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我儘のお話(10)

 狭霧和敬――並みならぬ男である。

 身長は六尺、日の本の人間としては、かなりの長身の部類。白髪が混ざり始めた年齢だが、背筋が曲がる事も無い。

 眼光鋭く足取りに淀み無く、剣の腕は一つの道場で、師範を務められる程。幾多の書をそらんじ、それ以上に多くの人間の顔を覚え――決して、忘れる事は無い。


「然し快適だなぁ。俺の部屋もこういう具合に、薄暗くしておいても良さそうだ。そうすれば――」


 だが、この程度の才能であれば、大勢はおらずとも、然程珍しくも無い部類だろう。


「――屍の腐臭も、適度に抑えられるのだがなぁ」


 この男の最大の特異点は、無意味な殺人嗜好であった。

 兎角、人が死ぬのが好きで仕方が無い。死に方が無残であればある程に心地良く、死の副産物も同様に楽しむ。

 即ち、血の海の中で食事を取り、腐臭に塗れて書物と親しみ、肉片の隣で眠る――そのような生活が、自分の楽しみだと自覚している。だから、余人が趣味に耽るが如く、日常生活の隣に、誰かの死を置きたがるのだ。


「いや、何より寝床の位置が良い。どれ程に血を広げても、布団に些かの汚れも着かぬ。貴殿の万年床は、退屈な上長どものようですなぁ」


「積極的に汚れはる、兵部様が変わりもんなんどす。……ご用件を、お早く」


 堀川卿は、袖で口元を抑え、首はそっぽを向けながら、話の続きを促した。こうしなければ狭霧兵部は、長々と戯れを続けかねないからだ。


「いやいや堀川卿、気が急くのは江戸者の悪い癖と、貴女は常々おっしゃるではないか。俺も江戸者ゆえ、西国の風流に倣おうと思いましてなぁ。

 それに気付いたのですよ、苦しみも緩やかに長く長く。俺のやり方は苛烈に過ぎて、女子供では一日も持ちませんからなぁ……」


 床に広がる五丈の金髪。血の汚れが落ちないそれを一束掬い上げ、兵部は鼻を近づけた。


「流石は堀川卿、俺以上の拷問の名手だ。この髪に抉られて白状せぬ罪人など、千に一人もおりますまいな。

 尤も、知らぬ事は吐けぬもの。どこまで甚振ろうとも、進展無き事も多々有りましょうが、そこはそれ、娯楽の一つと割り切りましょうて」


「戯れの度合いが分からん人は、関を問わずやすけない人どす。御用は?」


「おう、言葉に棘が有りますぞ。仕事疲れの賜物と、好意的な解釈をしておこうとは思いますが――俺も人の子だと忘れなさるな。

 ついうっかりの過ちで、人死にが数件ばかり増えましょうと、気にならぬなら別ですがな」


「……えずくろしいわぁ、あんた」


 傍から見ていれば、恐ろしく険悪な会話であった。

 堀川卿は敵意を隠さず、兵部も悪意を隠さない。政府と『錆釘』は、表面上は良好な関係を続けている筈だが――こうもなりふり構わずとはと、左馬は訝りながら観客を続ける。


「最上の世辞に感謝しましょう。が、俺が来たのは世辞を頂く為ではない。そろそろ〝例の物〟が幾つか仕上がったかと思い、受取に来た次第でしてな。

 先程お伝えした通り、まずは兵員を。野戦の技能に長け、殺しを躊躇わぬ者を可能な限り借り受けたい」


「野戦……? 比叡の山はもはや砦。必要なんは城攻めの用意ではありまへんの?」


 堀川卿の疑問は、当然の事であった。

 狭霧兵部が手にせんと狙う〝別夜月壁〟――それが隠された比叡の山は、幾多の防柵と防壁に加え、堀を巡らせた城塞となっている。古来より大名達とさえ戦ってきた仏教の武力が、結集した最後の砦なのだから、堅牢さは並の城の比ではない。


「……本当に、えげつない人」


「理解が早くて何よりですぞ、堀川卿」


 それを、野戦用の編成で攻めるという事はつまり――狭霧兵部に、比叡山を落とすつもりなど無いという事なのだ。

 脱走を許さぬように、包囲は厳重に、野戦の用意は整え。だが、城壁を崩す装備の一つも無く、扱う人材も無く――これでは、攻城戦など出来る筈が無い。

 だが、どうせ〝別夜月壁〟の力で、堅牢無比の城塞だ。戦闘行為さえ月に一度、それも夜の間しか行えないのであれば、城壁を乗り越えて内部に侵入するなど、あまりにも無理がある。

