異能のお話(3)
氷の拳を防いだ壁は、現れた時と同様に、一切の予兆も無しに消えていった。氷が溶けて生まれた水は、熱されて既に蒸発していた様で、道路はからからに乾燥したままである。
「……このガキ共の飼い主か?」
立ち去ろうとしていた筈の男は、新たに現れた女が、自分に並々ならぬ敵意を抱いている事を肌で感じ取ったか。開いた両手に魔術の予兆、奇妙な臭いが集まっていくのを、村雨の鼻が捉える。
「うむ、いかにも。首輪を付け忘れたのが失敗だった」
冗談のように口にしているが、声も目も、酷く冷たい。この怒りの矛先が自分でない事を、村雨は僅かでも疑ってしまう。当座の危機が去った時、次に訪れたのは恐怖心だった。
引っ手繰りの男と戦っていた時の恐怖は、身が傷つくという具体的な事態へのものであった。今の村雨が抱いているのは、桜という人間の怒りそのものに対する恐怖。無様に叩き伏せられた自分へ怒りが向けられる事に、何故であろうか、村雨は酷く怯えたのだ。
「姐さん、すまねぇ……お届け物も、それに、こちらのお嬢さんも……」
「源悟。自分を知れと何度言えば分かる。勝てぬ相手に喧嘩を売るな」
「ちょっと、その言い方は……!」
詫びる源悟にも一瞥をくれただけで、桜はやはり声音を変えない。滑る様な足取りで、地に拘束された村雨へと近づいてくる。
源悟の手が、氷柱で地面に縫い止められている姿が見えないのかと、村雨は訝らざるを得なかった。そうでなくては自分を慕う者を、ああも邪険に扱える筈がない、と。
咎めだてる声に返事は無い。村雨の四肢の拘束、氷の枷を桜が掴む。指を巻きつけ、拳を作る様に軽く力を込め――びし、と鋭い音がした。枷は握りつぶされて、あっけなく地面から引きはがされていた。まずは両腕、次に両脚。四肢が解放されるまでに、桜はたった四度、右手を握っただけだった。
「……あ、ありがと……って、え、ちょ」
反射的に礼を述べた村雨を、桜は無言で仰向けに横たえる。傷だらけの無骨な手が、村雨の洋装の裾を捲り上げ、直接腹部に触れた。
「い、痛っ……!」
「……ふぅ、折れてはおらんな」
腹ばかりを狙われた為か、村雨の肋は無事で済んでいたらしい。内臓も、現時点で大きな痛みがない以上、打撲の影響は有ろうが大きな損傷は無いだろう。医者程の精度は無くとも、桜は手の感覚で、村雨の負傷の度合いをそう見てとった。
痣に触れられる痛みに顔をしかめながらも、村雨は、確かに聞こえた溜息に耳を疑った。その色は落胆ではなく、そうであって欲しいという憶測かも知れないが、安堵の意を示している様に感じられたからだ。
まだ体全体に、内側に染み込むような鈍い痛みが残っている。それも、たった一つの溜息だけで、随分薄れた様な気がした。腹の上に置かれた手は、氷に触れたばかりで冷たかったが、ひんやりと気持ちよかった。
し、と風を裂く音がして、村雨の意識が現実に引き戻される。飛来した氷塊を、桜が左手で受け止めていた。忘れる筈もないのに忘れかけていたが、ここは江戸の町の路上で、自分を叩き伏せた男は、まだ十歩の距離にいる。思いだして村雨は、痛む腹を抑え体を起こした。
「なんだか知らねえが……喧嘩ぁ売ってると見ていいんだな?」
「おう、それで良いぞ。今の私は、酷く不機嫌なのでな」
距離を確保したままで、先んじて攻撃を仕掛ける。荒事に慣れているらしい男は、村雨達を相手取った時に比べ、一段と慎重になっている。下卑た笑いは消え、真剣味を帯びて細められた目は、これまでさえ本性を現していなかった事を、村雨に、そして源悟に悟らせた。
