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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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白装鬼のお話(1)

 二条城、地下。人骨で作った食器を用いて、狭霧兵部和敬は昼食を取っていた。


「うーぬ、これをどう思うね、どう思う?」


「行儀が悪いと思います」


「そうでなくてだな」


 箸で漬物を口に運び、味噌汁で押し流しながら、左手に持った瓦版を掲げる。側近の冷ややかな一言に、素直に箸を置いた。


「見ろ、ほれ。もう少しこそこそやっていれば良いものを、わざわざ顔まで晒しよって。これでは俺達とて動かずに居られん、謀反人を野放しにしてはおけんぞ」


「野放しに、しておきたかったんですけれどねぇ」


「そうだなぁ、全く外人は細やかな気遣いを知らんから困る」


 茶碗を引っ繰り返し、味噌汁の中に白米を放り込み、拳に握った箸で掻き混ぜる。味など不要、腹が満ちればそれで良いとばかりの食べ方に、和敬の側近は思わず眉を顰めた。尤も、顔を完全に覆う鉄兜が、その表情の変化を知らせはしなかった。

 この二人が頭を悩ませているのは、今朝方洛中にばら撒かれた『つぁいとぅんぐ』という瓦版についてである。つい昨日まで客人と遇していた、ルドヴィカ・シュルツの置き土産だ。

 別に今更、誰か知らぬ者がいたとも思えぬ様な事実を書かれたとて、政府に実害は無い。が――時代の最先端、写真機とやらで顔を写された女の存在が、和敬には懸念事項であった。


「兵士数十人を無傷で、だとよ。どう思うね、俺で勝てるか?」


「無理ですね、一合で首が飛びます」


「俺もそう思うのだ。では誰が止める? 止めん手は無いぞ、大っぴらに反逆者であると知らしめたからには、国家という物に殺される必要が有るのだ。それが近代化というものよ、なあ?」


 『錆釘』が、少なくとも表向きには服従し、それなりに質の高い手駒は動かせるようになったとて、やはり一個人の圧倒的武力は持て余す。だが、所詮は人間一人の行動範囲、被害は然程大きくもならない。

 なればこそ和敬は、政府兵士を狩る黒衣の女を、存在は知りつつも半ば無視していた。無理に殺そうとすれば噛み付かれる。獣の牙に掛かって死ぬなど御免だと、保身が為の思考であった。

 だがこうして、兵士を打ち倒す者であると洛中に存在を知らしめたからには――この女を、生かしておいてなるものか。味噌が沈殿した味噌汁の上澄みだけ啜りながら、和敬は思った。


「厄介なのはな、結びつく事だ」


「どれと、ですか?」


「全部だ。仏僧も神道も、俺の政敵も外敵も、何か足掛かりは探してるだろうよ。こいつは丁度良い踏み台だ、安い餌で走るだろうし踏み台にもしやすい。万が一に死んだとて、大きな痛手になるでもない……邪魔だなぁこいつ。

 つまりな、こういういくさ狂いは利用しやすいのだが、俺達の側にはまず傾かんだろう事が問題なのだ」


 遠からず――いや、もしかすれば直ぐにでも、この黒衣の女は、二条の城に刃を向けるかも知れない。その時に、誰がこの女を止めるのだろうか? この女を盾に行軍する、数千数万の軍勢を押し留めるのだろうか?


「……どうにもならんなぁ、最後の札を切るか。ああくそ、こいつを最初に出しておけばよかったなぁ」


「出し惜しみは悪徳です……〝鬼〟殿を?」


 和敬の側近は、膝を崩してから立ちあがった。襖に手を掛け、それから主の命令を受け取ろうとする。裁量する範囲を大きく任せられているからこその独断独行で――耳を疑るかの様に振り向いたのは、責任を逃れたいが為である。


「ああ、戦装束で出て頂け。全ての人的損害、物的損害は俺の権限内で処理する。今は五百の兵を殺そうが、この女一匹を殺す事が先決だ。今ならば、それが出来るのだ」


 あとな、と和敬は付け加え、頭蓋の杯から酒を啜る。果実から作られた洋酒は、血の様に赤い色をしていた。


「運良く生け捕りに出来たら、四肢を潰した上で裸体を晒させよう。昼は雑兵に身を汚され、夜は素肌を寒風に刻まれる。得た力の一片たりと用いる事なく、無力のままに慚死させるのだ。良いだろう?」


「鋸と焼き鏝、それから治癒術の術者。晒し台は馬車の後ろに繋いでおきます」


「分かってるなぁ、お前は本当に分かっている」


 和敬の上機嫌は、白米を腹へ掻き込む速度が語っている。彼の側近は、変わらず表情を鉄面の下に押し込めたまま、廊下を小走りで渡っていった。






 血の臭いは薄れないが、爽やかな秋晴れの朝の事である。村雨は未だ引かぬ顔の腫れを抱えて、ゆるりと街を歩いていた。

 あの喧嘩から数日過ぎて、西洋の暦ならば今は十月の二十日。薄着でいれば、時折は寒さを感じる時節だ。

 この日、村雨は、余暇をのんびり過ごす為の書物を探していた。自分の為ではない、桜が読む物である。


「うがー……あの記者、いつか本気でぶん殴ってやるー……」


 怒りの矛先が、かの少女記者ルドヴィカに向いているのは、桜が下手に外出できない立場となったから。その結果、自分が使い走りをさせられている事が原因である。――そも、それが仕事だという事は都合良く忘却した。

