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我儘のお話(9)

「然し、私達はどういう人間に見えるんだろうね」


 二条の城を横目に通り過ぎ、三条の通りへ向かいながら、左馬が突然に呟いた。


「どういう?」


「ああ。つり合いの取れない組み合わせだろうに。絶世の美人が一人、外国の小娘が一人に、線香臭い娘が一人……少なくとも家族には見えないだろう?」


「師匠、朝から飛ばしますね」

 村雨の問いに、左馬は自分の顔を指さした。彼女の自意識過剰ぶりは、もう慣れてしまったのか、村雨は冷めた目である。


「家族……そうですね、家族です。あ――いや、もしかしたら恋人とかも」


「みつ。お前は一度、生物としての正道に立ち返る事を考えたまえ……やれやれ、私の美貌は同性愛者まで引き寄せるんだね」


「えっ? 違いますよ左馬さん。貴女じゃなく――いひゃいいひゃい、ひっひゃららいれ」


 外出に浮かれたみつの頬を、左馬が軽く掴んでいる。村雨に同じ事をするときよりは、幾分か加減をしているのが、頬の変色具合で分かった。


「師匠の場合、その喋り方をやめるだけで、そういう人が遠ざかるんじゃないですか? だって、その、ちょっと男っぽいですし」


「ところがあの桜と来たら、色気のある女が一番の好みらしく――いや、宗旨替えしたのかも知れないな。だとすると確かに、身の危険を感じないでもないけど」


「……あ、それって酷くないですか」


 友人に恵まれない左馬は、村雨の顔――に加えて、胸や腰回りなど――をじろじろと眺め、心底悩むような顔を見せた。言葉の意図が掴めてしまい、村雨は唇を尖らせる。


「酷いものか、酷いのは私の方だ。どうせ連れ歩くんなら、美男子を三人ばかり連れていたかったよ。

 ……いや、一人くらいは渋いのを入れてもいいかな。おまけで三枚目も一人ばかり――」


「何の話ですか」


「侍らす男の話。しかしお前、茶々を入れるのが上手いな」


 東海道からの旅路の中で、連れの言動に釘を刺すのも、すっかり慣れた村雨である。左馬の捻くれた称賛に、どうもと一言だけ返した。


「ほんとにもー……もう少し健全な話は出来ないもんですかね? 昼間っから恋がどうの侍らせるがどうのって……」


 横を歩く人間が変わっても、話題の程度が変わらない事を、村雨は嘆く。

 いや、一人一人の度合いは軽くなった代わりに、二人に等しく突っ込みを入れなければならないのは、むしろ平常心を保つ難易度が上がったと言えるだろう。辟易に溜息をつくと、ここ三日の疲労が、肩にずっしりと食い込んだ。


「恋路のどこが不健全だ、おぼこ娘のような事を。お前だって十四、男の一人や二人は知ってるだろう?」


 が――左馬の大雑把な感情は、村雨の疲労を考慮しなかった。


「……はい?」


「だから、十四にもなれば、男に抱かれた経験の一度や二度は有るだろう? 恋愛沙汰にならないにせよ、そんなものは酒のつまみのようなものじゃないか。お前が言う程に大層な話題でもなし、今更恥じらう何が有るんだい?