一方で桜は、少しばかり声の冷たさが抜けて、平常の諧謔精神が顔を覗かせている。構えは取らず、ただ道を歩くような顔をして、ふらりと前に出た。それが、第二幕の始まりの太鼓となる。
「『吹っ飛べ』!」
男の初撃は、おそらく最大級の一撃だろう巨大な氷の拳。手を読まれる前に仕留めようという腹で放たれた拳は、桜に届く前に、また現れた炎の壁に阻まれた。本来なら実体がない筈の炎が、巨大な重量物を阻み、叩き落とした。
「……ふっ、らぁっ!」
その壁をぶち破って躍り出た桜は、落下した氷の拳を拾い上げ、片手で大きく振りかぶる――炎で幾らか溶けたとは言え、直径二尺は有る拳形の氷を、である。指を引っかける部分など、落下の衝撃で破損した、僅かな直角面くらいの者だろう。
そして、軽々とぶん投げる。山なりの軌道ではなく、地面と平行に、おそらくは男が射出したのに倍する速度で。狙いは過たず、男の腹。
「うぉっ……ぐあぁっ!?」
巨体を利して踏ん張ろうとするが、然し男の体格で有っても、その剛速球を受け止めるには至らなかった。防御の上から肉を打つ、己の武器の特性で腹を痛めつけられ、跳ね飛ばされる。内臓が揃って腹の中で動くような感覚を、今度は男が味わう事となった。
「くそ、てめぇ……『吹っ飛べ』『吹っ飛べ』『吹っ飛べ』ぇ!」
立ちあがる間も惜しいのだろう。男は上体だけを起こし、右腕を振り回す。村雨が一歩も踏み込めずに終わった、小氷塊のつるべ打ちだ。
前回は少しばかり遠慮や出し惜しみが有ったのかも知れないが、今の男は一切の余裕を捨てている。その数と速度は、一列に並べた弓兵の一斉掃射にさえ似ていた。
それが、桜には通じない。一撃目を拳で砕き、二撃目を掴んで三撃目の盾にし、四撃目は肩に命中するが、一瞬たりと怯みもせず。続く乱射を破壊し、打ち払い、投げ返し、受け。氷の弾幕に身を投じた桜は、低空を跳躍する様な特殊な歩法で、男との間合いを四歩で踏破する。
寸秒の攻防、男の懐に潜り込んだ桜は、振り回される右腕を左手で掴み取る。
氷の枷を握り砕く手だ、男の腕もぎしぎしと軋む。皮膚の上から腕の腱が締めあげられて、指は自然と丸くなり、開こうにも開けずにいる。
「ふむ、良く鍛えてある……術の練度も上々。だが根性が気に入らんな」
「ぐ、ぐうううぅぅっ……! てめ、この……グシャグシャに『ぶっ潰れろ』!!」
痛みに呻きながらも男は、この状況を好機と取った。相手は自分の腕を掴み、直ぐには離れられない至近距離にいるのだ。
桜の頭上に、形などもはや考えていないのだろう、歪で巨大な氷塊が作り出される。水を集め、その体積を数倍数十倍にも増し、凍結させた、五十貫を超える奇形の巨塊。下敷きになれば命は有るまいと、男はここへ来て明確に、敵の殺害を意図した攻撃に出た――敵が並みの人間であれば、確実に押し潰して殺す事が出来た筈だった。
「……ふん、他愛ない」
それさえも、桜にはまるで通じない。右手を掲げ、事もなげに手の平で氷塊を受け止める。投げ捨てようとして、周囲にこれを置く場所がないと知るや、桜は男を忘れたように空を見上げた。
肘と手首だけを使い、氷塊が垂直に打ちだされる。三丈も跳ね上がり垂直降下に転じた氷塊が、空中で炎に包まれた。高温の為に赤を超えて青く染まった炎は氷塊を完全に融解せしめ、男と桜の頭上に、瞬間的に雨を降らせた。
「凄……あ、え……?」
「うお、俺の、術が……うおああ、ああああ!?」
