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初陣(1)

 更に幾日かが過ぎた。

 左馬の指導は相変わらず無茶が過ぎたが――この数日ばかりは、村雨に怪我をさせないように配慮していた。

 特に最後の一日――〝その日〟の前日などは、関節を伸ばす程度の運動だけをして、さっさと食事を済ませ、寝る用意を整えてしまった。


「すー、すー……」


「子供は寝るのが早いね、大したものだ。これで背が伸びないんだから不思議だよ」


 みつが安らかな寝息を立てている――左馬は布団の上に胡坐を掻いて、それを眺めながら呟いた。


「……師匠、寝ないんですか?」


「それはお前もだろう、村雨。日の出までに比叡に行くんだ、あと二刻も無いんだよ」


 布団を頭まで被った村雨は、左馬に背を向けたまま、か細い声で尋ねた。

 雲間に見える月は、爪のように細く薄くなっている。明日の夜にはきっと、完全に姿を隠してしまうのだろう。朔の前夜――即ち、戦の前夜であった。


「私は飲みたいんだ、どうせお前はろくに飲めないだろう? さっさと眠って、私の為に朝食を用意しろ」


「本陣で食事は用意されるって、堀川卿が言ってましたよ。今から飲むのも……あんまり感心出来ないんじゃ」


「喧しい」


 布団の上から、左馬は軽い手刀を落とす。頭を小突かれた村雨は、然し非難の声も上げず言葉を続けた。


「師匠、戦争ってしたこと有りますか?」


「大陸は五指龍の帝国で、辺境の内乱に何度か。……まあ、村一揆みたいなものだったよ、鎮圧側も反乱側も数百人程度だ」


 答え、立ち上がり、木窓を開ける。吹き込む夜気は秋の風、肌を冷たく撫でた。


「怖いか?」


「はい」


「死ぬのも、殺すのも」


「……はい」


 トクトクと液体を注ぐ音、酒精の匂い。窘めた所で左馬の酒癖は、とても止むものでは無かったが――


「私もだったよ、村雨」


 ――酔うのは、逃げる為でも有った。


「最初の戦場で、いきなり何度か死にかけた。二十三年生きて、本当に死ぬと思った事は……まあ、一度か二度だろう。ただ、その時は本気で泣いたよ。

 こんな所で死にたくないと、散々に見苦しく喚いて……誰も助けてはくれないから、喚きながら敵を殺した。帰ってから最初にした事は何だと思う? 川に頭から飛び込んで、飲めるだけ水を飲み、潰れかけた喉を余計に酷使したんだ」


 今なら平気だけれど、と気取った口振りで続けて、左馬は酒を腹に注ぐ。身を起こさぬまま、村雨は一人語りを聞いていた。


「お前には、兎角時間が無い。私の様に何年も掛けて、技を修める余裕が無い。だから戦場に連れていく、いいね?」


「はい」


 短い答えは、震えた声で伝えられる。


「私はお前を守らない、自分を守るので精一杯だからだ。だからお前は戦場の全てを、自分の目で見て動かなきゃならない、いいね?」


「……はい」


 次こそ――本当に、死が隣にある戦い。初めての戦で、村雨は初めて、本当に庇護者を持たず戦う事になる。


「お前が死んだら、私は桜に殴られるだろう。ただ、それだけだ。あいつが幾らとち狂ったところで、私を仇と断じて殺そうとする真似なんて有り得ない。

 お前が死んだら、その死体は戦場に投げ捨てられたまま。焼かれるか腐って、誰とも分からなくなる。死んだ後は本当に、綺麗さっぱり忘れ去られるんだ。知っているかい?」


 知っている――知り合いの誰かが死んだと聞いても、数か月もすれば、深い感慨など無く生きていける。もしかすれば自分も、昔そんな名前の奴が居たと、たまに思い出されるだけの存在に成り果てるかも知れない。


