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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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皇都の夜のお話(5)

 昼に眠って夜に起きる。贅沢な怠惰を貪り終えて、桜と村雨は街を駆けていた。

 目的は――もしかすると、無いも同然。ただうろついて、争いごとでも有れば介入し、人助けでも出来そうなら助けて通る。

 行く先は村雨の鼻に任せ、道は己の脚に任せる。民家の屋根さえ足場として、二人は気の向くままに走る。


「どうだ、居るか?」


「東、一町! 多分、二十人から三十人……誰かを追ってる!」


「ようし、行くとするか!」


 この夜は、どこにも火の手が上がらなかった。燃やすべき建物はもう無いのだ。その代わりに兵士達は、人間を狩りだそうと槍を振りかざしていた。

 追われているのは、例えば僧侶だったり、例えば在家の仏教徒だったり。或いはその親類縁者や友人など、つまりは邪教の徒とされた者達だ。

 然し、一つ前の夜に比べて街は静かだった。炎は幾らでも燃え広がるが、刃物一振りが奪う命は限られている。例えば仏の御名に縋ろうとしない不信心者などは、余程の不運でも無い限り、高鼾で眠る事さえ出来るのだ。

 焼き打ちの爪痕は僅かにも言えておらず、町人達の疲労は相当に蓄積している。だから彼らは、赤の他人が外で追いまわされていようが、手助けをしようなどと考えない。

 だからこそ、かえって楽だった。少なくとも桜と村雨は、この状況に感謝をしていた。救うべき人間は少ない方がいい、あまり多ければ取り零してしまう。この人助けは自己満足の押しつけなのだから、失敗して死なれる割合は少ないのが望ましいのだ。

 斯くも身勝手な理屈を構えて、桜は兵士の集団に正面から斬り込む。僅かに遅れて村雨は、追われていた僧侶の腕を掴み、兵士の臭いが無い方へと案内した。

 別に桜も村雨も、仏僧に思い入れが有る訳ではない。全くの偽善であるが――然し結果は伴うのだ。

 僧侶の安全を確保し、兵士が散り散りに逃げ去ったのを確認し、二人はまた民家の屋根へ跳び上がる。高い位置に居れば遠くも見え、遠くからの臭いも察知できるからだ。

 屋根から屋根へと跳ね馳せる様は、大鳥が空を飛ぶにも似ていた。髪も衣服も太刀も黒。夜の黒に混ざれば、部品ごとに見分けられる者も少ない。故に桜の姿は、人が大翼を背負っているかにも映る。

 その様は、兵士達にどれ程の恐怖を振りまいただろう。黒翼が月を遮ったかと思えば、隣に立っていた筈の味方が鎧を砕かれ地に伏しているのだ。己が頼りと構えた槍が、根から折れて刃を失っているのだ。

 夜天から零れ落ちた黒が、兵士の群れを翼で撫でる。ただの一払いで、数十の兵士は皆倒れ伏す。残された傷は打撲であったり骨折であったりと様々だが、然し誰一人として致命傷は負っていなかった。

 そしてまた、村雨に助けられた者達もまた、夜を羽ばたく大鴉を確かに見ていた。

 逃げ惑う己の背後に降り立ち、追手を鎧袖一触捩じ伏せる女。振りかざす刀までも黒で、だが刃は返されたまま――僅かな慈悲が寧ろ恐ろしい。命を取り合う戦場に於いて、この女だけは最大限に手加減をしながら、無傷で戦い抜く事が出来るのだという印と見えた。


「次、どこだ!」


「ま、待って……流石に走りつかれた……ひー」


 数十数百と叩き伏せ、桜はまだ息も上がっていなかった。かたや村雨は、救出対象を担いだり引きずったりで、かなりの疲労が蓄積しているらしい。道の片隅にぺたりと座り込んで、白い息を吹きあげていた。


