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月の下のお話(1)

 雪月桜が目を覚ました時、そこは薄っぺらな布団の中だった。

 線香臭い畳の部屋、天井は高い。梁は太く、中々に歴史有る建築物に見えた。

 自分が何故、この様な所に居るのか――起き上がろうとして、脇腹の痛みに呻く。


「よ、起きたか」


 部屋の隅から声が聞こえた。桜は首だけ動かしてそちらを見て――反射的に、腰に手を伸ばした。

 脇差が無い。背に太刀も無い。何れも布団のすぐ横で、丁寧に掛台に載せてあった。


「……かさねがさね、済まんな」


「放りだすには惜しい作りだしな。良いよ良いよ」


 壁に背を預けて胡坐を組んでいたのは、顔に幾つも傷の有る少女だった。煙管を片手に、もう片手には何かの走り書き。視線を桜と走り書きとに往復させていた。


「どこだ、ここは」


「比叡山さ、居心地悪かったら我慢してくれ。あの高級宿と比べたら、そりゃ木の板に寝る様なもんだろうけどさ。

 ……おーい、医者先生を呼んでくれ、あいつ起きたぞー」

 煙を一塊吐き出して、煙管の火を消してから、少女は部屋の外へ呼び掛ける。幾つか足音が聞こえて、それはどれも敵意や警戒心の無い音だと、桜には感じ取れた。


「……命を繋いだか」


「どうにか、な。あんた二日も寝てたんだぞ、普通ならそうやって喋るのも――ああ、動くな動くな、縫い糸が解ける」


 起き上がろうとした桜の肩を、少女が押さえて押し留める。布団が持ち上がって気付いたが、桜の上半身は、包帯だけで覆われていた。


「おや、裸か。道理で寒いと思ったぞ」


「そっちも我慢してくれ、切るより脱がす方が良いだろ。あんた重いから厄介だったぞ」


「お前が犯人か、目の保養にはなったか?」


「生憎そういう趣味は無いよ」


 目を覚まして早々に、軽口を叩いて見せる桜。だが、その声量の小ささは、やはり常の様な力を感じられない。

 少女は顔の傷の一つを指先で弄りながら、桜の布団の隣に座る。額から右の眉を通過して頬まで届く長い傷は、鋭利な刃物による物と――そして、新しい物と見て取れる。

 桜がその傷を見ていると気付いたのか、少女は気恥かしそうに、


「気にすんな、あんたのよりは浅いよ」


 はは、と軽く明るく笑い飛ばした。


「せやせや、そんなん治そう思たらすぐ治る。紅野ちゃんは強い子やからなあ。問題はそっちの美人さんやで」


 部屋の外から、京よりもう少し西側の訛りが口を挟んだ。部屋に入ってきたのは、この自生には珍しく髷を結った男である。分厚い眼鏡を鎖で首から下げ、腰紐には短刀と針を幾つもぶら下げる。一歩歩く度、金属の機器がじゃらじゃらと音を立てた。


「ちゃん付けは止めてくれって、先生……この人は風鑑ふうかん先生、医者崩れだよ」


「崩れ、は抜かして紹介してくれへんかなぁ、紅野ちゃん」


 風鑑は眉をハの字にしながら、桜の布団を挟み、紅野の反対側に座った。それから桜の包帯に、吊り下げた刃物の一つを触れさせた。

 包帯を切り開き、傷口を大気に晒す。血は止まり、糸で縫われて塞がっているが、広さも深さも致命傷に近かった。


「普通なら何べんか死んどるなあ、治してて楽しい患者やったで。で、美人さん、お名前は?」


「雪月桜だ。済まんが寝起きで頭が回らん、現状を詳しく教えてくれ」


「そかそか。ほな桜さん、希望と絶望で三対七やから、出来るだけ気楽に聞いてくれへんか」


 大きな傷口を指差して、風鑑は引き攣った様な笑いを見せた。


「……生きとるのが不思議っちゅうくらいの傷やったけど、そこは頑丈に出来とるのが幸いやった。一番不味い所は抜けて、これからは回復に向かうやろ。昔なら兎も角この世の中や、三日で剣を取れる様にしたるわ。

