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我儘のお話(1)

 またもや、暫く日が遡っての話。

 京都、神山。大型の獣の住みつかぬ山には、日中から酒の臭いが漂っていた。


「おーい、つまみが足りないよー、買っておいでー」


「はぁ……またですか?」


 立ち上がれない程に泥酔し、それでも飲み続けている松風 左馬に、村雨は白けきった目を向けた。

 何せこの女傑、村雨が弟子入りを志願してかれこれ六日、師匠らしい事をしていない。かろうじて一つ挙げるとすれば、三日前の道場襲撃程度のものだろうか。


「もうお金無いですよ」


 部屋の片隅に投げ捨てられた壺は、つい昨日までいくらかの紙幣が入っていた。左馬が『ちょっと遊んでくる』と言って持ち出して、今朝になったら一銭も持たずに帰って来たのだ。

 金が無ければ酒は買えない、村雨につまみを作る器用さは無い。怠惰な師に背を向けていると、後頭部に鈍痛が走る。中身が半分程残った酒壺を投げつけられたのだ。


「痛ぁっ……!?」


「金なんてどうにでもなるだろう、どうにでも出来る。二回目だ、さっさと行っておいで」


 理不尽な人間はどこにでも居る。自分は習う立場だと弁えていれば、あまり強く出られないのも村雨である。ずきずきと痛む頭を抱えて立ち上がると、


「ああ、頭は洗って行くんだよ。酒臭くてみっともない」


「――っ、はい……!」


 お前が言うなと言い返したくてならぬ村雨であった。






 冷たい水で頭を洗い、山を駆け下りて四半刻。三条大橋より東側、茅葺と瓦の並ぶ街並みに辿り着く。


「はーあ……何回目だろ、今日」


 村雨は西側に立ち並ぶ、煉瓦と鉄骨の建物へと溜息を零した。

 ついこの間まで、自分も向こう側で、豪勢な宿に泊まっていたのだと思うと、今の境遇に虚しさも覚える。少なくとも一日三度は食事を取れたあの時に比べると、今は昼の食費さえ事欠く有様なのだ。

 事が村雨一人で終わるのならば、これまでの稼ぎもあり、どうにかなる。問題はあの金喰い虫、左馬である。

 食事も酒も、とかくあれは贅沢を好む。季節に合わぬ魚やら、獣の肉ならば最上の部位やら――桜も金遣いは荒かったが、左馬のそれは異常な程だ。稼ぎがどれ程有ろうとも、底抜けの樽の様に流れ落ちるだけだろう。

 酒を買ってこいとは言われたが、どうせ戻れば次は食事の用意。今はまだ隠していた小銭が有るが、その時こそ本当に、手元には一銭も残らないのだ。

 貧すれば鈍すとは言うが、確かに金子の不足は心の余裕を奪う。村雨はああだこうだと考えながら、自然と足が覚えてしまった酒屋への道のりを歩いていた。


「えーと、これも買えないあれも買えない……ああもう貧乏くさーい」


 西側の街並みならば洋酒も並ぶが、こちらは日の本の酒ばかり。値段はピンからキリなのだが、ピンの側に傾いている商品が多い。自分の懐具合、更には数日分の食費を考えれば、一番安いものを選ぶ他は無かった。