 そうだ、ちょうどいい機会だし、詳しく語って聞かせてくれ。」


 ――世の中には、自分以外の視点を、まるで持てない人種がいる。松風 左馬が、そうである。


「な……べっ、別に良いじゃないですか!」


 村雨の声は、後半から見事に裏返っていた。師匠の横暴には慣れてきた所であったが、攻め手の種類が変わりすぎたのだ。

 これで相手が桜だったのなら、迷わず顎を蹴りあげていただろう。そうしないのは、まず確実に反撃を受けるとわかっていたからだった。


「どうせ退屈な道中だし、一から十まで話すんだ。さあ早く早く、このままじゃ目的地に着いてしまうよ」


「着くならそれでいいじゃないですかもうー……!」


「私を飽きさせる気かい? こういう話の機会は少ないし、それに――」


 左馬と目を合わせないように、首を横へ向けて歩く村雨。だが、左馬は、わざわざその視界に入るように動き、ちょいちょいと指を招くように動かす。

 促されるように首を上げた村雨が見たのは、


「――ほら、みつが生き生きしてる」


「……私、すっごく聞きたいです!」


 両の目をらんらんと、それこそ猫のように輝かせたみつの姿であった。

 もはや村雨に、あれこれと言い返す気力は残っていなかった。両手と首をだらりとうなだれ、死人の如き足取りで歩きながら、左右からは艶事話を促される。あまりと言えばあまりに、滅多に無い状況だった。


「ほらほら、仔細一切事細かに。なれ初めは? どんな男だった? いやまずは何時頃の事だったかと――」


 味方が居ないと知って、村雨の抵抗が薄れたのを見て取ったか、左馬はますます増長する。普段の気取った口調へ、幾分かの軽薄さを上乗せし、口を閉ざす村雨を煽りたてた。


「で、まず最初は? 日の本に来てからか、それとも来る前かい?」


「………………」


 沈黙を保ったまま、村雨は左右に首を振る。その頑なさに、ようやく左馬は、自分の常識との乖離に気付いた。


「……ん? もしかして、まだだったり?」


 今度もやはり無言のまま、村雨は張子の虎のように小刻みに頷く。


「なんだ。お前、まだ処女か」


 再び、左右の首振り。左馬が怪訝な顔をする。


「ん? ……あれ、おかしいな。どういう事だい?」


 しばし腕組みをしたままで、左馬は必死に知恵を回す。ほどなくして、左馬自身の常識には無い答えに辿り着き、あまり心地良くない顔をした。


「……まさかとは思うが、女相手だとか」


 今一度、応の意味で頷く村雨。沈黙が続き、足音ばかりは途絶えない。左馬は、普段の傍若無人を忘れ、恐る恐るという風に聞いた。


「……まさかのまさかで、桜だったりする?」


 応も否も無かったが、無反応が――加えて、熱病のように赤く染まった顔が、十分な答えを為していた。


「う、うん。……いいんじゃないかな! 人それぞれで!」


「師匠、聞いといて引くの止めてくれます!?」


 左馬は僅かに一足で、二間ばかりも後退していたのであった。







 『錆釘』の事務所は、相変わらず雑然としていた。

 以前に顔を出した時より、心なしか広くなったように、村雨には感じられたが――それは、人員の減少に伴い、空間に空きが出来たからだった。

 改めて、何人も死んだのだと思い知らされる。昼の明るさに紛れていても、この街は未だに戦場なのだ。


「や、諸君。堀川卿は起きてらっしゃる?」


「あ……あんた、珍しいな。何の気まぐれだ?」


 書類仕事をしていた男が、左馬の呼びかけに顔を上げる。僅かに瞼を持ち上げ、また直ぐに、視線を書類に戻してしまった。


「あの人は奥の部屋だ、起きてるんだか寝てるんだかは知らん。が……あんたが行けば、流石に起きるだろうよ」


「と、言うと?」


「酷くお疲れだ、俺が行っても扉が開かん……というより、開けてもらえん。通れるのは配膳係くらいのもんで、出てくるのは厠と風呂と着替えの時だけ。天岩戸を決め込んでるよ」