 けどな、参ったのは……完全には、どうしても治せへんっちゅうこっちゃ。僕らじゃどうにも出来へん事でなぁ……」


「気持ちの良くない話だな。何が有った」


 静かに首を振る風鑑の姿は、医者が末期患者を見放す時の様に、諦観を存分に湛えていた。


「呪いや。それもエゲツナイ、な。こんなけったいな術見た事無いわ」


 桜の傷口から、少し離れた部分を風鑑は指差す。その部位の周辺の皮膚が、紫に変色していた。


「左腕は動きはる?」


「うむ、問題無いぞ」


 いきなり問われた桜だが、多少の痛みの他に、腕の動きに問題は無い様に思えた。


「ほな、左手で僕を軽く殴ってくれへん?」


「……そういう趣味の女は嫌いでないが、男ではなぁ」


「そうやなくて、ええから早よ」


 つまらんとぼやきながらも桜は拳を握り、軽く振りかぶって――


「――っぐお、あっ……!?」


 その手で脇腹を抑え、布団の上で身を丸めた。

 傷口に火箸を突き刺されたかの様な痛みが走る。負傷には慣れた桜でさえ耐えきれず、体を縮める程の苦痛――斬られた瞬間よりも、それは激しかった。


「……っとまあそういう事やね。普通に暮らしてく分にはええんやろうけど、ちょいと暴れよう思うたら邪魔が入る。桜さんみたいなお侍さんには、困ったこっちゃろ?」


「く……っは、何だ、これは……?」


「せやから、エゲツナイ呪い」


 人が苦しむ姿は見慣れているのか、息も絶え絶えの桜を、風鑑は細い目を更に細めて眺めて、時折は頷いていた。


「今のところは推測やけど、こういうこっちゃろな。

 つまり、他人をなにか害したろ思うと、その斬られた傷が異常に痛む。軽ーく殴ろ思うだけでそれくらい、殺そうなんて考えたらどうなるやろなぁ。

 こんなもんを考えた奴は、きっととんでもない善人やで」


「どこがだよ、どこが。最低の呪いじゃないか」


 風鑑の言葉の矛盾に、紅野が口を差し挟む。


「いいや、案外その通りなのかも知れんぞ」


 だが、被害者である桜自身が、その矛盾を肯定した。


「あの白髪頭ではあるまい、あれは道具を与えられただけだ。元凶はきっと――」


「大聖女エリザベート。ちょい話してはったねえ」


「見てたのか」


 僅か数日――桜の体感時間では、僅かに一刻と少々。軽く言葉を交わした時の事を思いだす。


「……私は、誰かにあれほど〝思われた〟のは初めてかも知れん。それ程にエリザベートとやらは、私の事を悼んでいた。

 自分の為に殺そうとした相手を、涙を流す程に憐れんで――出来るならば、生きていて欲しいと願っていた。そういう目を、あの女はしていた。だからな、きっとこの呪いとやらも……私への枷のつもりやも知れん」


「せやね。殺したらあかん、戦ったらあかん。世界中全部の人間がそうなったら、戦なんてもんは起こらへんのやろ。誰も傷つけられない様に、罪を重ねない様に――親切な人やと思わへん?」