「お嬢さん、最近よくいらっしゃいますが、お父さんが飲むん?」


「いーえ、馬鹿師匠が飲みます……まけてくれない?」


「あかん」


「ですよねー」


 微笑みを浮かべたままの店主ににべ無く断られ、村雨は素直に金を払った――自腹である。

 自慢の健脚も働かぬ程の疲労感に、肩を落として帰路を歩き始めたその時の事。なんとなく村雨は、気になる事が有って顔を上げた。


「……ん?」


 何とは言えないが、違和感が有る。出所を探るべく思考を落ち着けると、自分の鼻が捉えている臭いが、この場に似つかわしくないと気付いた。

 人の街の臭いは雑多だ。生き物の臭いから燃料、食品、生活雑貨――自然の数十倍の臭いが入り混じる。特に異質なのは金属の臭いだが――


「おじさん、何か悪い事した?」


「とんでもない、ワシは善良な仏門やで」


「……ああ、最悪だ」


 果たしてその臭いは、脂を吸った鉄の香り。洛中は未だに戦時下であると、寸刻だろうが忘れたは失策であった。

 がしゃがしゃと賑やかな足音を立てて、白備えの槍部隊が近づいて来る。彼らの視界に映る前に、村雨は物陰に身を隠した。


「御用改めである、店主!」


「はいな、ちぃとばかり待っておくれやー」


 白槍隊――洛中守護の精鋭部隊。太陽の下を堂々と歩いている村雨だが、彼らに見つかるのは非常に不味い。如何に短時間とは言え、顔を覚えられている危険も無いでは無い。

 咄嗟に身を潜り込ませたのは陳列棚の影。あまり上手いやり方では無かったが、然し気付かれていないのは、店主が直ぐに店から出て、白槍隊の視線を誘導していたからだった。


「ほんにまぁ、毎日毎日よう飽きない事でいらっしゃる。ワシしか居ない言うとんのになぁ」


「店主殿こそ毎日毎日、同じ言い訳を飽きない事だ。入るぞ!」


 揃いの装備の兵士達の内、胸に徽章を付けた者だけが口を利き、後は無言で行動する。一糸乱れぬ統率ぶりだが、兵士の顔の苛立ちは、やはり彼らも働かされている立場なのだと語る様だ。


「……おじさん、ばれちゃってたら不味いんじゃない」


「天地に恥じる事などなーんにもないで、ワシは。飽く迄もワシは」


 村雨はこそこそと、より大きな棚の影に隠れなおす。店主もどうやら、政府のやり方には従いたくないという人種の様で、荷物をそっとずらして隠れる場所を広げている。


「いや、やっぱり不味いって。なんで逃げてないのさー……」


 だが村雨は、いざとなれば走って逃げられる自分より、この店主が大丈夫かと気が気でなかった。

 つい半月ばかり前、一晩で何千もの死人を出した大虐殺。殺害の理由は単純に『仏教徒だから』などというものであった。

 数百年に渡って受け継がれた教義は、もはや文化として日の本に根付いている。それを理由に殺害するというのは、つまり誰をも無制限に殺すという布告にも取れる。遠方のならば兎も角、洛中のゴミ捨て場には、仏像やら経典やらが山積みされているのだった。


「ワシの歳まで生きれば十分、死んだら生まれ変わるやろ。生まれ変わらないそれ即ち、輪廻の解脱で万々歳や」


「現世を健全に楽しもうよ、家族だって居るでしょ」


 四十過ぎの店主だが、店の壁に飾られた品々は、少女が買い集めただろう可愛らしさ。娘か、或いは孫でも居るのだろうと村雨は気を回す。


「……半分に、なってしもたけどな」


 当たっては居た。確かにこの店主には、娘が二人『居た』。


「女房も死んだ、下の娘も死んだ。上の娘は来月嫁に出す、もう怖いもんなんぞありゃせえへん」


「……ごめん。半月前の?」


「ああ。お嬢さんは気にせんでええんよ」


 店先から見える住居の隅に、女物の衣服が畳まれていた。埃も積もらず、近くには無造作にかんざしも放置され、誰かが使っている様な有様だったのだ。

 朗らかな店主は悲しげに、諦念混じりに答え、商売人の微笑を保っていた。村雨はいたたまれず、隠れたままで膝を抱えた。

 酒屋の二階から、家具をひっくり返すような音がする。罪人を捕える為と銘打てば、押し込み強盗紛いの行動も許されるのか――憤りつつも、何をする事も出来ない。

 こういうのが嫌なのだと、村雨は悔しさに歯噛みした。

 夜の洛中を駆けずり回って、足りぬ力で人助けに励んだのも、元は単なる義務感であった。無事に生きる余裕を持っているからには、空いた手で誰かを助けるべきだろうと思ったからだ。

