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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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白装鬼のお話(3)

 白槍隊――白備えの精鋭兵士達が、倒れた桜に槍を突きつけた。


「生きています」


「好都合よ。兵部殿には、生かして捕え、連れてこいとの仰せに御座った。ただ――」


 鬼は悲しげに、血の海に沈む桜から目を逸らす。


「腕も脚も、全てが凶器。鋸で挽き落として運べ……だそうな。惜しい事よ、誠に惜しい」


「惜しい?」


 槍兵達の中で、一際肝が据わっている者が、鬼の零した言葉を拾う。


「この女子、両手を塞がれて尚、蒼空そうくうの刀を肘で弾いた――胴を二つに断つ剣筋だったが。

 二度とこの猛者と戦えぬとは――侭成らぬものよなぁ、何も、何も」


「お待ちください、何もそうまでは。ならば命を断てば良い、徒に酷な生を与えるなど」


 エリザベートは斬り落とされた己の首を拾い上げ、肩の上に正しく固定しながら鬼の前に進み出た。

 死ぬ事と、何も出来ぬ体にして生きながらえさせる事と、何れが残酷であろうか。エリザベートは後者こそ、命よりも尊厳を奪う事こそ、無残なやり方だと信じていた。


「我らは兵部殿の直属、兵部殿の命により動く者に御座る。我らの判断は全て――」


「そうだ、俺が下し、俺の責に於いて実行する。心得たものよなぁ三鬼さんき、お前は良い部下だぞ」


 同じ事を――狭霧兵部和敬も考えていた。強者から強さを奪う事は最大の残酷刑であり、己の趣向を最大限に満たしてくれるものだと知っていた。


「大聖女どの、これは見せしめです。貴女の理想に立ちふさがる者が、如何様な道に堕ちるかを万天の下に晒す為の。ならば極力残酷に、見苦しく完遂せねばなりませぬ。お分かりか」


 野次馬の群れから頭一つ抜け出る長身は、然し鬼を前にすれば矮躯としか映らない。武士ならば腰に刀を下げるのだろうが、代わりに和敬は、巨大な鋸を吊るしていた。


「……分かりません。それは神も赦さない暴挙です。貴方も望んで地獄へ――」


「俺の地獄行きは定まっているのですよ。その巻き添えを増やしたくないと、そう望んだのは貴女の筈だ。ここで一人の四肢を落として、道連れを減らせるならばそれで良いのでは? それとも貴女はこの場の残酷を厭うて、後の世に億の禍根を残すおつもりか!」


 鋸を振りかざし、和敬はエリザベートを恫喝した。

 論理構築などまるで考えもしない、声量に任せて押し出す様な――然しその声は、エリザベートの何か、きっと人格を為す根幹に触れたのだろう。


「そうですね……貴方はいつも正しかった。貴方の言に従って、私は此処まで来たのですから……ごめんなさい」


「お分かり頂けたのなら、いや重畳、重畳。では改めて――まずは左足から落とそうか」


 エリザベートは十字架を強く握り、桜の前で膝間づいた。それから――止まぬ涙を袖で拭って、目を大きく見開いた。これから起こる蛮行を、一つ足りと見逃すまいと覚悟を決めたのだ。






 まるで理解が出来ず、また理解をしたくも無い会話だと、どこか乖離した様な意識の中で村雨は考えた。

 生きる、死ぬ、赦す、赦される、思考を弄ぶ趣味は無い。村雨は獣であり、単純な思考回路を持って生まれていた。だから、傲慢に敗者を見下ろす彼らを、理解する事は出来なかったのだ。

 二度と戦えぬだろうと、強者の死を惜しむ鬼。惜しいのならば助ければ良い、何故その力を振るおうとしないのか。自分ならば、迷わずその鉞で、兵士を散らして助けだすだろうに。

 聖人面をして、人の傷を戯れに癒しながら、同じ目で苦しむ桜を見下ろす女。苦しみなど生まれなければ――そう吐いた舌は何処へ消えたというのか。傷を治癒するその手で触れれば、一つの苦しみが消えるだろうに。

 鋸で手足を落とすと宣言した男――これだけは、少し理解が及ぶ。戦う事を好む人狼と同様に、この男は残酷な事を好むのだろう。だが、ならば何故――何故、桜でなければならないのだ。隣に立つその女を、無残に殺して悪い理由が有るのか。