 つまり狭霧兵部は、比叡山三千の良民を、悉く干し殺そうと企むのであった。


「兵の配備はとうに済んだ。日没より夜明けまでの間、俺達は山を登り、水源と兵糧の輸送路を探り、潰す。当然ながら迎撃はあるだろうが、そこはそれ、『錆釘』の腕利きをお借りできれば、町人崩れの兵士など物の数では無い。

 従って堀川卿が心配なさる兵の無駄死にも、極めて最小限に抑えられるという訳ですな。役立たず数人を切り捨てて有能な兵を生かせるならば、全く効率の良い事ですとも」


 狭霧兵部は、堀川卿の性格を十分に理解している。大の為に小を切り捨てるのは厭わないが、だのに自分の行動を何時までも省みては、他の手が有ったのではと悩む女だと。

 なればこそ、軽い戯れの言葉でさえ、十分に心に突き刺さる針になると確信して、兵部は嬲り続けたのだ。


「では答えを聞きましょう。俺の策に従って死なせても良い兵士は、果たして幾人渡してくださるのですかな? 加えて〝あれ〟は、もう運び出して良い頃合いで?」


 だが、それも飽きたらしい。急に退屈そうな表情に変わった兵部は、事務的な口調で堀川卿に訊ねる。


「……野戦なら、かき集めて三十人。それ以上は、今はどうにもなりません」


「三十? それはまた随分とけち臭い。如何なされた、心が狭いですなぁ?」


 これ見よがしに兵部は首を傾げ、疑念有りと顔を作る。対する堀川卿は、首を横に背けたままで答えた。


「山間部を主戦場とした野戦――こうも限定された状況で、捨石以上の仕事を出来る人員なんて何人もおりません。下手に連れ出して死なれても、死亡手当で兵部様の懐が痛むだけどす。

 それに、時間も不足。輸送や偵察、或いは攻城兵器の専門ならば、洛中に何人か集めとります――そういう前提の用意やもの。何処の誰が比叡攻めに、野戦専門の部隊編成を想定しはります?

 一騎当千とまではいかずとも、雑兵五十以上の働きはする精鋭を三十。千五百の兵に相当する戦力に、兵部様は不安がお有りどすか?」


 遠巻きに包囲するだけの戦で無いのならば、多かれ少なかれ、『錆釘』の側にも被害は出る。有象無象の群れを戦に出すよりは、少数の精鋭だけに戦わせたい――堀川卿は犠牲を厭う。


「幾らか人の目星は付けとります。が――野戦と言うなら何人かは削って……お貸しできるのは、これだけどす」


 ついと突きだしたのは、人名がつらつらと書かれた一枚の紙。並んだ名前は五十程も有るが、その内の幾つかに、堀川卿は筆で、


「そうか、そうか。それは確かに困りものですな、人手が不足しているのでは。ですが堀川卿、俺から言わせて貰うならば――」


 対極的に、犠牲を望むのが狭霧兵部であった。


「――俺に嘘を吐くな、娼婦崩れの化け狐めが」


 堀川卿の顎を掴み、顔を自分の方に向けさせ、額に額を打ち付ける。威嚇する様な表情こそしないが、狭霧兵部の目は、血の気が通わぬ人形の様に鈍く光っていた。


「洛中の人の出入りを、俺が調べていないとでも思ったか。『錆釘』の腕利き共の顔を、俺が覚えていないとでも思ったか?

