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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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白装鬼のお話(4)

「隊長、包囲完了しました」


「うむ、御苦労」


 波之大江なみのおおえ 三鬼さんきは、大路の真ん中に立ち、部下達を見下ろして報告を受けていた。

 彼らが居る場所は、皇国首都ホテルの正面玄関前。ここには十人の兵士が、完全武装で待機していた。

 同時に、裏口から側面の小道から、ありとあらゆる侵入経路に、十人以上の兵士と魔術師を二人に――『錆釘』の構成員を二人。


「堀川卿、ご協力感謝致す」


「……そう思うんなら、他のお客さんが怯えへん様にしてもらいたいもんどすなぁ」


「生憎と、受けかねる提案に御座る。この宿には凶悪な犯罪者が潜伏していた。我ら白槍隊が居らねば、あ奴は舞い戻り、他の宿泊客を害するやも知れませぬ」


 五丈の髪は、一房も石畳に触れていない、全て針金を通したかの様に浮かび――幾つかの手を形作って、旧式の火縄銃を掴んでいた。


「それは、本心からどすか?」


 銃口の一つが、三鬼の眉間へ向けられる。


「否!」


 鬼は、その言葉だけは叫ぶように放った。叫んで――それから、己の失言を悔いたものだろう。


「拙者の心の斟酌は不要。貴君はただ、黒八咫が舞い戻ったその時に、我らに伝えてくれれば宜しい」


 大鉞を肩に担いで、鬼は夜の洛中を睥睨する。眼光は灯の如く、それこそ正しく鬼灯の目であった。






 夜陰と耳鼻の鋭敏、そして幸運に助けられ、村雨は皇国首都ホテルから二町の距離まで辿り着いていた。

 身体的な疲労はさておき、精神の消耗が激しい。常に全方向に気を配り、鉄と人の臭いを嗅ぎ分け続け――鼻を動かす度、桜の血の臭いが肺を満たす。その中に、魚が腐った様な臭い――或いは死臭とも呼ぶべきか――が含まれているのだ。

 それでも、あと僅かの距離を走れば助かる筈だった。宿へ逃げ込み、治癒術者を掻き集め――この頑丈な化け物女なら、きっと数日でまた、殴っても蹴っても色事を忘れぬ、普段の在り方を取り戻すだろう。


「そんな、うそ……なんで、こんな」


 その望みが、砕かれた。

 冷静に考えれば当然の事だ。慣れぬ土地で逃げようと思えば、ほぼ間違い無く、己の唯一知る場所へ――宿へ逃げ込もうとする。

 村雨は、自分がそれに気付かなかった事が、情けなく腹立たしくてならなかった。思えば以前、盲目の射手に狙われた時も同じ様に、敵は宿で待ちかまえていた。今回そうならぬ道理は、何処にも無かったのだ。


「……北、北へ戻って……山を登ろう、そうすれば」


 もう一つ、京で訪れた場所。そして匿ってもらえそうな場所といえば――『神山』、桜の数少ない友人の住む所だ。


「駄目、遠すぎる……ぅ、うー……!」


 桜の健脚を以てしても、徒歩ならば一刻近く掛かる距離。人間一人と刀二振りを抱えていては、果たして日が昇るまでに辿り着けるものか? 普段の村雨であろうと難しい事、だと言うのに――