「……相変わらずの化け物めー」


「今宵は調子が良くてな。相手の動きが随分と遅く見える」


 言葉の通り、この夜の桜は、掠り傷一つさえ負って居ない。村雨の目には、仮に後ろから襲いかかろうが、今の桜に気付かれず接近する事は出来ぬと見えていた。


「ところで村雨、気付いているか?」


「え……何を?」


 心身の充実が、感覚を刃の如く研ぎ澄ませる。桜は懐から短刀を取り出し、振り向きもせぬまま後方へ投げた。


「よっ、と。落し物ですよー……取材拒否って事ですか?」


 十数間後方から聞こえた声は、飛来した短刀にまるで恐れを抱いていない。短刀の腹を手で弾き――いや、弾いていない。

 彼女の手の甲は、短刀の腹に張り付いていた。手の平を上に向けようが、短刀が地面に落下しないのだ。下手糞な作り笑いを浮かべ、ルドヴィカ・シュルツは写真機を構えていた。


「覗き見とは趣味の悪い。昼間のあの外人か?」


「見られて拙い事でも? 密会現場にも見えませんが……ああ、犯罪行為の最中でしたか」


 少女が手にした写真機が白い光を放つ。路上に伏した兵士達が照らし出され――その光景は忽ちに、一枚の紙に収められる。


「別にいいんですけどね、貴女達が何をしようが。犯罪行為は良いネタです、平和な記事より読む人が多い!


 ……けれど気に入らない事がありまして、わざわざこうして出向いてきたんです。Guten Abend,お時間宜しいですか?」


「Добрый вечер,構わんぞ。下らぬ話でなければだがな」


 ルドヴィカは腕を振りもせず、捕えた短刀を投げ返す――撃ち返す。桜は鞘でそれを受け止め懐に戻した。


「気に入らないのはお互い様だよ、奇遇だね」


「ええ、本当に。昼間の続きでもしましょうか、先手は譲って差し上げます」


 現れるなりルドヴィカは、村雨と火花を散らし始めた。

 どうにも気に入らない相手というのは、やはり何処かには居るものだ。

 互いが互いの主張を受け入れられない、行動を認められない。その程度の擦れ違いなら、世の中に腐る程も転がっているだろう。だがこの時、村雨はなんとなくだが、この少女の事を、自分が最も嫌いな類の人間だと感じていた。


「真実がどうのって言ってるけどさ、結局は嘘の塊だよね、あれ。読んで呆れたよ、人間はここまで嘘をつけるものなんだって。

 沢山の人が死んで、それを自分の目で見てきた癖に……あなた、恥ずかしくは無いの?」


「嘘だ本当だって拘るのが分かりませんよ。つまらない真実って何の役に立ちますか? ま、未開国家の愚民の前じゃあ、こんな事は言えませんけどね」


 村雨の髪の色、自分よりまだ白い肌の色を見て、大陸の出身であると感づいたのだろう。自分の著作を売りつけるべき相手ではないと見て、ルドヴィカは、昼間に見せなかった本音を振りまき始めた。


「例えば、何処かの誰かが兵士に殺されたとして、それが何か珍しい事でしょうか? この国って確か、上に媚び諂う国民の集まりじゃありませんでしたっけ? だったら寧ろ、兵士が殺されたってお話の方が面白そうじゃないですか。あれ、生きてましたか?

 ……どっちでもいいですね。精神性や正しさなんて、面白さの前には無価値なんですよ!」


「面白ければ、本当の事はどうでもいい? それで、誰にどんな迷惑を掛けても? 動物じゃない、あなたは人間でしょう。良心が無いの?」


「良心は野良犬に食わせました。飼い犬だと舌が肥えてて駄目でしたね」


 村雨も、邪悪な人間は幾らか見てきた。神の名を我欲の為に振りかざす者、知識欲の為に人の心身を蹂躙する者。同行する桜でさえが、躊躇せぬという点では最悪の殺人者である。

 然し村雨は、そういった悪党である彼ら彼女らに、実は一片の親しみを感じていた。何故かと言えば――彼らはある面で、恐ろしく正直であるからなのだ。

 自分自身の本質を良く弁えて、本心に従うべく生きる。その為に他者を虐げようと、それをなんら恥じる事も無い。それは――村雨の生き方とは、遠く離れた在り方でもある。

 村雨は人狼だ。殺傷行為を愉しみとし、殺した獲物の肉を最高の馳走とする種族――言わば、人の敵である。己の本性に従おうとすれば即ち、人の秩序から遠く離れて生きる事になる。

