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我儘のお話(2)

 急ぎ足、かつ、兵士達に追い付かないように。村雨は酒屋へと舞い戻っていた。

 酒壺を左馬の元へ持ち帰る事もせず、真一文字に歩いて行ったのは――兵士の集団に、なんとも言えぬ嫌な予感を抱いたからだ。

 そして不幸にも、その予感は的中していた。


「おじさん、ちょっと!?」


 酒屋の店先では、店主が商品の陳列棚に倒れ掛かっていた。だらりと垂れた腕に血が伝っていたのを、村雨は目より先に鼻で嗅ぎ付け、急ぎ駆け寄り助け起こす。


「あかん、みつ……あかん、持ってかれた」


「しっかりして、聞こえる!? 誰が、誰に、何を――」


 うわごとの様に繰り返す店主を、表通りから見えない位置まで引きずって行き横たえて、村雨は幾度か頬を張る。荒っぽい起こし方だが――ゆっくりと介抱する猶予は無い。


「あのチンピラどもに、みつを……姪っこを連れてかれた……。下、下……」


 傷の具合は――致命傷には程遠い。突き飛ばされて頭を棚にぶつけた、その程度のものだろう。脳震盪で震える指先が、剥ぎ取られた床板を指していた。

 村雨は咄嗟に、床板の下の空間を覗き込む。隠れ場所としては上手く作られたもので、僅かな外の灯りを鏡が反射し、本も読める程度の明るさを確保した部屋――そんな所には、小さな仏像が堂々と鎮座していた。


「あっちゃあ……」


 思わず村雨は頭を抱えていた。これならば連行の言い訳も無数に立つだろう、そういう有様の部屋だったからだ。

 それから、暫し逡巡する。どうしたものか――どうしたいのか。


「頼む、預かりもんの娘なんや……死んだ弟に面目が立たん……頼む」


「あー……もー、本当にもう……!」


 不用心で一人、顔も知らない少女が連れ去られた。別にこの程度の事件だったら、あちらこちらで見つかるだろう。

 だが、居合わせてしまったものは仕方が無い。


「おじさん、ちょっとこれ貸して!」


「お、おう……頼む、誰か、誰か」


 知らなければそれで良い。完全に手遅れならば諦められる。だが、どうにかなりそうな所に居合わせてしまった。

 見て見ぬふりを出来ぬ様な正義感は持ち合わせない。然し、中途半端に関わってしまって、しれっと逃げ出す図太さも無い。村雨は部屋の片隅に放置されていた被衣かつぎを引っ掴むと、己の灰色の髪を隠して表通りに飛び出した。


「どうしろってのよ、まったくもー!」


 打つ手はまだ思いつかないが、とりあえずは走る。村雨の思考はかなりの度合いで、誰かに染められている様子であった。






 追うべき臭いは捕捉している。臭いが何処へ向かっているかも、あらかた予想は出来ている。ただ一つの問題は、追い付いてからどうするかという点であった。

 獲物を見つけるのは得意だが、村雨はあくまで〝探し物屋〟なのである。本来ならば荒事は任務の外だ。


「北、風上に三町……まだ気付かれてない筈だけど……うーん」


 地下の隠し部屋に残されていた臭い――連れ去られたという少女のそれは、大量の金属の臭いに囲まれ、北へと移動を続けていた。

 現在地は大橋の西側、三条の近代的建築群の一角である。煉瓦は木ほど風通しが良くないが、村雨の嗅覚は集団の規模を正しく捉えている。先程すれ違ったばかりの兵士達――確か三十人ばかりだと思っていたが、それより人数は減っている。十人ばかりだろうか?

 とはいえ、依然何か仕掛けるには無理な人数だ。村雨はもう少し近づこうかと考える――危険だとわかってはいるが。風向きが変わってしまったら、向こうからも察知されかねないからだ。

 唯一の優位は少数である事。人混みに紛れて近づく、そこまでは出来るだろう。近づいてから取る手を、幾つか考えてみる。

 一つ、駆け寄って少女を抱え上げ、全力で走って離脱する。


「……絶対無理」


 人間一人を担いで走る――村雨なら、出来ない事は無い。が、前段階として兵士十人に接近し、反撃を許さず離脱出来るだろうか。考えるまでもなく出来る筈が無い。

 二つ、運良く兵士達の視線が、さらわれた少女から外れる瞬間を待ち、上手く引き寄せて逃げる。


「……ありえない」


 それが叶う幸運が有るなら、村雨は賭場で一財産築き上げただろう。大体にして兵士達の配置も分からないのだから、視線が外れる瞬間が有るかも分からない。ぐるりと取り囲んでいたり、鎖で少女が繋がれたりしていたらそれまでだ。

