、色ボケの餓鬼が」


「色は色でも赤色です……ふふふふふ、ああ楽しそう。楽しいでしょう、皆さんも、ねえ。これから楽しい人殺しですよ?」


 離堂丸は夢見心地で、背後の兵士を振り返る。今、この戦場で最も血色の良い彼女は、夕日に照らされて無用の美貌を晒していた。美しいからこそ、血臭を感じさせる言葉が、或る者の心を削り、或る者に決死を覚悟させた。


「……皆さんノリが悪いですねぇ。最悪死ぬだけなのに」


「死ぬ以上の最悪は無い、って言うのが共通見解なのだろうさ。なあ、村雨」


 左馬の言葉に、村雨は無言のままで頷いた。

 何も言えぬまま、そっと手を伸ばす。虚空を進んだ手は、ある一点を境に、どうしても前へ進められなくなる。

 これが――〝別夜月壁よるわかつつきのかべ〟の、絶対無敵の障壁。破る事は決して出来ない――そも、壁の内と外の空間を断絶させる為、破れたとしても進めない。

 たった半日、朔の夜だけ、この壁は力を失う。つまり、今、兵士達を照らす夕日が、山の向こうへ完全に沈んでしまった瞬間から、戦が始まるのだ。

 無駄口を叩く特権――戦闘が始まっても生きていられるという自負心――を持つ者以外は、皆、刻一刻と傾く太陽に、祈るような目を向けていた。


「ところで、薊」


「なんだ、〝九龍〟」


 左馬は、鋼の六尺棒を肩に担いだまま、薊に軽く呼び掛ける。刃は付いていないが、殺傷力なら十分に備えた凶器。そんな物を持ちながら――


「お前、本当に童貞だったりする?」


「………………」


「なんだ、そうなのか」


 笑っていたのは数人ばかり。火縄銃の男にあの老人、それから他にも『錆釘』の精兵が四人ばかり、何れも男である。開戦直前の精神状態は、些細な冗談でも、腹を痛める程に彼等を笑わせた。