「思わないね、酷い自分勝手だ。私達みたいなのから武器を取り上げて、じゃあ何をくれるんだって話だよ」


 紅野は大聖女の善意が木に食わないのか、煙管の灰を縁側から庭に散らしながら不満を口にした。


「そら、十字架と聖書と――」


「自分の理想の世界、か。これぞまさしく神気取りだな」


 桜は布団を蹴り飛ばして立ち上がり、部屋の中を見回した。袴は穿いたままなのだが、小袖が何処にも見当たらない。


「……外出は禁止だぞ?」


「服くらいは自由に着せろ。それと――」


 仕方なしに桜は、胸と腹を包帯に覆われただけの格好で、部屋の襖に手を書ける。。


「――村雨は、どこに居る?」


「あの亜人の事? だったら、私が案内するよ……ちょっと怖いけど」


 紅野は畳の上だと言うのに、部屋の隅に置いた靴を履いて、桜を追い越し、廊下を歩き始めた。

 経を読む声と線香の臭いにつつまれた、桜には居心地の悪い場所であった。






「……ところで、紅野とやら」


「ん?」


 桜は急に立ち止まり、先を行く紅野が振り返るのを待ち、その顔をじっと見据えた。


「お前の顔だ。何処かで見たと思ったが……今、やっと思い出した」


「私はあんたと初対面だぞ? 変な事言うなよ」


「違う違う、〝お前〟ではなく〝お前の顔〟だ」


 立ち止まった事で開いた二歩の距離を、大股で詰めて、桜は紅野の顎を掴む。


「……だから、そういう趣味は無いって」


「耳から顎の線、鼻の形、髪の色……何より目。傷を取って眠たげな顔にしたら、なんとなんと、同じ顔ではないか。生まれつきか、それとも何かの術の産物か?」


 桜が見ていたのは、紅野の顔の中で、無数の傷より尚異彩を放つ瞳の色だった。左は黒、右目は――血管の透けた様な紅。頭の後ろで結って纏めた髪は、老婆の如き白髪であった。


「……生まれつきだよ、悪いか」


「悪いとは言わんが珍しい。そう数を見られるものでもなかろうよ、光彩異色というのは。私にしてからが、見たのはお前で二人目だ。ましてやこの髪、顔立ち……お前達、〝なんだ〟?」


 そう、桜が思いだしていたのは、斬られる寸前に目に映った顔。

 瞬きより短い時間しか見えなかったが、己に初めての敗北を与えた顔だ、見間違えようも無い。紅野の顔は、傷の有無や表情の硬柔の差こそあれ、それとまるで同じ顔だったのだ。


「まず、放してくれ。女に詰め寄られても興奮しない」


「それは済まんな、私は楽しいのだが」


 桜が手を放すと、紅野は溜息を吐きながら一歩だけ後退し、暫しは逡巡の様を見せた。口にして良いものか、どうしたものか――迷って、伏せておく程の事も無いと、結局は結論を出した。


「兵部卿の、狭霧和敬って奴を知ってるか?」


「兵部――おぼろげに音だけ覚えている。顔は見ていないが」


「あんたが斬られた後で、あんたの手足を鋸挽きしようとしてた男だよ。性格は最低にねじ曲がってるけど腕は立つし、それ以上に仕事が早い――人を殺すって仕事はさ。あれに取っては残酷な殺しが娯楽で、娯楽だからとことん突き詰めて上達してくんだ。

 そんな奴が今じゃ、この皇国の首都の兵権を預かってる……凄い話だよな?」


 血の海に沈んでいた桜は、狭霧和敬の姿を見ていない。記憶に有るのは、エリザベートに何か叱咤をしていた様な、という程度の淡いものだ。


「適材適所かも知れんな。で、それが」


「まあ聞きなよ。んで、その和敬って男は、配下の兵から選りすぐって、精鋭部隊を作ったんだ。隊長に据えられたのは波之大江なみのおおえ 三鬼さんき、その下には百の兵隊を集めて――その中にあいつ、自分の娘を放り込んだ」


 はは、と乾いた笑い。紅野は自嘲的な顔をして、まだ煙臭い口を開く。


「あんたを斬ったのは狭霧 蒼空そうくう、狭霧和敬の娘。そんで――私は狭霧 紅野こうや、蒼空の双子の姉さ。妹が酷い事をした……って謝れば、あんたは気が済むかな?」


 桜は、応とも否とも答えられなかった。

 顔が同じであれば、双子という考えに辿り着くなど、そう難しい事ではなかった筈だ。にも関わらず、桜はそこに思い至らなかった。

 何故か――それは、蒼空という少女の雰囲気があまりにも、ここに居る紅野に似ていなかったからである。

 紅野は、どの村を探しても一人は居そうな、素朴な雰囲気を持った少女だった。対する蒼空は――これから先、生きていく姿を想像できない程に、命の気配の薄い少女だった。

 似ていない、とは言えない。だが、双子というには掛け離れている。


「……並べて着飾らせたいな、お前達」


 だから桜は、こんな軽口を叩いて、話題を終わらすのが精いっぱいだった。


「は、そりゃ無理だよ。あいつも私も、動きにくい服って嫌いなんだ。……そら、そんな事よりあんたの連れだ。ぼやぼやしてると日が落ちてくぞ?」

 また、紅野は廊下を歩き始める。背中が少し縮んだ様な気がして――桜は気まずそうに、右の瞼を中指で引っ掻いた。

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