「……半刻だけ寝る、その間に考えろ。お前が選んだ事に何かを言えるのは、きっとお前と桜だけだ」


 言外に逃げろと言って、左馬は窓枠に腰掛け、目を閉じる。村雨は何も答えず布団から抜け出し、部屋の隅に纏め置かれた、新品の小手に腕を通した。

 夜が明ける前に小屋を出た二人を、みつは寝た振りを続け、ついぞ見送りなどしなかった。






「良く集まった、『錆釘』の勇士諸君よ。俺の為に死んでくれる事、まずは丁重に感謝しよう。死ね」


 政府軍の本陣は、比叡山の西側、洛中を背に置いて敷設されている。陣幕に畳を敷き脇息を置き、狭霧兵部和敬は尊大に寝っころがっていた。

 集まったは『錆釘』の精兵四十名。正規兵とは違い、武装も服装もバラバラの、見事に纏まりの無い集団である。幾人かは兵部へ、隠しもせず殺意を向けていた。


「これからお前達を、幾つかの部隊に振り分ける。給金は何処も同じだ、好きに選べ。だが、人数が多すぎた場合、俺が勝手に配置を変える。

 まず一つには本陣守護……俺の護衛だな。一つには最前線、殺してなんぼの商売だが歩合にはせんぞ。残りは適当に三方に回り、侵攻するそぶりだけ見せろ。

 つまり四十人ばかり借り受けたが、実際に戦闘に参加できるのは三分の一だろう……多分」


 煙管を咥え、火を付け――咽て投げ捨て、忌々しげに立ち上がる。燃えた草が畳みを焦がすが、それを草鞋で踏み躙る兵部の顔は、皺に似合わず幼く見えた。


「糞不味い。こんなものを吸う馬鹿の気が知れんな……ああ、命令は以上。質問はあるか? 無いな、良し、配置を勝手に決めて散れ」


 あまりと言えばあまりに短い命令の後、兵部は立ち去って行こうとする。その肩を掴んだ男が居た――丈の長い外套に身を包んだ男、葛桐だった。


「……無礼な奴だ、何用だ?」


「決める気が有るのか? ねえのか? この連中に好き勝手させて、配置が決まると思う盲じゃねえだろうが。

 俺は本陣に居させてもらう。後で入れ替えるだなんだ言い出すんじゃねえぞ」


 兵部の言をその侭に取れば、結局最後は兵部の一存で、兵員の配置を決定するのだ。

 『錆釘』の構成員が互いにどう決めようが、兵部が否と言えば配置は変わる。そう宣言したも同様である以上、頷けぬ者もいる――例えば葛桐のような金に煩いものであったり、


「私は最前線を。最前線を。それ以外の場所への配置は認めませんよ」


「おう、離堂丸か。言っておくが仲間首は手柄にならんぞ、寧ろ減給の対象だ。理解しているなら認めよう」


「持ち帰らねば良いのでしょう……ふふふ」


 戦狂いの狂人であったり、だ。すらりと背の高い女の顔に、村雨は見覚えが有った――何時ぞや堀川卿に呼び集められた時も、同僚の殺害許可を求めていた女だ。あの時と同じ、口だけを上下に開くやり方で、女は――〝十連鎌〟の離堂丸は笑っていた。


「それより皆、何故押し黙るのです? 私と共に雑兵を切り殺し楽しもうと、そう願う者はいないのですか?」


「居るわきゃあねえだろ。それよりおい、本陣守護は俺だけか。立ってるだけで良さそうだぞ、どうする」


 図らずもこの二人が、場を仕切る形となった。

 が――中々口を開く者がいない。好んで危険に触れたがる者も少ないが、かと言って安全な本陣に籠るのも、臆病者の誹りを受けかねない。

 結果、先に二つの席が埋まって、残りに配置されるのを待つ――そんな後ろ向きな算段をしているものばかりだったのだ。


「別に楽しくはないけど、後ろに居るのも性に合わない。私の美貌は当然、最前線で咲くべきだろう……なあ、村雨?」


「師匠、答えに困るんですけど……」


「なら答えるな。何はともあれ、これで最前線は三人……おや、女ばかりだ。『錆釘』の男どもは玉無しばかりになったのかい? ならば結構、皆で引き籠って貰おうか」


 左馬は、村雨の予想の通りに最前線を選んだ。つまりは村雨も、望むと望まざるとに関わらず、最前線へ引きずり出されるのだ。

 師の軽口に、何時ものような反応を返す事も出来ず、腑の底の恐怖を噛み殺し、皆の前に進み出る。村雨の体格は、集まった四十人の中では、飛びぬけて小柄であった。


「……はい、引き籠って貰っても……いや、逃げて貰ってもいいと思います」


「ほう、戯言を言うな、大陸の娘。いや然し驚いたぞその顔、何時ぞやの罪人の面ではないか」


 左馬の言葉を次いだ村雨の前に、兵部は大鋸を手に立った。桜を救い出した時、ほんの一瞬だが見られた顔は、忘れられていないようであった。


「逃げるような人は、どうせ役に立たないでしょう。怖いからって、怖いままで動かないんだったら、案山子を並べる方がいいでしょう? 私は怖いけど、仕方なく最前線に行きます。選べない人は帰ってしまえばいい、そうすれば死なないで済む――」