村雨は、ただ驚愕し、感嘆し、畏怖する。自分が何も為せぬままに終わった相手を、子供でもあしらうかの様に追いつめている桜。あの炎がなんなのかは分からない。魔術行使に共通する予兆を、村雨の鼻は嗅ぎとっていない。目視するだけで外界に作用する術など、存在するとさえ思っていない。ただ一つの心当たりは有るが、それが桜に該当するものとは、どうしても信じられなかった。
増してや男は、何が起こっているのか、理解の試みさえ放棄した。自分自身の手はあえなく破られ、腕を掴まれ、逃げられない。混乱し、ただ自分の身を守る為だけに、氷の壁を生成。凍傷をもいとわず、体の前面、首から下に張り付けた。
「あれは私が雇った娘だ。ああも痛めつけたからには、知るも知らぬも知ったことか……」
だが、もはや防御手段の多寡など、桜の怒りの前には無意味である。腰を落とし、弓を引くように右拳を背面に回す。その構えは武術のものではなく、破壊力という一点を追及したが故に生まれた、有り得ない程に大雑把な構えだった。
「死ぬなよ、後が面倒だ――!」
源悟の目には、桜の腰から上が消えたように映った。村雨の目は桜の右拳が、男の氷の防壁を、錐のように貫いたのを確かに見た。
力と速度を極めたならば、そこにもはや技は必要無い。避ける事は叶わず、防御は全て砕かれる。人が人たる所以の知恵を、完全に捨て去った獣の所業。
残心も取らず拳を振り抜き、伸びきった体。その上に降る砕けた氷は、陽光を受けて輝いている。三尺の髪が靡き、人ならざる何かが翼を広げたようであった。
綺麗だと――心ならずも嘆息する。秒にも満たない時間で消えたその光景は、一枚の絵のように村雨の目に焼き付いていた。
ざ、ん。路面を抉って、男が地面に叩きつけられる。五間も後方に飛ばされ、悲鳴の一つを上げる間も無く、男は血の泡を吐いて昏倒した。
「あったたたたったたた! 痛え! 姐さん、痛え!」
「我慢しろ、溶けるまで待つ訳にもいかんだろうが……ほれ、これで良し」
源悟の手に突き刺さった氷柱が引っこ抜かれる。少々やり方が荒かったが、あのまま地面に張り付けになっているよりは良いのだろう。桜は懐から包帯を取り出して、源悟の手に巻きつけていく。
「……ん? ちょっと待って桜、包帯なんて持ち歩いてるの?」
「いいや、そんな面倒な事はせんぞ。邪魔になるだろうが」
村雨は首を捻った。桜は包帯を持ち歩くような奇特な人間ではないだろうし、本人もそれを否定しているのだ。では、今こうして、源悟の手に巻かれている白い布は何なのか。
「……一応だけ聞いておくけど、それ、もしかして」
「晒だ、こういう時には役に立つ」
「ああ、やっぱり……巻きなおすの手伝うの嫌だからね」
「え? このままでは風通しが良すぎるのだが」
「え、じゃないよ馬鹿。後先考えなって……」
やはりこいつは物事を良く考えていないのだろうと、村雨は改めて思った。斬るか何かして一部だけ使えば良いところを全部使ったものだから、源悟の手は毬がくっついたような有り様なのだ。
「……全く、無意味に大きいんだから自覚してよ……」
はぁ、とため息を零す村雨。これは間違いなく呆れの意味だ、他の解釈の存在の余地は無い。小袖の前の合わせ目が、機能しているとは言え心許無く感じて、掴んで閉じてやりたいと思ってしまう。
そんな村雨の内心はお構い無しに、桜は引っ手繰り男の長屋を漁っていた。どんがらどんがら、家財の一切合財をひっくり返す音がする。終わった後であの部屋に人が住めるかどうかは、この際考えない事にした。暫くは部屋を荒らす音が聞こえ続ける。