「ぅ、っく、うぅ……痛、痛い……ぅあ、ぁ」


 もはや村雨自身も、動く事が侭成らなかった。

 負傷は無い。だが――血が、脚を濡らしている。腹を押さえて蹲る村雨は、元の肌が白いだけ、桜よりも顔を青ざめさせていた。


「こんな、時に……っ、ぅ……やだ、なんでよ……!」


 今宵は満月、月の巡る夜。桜の流した血の臭いに、己の血の香が混ざるのを、過剰に研ぎ澄まされた鼻が拾う。胎の痛みが邪魔をして、足に力が入らない。

 そして――声も抑えられない。苦しげに呻く声は、村雨が潜む細い路地の外まで、確かに洩れ聞こえていた。

 血の臭いに酔って、視界も黒で埋められて――顔を上げた時、村雨は漸く、自分が何人かの兵士に見下ろされていると気付いた。


「……ぁ、あ」


「目標を発見――おまけで子供が一人。どうする?」


 兵士は三人。何れも白い槍を手に、背をしゃんと伸ばして立っていた。練度の高さが窺える身のこなしである。


「命令に従えば、謀反人に与した者は殺害せよ。そうまでする必要は……無さそうだな」


「俺達、一応部隊長扱いだからなぁ。無罪放免でいいだろ、馬鹿馬鹿しい」


 淡々とした会話ながら、彼らの人格の一端は窺える。任務は忠実にこなすが、だがそれ以上の無益な殺生は好まない――比較的善良な者達らしい。

 彼らの一人が桜の腕を、もう一人が足首を掴んで持ち上げた。此処で何かをする訳ではないのだろう。運び、別な所で、狭霧和敬の言葉の通りに――


「ま、って……待って……!」


 村雨は、地を這う様にして、兵士の脚に縋りつく。脚を抱えられた兵士は、困った様な顔をして、


「……なあ、お嬢ちゃん。それは出来ないんだ、ごめんな」


 優しく、だが無情に告げ、村雨の手を振り解く。


「こいつはさ、悪人なんだ。その味方をしたら、お嬢ちゃんまで悪人にされちまう。そういうの、もう俺達もいやだからさ。

 だから……ごめんな、怨んでくれていい。俺達は俺達の仕事をするから」


「やめ、止めて……なんでも、するから……!」


 懇願は届かない。兵士達は悲しそうに、首を左右に振るだけだ。

 きっと、こんな悲劇は幾らでも見てきたのだろう。父母、兄弟、友人、誰か大切な人の命を乞う者を、彼らは出来ぬと突き飛ばしてきたのだろう。それが彼らの義務、為すべき事なのだから。

 だが、自分が多数の中の一だとしても、村雨は悲劇に甘んじられない。力の入らぬ顎で、兵士の足に噛みついた。


「……だから、やめろって……! もう沢山なんだよ、こういうの!」


 白脚絆の下に具足を着込んでいる。村雨の歯――牙でも、これでは貫通出来ない。軽く振り払われ、石畳に口付けを強制された。


「追って来るなよ、次はもう駄目だぞ……本当にだぞ!」


「正悟、怖がらせてやるな。ほら行くぞ、ちゃんと持ちあげろ」


 些細な抵抗は、何の成果も齎さない。桜の体は、まるで棒きれの様に運ばれて行く。


「止めて、連れてかないで……ねえ、待ってよ……!」


 立ちあがろうとして、やはり胎の痛みに足を引きずられ、転がる様に倒れた。

 夜空を見上げ、村雨は泣いた。何も出来ない、何の役にも立たない、自分の弱さが悔しかった。

 誰でも良い。自分に力をくれるなら、桜を助けてくれるなら、残り三十年程度の生を引き換えにしても――自分を引き換えにしても良い。助けが欲しかった。




 何故、何故そうも強く祈ったか。所詮は他人の命、村雨が殺される訳ではない。

 短くとも共に旅をした間柄だ。死なれれば悲しいが――だが、それだけの筈。乗り越えられない嘆きではなく、月日が忘却を手助けする、そんな痛みでしか無い筈なのだ。

 ならば自分は、何故こうも苦しみながら、桜の命に執着するのか。自分は――雪月桜という女をどう思っているのか。

 桜は――傍若無人で、周囲を顧みず、暴風の様に生きている。振り回されて面倒事に巻き込まれた回数は、とうとう両手の指を超えてしまった。その中で一度も、自分の行動を反省した様子は無かった。

 村雨は幾度も幾度もたしなめたが、桜は呆れる程、欲望に忠実だ。

 美食と美酒を貪り、美人と見れば粉を掛ける。言葉に限らず手でも目でも、戯れる事を我慢しない。その指に、舌に弄ばれた記憶は、今でも顔から火を噴きそうな程鮮明に思いだせる。

 然し――それは、不幸な記憶だっただろうか?



 異邦の少女と、顔を腫らすまで殴り合った事。

 盲目の射手に狙われ、夜の洛中を駆け抜けた事。

 夜空を焦がす炎の下で、人の強さを垣間見た事。

 遊郭に潜り込んで、巨躯の老婆を打ちのめした事。

 何時も隣には桜が居て、同じものを見て、同じ時間を過ごした。

 浜松近郊の蜘蛛洞窟、箱根山中の教会、島田宿の赤い壁――過ぎれば良い思い出と、笑って語る事も出来るだろう。

 品川を拠点に江戸の街で過ごした時間も、短くはあったが、今となれば懐かしい。遡れば遡る程、自分の行動の不可思議を見せられる。

 契約に縛られた身とは言え、何時でも村雨はこの旅から降りられた筈だ。そう望めば――桜はきっと、何時もより少し寂しげに笑って、二つ返事で応と言った事だろう。

 それを、村雨は知っていた。桜という人間を、きっと村雨は誰よりも深く理解している。共に歩んだ時間の密度は、これまでの生と同等に――それ以上に濃く、村雨を変えたのだから。



