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我儘のお話(7)

 出遅れたのは、会話の一つか二つ分。小屋の灯りが消えてしまう前に、村雨はみつに追い付いた。

 夜目の利かない人間が、一人で夜の山を歩くなどもってのほかだ。そう説き伏せ、下山する為の道のりを、村雨はみつに同行した。


「……ごめんね」


「いいんです。いいえ、こんな事までしてくれて、ありがとうございます……やっぱり」


「え?」


 途中まで言いかけた言葉を、みつは一度飲み込んでしまってから、


「やっぱり、一人は怖いですし……あはは、言っちゃった」


 こぼれた言葉をごまかすように、夜に似合わぬ明るい笑顔を見せた。


「……これから、どうするの?」


「どうしましょう? ……あ、えーと……まず、どこかのお寺を探します!」


「洛中で焼け残ったお寺、多分、もうどこにも無いよ」


 酷だが、事実である。僧侶が京より逃げ出そうと、兵部の手勢は容赦なく、無人の寺まで焼き払っているのだ。


「じゃあ、堺でもどこでも行きます! これ以上、村雨さんに迷惑は掛けられませんから――」


 がさり、と近くの草むらが揺れた。


「――ひっ!? あ、なんだ……」


 急に大声を出したみつに驚いて、狐が飛び出してきただけの事。村雨は驚きもせずにいて――なおさら、みつの行く先が不安になった。

 村雨は、みつに思い入れが有る訳でもない。偶然に出会ってしまっただけの、素性さえ良くは知らぬ相手だ。だが――知ってしまったものは仕方が無い。

 何も知らなければ、みつがどのような目に遭おうと、心は僅かに痛んだだけだろう。そうではない。村雨は一度、彼女を助けようとしたし、同じように捕えられもした。

 同情、連帯意識、そんな表現も出来るかも知れない。だが、最も適切なのは――見過ごす自分が、嫌だったのだ。


「ねえ、みつ。もし、もしもさ……料理を覚えるなら、何からにする?」


「えっ? えーと、えーと……うーん……なんにしましょう……?」


 唐突な質問にも、みつは真剣に答えを探す。頭を抱えて一通りは唸って、それから、結論を出せないままで村雨の顔を見た。


「逆に、村雨さんは、好きな食べ物ってあります?」


「お肉」


「じゃあ、おいしいお肉の焼き方からにします! 前に牛鍋屋さんで、おいしいお肉を食べました!」


 単純な答えだった。村雨は思わず笑ってしまい――みつの手を握って、足を止めた。


「……村雨さん、どうしました?」


「んー。おいしい料理、食べたくなったの」





 戸口で物音がする。松風 左馬は目を覚ました。


「……村雨かい? ちゃんと捨ててきたんだろうね、あれ」


 そうでない事は分かっていた。足音は二つ有ったし、呼吸音も二つ。別な誰かを拾ってきたのでない限り、村雨は左馬の言いつけを守らなかった。

 村雨は返事をせず、靴だけは脱いで小屋へ上がり――左馬の枕元に立つ。


「……何のつもりかな?」


 言葉は返らない。尋常ならぬ気配を察した左馬が起き上がるより先、村雨は小さく跳躍し、彼女の胴の上に跨った。


「ぅ、おっ……!?」


「っしゃああぁっ!!」


 怒気を存分に込めて、村雨が拳を振り落す。狙いは過たず左馬の顔、腕に防がれたが、鼻の骨程度なら折れそうな勢いだった。

 それでは諦めず、二発、三発、四発――繰り返すうちに、幾つかは頬を掠め、額を打ち据える。

 いかに技量がかけ離れていようと、この体勢は、圧倒的に上の側が有利なのだ。たとえ徒手格闘の達人たる左馬であろうと、村雨の拳打の全て、受け止められる筈が無い。