「ぅぇ、お!? おい、お前達! 違う! 女の前でそんな事を、いや違う!」


「……薊さん、苦労するね」


 村雨の同情の視線を余所に、薊はぎゃあぎゃあと吠えるように叫ぶ。それが余計におかしいのか、周りの連中はげらげら笑い続け――


「はっは、それじゃあ確かに死ねないね。告白もまだ、ヤるのもまだ、功より先に急ぐものが有ったんじゃあないか?」


「若いの、あどばいすっちゅうもんをするとじゃな。女を口説くのは戦場が一番成功しやすいぞ」


「貴様ら喧しいわ! っかぁ、片っ端からぶん殴ってやろうか!?」


 薊が拳を振り回せば、流石に巨体の迫力、笑い声は収まってくる。が――僅かに訪れた静寂に、くすりと一つ、音が混じった。


「っふふふ、気にしないでもいいでしょう。人殺しの腕前に、童貞も処女も関係ありません。私だって処女ですからね……ふふふ」


 くすくすと笑いながら、離堂丸が言った。薊は救われたような顔をして、ぱあと表情を輝かせ――


「……尤も、落ちぬ城と落とせぬ兵士では、価値に天地の差が有るのは当然ですが」


「ぐっ、ぅううおおおおおおおおおっ!!」


 ――持ち上げてからの止め。居たたまれず、薊は絶叫した。




 戯れ続けて――何時しか太陽は、爪程の細さになっていた。


「全体、聞け! これより我々は、登山道を直進し、本堂まで攻め込む! 事前の通達のように――」


 政府軍の兵士の前で、小隊の長と思われる男が、割れ鐘のような声でがなり立てる。背後に聞きながら、村雨は手を地面に触れさせ、前傾姿勢を取っていた。

 すすり泣く声が聞こえる。呪詛の呟きが聞こえる。誰も心安くは居られず、統制も完全ではなくなっている。

 それを窘める者は居なかった。抑えられるものではないし、また、指揮を執る者さえが、戦を前に気を張り詰めているのだから。


「……薊さん」


「おう」


 最前列から更に一歩、薊が前に出る。村雨はその背に、消え入りそうな声を投げた。


「告白は、するつもり?」


「おう、勿論よ。あの人が喜びそうな土産でも見繕って、真正面からしてやるぜ」


「じゃあ――」


 死ねないね、と言おうとした。喉がひりつき、村雨はそう言えなかった。死を意識させる言葉を、音として発する事さえ躊躇われたのだ。


「だなあ、うん。死にたかねぇし、俺は死なねぇ。景気が悪いってんだ、てやんでぇ。

 こちとら〝首飾り〟の薊だぜ、町人上がりの兵なんざ、何百集まろうと敵じゃあねえ!」


「頼もしい。先駆けはやはりお前だ……私は後ろをついていこう」


 普段の横暴は何処かへ影を潜め、左馬は大人しい事を言う。その違和さえ、村雨は違和だと感じられずに居た。

 非日常が始まる。号令は、空を埋めた濃紺――夜の色だった。

 四方八方から法螺貝が、銅鑼の打音が鳴り響く。音が何を意味するか――気付く前に、村雨は叫んでいた。

 いや、皆が叫んでいた。何も思わず分からずに叫んで、一斉に走り出したのだ。

 月の出ない夜、天然の灯りは何も無い。一歩毎に暗くなり行く参道を、薊を戦闘に『錆釘』の精兵が、そして政府軍の兵士が後を追う。

 石段を駆け上り、恐らくは五十段も上った頃。風が山肌を吹きおろし、村雨は最初の敵を嗅ぎ付けた。その時には周囲の兵も、同様に敵を察知していた。

 早速の交戦――初手を取ったのは、比叡山側。ざあと音を立て、何十もの矢が、先陣を切る村雨達に降り注ぐ。


「避けろ、この程度!」


「はい!」


 左馬に言われるまでも無く、村雨は側面に大きく跳躍し、余裕を持って矢を回避した。他の精兵も、避けるなり矢を打ち払うなり、手傷を負った気配は無い。

 が――更に後方では幾人かの兵士が、頭蓋を貫かれて倒れ果てていた。ほんの一瞬、村雨はそれを見て――何を思う、暇も無かった。


「見ろ、大盾じゃあ! 全く懐かしいやり口じゃのう!」


「おう、古風な戦術だなぁ!」


 白髪の老人が、矢の飛来元を指して笑う。登山道側面の茂みに、黒塗りの大盾が――木と竹を重ねて作られた大盾が備えられている。その後ろには弓兵が、飛来した矢と同数だけ隠れていた。

 古風と笑った薊は、弓兵に目もくれず真っ直ぐに走る。何故ならば――彼等が再び矢を番える事は無いからだ。

 素人上がりの弓兵が、二射を立て続けに、正確には行えない。次の矢を手に取り、弦を引いた時には、彼等は政府軍の兵の波に飲まれた。

 悲鳴、怒声は聞こえない。兵士達の足音と、恐怖を散らす為の叫びは、数十の断末魔など容易に掻き消した。いとも容易く、瞬く間に、数十の命が消えたのだ。

 あまりと言えばあまりな――使い捨てと言われても、否定の出来ぬ配置である。事実、彼等が得た成果は、不運な数人の命を奪う事に過ぎなかった。

 だが――それで十分。ほんの一瞬でも足を止めさせ、そして政府軍の先頭を、可能な限り左右に広げさせる事。それだけが数十の兵士の、命と引き換えに期待された成果だったのだ。