 この名簿には、俺が見た顔の内、かなりの数が抜けている。〝首飾り〟の薊、〝十連鎌〟の離堂丸、破鋼道場の片谷木までも、ものの見事に抜けている。何れもここ数日で、洛中で確かに見掛けた顔だがなぁ……?」


「薊は敵前逃亡の前科持ち、離堂丸は身内まで殺しかねへん。片谷木の偏屈は、隊列を組ますには致命しょ――」


「そのような事はどうでも良い。戦場に混乱を齎すなど、俺の想定の内ではないか。

 ああ、確かにお前の案で十分だろうとも。町人崩れに槍を持たせた所で、お前が集めた兵に俺の手勢が有れば、それは豆腐を拳で崩すが如き惨状を生むだろうとも。

 だが舐めるなよ? 賊徒共の指揮を執るのは、誰あろうこの俺の娘なのだ。ならば最大最悪の地獄を以て、門出を祝ってやらねばならんだろうが!」


 もはや反論を許さぬと、顎を掴む手が首に移る。指が喉へ食い込むその刹那――節くれだった手は、岩のように固い、左馬の拳に弾かれた。


「止めておくんだ、見苦しい。貴方はもっと冷徹な方と聞いていたが」


「冷徹かもしれんが、それ以上に俺は趣味に生きていてな……〝九龍〟の松風 左馬か」


「お見知り頂き真に光栄。これも一応は私の雇い主だ、手荒な真似は止めてくれたまえ」


 意識的にか無意識にか――兵部と左馬は向かい合った後、ほぼ同時に一歩ずつ後退した。開いた空間の広さは、互いが手を伸ばしても届かない程度。左馬には遠いが、大鋸を得物とする兵部には近すぎる――互いに手出しの出来ぬ距離である。


「あまり無体を働くのであれば、貴方と堀川卿の問題は、私には関係無い。自分の上司に暴行する輩を、叩き潰すのもやぶさかではないんだが」


「いつぞや擦れ違った時も思ったが、なんとも自負心に満ちた顔だなあ松風 左馬。俺に勝てると信じているように見えるぞ」


「勿論、私が負ける筈は無いだろう? ところで、貴方は目的一つの為に、別な目的を忘れる癖が有るようだけど……〝あれ〟ってなんなんだい? 荷物か何か?」


「……おお」


 言われてようやく思い出したか、兵部は手と手をぽんと打ち合わせた。


「そうだそうだ、それも用件の一つだった。いや何、既に運び出す用意は整えているがな、一応ばかり確認もしておきたかったのですよ。堀川卿、今回は何台仕上がってますかな?」


「十二。仕上げてから常温で二日、頃合いかと思いますえ……兵部様にはと、限定して」


「重畳、では頂いて行きましょう。裏口にもう、俺の部下が回っております。何時ものように上り込み、何時ものように引き取ります。異論は――」


 ――予兆は無かった。物音がした訳でも無かったが、兵部の視線は部屋の隅、小さな扉に縫いつけられた。言葉を途中で断ち切り、暫しは其処を見続けて――


「兵部様?」


「――何でもない。それでは堀川卿、約束の手勢〝四十〟は、日が昇る前までに、本陣に集結させるように。出来ぬとはおっしゃいますまいな、まさか?」


 結局、狭霧兵部は、堀川卿の提案に付け加えて要求し、鉄の大扉から去って行く。真っ直ぐ伸びた背は、己の言動に些かの呵責も覚えぬと見えて――左馬は、兵部の足音が消えるまで、拳を解かずに構えていた。






 小さな扉の向こう、やや黴臭い倉庫の中で、村雨は身を縮めていた。

 堀川卿の部屋以上に暗い所だが、僅かな光さえ差し込んでいれば、村雨の目で十分に見とおせる。確かに此処には、数々の武具が保管されていた。

 作られて、そのまま倉庫に仕舞い込まれたのだろう。時々誰かが掃除しているのか、埃は被っていない。大きさは様々だが、一番小さなもので、どうにか村雨の体に合うかという所だった。

 静かな部屋だ。扉一枚挟んでも、向こうの会話は良く聞こえる。

 だから――狭霧兵部が楽しんでいるだろう事も、村雨には十分に理解できた。理解できたが故に、この人間を理解できなかった。

 人の好みは様々だ。それが分からぬ程、綺麗な世界ばかり見て生きていない。財貨の為に他者を欺き、私欲の為に他者を傷つける。己の意を通す為ならば、誰かの命を奪う事さえ、躊躇わない者とて居るのだ。

 だが――それら全ての無道は、何らかの目的が有った。どれ程くだらないものだとて、目的は目的だ。狭霧兵部和敬は、無道こそが目的であるが為、村雨の理解から遠く外れて――だのに、共感できてしまった。

 無条件の殺傷欲求を、耐えるか楽しむかの差異はあれど、村雨は狭霧兵部を自分の同類だと認識していた。育ちや環境に由来せず、生まれ持った本性から殺しを楽しむ凶、或いは狂。

 では、何故にあの男は。自分とは違う、純粋な人間である筈の狭霧兵部は、そう生まれついてしまったのか?