「それは寝ぼけた絵空事だぞ、小娘」


 狭霧兵部はただ一声で、村雨の言を切り捨てる。


「お前が言うのは、個々の闘争の延長に過ぎん。せいぜいが獣の群れ同士の餌場争いだな、実に下らん。人間同士の戦争という物を、お前は全く検討していないのだ。

 成程、ここで逃げれば戦では死なんだろう。だがな、人の社会の中で死ねば、刺殺される以上の苦痛を味わう事になるぞ?」


 大鋸の刃に、兵部は自分の指を当てた。皮膚一枚を裂いて、つうと流れ出た血は、真っ当な人間と同じで赤かった。


「幾つもの苦痛を見てきた俺が保証しよう、戦場の死は一瞬だが、社会による殺人は長期的な娯楽だ。事あるごとに冷やかな目を向けられ、お上からの恩恵も受けられず、或いは罪人として咎まで受けるというのだ。健全な生など望むべくもあるまいなぁ。

 向こうは向こうでもっと苦しいぞ、なにせ逃げる場所が無い。働き者だけが戦うなどすれば圧倒的な戦力不足、今宵一夜も持たずに落城するのだ。

 お前が如何に殊勝な心がけで臆病者共を逃がそうと、そいつらは後々、別な形で殺される。ならば今宵、強制的にだろうが戦わせる事で生を掴ませる――それこそが恩情であると思うが、違うか?」


 指に滲んだ血を、村雨の唇に擦り付ける。血で引いた口紅は鮮やかで、村雨の白い肌に映えた。


「さて、餓鬼を相手にして余計な時間を喰った。早急に決めてもらおう、何処へ行くか。百を俺が数えるまでに、己の行く先を決められぬ者は……戦の前の座興に殺す。良いな?」






 日が山から完全に顔を出し、洛中は人で賑わい始めるだろう頃合い――まだまだ、開戦には遠い。

 『錆釘』の構成員達は、提供された食事を食らいつつ、それぞれの配置された箇所へ移動していた。


「……長閑だねえ」


「ですね、今だけは」


 塩気の聞いた握り飯をぱく付きながら、村雨は左馬と並び、比叡の山を見上げていた。

 二人が配置された場所は、山の西側、最も広く開けた箇所。平時であれば参拝者達は、ここから上って本堂を目指す。

 だが今は――人の目で見える程度の距離に、既に柵が設置されている。恐らくもう暫くすれば、柵の後ろに弓兵でも配置されるのだろう。

 ここが最前線として、多くの兵員を配置された箇所である。周囲を何気なく見渡せば、西洋式の軍装をした兵士達が、直立不動で整列していた。


「……大変そうですね」


「だろうね、あいつらは力が無いから。私達は強いと信じられてるから、こうやって自由に動き回ってる。全く信用商売っていうのは楽なものだ。

 然しお前も、中々板についてるじゃあないか――私には敵わないとしても」


 左馬が軽く拳を振るったが、それは村雨の頭に向かって、真新しい兜に防がれた。

 村雨の装備は、速度を武器にする彼女にはそぐわず、中々に重厚なものだった。両脚を覆う具足は鋼、膝上と膝下で部品が分かれ、脚の動作を妨げない作りになっている。

 胴当て、胸当て、肩当。これも金属作りだが、体に触れる部分には、獣の革を宛がっている。左肩の装甲は分厚く、右肩は簡素。左腕は盾とする運用思想である。

 耳と後頭部を固く守り、更には鎖を数条も首に垂らし、首筋を保護している。顔面だけは完全に空いているが、こればかりは止むを得ないものだ。

 そして両腕――他のどの部位よりも分厚い鋼の小手が、両肘の先を手の甲まで覆っていた。

 並の少女ならば、その重量で走る事さえ侭ならぬだろうが、然し村雨は人狼。この程度の重量で、動きが鈍る事など無い。だが、慣れぬ金属を身に纏うと、鉄臭さが鼻に纏わりついて、村雨は居心地が悪くてならなかった。