「ちっ……こら、何のつもりだ!」


「煩いっ!」


 会話に乗らず、村雨は続けて拳を繰り出す。その光彩は次第に青みを帯び、口元には笑みが浮かび始めた。

 腹を圧迫されているだけでも、体力は消耗する。左馬は深呼吸をしようと、一瞬ばかり口を大きく開き、


「い――ぃいやあぁっ!」


 見過ごさず、村雨は一度背を逸らし、最大の加速をつけて拳を振るおうとする。

 然し――それこそが左馬の罠であった。元よりこの程度の運動で、左馬が呼吸を乱す筈が無かったのだ。


「――がっ、ぁ……!? ぁ、ああ」


「強い、が、荒い。ついでに甘い」


 左馬の爪先が、村雨の後頭部を捉える。一撃で意識は刈り取れずとも、村雨の体はぐらりと傾き――左馬は苦も無く、体勢の上下を入れ替える。

 村雨の両足で胴を挟まれたままだが、あっけなく脚を外して跨り返し、顎に右手を添え、


「私に不意打ちを仕掛けたいなら、もっと精進する事だね。……『破ッ』!」


 一声、左の拳で打ち抜く。駄目押しで脳を揺らされ、村雨は今日二度目の気絶を経験した。


「……ん、少しはましになったか。全く、私の美しい顔を……」


 みみずばれの出来た頬を抑え、左馬はぐちぐちと呟いた。





 ここ暫く、まともな目の覚まし方をしていない気がすると、村雨はうんざりしながら起き上った。

 確か、殴られる前は夜だった。今は、戸の隙間から朝日が差し込んでいるし、外には鳥の鳴き声も聞こえる。

 痛む顎を抑えようとして――体に布団が被せられていると気付いた。

 左馬の小屋に、布団は一組しかない。村雨はいつも、床に丸まって寝ていたのだが――


「起きたかい馬鹿弟子、もう朝食の時間だよ」


 小屋の真ん中には小さな丸机が置かれ、左馬が胡坐を掻いて、その前に座っていた。

 丸机には、もうもうと湯気の立つ飯櫃と、湯に通して程良くしなった野菜。菜っ葉に牛蒡、大根などだ。それに加えて芋の煮つけに、鶏肉がさっと火を通して添えられていた。


「やれやれ、小間使いの真似事はお前がするって聞いたんだけれどねぇ。師匠に働かせるだなんて、行き届かない奴だ」


「え……これ、師匠が?」


 村雨には、全てが意外に思えた。自分が布団で寝ていた事も、朝食を左馬が用意していた事も――


「あ、村雨さん、おはようございます!」


 ――みつが、左馬と共に食卓を囲んでいた事も。


「ほら、さっさと座るんだ、食事が冷める。冷たい食事を食べさせる気かい?」


「え……? ええと、はい……頂きます」


「頂きまーす!」


 しっかりと両手を合わせ一例。みつは余程腹を減らしていたのか、令嬢に似合わぬ大口を開けて食事に取りかかっている。


「このお煮つけ、美味しいですねー」


「だろう? 流石は私、料理までも完璧だ。ほら、村雨もお食べ、勿体無い」


「あのー、師匠……と、みつ?」


 和気藹々とした食卓の風景。違和感ばかりがつのり、村雨はそっと手を上げた。


「ん?」


「どうしました?」


「いやさ、あのー……私、結構覚悟を決めて殴りかかったつもりだったんですけど」


「そうだね、中々の形相だった。気合は十分、だが力量が不足しすぎていたね」


 短い言葉で受け流され、村雨に返す言葉も無い。黙々と白米を腹に落とし込み続け――


「あああああもう、なんなのよー!」


 いたたまれず、吠え、丸机に額を打ち付けた。

 それもそうだろう。勢い込んで討ち入りし、殴り倒して己の我を通そうとした結果――殴り倒され、丁寧に布団に寝かされ、目を覚ましたら美味な食事が用意されている。おまけに討ち入りの理由になった少女は、敵と仲良く食事を楽しんでいるのだから。