 だが、今はその余裕が無い。

 その筈だ。村雨自身に力が有った訳では無く、雪月桜の人外染みた戦力が有ったからこそ、村雨は他者を案じる余裕を持てた。今は自分の身の心配に手一杯で、とても他人に力を貸している余裕が無い。

 ただ一つの救いは、酒屋の店主がこういう事に慣れた雰囲気を出している点か。若い兵士達の目的が何かは分からないが、家探しの憂き目に遭うのも一度や二度ではないらしい。諦めの色に京者の意地悪さを軽く滲ませ、店主は階上の騒音を受け流していた。

 やがて兵士達も諦めたのか、どかどかと喧しい音を立てて駆け下りてくる。店の軒先で整列すると、やはり徽章を付けた兵士だけが口を開く。


「また来るぞ、店主! ……私用でも多分」


「はいなはいな、お仕事がらみならお断りや。お客さんとしてなら歓迎しますえ」


 足並みそろえ、土埃を上げ、白槍隊は向こうの通りへと去って行く。村雨はきょとんとした顔で、その背中を見送った。


「……あれ。割と馴染みだったりする?」


「そら、あれの親父さんがうちの馴染みやもの。棒切れ振り回す餓鬼の時分から、ながーい長い付き合いやで。

 ワシが仏教徒いうのも勿論知っとる、あの若造。あれがこの辺を任されてる間は、ワシは大丈夫やろなあ」


「なんだ、心配して損した」


 安堵の溜息と共に笑い飛ばし、笑ってから村雨は、改めて気の重さに溜息を吐く。


「で、本当の所は?」


「ん? ……お嬢さん、勘弁してくれへんか」


 なあなあで収まった様に見える場であったが、村雨の嗅覚は明らかな奇妙を嗅ぎ付けている。しらを切る店主であったが、村雨の視線が何処に向いているかを知れば、眉をハの字に下げてみせた。