 先日洛中に撒き散らされた瓦版は、雪月桜という名前こそは載らなかったが、特徴的な衣服と氷像の如き容姿を、余すところなく絵に写していた。文章を追ってみれば、政府の兵士相手に大立ち回りをした事実を、殊更煽りたてる様な内容。

 思えば、下見をさせられた時に止めておくべきだったのだ。

 読み物として見る分には良いが、なまじ事実ばかり書いてあるだけに、大っぴらに広められると反論ができない。そして写真というものの正確性は、錦絵などとは訳が違う。写実的なんて言葉が無価値になる程に現実を写すのだから、描かれた者が誰の目にも明らかとなるのだ。

 おかげで昨日など、村雨はとんだ騒ぎに巻き込まれかけた。茶店の美人に声を掛けていた桜が、拿捕に来た兵士三十人ばかりを、白昼堂々叩きのめしたのだ。

 屋根伝いに逃げ、夜まで身を隠し、人目を避けて宿へ戻る。宿では堀川卿が、もう全て諦めたと言わんばかりの顔で待っていた。


『頼むからもう外出せんどくれやす……』


 不要な争いを避ける、そういう方針の堀川卿である。もはや半分程泣き顔での懇願に、桜より先に村雨が折れた。どうにもならぬ時は真夜中に――それ以外の全ての用件は、村雨が代わりに済ませる。そういう事で纏まったのだ。

 だのに村雨が仰せつかった買い物の内容と言えば、十四の少女が買い漁るにはそぐわぬ本――西鶴の好色物やら、どぎつい春画本やら。

 桜が敢えて真っ当な読本を選ばず、こんな物ばかり指定したのは、やはり羞恥に染まる村雨の顔を見たかったとそれだけの理由だろう。変わらずぶれぬ女であった。


「……良し、陰間同士の絡み本でも買ってかえろう、うん」


 恐らくは桜に取って、食卓で虫の話をするより効率的だろう報復手段を考えつつ、ふと村雨は顔を上げた。

 右手の方角、人間の群れの臭いがする。それが――傷病者に特有の、組織液の臭いが強いと感じとった瞬間、村雨は咄嗟に走り出していた。

 角を二つ曲がれば、先程より少し細い通りに出た。背の高い建物の影で、あまり裕福ではなさそうな人間が寄り集まる――つまりは、江戸でいう長屋の様な所である。表通りより少しだけ、道行く人の身なりがみすぼらしかった。

 石畳も敷かれず、見慣れた小石と砂の道。そこに老若男女問わず、合わせて三十人ばかりが跪いていた。


「……何してるの?」


 危険は感じなかったが、好奇心は有った。端の方に居た老婆に訊ねると、皺だらけの柔和な笑顔が返る。


「あぁらあら、酷い怪我をして。どうしたの、痛くない? もうすぐだからねぇ」


「えーと、うん、痛くないから大丈夫。何してるの?」


 老人に特有の、まず自分の言から入ろうとする会話。適当に受け流し再度訊ねると、


「あら、御力を受けに来たんじゃないの? そうなのぉ……でもどうせだしねぇ。治してもらいなさいな」


 やはり要領を得ない答え。見かねてか、横に座っていた男性が言葉を引き付いた。


「エリザベート様がいらっしゃるんだ、私達の為にです。うちの婆さんは腰が直ったし、私もほら」


 男性は着物の片肌脱いで、村雨に右肩を見せた。かなり巨大な火傷の痕が有った――よくぞ生きていたと驚嘆する程の。背中の大半、脇腹から胸、腹。傷はほぼ治癒し、皮膚も引き攣れているが、衣服を羽織って痛みも無い程度に回復していた。


「それ、どうしたの?」


「……私の家の隣に寺が有りまして。焼けた柱が倒れて来たんですね」


「え――数日前じゃない」


 村雨は耳を疑った。この規模の傷が、そんな短期間で治る筈は――そこまで考えて、それは野生の常識だと思いなおした。

 魔術全盛の世の中だ、治癒の術も進化している。村雨自身、致命傷を負った人間が魔術に命を掬われた光景を、一度確かに見ているのだ。

 島田宿で、あの杉根智江が用いた治癒魔術――傷の殺菌消毒と縫合、肉や血管の再生までを同時に行うものであった。医療技術だけでは決して辿りつけぬ瞬間的な治癒、その可能性は十分に知っているのだ。