「はっははは、甘い甘い。桜と行動してたんだ、この程度のやり口は慣れてると思ったんだけどねぇ。

 やりづらいだろう、はねっかえりにはこういう手が利くんだ。力一辺倒で勝てると思ったらいけないよ」


「うー……」


 左馬の言う通りである。仮に左馬が、前夜の慳貪な態度を続けていれば、村雨はすぐにでも殴りかかっただろう。倒されても倒されても食らいつく――根負けさせるつもりだった村雨だが、左馬は数歩上を歩いていたのだ。


「むやみに揉め事に首をつっこみ、いらない相手を助けようとして、勝てない相手に喧嘩を売る。どれもこれも、武術の道じゃあ下の下だ。が――村雨。昨日のお前はたった一つ、正しい事をしている」


 恐ろしく美麗な箸使い。箸先を一寸も濡らさぬ左馬は、言葉を発する時は、律儀に咥内のものを飲み込んでいた。穏やかな表情に、だが油断の無い目――成程、この女は桜の友人たり得る存在なのだ。


「私が最初に言った事で、一生貫くべき真理――〝我儘を通せ〟だ。お前は唯々諾々と、私の我儘に従っていたが――そんな奴が、武に生きられる筈が無いんだよ。

 いいかい、我意を通せ。己の道を塞ぐ者は、例え誰であろうが叩き潰せ。それが友人でも情人でも、例え私であってもだ。言い換えれば、私に殴りかかる度胸の無い奴に、私は何かを教えてやる気は無いよ。

 ……だが、まあ、今朝くらいは良しとしよう。今は一先ず――」


 端を丸机に置き、左馬は座布団の上で、体の正面を村雨に向ける。


「――悪かったね、お疲れ様。無事で何よりだ、二人とも」


「し、ししょ、ぅ――う、うっ……」


 優しい言葉で労られる――本当に些細な事だ。だが、ささくれ立った村雨の心に、これほど響くものも無かった。誰かが作った暖かい食事も、久しく縁のないもので、空腹の胃に染み渡った。

