我儘のお話(4)
曇り空の切れ間から、太陽が気まぐれに顔を覗かせた昼下がり。青峰 儀兵衛は燻っていた。
短槍も刀も、ここ数週間で多数の血を啜ったが――その殆どが、無抵抗の獲物だったのだ。
「……っけえ」
石畳を蹴り飛ばしても、砂埃が上がるだけ。悪態を吐こうにも良い言葉が思いつかず、痩せ鳥の様に儀兵衛は呻いた。
全くこの世は、長く生きれば生きる程、おかしな事ばかり気付かされる。
幼少の時分には、老人が先に若者が後に、順序良く死ぬものだと思っていた。善人は報われ悪人は報いを受け、それが世の有り方だと思っていた。
今も、そう在るべきだとは思っている。然しながら、実際にそうなっているとは思えない――自分自身が反証なのだから。
暫く前ならば日没は、酒を煽る許可と同義で、好ましく待ち遠しいものだった。それが今では、血塗れの仕事を始める合図で――全く以て気の晴れぬ事であった。
夕暮れまで、部下達には休憩を取らせている。儀兵衛自身はあても無く、ただ京の街を散策していた。何かを楽しもうとする余裕は無かったのだ。
「……ちっ、赤犬共が居やがった」
小腹が空いたので、腹に何かを押し込むべく立ち寄った茶屋には、既に不愉快な先客が陣取っていた。
〝赤心隊〟――狭霧兵部和孝の、いうなれば子飼いの兵である。結成されたのは数か月ばかり前の事だが、兎角素行が悪いとの評判で――それ以上に、危険な集団であった。
個々の戦力ならば、洛中守護の〝白槍隊〟か、或いは儀兵衛率いる〝隙風集〟――何時の間にか入り込むから、こんな名前を付けられた――か。非正規部隊なら『錆釘』の派遣兵達、彼等の方が余程強い。
にも関わらず赤心隊が恐れられるのは、彼等の強い仲間意識と、彼等を束ねる長――冴威牙という男の存在だった。
彼が何処で生まれ、何をして育ったか知る者は少ない。だが、彼が上げた武功の程は、皇都守護の者なら誰もが知っている。
ほんの一年前の事。拝柱教を非難する過激派の仏僧が、二十人ばかり薙刀を担ぎ、街を練り歩いた事が有った。飽く迄もただの脅しで、実際に武力に訴える予定は無かっただろうが――その前に立ちはだかったのが、冴威牙だった。
結果は、死者が二十名に重症者十四名、軽傷五名を数える惨事となる。僧兵の首を蹴り折るだけでは飽き足らず、制止しようと詰め寄った兵士まで蹴り飛ばし、当の本人は涼しい顔をしていたのだ。
結果、白槍隊が駆り出され、波之大江 三鬼の手に拠って、この若者は捉えられた。尋問を買って出た狭霧兵部とのやりとりも、未だ兵士達の間では、恐怖混じりに語り草にされる。
『おい、痩せ犬。何が欲しくてあんな事をした』
『特権。俺に好き放題させてくれ。そしたらあんたに、この国を好きにさせてやるからよ』
捕縛された罪人に拘束もせず、兵部は無防備に近づいた。冴威牙もまた、殺せる間合いに獲物を入れつつ、何も手出しをせずに答えた。
『分かった、一年待て。殺すも犯すも好き放題だ、給料も良いぞ』
僅か一度の会話で、冴威牙は一部隊を預けられた。そして一年後、兵部の言葉は現実になり、冴威牙率いる赤心隊は、それこそ好き放題に狼藉を働いているのであった。
形の上では同僚、然し好んで近づきたい相手でも無い。遠巻きに見つつ、気付かれる前に離れようと、儀兵衛はそっと踵を返し――背後に立つ冴威牙に、その時ようやく気付いた。
「よ、兵部の旦那の使い走りじゃん。何やってんの?」
「散歩だ、悪いか」