やがて騒音が止み、桜は木箱を抱えて出てくる。まだ二日の付き合いしかない村雨だが、桜がこうも上機嫌な笑顔をしているのは初めて見た筈だ。目を少し細める以外、笑い方を知らない人間だとさえ思っていたのだが。
「あなた、そんな顔が出来るんだ」
「ふふ、頬も緩むというものだ。これが届くのをどれほど待ったか……」
箱の中に収まっていたのは、一振りの短刀だった。これもまた黒塗りである。そこは指摘するまいと、村雨は半ば諦めの境地だった。
それよりも面白いのは、この短刀は鞘も柄も、全てが鋼作りなのだ。これでは重心が手元にずれ込んで扱い辛そうに感じるが、何故このような作りにしたのか、村雨は直ぐに理解した。桜が、短刀の柄を掴み、全力で握りこんでいたからだ。
「見ろ、砕けない。これなら思うように使えるぞ」
「……馬鹿力って、結構困るんだね」
思うに桜は、全力で刀を振るう事が無いのだろう。万力込めて握りこめば、下手な作りの柄では圧縮され、砕け散る。卓越した剣技を持ちながら、武器が枷になっているのだ。だからこそ、例えそれが短刀でしかなくとも、全力を受け止められる刃物を得て喜ばない筈が無い。縁日で風車を貰った子供のように、桜は短刀を日に掲げ、誇らしげに歩き始める。
「帰るぞ、村雨」
「源悟はどうするの?」
「あれはもう歩けるだろう。私が付いていく意味もない」
「へえ、相変わらず手厳しい……いや、帰れます、大丈夫でさあ。こんな事でまでお手を煩わしちゃあ、預かった十手が夜泣きすらあ」
源悟は何時の間にやら、元の少年の姿に戻っていた。横になっているうちに脳震盪は収まったのか、足取りはしっかりしている。あの巨体に化けていたのだ、分厚い筋肉は打撲症を軽減していたのだろう。
かたや村雨は痩躯である。すたすたと歩き出した桜の後を追って歩を速めれば、あちこちの打ち身がずきずきと痛む。それでも無理に歩速を揃えたのは、聞きたい事が有ったからだ。
「……桜。さっきの炎、魔術じゃないよね」
「おや、何故にそう思う?」
「臭いが無い。誰かが魔術を使う時って、周りの空気を一か所に集めたような臭いがする。あの時の炎は、どこにもその臭いが無かったから」
「……本当に呆れたものだ、お前はそこまで嗅ぎ付けるのか」
短刀の鞘を掴んだ手とは逆、左手の中指で頬を掻きながら、桜はどこか、してやられたという様な表情をしていた。確かにあの炎の壁は、魔術で作り出したものではない。雪月 桜は、そもそも一切の魔術を扱えない人間なのだ。
「では、なんと見る」
「『特化能』、ってやつかなー……って思ったんだ。でもさ、あれも……源悟の変身を見た時に分かった。やっぱり臭いが有るんだよ。その人の臭いが異常に強くなる……体の中から、『その人そのもの』が別に出てくるみたいな、変な感じ」
「ほう、興味深い。で、私の方はどうだったのだ?」
「臭いが何もなかった。いきなり炎が出て、いきなり消えた。あんまり空っぽで、本当にあなたがやったのかも分からないくらい」
「……つまり、どういう事だと思う?」
特化能もまた、制御に魔力を必要とする能力だ。魔術との違いは、術者の内にある魔力以外を用いる事がない、という事。特化能はただ一つの例外もなく、自らの魔力を外へ押し出す事で発動する。詳細な理論こそ知らずとも、村雨の嗅覚は、それを本能の域で察知していた。
「桜、あなた――」
では、桜の炎は、どのような力なのだろうか。目視するだけ、外へ働きかける行為としては些細なもの。発動までに支払う労力が、得られる結果に釣り合わない力の答えは。
「――『代償』持ち、なの?」
「ああ、そうだ。物心ついた時には、この目がそうだった」