 何故、何故、何故。何故を重ねて辿り着く。生きる事とは、身勝手の押し付け合いなのだ。

 雪月桜という生き物は、圧倒的なまでに強かった。だからこれまで、身勝手を押しつけられた事が無い。自分の意思を押し通し、全て思う様に為してきた。

 然し今、桜は何人かの敵に負けたのだ。だからその何人かは、ここぞとばかりに己の勝手を、常の強者へ押し付けようとする。この機を逃しては、後が無いかも知れないからと。

 その行為に、何か間違ったところが有るのだろうか? 何も無い。獣の倫理に照らすならば、勝者は常に正しいのだ。

 だが、村雨は、半分だが人でもあった。

 勝者は正しい、敗者は失うのみ。野生の原則に従い、ただ膝を屈して奪われるなど我慢が成らなかった。例え奪われるのが、自分で無かったとしても。

 いや――本当に自分は、何も奪われていないのだろうか? 次の思考は、酷く短かった。

 応にして、否。自分は確かに失っていないが、これから失う事になる。そう気付いた瞬間に――


「あ、あ――ガ、アアアアアアァッ!!」


 村雨は吠えて、馳せていた。

 遠巻きに見ていた野次馬の群れから抜けて、低空を飛ぶ様に、桜の下へ。エリザベートは何もせず立っているだけで、


「なんだ、犬かと思ったぞ」


 和敬は、鋸を村雨の顔目掛け、羽子板の様に振り抜いた。


「――ッ!! ……あ、あれ……?」


 火花が散り、鋸は、村雨の髪を揺らしただけに留まる。白い槍の柄が、鋸を受け止めて弾いていた。

 咄嗟に飛び退いた和敬の、足の有った筈の位置に槍の穂が刺さり――引き戻された槍が、エリザベートの心臓を貫く。それでもやはり彼女は生きているのだが――寸刻、白槍隊が怯んだ。


「副隊長!?」


「乱心したか、紅野こうや!」


 兵卒が、そして鬼が、槍の持ち主に打ちかかる。揃いの白装束の兵士、その一人が、何の気まぐれか村雨を救ったのだ。

 兜に隠れて見えづらいが、傷の散らばる顔であった。背丈は低いが、放つ気迫は武人のもの。鬼を含めた全ての兵士が追撃を戸惑う中――


「………………」


 白髪の少女だけは、紫の刀を振るって、紅野と呼ばれた兵士に斬りかかる。槍の柄で受け止め、すぐさま突きを返し、これもまた目を奪われる様な一騎打ちであった。


「だよな、お前だけは来ると思ってた。……おい、さっさと担いで走れ!」


「あ――え、え……?」


 目まぐるしく状況が変わり過ぎる。村雨は、何故自分が助けられたかも分からなかったが――好機だとは嗅ぎつけた。

 脇差は、桜の腰の鞘へ。太刀は戻すのに手間が掛かる――柄を咥えた。並みの刀に数倍する重さだが、村雨の顎と歯なら――〝牙〟なら耐えられる。己より七寸も背が高い桜を、腰から二つに折る様に抱え上げ、村雨は跳躍した。


「おう、跳んだ。逃げるぞ逃げるぞ、追え。そこのは蒼空に遊ばせておけ……後で人形でもくれてやるか」


 民家の屋根を足場に、向こうの通りへ消えた村雨を、白装の兵士が追って行く。それを見送って、小さなあくびを噛み殺し――狭霧和敬は、報告待ちの為に二条城へと戻って行った。






「何よこれ、もう、何よ、何なのよ……!」


 通りを幾つか駆け抜け、大型店舗に挟まれた路地裏に腰掛け、村雨は喚き、煉瓦壁を殴りつけた。

 頭の中身が掻き混ぜられて、情報が全て混濁している。暫しの間は、自分が誰で何をしていたか、それさえ思いだすのに時間を必要とする程であった。

 が――やがて冷静さを取り戻し、自分の体を濡らす血に、桜の現状を思い出した。小袖の脇を噛み裂き、傷口を露わにする。

 桜の左脇腹は、内臓が傷口から見えるのではないかと思う程に、深く切り裂かれていた。血の臭いが濃く、僅かな間、村雨は酩酊したかの様に体を揺らす。首を振って、傷口を手で押さえ――無意味と気付き、別な手段を探した。

 傷口を縛るもの――以前、似た様な事が有った気がする。咄嗟に村雨は、桜が撒いている晒を解いて引きずり出し、小袖の上から傷口に巻き付けた。

 解けない様に堅く縛って、それからやっと、黒太刀を鞘に納めて止め具を掛ける。鼻をひくつかせ、まだ追手に気付かれていない事を知り安堵した。


「……戻らないと、ここは……ええと、街の北の方。ホテルまでは……」


 京都の街並みは碁盤の目。方角さえ分かれば、知らない道であろうが、目的地には比較的容易に辿り着ける。村雨はまず、皇国首都ホテルへ逃げ込み、『錆釘』の治癒術者に頼る事を考えた。

 人間一人を抱えて走ると考えれば――村雨の足を以てしても、やはり四半刻は掛かるだろう。それも、舗装された表通りを走ったと考えてだ。身を隠しながら進むとなれば、絶望的に長い道のりである。


「難しい、けど……他、頼る所なんて無いし、ああ……!」


 傷を無理に縛り、出血はどうにか抑えている。直ぐに死にはしないだろうが――刻限は、いつかやってくる。早く手当を出来る者に引き渡し、傷を塞がねばならない。

 医者を此処へ連れてくる事も考えたが、この状態の桜を於いて、どうして離れる事が出来るだろうか。今も追手は、桜を捕えようと洛中を駆けまわっているのだ。


「……!? 臭いが近い……!」


 過剰なまでの金属の臭い――つまりは武装した兵士の臭いが、村雨の潜む路地裏に近付いてきた。

 桜を担ぎ、音を立てない様に、村雨は臭いの反対側から通りへ出る。表通りに出るのは危険だが、どうしても何度かはそうしなければ、目的の箇所までたどり着けない。

 救いは、秋の日の落ちる早さだろうか。桜と鬼が争っていた時点で、既にかなり日は傾いていたのだが、今は街全てが朱色に染まっている。

 もうじき夜が訪れる――そうすれば、人の目を欺ける。それだけが村雨の希望で――人の技の前には、儚い望みでしかなかった。

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