足音の無い男ではあるが、こうまで近づかれても気付けなかった自分に、儀兵衛は舌打ちしつつ答え――ぐうと目を丸く見開いた。
「おい、何だそりゃ。何処で攫ってきた?」
「右? 左? 左肩のは、仏像に手を合わせてたんで逮捕。右のは、左のを連れて逃げようとしたんで逮捕。すげえだろ俺、仕事してんのよ?」
冴威牙は米俵か何かの様に、少女を二人担いでいた。手首だけを背中側で縛られた、極めて簡素な拘束――それでも、自力ではまず解けまい。何れも年端もいかぬ少女だが、その片方に儀兵衛は見覚えが有った。
日の本ではまず見掛けぬ灰色の髪――二度ばかりであった、異郷の少女。敵対した事さえ有るが憎しみは無く、寧ろ救われた恩義と、それから少し気に掛けていた事が――
「餓鬼か、そんなガチガチ取り締まる事もねえだろう」
「ババアよりゃ若い方が良いんだよ。色気は無えけどなぁ、ひっはははは」
言うだけ無意味とは分かっていたが、やはり良心に訴えてどうなる相手でも無い。儀兵衛は内心で歯軋りをしつつ、重心を心持ち爪先側に移した。
「……おいおい、俺達同僚だろ? んな怖い顔すんじゃねえよ」
「そうかね、自覚はねえや。荷物が重いだろ、その餓鬼どもは俺がしょっぴいといてやるよ」
「手柄泥棒は関心しないぜ、おっさん?」
冴威牙は右足の踵を浮かせる――雑兵の槍より、余程危険な凶器である。意を通すには暴力も躊躇わぬと、殺意を明確に提示して、
「大体なぁ、色気は薄いが上玉二匹――ヤらねえで殺す手はねえよ、な?」
「か、――っ!」
儀兵衛は嚇怒し、腰の短槍を引き抜こうとする。柄に手が届くより先、肘の裏を爪先で蹴り込まれ、間接に鈍い痺れが走った。
「ひっはははははは! お仕事頑張ってくれよな、掃除屋さんよ!」
「てめえ……てめえ、腐ってんのか!? あぁ!?」
返事の代わりに笑いが響く。去り行く冴威牙の背を、儀兵衛は追えなかった。
追えば確実に食い殺される、技量差を十分に弁えていたのだ。
ずきずきと首に刺さる痛みで、村雨は意識を取り戻した。
「あった、たぁ……あれ、えと」
目を開いてまず見たものは、何処かの畳。立ち上がろうとしたが、まだ視界に靄が掛かっていて、ろくに動けそうには無かった。
が――仮に意識が明瞭だったとして、大きく動く事は出来なかっただろう。村雨の首には太い縄が巻きつけられ、もう一端は茶屋の柱に括り付けられていたからだ。
何が有ったか――考えれば、直ぐに思い出せる。意識を失う前に何をしていたかも、その時に誰と行動していたかも――
「――みつ、居る!?」
兵士に攫われた少女を、村雨は奪還しようとしていたのだ。自分が戦っている間に、少しでも逃げていてくれたら――そんな期待は、瞬きより速く砕かれる。
「おー、ここに居るぞ。やっぱり薄っぺらい胸してんなぁ、あーつまんね」
直ぐ近くから聞こえた声に、村雨は反射的に顔を上げた。畳にうつ伏せになったまま、首だけ持ち上げた村雨の眼前で、羽織の男――赤心隊の冴威牙が、やはり首に縄を掛けられたみつを、背後から抱えて座っていた。
咄嗟に村雨は飛び掛かろうとして、上体は浮かせたが立ち上がれず、胸を畳に打ち付ける。両手の手首が、背中側で縛られていた。
「何してんの、放して!」
「どっちを? お前、それともこっち? まー、どっちも放してやらねえけどなー」
みつの口には猿轡が噛まされて、言葉が発せない様にされている。それでも必死に呻き声を上げ、首を振り足をばたつかせる様は、少女の無力をはっきりと知らしめている。