 理解が及ばないモノは、即ち恐怖の対象となる。村雨は初めて、亜人が日の本で忌み嫌われた理由を、肺腑に沁みつく程に理解した。この男とだけは、決して道を同じくする事は無いだろうと、強く確信していた。

 扉の向こうでは、狭霧兵部が用件を終えて、立ち去る前口上を告げている。最後の最後まで悪辣な物言いで去ろうとする兵部へ、村雨は最大限の敵意を向け――同等以上の怖気が、跳ね返って戻って来た。

 声も、明確な行動も無く、そもそも姿を見られてさえいない。だのに村雨が抱いたのは――心臓を掴まれたかの如き恐怖と、些かの昂揚だった。

 扉の向こうに居る男の、冷たい感情が零れてくるようだ。薄い扉を透過して、欲に満ちた視線を肌に感じる。

 狭霧兵部は間違いなく、周囲の誰をも殺したいのだろう。だが、その中で得に誰をと問うならば――それは自分だと、村雨は何故か、根拠も無しに確信した。

 何故ならば、自分も同様だからだ。

 強い者程殺したい、それが人狼の本性だ。単純な戦闘力という基準で見れば、恐らく兵部より、僅かに左馬の方が腕が立つ。にも関わらず村雨の本能は、狭霧兵部を殺せと喚く。

 殺意の理由は――分からない、分かる気がしない。今はそれで良いから、兎角駆け出したがる脚を抑えるのに、村雨は全力を尽くしていた。


「出ておいで、もう帰ったよ」


 臭いが十分に遠ざかって暫く。左馬の声に従って、村雨は扉を開ける。

 擦れ違うように、左馬が扉を潜る。取り残された堀川卿の顔は、ますます憔悴しきって影が差していた。


「……大丈夫ですか?」


「全然。けど、こんなんいつもの事やもん。しゃあないしゃあない、そやろ?」


 言葉とは裏腹に、とても平気そうな顔には見えない。思わず足を踏み出した村雨だが、堀川卿の手に制止された。


「村雨ちゃん、あれが兵部卿や。皇都の兵権を司るお偉いさんで……聞いての通り、酷い人」


「酷い、で済ませて良いんですか……?」


「ま、ウチも同じくらいには酷いからなぁ。何処でも上司なんちゅうもんは、部下を食い潰して生きると相場が決まっとるんやから。

 喜んでやるか、面倒がるか、その程度の違いしかあらへんもの……せやろ?」


「……いいえ」


 村雨は黙って首を横に振った。


「喜んでないから、違うんじゃないですか。だからそんな……何日も寝てないような、酷い顔になってるんでしょ?」


 堀川卿は自分と同一の人種では無く――ならば、狭霧兵部とも違う種別の生き物だ。正しい有り方から外れているが為、堀川卿は苦しんでいるのだろうと、村雨は感じている。

 制止する手を横へ押しのけ、堀川卿の肩を抱く。細く弱い体は、震えもなくしゃんと立っているが、軽く触れただけでよろめく程力が無い。

 これが正常だ――村雨は安堵した。人の死を忌み嫌う事は、決して間違いではないと信じて良いのだ、と。胸一杯の安堵を込めて、堀川卿を抱きしめた。


「……なんや、随分大人びたなぁ、村雨ちゃん。ちょっと会ってなかっただけなのに……」


「三日合わざれば括目すべきは、男だけじゃないんですよ」


 誰も、戦わないものなど居ない。

 戦場に出る者も出ない者も、皆、己の戦を為している。末端の兵が戦場で槍を向けあう間、堀川卿のような生き物が、筆と舌で戦っている。

 ならば――もはや蚊帳の外ではいられまい。村雨の腹は決まった。


「おい、村雨、こっちおいで。この辺りなんか良いだろう、ちょっと腕を通してみよう」


「はい、師匠!」


 がらんがらんと倉庫の中身を引っ掻き回しながら、左馬が村雨の名を呼ぶ。張れるだけの声を張って、村雨は師の元へ馳せた。

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