 酒の並ぶ棚――の、一歩手前の床。見た目はただの木の床なのだが、その下から人間の臭いがする。腐臭や死臭ではなく、間違いなく生きた人間の臭いだ。


「……預かりものの姪っこや。両親がえらい信心深くて、まだ十三やちゅうに仏に帰依しとる」


 聞いて、村雨は考えるそぶりを見せた。

 両親は何処に、と尋ねる意味は無い。店主の表情の憂いは、そんな人間がもう居ないだろう事を如実に示している。


「何時までもは、無理だと思うよ」


 匿うにしても、上手いやり方とは言えない。逃がすべきだろうという答えに、村雨は程も無く辿り着く。


「分かっとる。せやけど、ならどうする?」


 同じ事を、店主も重々理解しているのだ。


「寺は焼かれた、親も焼かれた、念仏以外に芸も無い。せめてワシの目の届く所に置いときたい。普通の格好させてりゃバレへんやろが……万が一、万が一……!」


 実際の所、匿うよりも堂々と生活させていた方が安全だろう。

 人の信教は外見から計れず、有髪の尼であればなおさらである。ただの少女を仏僧と決めつけ、牽引する無法もあるまい――と、言い切ってしまえれば、どれ程に楽な事か。

 最初の襲撃で殺された者の内、冤罪が幾つ有ったかなど知れたものではない。人間の命を奪う奪わぬは、奪う側が一方的に決めつけるのだ。


「っとと、お酒やったな。お嬢さんのお持ちの額だと、これしか買えへんで」


「……忘れないなぁ、もう。そこはうっかりお金を受け取り忘れるとか」


「あかん」


 結局の所、村雨は自腹で安酒を一つ買い、


「ですよねー……あーあ」


 肩を落として帰路に付くのであった。






 気が晴れない時は、回り道をして帰りたくもなるものだ。村雨はわざわざ三条東を、更に東へと歩いていた。

 江戸とは異なる風情が、近代の気配が薄い街並み。端的に言えば――お行儀が良い、という所だろうか。

 住む人間の表情一つ、歩き方一つ取っても、江戸の様な野卑さが薄い。気取ったすまし顔が似つかわしい通りである。

 だが、活気が無かった。

 江戸だから、京だから、そういう事ではない。家屋の数に比べて人の臭いが少なく、また一人一人の目に力が無いのだ、


「……仕方が無いのかなー」


 壺の蓋の封を剥がし、酒の水面に顔を映す。村雨自身の目も、疲れがはっきりと浮き出ていた。

 身体的な疲労は薄いが、徒労感が精神を蝕んでいる。周囲の不幸に対して、自分がどれ程無力か実感した為だ。

 江戸からの度の間、潜った修羅は幾つも有るが、その何れも一人では切り抜けられなかった。力を得る為に師と選んだ人物は、稽古の一つ付けようとせず、この数日は無為に過ごしたとしか言えない。


「あ、やば……くも、無いかな、んー」


 向こう側から、赤地に金糸の伊達な兵装で、兵士の一団が歩いて来る。反射的に家と家の隙間に隠れてから、怯える自分を自嘲的に笑った。 何せ白槍隊の規則正しさに比べ、派手な兵士達と来たら、足並みはそも揃えるつもりさえ無く、抜き身の刀を地面に引きずって歩いている。口汚い雑談にかまけていて、道端の少女に回す気もなさそうだ。


「おーい、次はどこ行く?」


「見回り飽きたし〝狩り〟行かねえ?」


「それでいーんじゃね? 行きましょうや隊長、奢ってくださいよー」


 けだるげな口調だけはやけに揃えて、らしからぬ兵士達は西へと歩いて行く。一人の兵士は後ろを振り返り、離れて歩いている男に、いやに親しげにに呼び掛けた。


「ばっかやろー、俺の財布そろそろ空になんぞ? 逆にお前達が奢れよ、逆に」


「えー、だって隊長じゃないっすかー」


 隊長と呼ばれた男に、兵士達は敬意を欠片も見せない。苦笑いしながら歩く男がおかしくて、村雨はくすりと笑いつつ、物陰から彼の姿を覗き見た。


「……うわぁ、変な人がいる」


 すると、呆れた異装であった。

 まず腰から下を見れば、西洋風の脚絆に革の脛当て膝当て、腰の周囲には金属板を繋いだ草摺を、胴ではなく脚絆の帯に繋いでいる。足元は草鞋や草履でなく、これも獣の革の靴。見事に守りの固い戦装束である。

 翻って上半身を見れば――身に着けているのは、十徳羽織〝だけ〟。小袖も無ければ襦袢も無い、素肌の上に羽織りのみである。当然だが羽織りの構造上、胸から腹にかけては寒風に吹き曝しだ。

 隠れている事も無いと、村雨はさもただの通行人であるかの様に通りに戻る。兵士達とは逆方向、東側へ数歩歩いて――薄着の男と同時に、振り返って互いの顔を見た。

 村雨が浮かべていたのは、軽い驚きの色。男の表情もほぼ同色だが、こちらは幾分か冷静な、品定めする様な色合いが有った。


「おー……すっげえ、ちっけえわ細いわ、こんなもんなんだな」


 男は空を仰ぐ様にして、鼻を幾度かひくつかせる。それから、小馬鹿にした様な笑みを村雨に向け、


「安酒だなぁ、おい。もうちょっといいもん買ってやるか?」


「いらないよ、御免ね」


「そうかい」


 それだけの短いやり取りをして、先を行く兵士達を追いかけて行った。


「たいちょーう、あんなガキに粉かけて何やってんですかー?」


「煩え馬鹿ヤロー、俺はもっとボンキュッボンのが良いんだよ!」


 ぎゃあぎゃあと野良犬の様に、やかましく立ち去って行く兵士達。なぜか村雨は、彼らの背に不吉なものを感じ、暫くは動けずに居た。

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