 三つ、どうにか煙幕の様なものを用意して、兵士達の視界を奪って逃げる。


「……これならまだ、まあ」


 ここまで思いついた案の中では、最も現実的なのがこれだった。

 肝心の煙幕をどうするかは別として、逃げ足ならば自信が有る。十三歳の少女一人担いだとて、並みの兵士には追い付かれまい。

 であれば問題は、如何に察知されずに近づくかという事と、何を使って目晦ましをするかであった。

 ただの通行人を装って、臭いの元へまず一町近づく。ここが橋の東側であれば、適当な建物の屋根に上るだけで相手を見つけられたのだろうが、あいにくとこちらは建物の背が高い。未だに兵士達の正確な所在は掴めていない。

 周囲の店を見渡して、村雨は何か役立つものが無いかと思案する。着物屋、茶屋、金物屋、冷やかす分には楽しそうだが、生憎と役立ちそうな何かは無かった。

 被衣に顔を隠していると、まじまじと他人の顔を眺めても気付かれない。橋の東と西で人の表情は異なるのか――そんな事が、ふと気になった。

 基本的な所では変わらない。少し疲れた様な、嫌になった様な、そんな顔つきの者ばかりだ。だが――時折、場違いな顔も混ざる。

 今日が幸せでたまらず、明日はさらに幸福になるだろうと信じている様な輝かしい顔。そんな奴は大概、布地から芳香漂うかの、金持ちらしい身形をしているのだ。

 金も力なんだなあと、村雨は唐突に気付いた。

 桜もこの街を歩くのに、憂いの表情など見せなかった。それと同じで金持ちは、自分の無事を保証されているのだろう。羨ましい事だと思う反面、持たざる者の嫉妬も湧き上がる。

 力さえ有れば――ああだこうだと悩まずとも、真っ直ぐに進んで少女を助け出せる。そもそも日中から酒を買う為に、街をふらふら歩く必要も無かった。

 然し、嘆いたとて無意味である。今ここで、村雨やさらわれた少女に無償の助けを送る者は誰も居ない。村雨がどうにかするしか無いのだ。

 更に一町進み、残りの距離は一町。ここまで来てしまうと、建物の配置もしっかりと見て取れる。兵士達の臭いは、通りに突き出た茶店から漂っていた。ちょうど軽い下り坂の突き当りに有る、入り口の広い店だ。


「うわっ、目立つなー……」


 赤備えの兵士達は、輪を作る様に座り込んで、茶店にはおいていないだろう酒を煽っている。全く良い迷惑だ、あれでは他の客も寄り付くまい。肝心の少女は――顔は初めて見るが、多分そうだろう――棒切れに手足を、猪の様に括り付けられていた。

 乱痴気騒ぎの度合いは目を覆わんばかりで、兵士達はいずれも見事な赤ら顔。酔いが脳髄にまで染み渡っているとはっきり見て取れる。あれならばもういっその事、正面から近づくという手も――