後天的に万人が取得出来る『魔術』の技能に比べ、完全に先天的な才である『特化能』は、所有者が極めて少ない。だが、それよりもまた更に――もしかすれば、世界に千人もいないかもしれない程に――所持者の少ない力が有る。
それが『代償』。後天的に取得出来る異能であり、総じてこの力は『単一機能特化』である。
桜の『代償』の力は、『目視した個所に炎の壁を生む事』。それ以外の用途の一切は不可能である。作り出した壁は必ず熱を持つし、炎は物理的な強度を持つ為、その中に何かを投げ入れる事は出来ない
一方で代償持ちは、一切の魔術を行使できない。魔術を発動する為の魔力が、欠片たりと身の内に存在しないからだ。生来持っていた筈の魔力は、後天的に『代償』を取得した瞬間失われる。
これでも、軽い制約に思うかも知れない。『代償』の力は、発動の際に魔力などを必要としないのだ。力の所有者が望むだけで行使され、一機能に特化している故に、その力は往々にして強大なものとなる。
「……そう、なんだ……な――あ、いや……」
ならば何故、村雨は言葉を濁し、投げかけた問いを飲み込んだのか。それは、この力の名称、そのものが理由である。
『代償』の力を得られるのは、既に何かを失ったものだけなのだ。そして、得られる力は、失った物の大きさに比例し、然し決して釣り合わない。心に生まれた空虚、虚無感が巨大である程に力は強まる。だが、得た力は虚無を埋めるのに、あまりに小さすぎるのである。
身体の欠損ならば軽いものと断じられよう。親類の、無二の友人の、伴侶の命でさえ、きっとありふれた犠牲に過ぎない。当人の精神の破綻を以て、ようやく論ずるに足るだけの力を得られる。
力の発動に際し、魔力も体力も消費しないのは、世界が既に、多大な『代償』を受け取っているからなのだろう。生涯を費やしても取り返せぬ欠落は、人が支払い得る限度を大きく超えているのだから。
「なぜ、か……まあ、つまらん話だ。景気が悪くなるばかりだぞ?」
聞くな、という事か。村雨は、そう受け取るしかなかった。歩けと急かされるように背中を叩かれる。少し急ごうかと思い、速足で一歩を踏み出して――
「っ、痛……!」
「……お?」
氷塊に散々打ち据えられ、蓄積した痛みのツケが回ってきたらしい。急に右足が痛み出し、村雨は反射的に蹲った。
「……大丈夫か?」
「折れてはいない筈なんだけど……ったた……」
先程まで歩けていたのだから、折れていないのは確かだろう。が、体重を掛けるとかなり痛む。足首を捻った時の痛みに、質は似ているのかも知れない。直ぐに起き上がれず、一度地面に手を着いて、体勢を直そうとした村雨だったのだが。
「ほうほう、そうかそうか。歩けないのならば仕方がないなぁ?」
「ん? …………はりゃ、りゃ?」
体が宙に浮く。一瞬の浮遊感の後、元より高い位置で落下が止まる。膝の下と背中に腕の感触、横抱きにされたらしい。やけに近くに来た桜の顔は、短刀を手に取った時と同じような笑顔。
「……前にも似たような事言った覚え有るけどさ、降ろして」
「歩けんのだろう? これで良いではないか」
「ゆっくり歩けば大丈夫だって」
「なら駄目だな、私は早く帰りたい」
暖簾に腕押し糠に釘、村雨の抗議は聞き入れられない。ここから宿まで、歩けばどの程度だろう。半刻まではかからないとしても、それなりに距離は有る筈だ。
「おーろーせー!」
「はっはっはっはっは、却下!」
結局村雨は、宿の二階に上がるまで、桜の腕の中で赤ん坊扱いをされたのである。十四歳という年齢を鑑みれば、まったく顔から火の出る思いであった。