 涙で視界が覆われて、食事もまともに続けられない。震える肩を、みつがそっと抱いていた。

 やがて、胸の内から突き上げるような情動が収まり、村雨が朝食を平らげた頃。左馬が食器を片づけつつ、ふと、何気ない事の様に言った。


「六日後、ちょっと戦場に出向く。村雨、お前もついておいで」


「戦場……何処ですか?」


「比叡山だ。それまでにお前に、最低限の技術を叩き込む。勝つためとは言わないよ、とりあえず生き延びられれば良い。死ななきゃ大体、どうにかなるもんだ。

 が――まずは昼食を済ませてからだな。少し寝坊しすぎだ、今から仕込みを始めないと」


 食器を台所に重ねて放置し、左馬が大きく伸びをする。食事を終えてすぐに食事とは、喰う事ばかりの生き方だと思わないでもないが――


「村雨、ひとっ走り買い出しを頼む。そろそろ米の備蓄が心許ないんだ」


「はい、師匠――」


 満腹した村雨は、涙を拭って立ち上がる。膝を曲げ伸ばしして、何時でも走り出せる様子を見せて、


「――嫌です!」


「はひ? えっ、村雨さん!?」


 近くに居たみつの腕を掴み、肩に担ぎ上げると、一足で戸口まで飛ぶ。靴を履き、扉を蹴り開けて外へ飛び出し――


「ちょっと散歩してきます、お昼もよろしく!」


「あ、おい……いや待て、待った!」


 人間一人抱えたまま、呆れる程の速度で走り去る。あまりの事に、左馬も制止を忘れ、叫ぶ以外の事は出来ずにいた。

 追おうとして小屋を飛び出せば、村雨の背中は十数間も先。溜息を吐くと、視線とは別の方向から、左を呼ぶ声がした。


「よお、別嬪さん。あのお嬢さんはどうだった?」


「悪くないね、少し気が長すぎたが。一皮は剥けた、後はどうにかなるだろうけれど」


 がしゃ、がしゃと鳴るのは、金属のぶつかり合う音。武装した人間だが、左馬が彼に、警戒心を向ける事は無い。


「然し、優しい。俺達にもちょっとは、その優しさを向けて欲しかったがね」


「お前こそ。親しくも無い半獣の雌を、良くもそこまで心配出来るもんだ――儀兵衛ぎへえ


 服の端に枯葉を引っ付けて現れたのは、〝隙風集すきかぜしゅう〟の青峰あおみね 儀兵衛ぎへえだった。


「ちょいとな、恩も有ったし、気になってた。まあ、一方的なもんだ」


「若い方が良いのかい? 酷く薄情だね、お前は」


「あんたに情を抱く程、入れ込んじゃあいねえよ」


 さも知り合いの様に話す二人だが――交友は、まだ浅い。以前の、地下妓楼焼き討ちの数日後、街で偶然に顔を合わせただけである。

 が、左馬は退屈を持て余していたし、儀兵衛も仕事の憂さが溜まっていた。共通の話題も有り、飲酒という趣味も有り――それなりに、親しい間柄となっていたのだ。

 尚、左馬の感覚でいえば、〝それなり〟というのは、行きずりの男女の仲程度を指すのだが――


「……礼を言うよ。あれが死んでたら、私が桜に殺される所だった」


「そりゃ怖え。あの女傑に狙われたくはねぇなあ……はっは、役に立てたんなら何よりだ。

 ま、礼はあの鬼殿に言ってくれ。二つ返事で走ってくれたぜ、疲れ知らずのお人だよもう」


 ――兎角、引っ付かず離れ過ぎずの距離感で、二人は消えた背の方へ眼を向けていた。

 そう何度も何度も、偶然が一人を救う筈は無い。村雨とみつが無事に生き延びたのは、実は儀兵衛の尽力が有ったからだった。

 二人が捕らわれているのを見るや、赤心隊に良い印象を持たぬ三鬼の元へ走り、彼を口説き落として走らせる。それと同時に、自分も腕利きの部下を二人ばかり引き連れ、茶屋の近くに潜んだのだ。


「しっかしなあ、あん時ゃ笑っちまったぜ。おんなじ場所に、知った顔が隠れてんだものよぉ」


「煩いね、あそこ以外にいい場所も無かったし――村雨の奴、自力で逃げ出せそうに無かったんだもの」


 似たような恰好で、似たような場所に隠れていた左馬を見て、自分は要らぬ世話を焼いたかと思った儀兵衛だったが、人手が多いに越した事は無い。恩義のある少女が無事に助かったのを、喜ばしく思うのであった。


「で、儀兵衛。もののついでに、一つばかり頼まれてはくれないかい?」


「礼次第で、中身次第だがね。俺だって職が有る、あんまり無茶は――」


 渋る儀兵衛に口付け、左馬は言葉を止めさせる。背丈の差を埋めるには、爪先で伸びあがっても、儀兵衛が背中を丸めねばならなかった。


「礼はこれと、後で続きを。駄目かい?」


「……だから、頼みごとの中身次第だっつうの」


 額に手を当て、首を振る儀兵衛。口調とは裏腹に、既に受け入れるつもりは定まっている様子である。


「お前の部隊の端っこに、私と村雨を入れてくれ。六日後だけで良い」


「六日後――朔か?」


「ああ」


 儀兵衛の眉間に、しわが増えた。


「洒落にならねえぞ、多分」


「良いんだよ。曲りなりにも桜の連れだ、その程度の修羅は潜れるだろうし――潜って貰わなきゃ困る。

 肝心なのは力でも技でも無い。心だ――思考の持ち様なんだ。分かるだろう?」


「ああ。新兵も古参も、技の程は大して変わらねえ」


 言葉少なに、儀兵衛は頷く。頷いて――左馬の膝の裏に、踵を引っ掛けて押し崩した。


「礼は先払いで貰うぞ、良いな」


「あれは鼻が利くんだ。体を洗う時間は、残しておいてもらえるかな?」


 きい、きい、と鳥が鳴く。木の枝に並んで、山には珍しい獣を見下ろしている。


「……やれ。覗きだなんて、無粋だね」


 左馬が投げた石は、一羽の翼を掠める。ぎゃあ、と一声大きく鳴いて、無粋者はいなくなった。

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