「……いや、やっぱり無理だ」


 ――血迷ったと、自分の案を村雨は即座に否定した。仮にも相手は兵士、人数も多い上に、向こうはいざとなれば援軍も呼べるのだから。

 ではどうするのかと、何度目かの逡巡に入った時――村雨は道端に、最近はやりの〝パン屋〟という物を見つけた。


「あ――あー、もしかして……!」


 画期的なひらめきであった。






 茶店『五百機いおはた』には、真昼間だというのに、酒の臭いが充満していた。


「でよー、あの店の女がケチくせえからよぉ、俺もブチっと来ちゃって」


「ぶん殴ったんだろ? 何度も聞いたっつうの」


「オチが違えよ。大体ぶん殴って来たのも向こうが先で――」


 口汚い兵士達の話題は、ほとんどが誰かを痛めつけたという話題ばかり。そうでなければ賭博の話か、或いはこの場に居ない誰かへの愚痴だった。


「本当によう、あの女の胸と来たらまるで板だ! 触っても固いばかりで面白くねえ」


「尻が板じゃねえだけ良いじゃねえか。お前のは釘より粗末だもんなあ」


「あぁ!? 喧嘩売ってんのか!?」


 元々薄い理性を酒で飛ばした兵士は、互いに罵り合い、時折は殴り合う。だが彼らには日常茶飯事な事の様で、制止しようと割り込む仲間もいなかった。


「ひっはははは……おいおい、歯ぁ折るんじゃねえぞ。喰いしばれねえと力が入んねえ」


「じゃあ殴るまでは良しって事ですね? こん畜生!」


 彼等を纏める若い――胸と腹を肌蹴させた羽織姿の――男も、やはり止めるでも無しに笑っている。彼は畳の上で座布団を枕に、そして縛り上げた少女の腹を足置きに寝転がっていた。


「で、お前ら。酔っぱらうのもいいがよ、順番は決めたのか?」


「順番? なんですか隊長、そりゃあ?」


 羽織男は、顔に浴びるように酒を飲む。飲み干しきれない分は畳を濡らし、部下の一人は呆れた顔になりながら、羽織男の言葉の意を尋ねた。すると羽織男は、ぎいと唇の端を吊り上げて、


「馬鹿野郎、一度に出来るのはせいぜいが二人だろ。一人二回として十周、どう並ぶんだ?」


「なーるほど、そこは考えてなかったすよ隊長。じゃあ俺が一番で――」


「却下。一番槍は隊長のもんって決まってんだ」


 兵士達から不平の声が湧き上がる――本心からの声でないのは、その場の誰もが分かっていた。隊長と呼ばれていながらこの羽織男は、敬意を払われない性質であるらしかった。


「じゃ、どこでやります?」


「ここで良いだろ。狭いし汚えが、団子有るもんな。おーい、五皿追加で持って来い!」


 茶屋の店主は、悔しさと悲痛さの入り混じる表情を商売用の笑みで押し殺し、兵士達に食わせる団子を焼いていた。代金は受け取っていない――ツケという言葉でごまかされた無銭飲食である。

 兵士達の傍若無人を、見て咎める者はいない。我らこそ支配者であると、赤備えの集団は哀れな少女に手を掛け――ようとして、がらがらと喧しい音に気付いた。


「隊長、あれって」


「ん、まあ、大八車だなぁ。当世流行りの、四輪型の」


 ちょうど正面入り口から見える坂を、大八車が下ってくる。通行人が一斉に道を開けた様は、まるで海でも割れたかの様で見応えが有った。

 特に変わった所は無い、普通の四輪型大八車である。木製の樽を三つ程並べている為、総重量は中々のものになっているだろう。押せば骨も折れようが、坂を下るならば重力が味方をしてくれる。


「しっかし隊長、あの勢いだと」


「そうだなあ、あの勢いだと」


 長い長い下り坂――大八車が近づいてくる間も、悠長に会話をしていられる程だ。既に兵士達は、羽織男を除いて腰を浮かせている。

 何故かと言えばこの大八車、押し手が誰もいないのだ。つまり、坂を下る勢いを削ぐ何者も無い――止まらないのである。


「こりゃ、突っ込んでくるんじゃねえっすか?」


「まあ、突っ込んでくるわなぁ。……何処の馬鹿だ」


 羽織男が毒づいた次の瞬間、大八車は茶店に突っ込み、破城槌の如き炸裂音を立て――木樽一杯に詰め込まれた小麦粉を、木片共々散乱させた。。


「うわっぷ、なんだこりゃ、酷え! うえ、目が痛、目が……!」


 衝突の衝撃で木樽が破損し、小麦粉は爆発的に拡散する。一瞬にして茶店の店先は、火災現場よりも尚視界の悪い、白一色の世界に変わり果てた。


「畜生、どこのどいつだ!? 面見せやがれ、ぶっ殺してやる!」


「馬鹿野郎、んな事言われて出てくる奴なんていねーよ……普通ならなあ」


 喚き散らす兵士達を余所に、羽織男だけは至って冷静であった。彼だけは変わらず立ち上がらぬままで――足の下から、少女の体が引き抜かれるのを確かに感じたのだ。


「おうお前ら、ちょっと酒盛り続けてろ。俺は走って来るわ」


 白煙を掻き散らし、羽織男は高々と跳躍する。屋根の上から通りを見下ろせば、恐ろしいまでの速度で、逃げていく人影が見つかった。

 北へ、北へ、少女を担いだ村雨が、人混みを擦り抜け走っていた。

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