 事務方の男は、後方の通路を親指で指し示す。曲がりくねった通路の奥には、分厚い鉄扉が有る筈だ。

 日の本の『錆釘』、その全てを統括する堀川卿。大層な肩書の割に、生活態度は相変わらずであるらしい。


「ありがとう、ちょっとアメノウズメになって来よう……村雨、行くよ」


「踊るんなら呼んでくれ、見に行くからよ」


 はいはい、と左馬は適当に答え、村雨の名前――だけを呼んだ。


「……あれ? 私は?」


「部外者はそこでお留守番、良いね?」


「はーい……」


 不承不承といった風情のみつを置き去りに、堀川卿の部屋へ向かう二人。

 通路を進めば進む程、照明が弱くなっていく。風を取り込んでいない為か、室温は寧ろ暖かいのだが――


「……村雨」


「はい。血の臭いです」


「やっぱりかい?」


 ――寒気がする鉄臭さ。人外の嗅覚ならずとも、左馬でさえが嗅ぎ付ける程に色濃い。

 市街地にそびえ立つ建築物の、一つしかない扉の向こうの部屋――よもや侵入者の狼藉などと、あろう筈も無いのだが。


「破ろうか、扉」


 左馬は拳を作り、大きく背に回して構えた。動かない物体を破壊する為の、威力の追及に全てを捧げた型だった。


「いいえ、大丈夫だと思います……動いてますし」


 然し、村雨はそれを制止する。

 扉の向こうから聞こえる物音――室内を歩き回る足音やら、独り言を呟く声やら。その声音が堀川卿のものだと聞き取れた為、村雨は左馬に従わなかった。

 大扉を四度、内側に聞こえるように叩く。足音が止み、しばしは無音が続いた。


「……お入り」


「失礼します」


 軽く押せば、施錠されていない扉は、見た目以上に軽く開いた。

 一般構成員のあつまる部屋は、窓が外の光を取り込んでいる。通路まではまだ、その光が残っていたが、堀川卿の執務室までは届かない。蝋燭が三本ばかり、それが照明の全てで――爛と光る、金色の目。


「……堀川卿?」


 暗室の中に浮かぶ目が二つ――合わせて血の臭いも、音も無く扉に近づいて来る。左馬が身構えなかったので、村雨も棒立ちのまま出迎えると、


「やーん、村雨ちゃんやー! 生きとったー!」


「うわぶっ……!?」


 両手に加え、五丈の頭髪を二束も使い、堀川卿は村雨に抱きついてきた。

 上等な着物もそうだが、それ以上に堀川卿の頭髪は柔らかく、肌触りが良い。このまま居眠りをしてしまいたくもなるが――金糸にこびり付く赤黒さと、鉄の臭いがそれを妨げた。


「もうなぁー、桜さんが斬られただとか死んだだとか、噂ばっかり聞こえるんやもん……何処行ってたん? 怪我とかしてへん?」


「あ、あの……あなたこそ、大丈夫ですか?」


 紅も差さない顔で頬ずりしてくる堀川卿の、言動はさておき目が尋常でない。村雨は逃げこそしなかったが、ただならぬものを感じ、重心だけは後ろ足に乗せた。


「大丈夫よー、ちょい寝てへんだけ。それより村雨ちゃん、お茶でもしてく? 舶来物の上等なのが――」


「うちの弟子を歓迎してくれるのは良いが」


 堀川卿のやたら明るい声を断ち切り、左馬はずかずかと部屋に上り込んだ。足取りに迷いなく、部屋の奥へ進んだ左馬は――


「……仕事疲れが酷いようだが、何か有ったのかい?」


 ――血に濡れた、布の切れ端を拾い上げた。


「僧服の切れ端だ。〝元の〟色を見るに、端も端の坊主のものらしいが……もう血の臭いもしない。何日も前のものだね」


「あらん、左馬さんまでウチらのお仲間入り? 大したお鼻どすなぁ」


「半獣と一緒にするな、女狐」


 何時から見抜いていたものか――左馬は堀川卿へも、村雨へ時折向けるものと同じ目をする。人によっては、背筋を凍てつかせんばかりの視線の強さだったが、堀川卿はそれに怯えもしない。

 そも、怯えるという感情さえ置き忘れてきたかのように、堀川卿の目は空虚だった。ぽっかりと開いた目の奥、金色の瞳は、村雨を映している筈なのに、焦点が何処かへ飛んでしまっていた。