「……! おい、横へ行け! 危ねぇ!」


 火縄の男が、先を行く薊に叫ぶ。答えを返す前に、薊は大きく横へ――石段を離れ、土の地面まで逃れる。後続の『錆釘』の精兵も、〝何か〟に感づいたか、同様に動いた。

 だが、後方の兵士達は――弓兵に僅かにでも足止めされ、自然、大勢が横並びの配置になった。中央の兵士はどう足掻こうと、後ろから進んでくる兵士に押され、留まる事も避ける事も出来なくなる。

 石段が、縦に爆ぜた。

 兵士の群れの中、火柱が立ち上がる。石段の下、地面に隠された大量の火薬が、これもやはり埋められた金属筒に誘導され、垂直に火と金属片を吹き上げたのだ。

 火薬の爆発の前に、雑兵の防具など――まして西洋風の軽装、薄紙程の役にも立たない。焼け焦げた躯が、引き裂かれた躯が、後続の兵士の頭に降り注ぐ。


「おおっ……! 埋め火、やはり古いのお!」


「おじいちゃん、はしゃぐと腰を痛めますよ!」


 老人は器用にも、進行方向に背を向け、後ろ向きのままで斜面を駆け上がる。横を走る離堂丸は、死の臭いが楽しくて仕方が無いのか、隠さぬ笑顔で老人を窘めた。

 狂い始めた――皆が、狂い始めた。

 人が目の前で、或いは背後で死んでいるというのに、誰も足を止めない。何かに突き動かされ、ただ、ただ、前へ進む。

 勿論それは、後続の兵士が状況を見ずに進んでくる以上、立ち止まっていては人に踏みつぶされかねない、という事もある。だが、それを差し引いても――


「次が来るぞ、見えてるかいお前達!」


「おう、ありゃあ丸太だなあ――いや、違うかぁ!?」


 ――死とは、こうも軽いものなのだろうか。

 続いて斜面を転げ落ちてくるのは、巨大な丸太が数十本。山の木を切り倒し、枝を切り払ったのだろうが――そこから立ち上がる白煙から、ただの重量兵器で無い事は明白。

 精兵十人は何れも、丸太を跳躍で避けた。斬るにも受け止めるにも、重量と隠された〝何か〟の予感が、それを許さなかった。案の定、丸太は更なる加速を受けて、後方の兵士達を巻き込んで――また、爆ぜる。

 埋め火の混乱収まらぬ兵士の中に、続けて次の火種を叩き込む。成程、有り得ぬ手ではない。十分に予想できる事であろう。だが、村雨が思ったのは、そういう事では無かった。

 自分が後ろの兵士の中に居たら、あれを防げたのか? 無理だと、一言で結論付けられる。左右も後方も道は埋まって、正面から死が向かってくるのだ。火薬の爆発による熱風、飛来する小片を体に受けて生きていられねば――確実に、死んでいただろうと。

 だが、兵士は何千と居る。埋め火が殺したのは数十人。火薬丸太も、一本で十数人を殺した程度で――死者はこの時点で、概算で二百。多いが、全てでは無い。

 つまり兵士達は、自分が配置された立ち位置の為に――実力では無く運の為に、或る者は死んで、或る者は生き延びた。今の自分の様に、能動的に回避する事さえ許されなかったのだ。


「村雨、同情するな――前だ、来るぞ!」


「え――は、はいっ!」


 僅か、ほんの僅かの間に、政府軍を混乱が覆う。それを見逃さず登山道を、比叡山側の兵が攻め寄せてきた。

 夜闇に埋め火、噴煙――視界の不利に加え、立ち位置の高低差。更には、士気の低い政府軍の兵に対し、背水の陣の比叡山兵。ここに置いて装備と練度の差は、埋められ、そして覆される。

 先程は、矢による接触から始まった。今回は――何か小さな、壺のような物の投擲と、火の魔術の二段攻勢。人狼の鼻ならずとも、壺の中に入っている液体は、油だと十分に嗅ぎ取れた。