「似合いますか?」


「似合う似合う、桜なんかが好きそうな格好だ。どうせだから家事もその恰好でやればいいんじゃないかな」


 冗談で聞いたつもりだった村雨だが、冗談で返されても、苦笑いしかできずに居る。


「いいや似合わない、全然似合わない! 子供は子供らしく、最近流行りの洋服でも着とりゃあいいのよぉ!」


 と――何やら喧しい声がした。村雨には少し懐かしい、東国訛りの混ざった声だった。


「ん……?」


「それをなんだお前達は、似合わない鎧なんかつけて。脱げ脱げ! ぱーっと景気づけに! ほら! ……勿論、何処まで脱いでも構やしねえぞ?」


 割り込んできたのは、七尺も有ろうかという巨体の男。どうやら村雨だけでなく、左馬にも言っているようである。

 言う本人も鎧姿だが、成程こちらは堂に入っている。腰に吊るした大刀も、武骨が故に似合いであった。


あざみか、お前は出無精組かと思ったよ」


「それは俺の言う台詞じゃあねえかい? 松風 左馬が上の命令に従うなんざ、天変地異の前触れかと思ったがよ」


「言ってくれるねぇ。……ああ、村雨。こいつの噂は聞いてるかい?」


 座ったままで巨体の男を指さし、左馬は村雨に訊ねた。


「……はい、多分。私が思ってる通りの人なら」


 村雨も、同僚の有名所であれば、何人かは知っている。例えばこの、輪にした鎖を首から下げたおかしな男――〝首飾り〟の薊も、その一人だった。


「知っててくれるとは嬉しいねぇ。井上 薊だ、宜しく!」


「そりゃあ、まあ……あれだけ有名だったら、名前くらいは」


「かか、有名人は辛いぜぇ。そんな目立つつもりは無かったんだがなぁ」


「嘘ばっかり。獅子奮迅の働きだったらしいじゃないか、あの時は」


 山賊やら盗賊やらの捕り物に駆り出され、大立ち回りを幾度も演じた、恐らくは『錆釘』でも三本の指に入る腕利き。それがこの、薊という男の評価である。

 気まぐれな性質であり、雇い主が気に食わなければ、仕事途中でも立ち去るという悪癖持ち。その為、腕の評価はさておき、あまり信用を置かれては居ないのだが――


「本当にどうしたんだい、お前なら戦場は選べるだろう」


「ここが一番、金が多く貰えると踏んだのよ。手柄を上げりゃあその先で、もっと儲かる仕事にありつけるかも知れないしな」


「守銭奴に転職したのかい? ……しかし相変わらず、無駄にでかい」


 村雨と左馬は、道端に設けられた椅子――参拝者を休憩させる為の、木の長椅子に座っている。一方で薊は地面に胡坐だが、それぞれの顔の高さは殆ど変らない。


「金は大事だろぉ? いーやまあ、俺はもう十分に持ってんだがよ」


「お金ねー……。私の知り合いにも、あなたみたいな人が一人いるよ」


「葛桐って奴か? あいつも腕が立ちそうだが、なあに、一緒にしてもらっちゃあ困るってもんよ! ……で、お前誰だ」


「あ、ごめん。私は村雨、一応は同僚だから宜しく」


 握手を求めた伸ばした村雨の手は、薊の手にすっぽりと包まれてしまう。体格も確かに大きいが、それ以上に手の大きい事と来たら、川辺のふきの葉の如しである。


「凄い手だね……」


「自慢の商売道具よ。こうでもねえと、こんな得物は振り回せねぇ。三つ胴、五つ胴はお手の物、最っ高の一振りだぜぇ?」


 吊るした太刀は、もはや鉈か大包丁と呼ぶ方が正しいだろう分厚さ。これを薊の巨体が振るえば、確かに人の胴体など、薄紙の如く切り裂いてしまうだろう。

 人殺しの道具を誇るのは、平時ならば褒められた事でも無いのだろうが――ここは開戦前の最前線。寧ろ健全な鼓舞であった。


「然しなぁ、夜まで退屈で仕方が無い。場合が許せば俺一人で突っ込むんだが……これじゃあなあ」


 薊は足元の小石を拾い、登山道目掛けて投げつける。矢のような速度で飛んで行った石は、見えない壁に阻まれ、跳ね返らずに落ちた。


「ほう? 踏み込めないとは聞かされていたが、こうなるのか」


「試しちゃみたんだがなぁ、何度も何度も。ただの一歩も踏み込めねぇ、そもそも踏み込む場所がねえ感覚だよ。世の中分からねぇ事だらけだが、分からねぇにも程があらぁな。