「……何か、有ったんですか?」


「ええのええの、村雨ちゃんは気にせえへんで。それより左馬さん、何か御用? あんさんが出て来はるなんて珍しいどすなぁ?」


 漸く解放されても、村雨は動けない。一方で堀川卿は、飛び跳ねるように部屋の奥へ戻ると、重ねられた畳の上、万年床に飛び乗った。


「顔を見せない悪い子が、時々帰ってくるんやったら……そら、お金の無心と相場が決まってます。違う?」


「当たりだ。私とこの馬鹿弟子に、新品の装備を頼みたい」


「装備……構へんよ。既製品でええなら、今日直ぐにでも持って帰れます。種類は?」


 左馬の要求――ここまでは堀川卿も、どこか壊れたままの目を保って答える。


「胴に小手、脚絆、兜。直撃だけ防げればいいが――朔までに揃えてくれ」


「……朔?」


 然し、左馬の言葉を聞けば、目の光に理知が戻った。


「三日後どすえ?」


「知っているよ、だから既製品でいい。が、戦場でいきなり壊れるのは勘弁してほしいな」


「最大限の事はします。が――」


「金額の事ならば、十倍の仕事で返してあげよう。問題はあるかい?」


 自負心に満ちた左馬とは裏腹に、堀川卿の表情は硬い。

 朔の夜に何が有るか――彼女は良く知っている。比叡の山に立てこもる〝謀反人達〟が張り巡らせた防壁、〝別夜月壁よるわかつつきのかべ〟が力を失い、侵攻が可能となるのだ。

 政府軍の包囲が完了してから、未だに朔は来ていない。即ち、三日後の夜が初めての、本格的な正面戦闘となる。

 どれ程の規模の戦闘になるかは、未だに誰も予想出来ていないが――五十年の太平に守られた日の本では、それも無理のない事だ。ほぼ誰もが経験した事の無い戦場へ、左馬は村雨を投じようとしているのだ。


「……村雨ちゃんの右手側、壁まで進むと、扉があります。その奥から好きなだけ、丈の合うもんを持ってお行き。殆どは未使用品やし、一度や二度では壊れへんやろ」


「ありがたいね、頂こう。村雨、おいで」


 暗い室内だが、目を凝らせば、確かにそこにも小さな扉が有った。部屋の間取りから考えて、然程の広さは無いだろう。『錆釘』の備品というより、堀川卿の私物だろうか――村雨はそう思いつつ、小さな扉のドアノブに手を掛け、


「……!? ……堀川卿、お客さんですか?」


「ん……? あらら、気の早いお人どすなぁ……まだ何も分かっとらへんいうに、もう。早う隠れて隠れて、あんまり好ましくないお客様やさかいな」


 まず、村雨が。ついで堀川卿が、不作法な来客の臭いを嗅ぎ付けた。

 臭いの主は、この空間が我が城であるとでも言わんばかり、ずかずかと上り込んでくる。それが誰なのか――村雨はすぐに理解してしまい、小さな扉の向こうへ潜り込んだ。


「左馬さん、あんさんはこっちこっち。お偉いさんどす、ご挨拶しぃ」


「やれ、面倒な事を。面倒に見合うだけの報酬は得られるのかい?」


「財貨が望みならくれてやるぞ、賊徒どもの首と引き換えに」


 村雨が身を隠し、堀川卿が布団の上から床に下りて直ぐ。鉄扉を蹴り開けて、白髪混じりの男が踏み込んだ。

 左馬は、その男の顔こそ見た事が無かったが――腰につるした大鋸の、血錆が饒舌に名を名乗る。


「どないしはりました、兵部様? こんな所にわざわざお出向きで」


「何、また兵を借りたいと思ったのと――罪人の拿捕に協力願いたい。堀川卿の為には常々、何となく力を尽くしていますのでな」


 狭霧兵部和敬――皇都の兵権を預かる男は、血臭漂う部屋に鼻を引くつかせ、心地よさそうに目を細めた。

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