 ああ、自分を欺く日々は終わりにしよう。

 全ては始まりのあの日から――黒い瞳に射抜かれ、唇と舌で交わった時から、自分は桜に恋い焦がれていたのだと。




「あ、が――っ、か、はぐ、おっ……!?」


 血が、煉瓦壁を赤く濡らした。正悟と呼ばれた若い兵士が、首を抑えて仰向けに崩れ――手の下からは鮮やかな動脈血が、留まらず流れ落ちていた。


「どうした、しょう――正悟!?」


 桜の腕を掴んでいた兵士は、桜をその場に投げ出して槍を構えた。

 若い兵士は、最後に血を吐いて、己の顔を赤一色に塗りつぶし息絶えた。少し年嵩の兵士は、槍の柄を使って彼の手を退け、下に隠れていた傷口を見る。

 肉が、血管が食い契られている。一撃で致命傷、疑う余地も無い。苦しみは短かっただろう事が、ただ一つの救いであり――


「畜生、畜生……畜生ォッ!」


 槍の穂先が、狭い路地を薙ぎ払った。白槍隊の兵士は、同胞を無残に殺害した敵目掛け、白銀の穂先を振り抜いた。手応えは無く――槍を支える手に重さを感じた。打ち倒される筈の獲物は、槍の上に立っていた。


「ハハ、ッハハハ……アハハハ、ハハ、アッハハハハハ……アァ――」


 唇を、牙を朱に染めて、少女は高らかに嗤っていた。嗤い、空を仰ぎ、噛み千切った肉を咀嚼し、飲みこんだ。


「――美味しいね、これ」


 もう一人の兵士が、槍の柄に立つ彼女目掛け蹴りを放つ。それも跳躍して避けた彼女は、壁を蹴って空中で軌道を変え、兵士二人から離れた位置に降り立った。

 彼女は――村雨と、呼んで良いものだろうか。人の名前が、人格を収める器に冠されるるのならば、彼女は間違い無く、人狼の少女の村雨である。

 或いは――人の名前が人格に与えられるものならば、彼女は恐らく〝村雨ではなくなった〟のだ。

 怪物は月を仰いで産声の如き遠吠えを上げた。聞く者の怖気を呼ぶ、魔獣の咆哮であった。






 兵士二人は横に並び、槍を突き出して身構える。

 狭い路地裏の事、縦横無尽に槍を振り回す事は出来ない。数の優位に任せて、敵を近づかせない事が得策だ。言葉による意思疎通を必要としない、熟達した動きである。

 然し槍の穂を敵へと向けて、二人の兵士は何れも、歯の根をガチガチと鳴らしていた。自分より背も低く線も細く、武器の一つも持っていない少女――そんなものの声が、おぞましく恐ろしくてならないのだ。