 ああくそ、先駆けの功が欲しいんだがなぁ。並んで飛び込むんじゃ褒賞も増えやしねぇよ」


 比叡の山に隠された〝別夜月壁よるわかつつきのかべ〟――その防御はやはり堅牢無比。気が急く薊も、一歩たりと先へ進む事が出来ない。


「金、金、お前らしくもないな。使わない金が有り余ってるだろう?」


 薊と旧知の仲の左馬は、彼の言動に違和を感じ、座ったまま首を傾げた。その答えとして、薊は巨体をぐにゃりと曲げ――巨大な手で顔を覆った。


「……おい、薊?」


「それがなぁ、俺もなぁ、ちょっと金が必要になる用事が出来てなぁ……うほぉう」


 まるで純粋な乙女がそうするかの様に、地面に寝ころび転げまわり――薊はその巨体を限界まで縮め、羞恥に悶えている。端的に言えば、気味が悪い絵面である。


「呆れた。金喰い虫の女でも出来たかい?」


「まだだ、まだなんだが……ちょっとな、金の掛かりそうな女なのは確かで……」


「まだって、まだ告白もしてないって事?」


 恥じらいたっぷりに、薊は村雨の問いに頷いた。七尺超えの大の男がするには、奇妙としか言いようの無い姿である。


「で、馴れ初めは」


「師匠、どうしてそういう話にばっかり食いつくんですか」


「良いじゃないか、面白いだろう? お前の話はちょっと、まあ……うん、あれだったが」


 他人の色恋沙汰と聞けば、首を突っ込まずにはいられないのが左馬。軽くつつけば、薊はあっけなく口を割る。


「……それが、そのう。数日前に道で擦れ違って、びびっと来て、その」


「えっ、擦れ違って。……えっ、それだけ?」


 村雨が聞き直す横で、左馬は消し炭でも喰ったような顔をしていた。


「それで良く、人となりなんて分かったよね。顔だってそんな一瞬じゃ、じっくりとは見られないだろうけど……」


「おう、良く見れなかった。だからちょっと来た道を引き返して、茶店で団子を喰ってる所を物陰から――」


「薊。お前の図体でそういう事をすると、ただの変質者にしか見えないっていうのは分かっているかい?」


「自覚しとるわい!」


 大音声と共に、薊は地面に頭突きをかました。周囲の兵士が何人か、何事かと振り返って槍を構えたが、すぐに元のように整列し直した。

 周囲の視線に気まずくなったか、薊も暫し狼狽えた顔を見せたが、気を取り直すのも早い。額を地面に打ち合わせた格好のままで言葉を続ける。


「……物陰から見てたら、その、なぁ。茶を飲む一挙動まで……綺麗で、おぅ。何か話すとっかかりでも無いかと、三日くらい同じ茶屋の影で――」


「薊、正気になるんだ。今のお前はかなり気色悪い」


 左馬の言葉も耳に入らないのか、薊の独り言めいた言葉は続く。村雨は苦笑いを浮かべながらも、全く否定するという事も出来ずに、その話を聞いていた。

 少なくとも――大の男が取るには女々しい行動に過ぎるとしても、悪人ではないらしい。気が先走って行き過ぎただけの、ただの純真な男。見ていて悪い気はしなかった。

 然し、その思考の矛盾に、村雨はすぐに気付いた。


「……手柄って、やっぱり」


「一番槍、一番首。この鎖にな、首を吊るして帰るのよ」


 ――〝首飾り〟の薊。その異名の由来は、刈り取った首を鈎針に刺し、鎖に繋げて吊るす、戦場装束にある。戦闘の佳境に入れば、二十近い敵首を吊り下げて歩く姿は、悪鬼羅刹も怯え竦むと恐れられた。

 悪人でない、きっと間違いではない。善人が人を殺して飾り、それを誇れる場所に――今から自分も身を投げ込むのだ。


「あー……ちっこいの、いや村雨。顔が白いぞ?」


「生まれつき。大陸の出だもん」


「おう。訛りが無いんで分からなかったぜ」


 冗談で返した村雨だが、自分の顔色の悪さは、小手の金属面に映っていた。


「村雨、寝ておこう。日の入りと同時に開戦だ、あと……多分、四刻は寝ていられる」


「……はい、師匠」


 布団も何も無し。木を背もたれに、椅子は石か地面。

 村雨は寝苦しさを感じない。故郷の枯れ木よりずっとずっと、背凭れは上等であった。

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