「っはは、徹底してるねえ……!」


 火薬が二つ、油に火。こうも火に拘った戦術を組むのは――人間も動物であるという、簡単な事実が故だろう。理性があろうとも、闇と火は怖いのだ。

 恐怖は伝播し、冷静な判断力を奪い、そして統率を崩す。白煙の中で油が燃え――人も同じだけ、燃えていた。


「落ち着けぇい! こんな手、長くは続かねえ! 火薬も油も有限だ、山で補給は出きゃあしねえんだ! もう使い尽くしたに決まってらあなぁ……なら、こっちのもんだ!」


 薊は、恐れていなかった。物量ならば、自分の背後の兵士達が上。今の不利は奇襲によるもので――白兵戦に持ち込めなかったが為。これよりは乱戦、数と力が物を言う。

 かあ、と一声。薊は戦闘の敵兵を頭から両断し、返す刀で二人ばかり、腰の上下を別れさせた。


「威勢がいいのう!」


「異性は知らないくせに……ふふふ」


 老人は刀を――鞘に納めたままの筈だが、一人を切り倒している。薊の右手側では離堂丸が、鎌の刃を敵の喉に刺し、肉を一塊抉っていた。

 然し、怖気づく敵兵は居ない。そればかりか、彼等の周りで留まろうとする者も居ない。薊達が見えないかのように、只管に先へ進み、進路を塞いだ者を殺そうと突きかかる。


「師匠……これは!?」


「こういうもんだ、分かれ!」


 村雨は、理解が追い付かず、答えを外に求めた。左馬は、自分に斬りかかってきた敵兵の顔を、鋼の棒で叩き潰しながら答えた。

 誰かを無視できる戦いなど、村雨は初めて経験した。自分を殺そうとした者が、次の瞬間には自分への関心を失い、他の誰かを殺しに行く――そんな思考を、理解できる筈が無かった。


「千と千の殺し合いだ! 一に拘る馬鹿が居るか、走れ!」


 両軍の兵が入り乱れ、互いに互いを斬り合い、刺し合っている。彼等は皆、特定の誰かを恨んでいないのだ。

 恨みも憎しみもない殺し合い――気付けば隣で、名も知らぬ誰かが死んでいる。脚を止めているのが恐ろしく、村雨は師の言葉に従って走った。

 だが、先へ進んだのではない。大きな円を描くように、敵兵の周囲をぐるりと回って、茂みへ逃げ込んだ。進めば数百を超える敵の中、戻れば噴煙と混乱の中。何れも死と隣り合わせなのだから。