手が使えないにせよ、立ち上がるだけであれば、少し時間を掛ければどうにかなる。村雨は仰向けになってから、首と背をばねの様に使って立ち上がると、冴威牙へ詰め寄ろうとした。首に掛けられた縄が邪魔をして、足の先もぎりぎり届かなかった。
「く、うーっ……!」
仮に届いたとしても、痛打は与えられまい。それより先に村雨が組み伏せられるだろう――柱を中心に車座に、兵士達が酒を飲み交わしている。
「おおっと、抜かりねえよ。ちゃんと図って長さ合わせたんだぞ、いやほんとほんと」
無理に進もうとすれば、ささくれ立った縄が喉に食い込む。力任せに引き千切れる様な代物では無い。安全圏に座った冴威牙は、これ見よがしに勝ち誇って嗤っていた。
「さっきの話の続きだけど、俺って偉い人なのよ。本当ならあのまんま絞め殺しても良かったんだけどよぉ……ま、生かしておいてやったって訳。感謝してくんね?」
「ふざけないでよ!」
吠えながらも村雨は、自分は確かに一度、殺されていてもおかしくなかったと気付いた。
意識を失ったまま、敵対者の前に放置される。抵抗は叶わず、何をされようが知る由も無い。下賤な物言いの男に不安を覚え、村雨は一度身を縮め、自分の体に鼻を近づけた。
「ひっはははは、まーだ何もしてねえよ。寝てる餓鬼に何かしてもつまらねえじゃん? それによ、ちょっと余興も思いついたし」
「……碌でもない事なんだろうね、その顔みたいに」
「いい男じゃんよー俺……えー、そんな酷え顔か?」
憎まれ口を叩いても、冴威牙の優位は動かない。馬鹿にした様に、冴威牙は笑い続けるばかりだ。その軽口は、思いつきとやらが村雨の言う〝碌でもない〟事に当てはまると明言している様であった。
「いやさ、思いついたってのはよ、お前の扱いの事。別に俺達、人殺しが大好きって訳じゃないんだぜ。ちょっと良い思いさえ出来りゃ、後は寝床と飯だけで満足ってもんだ。
……ってな訳で、部下共にも大盤振る舞いと行きたいんだけどよ、お前ってアレじゃん。好き放題させんのも、なんか寝覚め悪くなんじゃん? だからまわしちまうのはあっちの餓鬼だけで、お前は俺が――」
「獣より酷いね、頭が頭だから?」
村雨は敵愾心を隠さない。今にも噛みつかんばかりの表情――実際、間合いに入れば噛みつくだろうが――のまま、手首の縄を外そうと図る。
「良い男だとか、笑わせないで。あんたなんかより、その辺の犬の方がまだ男前だよ」
腕の動きを気取られぬ様、言葉は途切れさせない。
「へえ、俺は犬と同じ扱いか。酷えなあ、酷く傷ついたぜ」
然し、村雨の魂胆など、あっけなく見破られている。悪態を飄々と受け流しつつ、僅かに腰を浮かせた冴威牙であったが――
「違うよ。犬以下で、人以下。どっちもなのに、どっちよりも酷いね」
「……あぁん?」
風が蝋燭を吹き消す様に、冴威牙は嘲笑の色を失った。
「餓鬼。今、なんつった?」
己が、このふざけた男の何か――矜持の根幹を踏みにじってしまった。村雨は引き戻せなくなってから、ようやくその事に気付き――だが、今更どうにもならない。
「人にも犬にも、どっちにも劣ったケダモノだって言ったんだよ。自覚は有るでしょ?」
「てめぇ、おい」
自覚など――掃いて捨てる程に有るだろう。冴威牙が村雨を〝そう〟だと見抜いた以上、村雨が冴威牙を〝そう〟だと気付かぬ道理は無い。