 逃げられるものならば、背を向けて走っていただろう――逃げれば追われると悟っていた。人が人たる所以の理性より、動物的な本能が叫んでいた。

 村雨が跳んだ。高くではなく、低く横に――槍の穂を潜り抜ける程低く。地面への軽い一蹴りで、村雨は年嵩の兵士の懐へ潜り込んでいた。


「お――わ、うわあああっ!?」


 槍の間合いではない。咄嗟に年嵩の兵士は右膝を振りあげ、腹だけは守ろうとした。右足首の腱が噛み千切られた。

 村雨は恐るべき敏捷さで、振りあげられた足の下へ潜り込み、腱を食いちぎって離脱したのだ。筋張って不味いのか、咀嚼はせずに吐き出した。

 片脚を潰されて膝を付いた兵士――その顔を強引に上へ向けさせ、晒された喉へ、村雨は牙を深く沈み込ませた。


「あ゛、ぇあ゛、が――!? ――、――!!」


 音にならぬ悲鳴。甲状軟骨が噛み砕かれ、器を返したように血が零れた。村雨は、その血で喉を潤して――更に、獣に近付いていく。

 白く細い首も、腕も、灰色の体毛に覆われて――瞳孔は極限まで拡大し、平たい歯は一つも無く。脈拍数は上昇を続け、人外の筋組織に、平常の数倍の酸素を供給する。

 瞬く間に二人の同胞を葬られて、残された兵士に、もはや継戦の意思は無かった。全て、恐怖に圧し折られていた。

 だと言うのに、だからなのか。村雨は嬉々として、その兵士の頭を、路地の煉瓦壁に叩き付けた。

 兜の後頭部がへこみ、頭蓋骨に浅く突き刺さる。脳震盪を起こし、兵士は自分の手足で抗えなくなり――村雨は幾度も幾度も、彼の頭蓋を壁に打ち付けた。


「ッハハ、そうだ、こうすれば良いんだ……! アハハハハ……!!」


 幾度も、幾度も。兜が砕け、骨が砕け、兵士の頭が薄くなっていく。村雨は脳漿と血を浴びながら、やっと言葉を取り戻し嗤った。

 理性が無いのではない。理性が本能を抑え込まず、寧ろ油を注ぎ風を送るからこそ、村雨は村雨の形を保ったまま、化け物と成り果てる。今も彼女の理性は、この行為の正当性を叫んでいた。




 ああ、そうだ。こいつらは桜を殺そうとしているんだから、私に殺されたって仕方がないんだ。桜の手足を斬ろうとしたんだから、私に首を落とされても仕方がないんだ。

 だって――他の誰でもなく、雪月桜に。この短い生を更に縮め差し出して良いと、私を酔わせた人に、こいつらは刃を向けたんだ。だったら、殺してしまっても良いんだ。

 生かしておけば、また同じ事をする。ここで殺さないと、また桜が狙われる。

 私が――私が守るんだ。

 もう守られるだけじゃない。私の力で、私の意思で、私はこの人間を守り――この人間を愛し、そして。




「ッハッハッハハハハハハ……ッハアアァァァ――ぁ」


 西瓜の様に砕けた頭蓋から、脳と眼球だけを選んで、村雨は欲を満たしていた。食欲と――性的欲求にも似た、身を焼く疼きを。

 漸く満ちて、だがまだ足りぬ。鼻を頼りに次の獲物を――そう思って一歩歩き、地面に倒れた。

 痛みに鼻を押さえ、それから、何故転んだかの原因を見る。


「ぁ――あ」


 桜の手が、村雨の足首を掴んでいた。

 悲しい程に非力だ。今の桜の力など、村雨は片脚の一振りで解いて抜け出せただろう。それ程までに桜の傷は深く、出血は激しかった。

 本当ならば、動ける筈も無い。目も見えず耳も聞こえず、意識が有る事さえ信じ難い、半死人の様な有り様で――


「……駄目、だ……村雨、もう……」


 それでも桜は、村雨の凶行を止めた。

 村雨は鼻の痛みに涙しながら、周囲を二度三度と見渡し――凄惨な死体を三つ〝見つけ〟た。

 それから直ぐに、これは自分が作ったのだと思いだし――


「う――うぁ、ああっ、あ、あ……ああぁっ、あアアあぁァアァあアァァっ!!」


 人の声で、癇癪を起こした子供の様に喚いた。

 喚いて喚いて喉を痛め、追手も声を聞きつけて寄り集まって来る頃、村雨は頭に鈍痛を感じ、それから意識を失った。

 崩れ落ちる村雨を、完全に倒れる前に肩へ担いだのは、鬼に〝紅野こうや〟と呼ばれていた兵士。和敬の鋸を止めた時より、顔の傷が二つ増えていた。

 その後ろから、幾人かの武装した若者が――正規兵ではない、町人崩れだ――後を追って路地に現れる。内の一人は治癒術の心得が有る様で、桜の脇に屈み、傷に手を翳し何事か唱え始めた。


「急いで……傷だけ塞いどけ、多分そいつ死なないよ。ただ、歩かせるのは無理だろう。誰か背負ってやれ」


 短く周囲の者に指示を出し、肩に担いだ村雨に、それから桜に視線を向け、


「あー、事情は分からないけど、眠らせた方が良さそうだった。余計な世話か?」


 桜は、上がらぬ首を無理に曲げ、紅野の傷面を見上げる。


「……二人分……礼を言う」


 頭が落ち、血を飛沫かせる。今度こそ桜も、意識を完全に手放した。



 太陽暦で言うならば、十月の二十日、満月の夜。

 この日、雪月 桜は初めて敗北を知り、

 この日、村雨は初めて人間を殺した。

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