 茂みの中で呼吸を整える村雨の横で、左馬もまた、肩で息をしていた。運動量は決して多くはないが、やはり精神的な圧迫は、この女傑をして疲労に追い込んでいた。


「……村雨、怪我は?」


「無い筈で――あ」


 呼吸を整えようとした時、村雨は、自分の頬から血が流れている事に気付く。矢か、槍か、避けた筈のどれかが掠っていたらしい。


「軽傷です」


「無傷か、それは良い。薊がどこに居るか、見えるか?」


「はい……横から敵を避けて、先へ進もうとしてます。『錆釘』の他の人も同じで――」


 夜目と鼻を使って、周囲の動向を探る。血の臭いが多すぎて、鼻は殆ど麻痺していたが、先程まで近くに居たのが幸いして、薊の位置は十分に見つけられた。


「ああ、きっと正面は諦めたんだろう。流石に無理だ、一月がかりで築いた防衛線を破るのはね。いや、出来ない事は無いだろうが――」


「一晩じゃ無理だ、俺もどーいけん」


 何時の間にか村雨の横に、火縄銃の男が倒れ込んでいた。負傷は見えないが、疲労の度合いは寧ろ左馬や村雨よりも酷い様子である。


「大きく側面――北か南まで回って、道を使わないで攻める方が良い。此処は――ちょっと酷すぎる、一張羅が血だらけだ」


「どこだって酷いとは思うけどねえ。ところでお前は?」


「俺は八島、八島陽一郎。新入りなんで宜しく頼むよ、先輩さん。……まあ、俺の事はどうでもいいじゃないの」


「確かにね。もう少し渋い方が好みだし」


 かっ、と唾を吐くような笑い方で、八島は直ぐ立ち上がる。左馬も村雨も、その後に続いて立ち上がり、薊の進んだ先へと走った。 段々と黒を増す夜の中でも、薊の進んだ道は分かりやすい。参道を赤々と染めた血の道には、両断された人体がごろごろと転がっているのだ。進むこと百歩程で、三人は薊に追い付いた。


「よう、久しぶりだな……三人だけか」


 返り血で全身を赤に染めた薊は、陽気な声で左馬に呼び掛け――期待より人数が少なかった事に、少なからぬ落胆を見せた。


「ああ、百年振りに会った気がするよ。他の連中は?」


「爺様と離堂丸なら――ほれ、向こう。後は知らん」


 薊が指さした方向では、離堂丸が十連鎌をぐるぐると回転させ、比叡山方兵士の一人を〝削り取って〟いる所だった。その様子を老人は、刀を鞘に納めたまま、平然と眺めていた。

 周囲に、他に兵士は居ない。この辺りに配備されている敵兵は、歩哨か或いは、前線から逃げ出した者ばかり。政府軍の兵に至っては、未だに此処より百歩も下で、乱戦に巻き込まれているのだ。


「進むかの、それとも戻るか。俺はどちらでも構わんぞ、わっぱ共よ」


「おじいちゃん、もう少し待ってください。もうちょっとで半分終わるんですから」


「死んでるぞ、十分だろう。自分まで薄っぺらになりたいなら、好きなだけ残ってもいいんじゃね?」


 八島が窘めるも、離堂丸は目を丸く見開いてそちらを見るばかり。また直ぐ、視線を敵兵に戻し、削る作業を継続した。


「……やれやれ。大男に爺さん、キチガイ女。それに少女と怖いねーちゃんと、後は俺だけかぁ? どーすんのよ、これじゃ小屋も落とせねーぞ」


「そりゃあ城攻め用の部隊じゃないからねぇ。私達は野戦組、城攻めは政府に任せればいい――が、その野戦もどうしたもんか」


 左馬は周囲を見渡す。ここは登山道からやや外れた山の一角。敵は居ない――居ない所へ進んだのだから当然だ。

 だが、敵が居る所へ攻め込むならば――数百人単位が、先の様な罠を仕掛けて待つ中へ進む事になる。手が足りないのは明らかだ。


「……合流するなら北じゃろ。南は少し道が良いが、それだけ伏兵も置ける。北側の荒れ具合ならば、敵さんの監視の目も届くまいて」


「じーさん、この山は詳しいのか?」


「年寄りは何でも詳しいもんじゃい」


「……成程なあ」


 貫禄たっぷりの老人の言葉に、八島は深く頷いた。

 実際の所、老人の助言が無くとも、その手しかないと、八島は考えていた。彼は狙撃手、戦闘に地形が深く関わる以上、戦の前に地図は幾度も目を通す。記憶の通り、確かに山の北側は、ろくな道も無い所だった筈だ。


「何でもいい、最初に本丸に――」


「薊さん。お寺、お寺」


「――本堂に、俺が斬り込めりゃあこっちのもんだ! 北だな、行くぞ!」


 八島の些細な訂正は素直に受けて、薊は真っ先に北へと向かう。

 他の五名も――そも村雨は、左馬の意向に従う他は無いのだが――異論を唱えないのは、ここから攻めるのが無謀だと感じていたからだ。

 一騎当千――猛者を称える言葉の一つ。彼等は、この言葉が大袈裟な例えでしかないと、己が恐怖を以て悟った。

 誰も皆、一人で行動したいとは思えなかったのだ。

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