己が聞き捨てておけぬ言葉を投げつけて、少しでも冷静さを欠かせようという算段が――予想より深く刺さってしまった。内心の僅かな恐怖と共に、村雨は、この男の正体の一端を嗅ぎ付けた。
「すごいね、周りの皆には教えて――いや、そんな度胸は無いよね。群れの上に立ちたがるみたいだしさ、〝知られた〟ら蔑まれるって知ってるでしょ」
互いに人でも獣でも無く――亜人であるのなら、何を嫌うかは分かる。そして、日の本の人間が、亜人にどういう思いを抱いているかも、だ。自分自身をも斬り付ける様な言葉を、村雨は矢継ぎ早に投げかけつつ、手首の縄を緩めようとする。
「ためしに聞いてみたらいいじゃない。自分が何者なのか知って、それでも従ってくれるかってさ! 掌返しは見てきたよ、しないって言い切れる立派な部下じゃ――」
「うるせえぇっ!」
冷静さを失わせる、その算段は的中した――度が過ぎた。冴威牙はふざけた男の皮を脱ぎ捨て、凶狗の本性を怒声に表した。
抱えていたみつを、投げ捨てる様に畳に降ろし、村雨の髪をわし掴む。そのまま腕を振り下ろせば、村雨は再び畳の上に、芋虫が如き格好で這う羽目になった。
「あうっ……痛いな! 放してよ!」
「黙ってろ糞餓鬼! どんだけ甘ったるい生き方したか知らねえが、役立たずの耳で良く聞いとけ!」
予想以上の怒気を浴びせられ、村雨は委縮し――だが、気付かれぬ内に、手首の縄だけは解いてのけた。両手首を捻り、少しずつ隙間を広げるやり方で――そうして引き抜いた手を、畳に着いた瞬間に踏みつけられる。
「こいつらはなぁ、知ってて付いて来てんだよ! 俺を嘲ったから、俺が叩き伏せて、俺が餌をやって、金も酒も手柄も、女も好きにくれてやって――あああぁっ!!」
もはや村雨は、何を言おうともしなかった。抵抗さえ無意味かと思えば、意思と無関係に四肢の力が抜けた。
「何でてめえは、俺と同じなくせして――んな事を平気で言えんだよ、このアマァッ!!」
吠え狂う冴威牙の手は、力の加減を忘れている。後頭部を掴まれた村雨には、指が頭蓋に入り込むかとの錯覚さえ有った。
「あーあ、ああなっちまった。どうすんべ?」
「どうするもなんもなあ、俺しーらね。たいちょー、こっちのそろそろヤっちまって良いすかー?」
車座になっていた兵士達は、獲物の片方を諦めた様で――つまりは、もう片方の獲物だけを毒牙に掛けようと、律儀に許可を求めた。
「ああ、やれ……! この餓鬼の目の前で、見せつけて犯し殺せ!」
「ちょっ――何考えてんの!? この最低野郎、人でなし!」
罵る声が震えている。人間一人程度の重量、村雨なら跳ね飛ばせない筈も無かったが、その発想に辿り着く事も無い。犬が尾を腹に巻くように、これ以上の禍が自分に及ばぬ様、怯え竦むだけが今の村雨で――
「黙ってろ、つっただろ? あっちが死んだら次はてめえだ、死体も十分に使ってやるよ!」
――頭を伏せても災厄は去らない。諦念に塗れた灰色の瞳は、猿轡を噛まされた少女に群がる、屈強な兵士達の背を見ていた。
その背が――巨大な足に蹴り散らされた。
巨体の男であれば、人の顔程もある足とて珍しくないが、〝それ〟は人の胴体程も有った。
きっと〝彼〟からすれば、手心を加えての一撃だったのだろう。だが、巨木の如き薙ぎを受けた兵士達は、壁に罅を入れる程強く叩き付けられた。
「貴公達、無法の申し開きは有るか!」
一丈二尺八寸、二百四十七貫。鬼灯の目の巨躯は、地を揺るがさんばかりの音声を鳴らした。