 然しあの時は――治療された男は、ついに腕の機能を完全には取り戻さなかった。肉も皮膚も元より弱弱しく復元され、もう包丁は握れないだろう有り様だった。

 それが、この男性の火傷痕はどうだ。見事に治癒し、皮膚の他に何も異常は無い。筋肉も神経もきっと健常者と変わらず働いているだろう。


「家族の為に働けないかと思いましたが……はっはは、もう米俵だって担げますよ」


「ほんならうちにも一つ運んでくれへんか?」


「駄賃は頂きますよ」


 中年の女が冗談めかして言った言葉に、男性は爽やかに言葉を返し、集まった皆が笑った。凄惨な傷跡だと言うのに陰鬱さが無く、村雨も思わず釣られて笑ってしまった。


「皆様、お元気そうで何よりです……楽しいお話かしら?」


 笑いがさざ波のように引いて、代わりに喜びと畏敬の念の混ざったどよめきが起こった。僅か三十人ばかりが発しているにしては、あまりに強い声だ。感情の大きさを表している様だった。

 静かに、足音も無く現れたのは、小柄な一人の女であった。村雨と背丈は然程変わらず、骨格もかなり細く出来ている。その儚さと言ったら、紺色の修道服の上からでも、線の細さが分かる程だ。

 頭巾は身につけていない。視界を広く持つのは、それだけ同時に大勢の人間と向かい合う為か。きっとそうなのだろうなと村雨が思ったのは、彼女は場の全ての人間と、必ず一度は目を合わせていたからだ。


「エリザベート様! お待ちしておりました……!」


「平十、肩の調子はどうですか? 貴方の手は荷を運ぶだけでない、家族を抱く為に有るのです……大事になさい」


 片肌脱ぎの男に歩み寄り、女はさっとその肩に触れた。手が重なり、そして離れた時には、男の引き攣れた皮膚は、子供の様に滑らかなものへ変わっていた。


「おお……ありがとうございます、ありがとうございます……!」


「奥さんのお腹の子、見てきましたが……おめでとう、一度で二児の父ですわよ」


 地に伏して己を拝む男に、もう一つ優しい言葉を掛けて、修道服の女――エリザベートはまた別な者へ歩み寄る。


「お関、力仕事は男衆に任せなさいと言ったでしょう……腰は長く響くのですよ?」


 村雨に声を掛けたあの老婆の背を、エリザベートはすうと撫でた。途端、老婆の表情が、雲間から光が差した程にも明るくなった。立ちあがり、両手を掲げてぴょんぴょんと飛び跳ねる姿は、子供がはしゃぐ様で微笑ましい。


「金蔵、指はもう動きますか? ……これなら指相撲も出来ますね、えい」


 手に包帯を撒いていた、三十過ぎの男。その手を握手する様に握られ、親指を親指で押さえられ、赤面する様を笑われる。彼の細君とおぼしき女性が、鼻の下を伸ばす亭主の頭にげんこつをぶつけた。


「駄目ですよ、ふく? そんな事だから金蔵がこうなるんです……ちゃんと手綱を握りませんとね?」


 ふくと呼ばれた女性は、顔に大きな火傷痕が有った。エリザベートの手が一度触れると、爛れた皮膚は忽ちに、染み一つない肌へと変わった。


「……わー……これ、どういう……?」


 目の前の出来事に、村雨の理解は追い付いていなかった。

 村雨の嗅覚は、魔力の流れを察知する。これが治癒魔術による現象である――それは感覚的に分かっていた。

 分からないのは、魔力の流れの少なさと、得られた結果の大きさの差異だ。高位の術者が詠唱を伴い、然して完治させる事は出来ないのが人体の精妙さ。それをエリザベートは、ただ手を翳すだけで治してしまう。それも、負傷する前の機能を完全に伴ったままで。

 こんな事が可能だったのか――実際に今、可能にしている者がいる。


「貴女は……あら、初めて見るお顔。旅の方かしら?」


 エリザベートの手が、村雨の頬に触れる。顔に残っていた青痣も切傷も、肉に染みていた痛みさえ、全てが瞬時に消え去っていた。


「折角の可愛らしいお顔なのです、大事にしなくてはなりませんよ?」


 真実、慈愛からの忠言を受け止めて、村雨は戸惑いつつも頷き――そっと、人の群れから離れる。離れて歩き、角を曲がってから走り、元の通りまで逃げて漸く息を吐いた。

 逃げた理由は――村雨本人さえ分からない。だが一つだけ、心当たりは有った。


「あれが〝大聖女〟エリザベート……? あんな、普通な人が……?」


 『聖言至天の塔教団』、黒い噂ばかりを聞く怪しげな団体。自分達と敵対した事も、一度や二度ではない相手。

 その頂点に立つ教祖が、巷間に人と戯れて人を癒し、あまつさえ自分にも慈愛の笑みを向ける。その異常が――心地好くて、溺れそうだったからだ。

 今も向こうの通りから、朗らかな笑い声が聞こえてくる。楽しそうで、後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、村雨は歩き始める。数歩ばかり歩いて――突然、道の脇に座り込んだ。

 北から吹き始めた風が、最早自分にも染みつく程馴染んだ臭いを運んでくる。俄かに痛みだした腹を抱え、脂汗の量に比例して鋭敏になる嗅覚に任せ、村雨は風上を目指す。

 昨日の月は、良い月だった。そんな事を、村雨は思い返していた。

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