 それは――人の様に生きたいと願う村雨には受け入れられない事だ。人の外に生まれながら人の社会に憧れた村雨には、決して許せない事であったのだ。


「どうせね、つまらない話を書いたって誰も読みゃしないんです! 馬鹿な連中は高尚な事実より、分かりやすい虚飾を好みます。

 逆らうより従う方が楽――ならば従う事に正当性を! 権力こそ正義、反権力は悪。頭を垂れる事こそ賢いと、噛んで含めて言い聞かせましょう!

 衆愚を導く私こそ、実はあなたの稚拙な正義なんかよりよっぽど役に立つんです。分かりますか?」


 舌を噛まぬ事に驚く程の早口である。時折声が上ずりながら、ルドヴィカは村雨に、額をぶつける程に詰め寄っていた。


「分かる訳無いじゃない。自分だって分かってなさそうな癖に」


「……なんですって?」


 二人の背丈の差は四寸前後。近づいてしまうと、結構な角度で村雨は見降ろされる。だが――不思議と威圧感を感じる事は無かった。


「弱虫、臆病者」


 ルドヴィカの胸倉を掴み、村雨は短い言葉で罵った。たった二つの単語が、ルドヴィカの白い顔を赤く染めた。


「他人を見下して偉そうな事言ってるけどさ、じゃあ、あなたはどうなのよ。自分が書いてるものを読んで楽しいの?

 いいや、それは無いね。あなた絶対、自分が書いてるものを楽しんでないよ。それどころか……多分、すっごくつまらないって思ってるでしょ」


 村雨が嗅ぎつけたのは――自分に良く似た生き物の臭いだった。種族としてでは無い。思考、人格という一面で、村雨はルドヴィカに、自分との類似点を見つけていたのだ。

 自分の望む様に生きる事ができない。自分の望みの一つを通そうとすれば、もう一つの望みを通せなくなってしまう。自己矛盾を一つ抱えてしまったが為に、それに縛られて身動きを取れずに居る。それが、この二人の共通点である。

 それと察した理由、断言出来た理由は――村雨自身が、ルドヴィカの書いた文章を読んだからだ。


「違うなら言ってみなよ。事実を書いていなくても、これは素晴らしい出来栄えですって。言えないでしょ?」


 主語に『私』が幾度も出現する、自意識の強い文章。努めて客観的にあろうとしながら、最終的になんらかの主張をせねば気が済まない論理展開。それは確かに、事実を伝えようとする文章として適さないものだろう。ルドヴィカのそれは、創作の分野に馴染むものである様に見えた。

 寧ろ――創作の為に筆を取った、村雨にはそう見えていた。未開国、辺境と見下す世界の果てで、報道などする為に始めた執筆ではなかろう、と。


「駄目な自分が怖いからって、周りを見下すのは……面白いの?」


「……く、このぉっ……!」


 自分が書きたいと思わぬものを、称賛を得る為だけに書き続ける――誰よりも卑屈な、阿諛追従を言い当てられる。ルドヴィカはもう、下手な作り笑いすら浮かべられず、屈辱に涙さえ浮かべていた。


「知った口を利くなぁっ!」


 大振りの拳が、村雨の頬を打ち据えた。


「何すんのよ、痛いじゃない!」


 お返しとばかり、ルドヴィカの顎が、村雨の拳に打ち上げられる。

 両者とも一つずつ拳を振るって、互いへの敵意を確認した。やがて、どちらからとも無く一歩後退して――


「舐めんな痩せ犬ッ!」


「黙れ捻くれ者ッ!」


 おおよそ少女同士の喧嘩とは思えない、拳足による正面からの打ち合いを始めた。

 どんな理屈を並べようが、人間は感情の生き物だ。爆発した感情を、敢えて抑える方法など無い。


「……はぁ。楽しそうだな、どうしたものか」


 割り込もうと思えば容易かろう。止めようと思えば、意識がこちらに向いていない、造作も無い。然し桜は何れも実行せず、石畳の上に胡坐を掻いて、酒の小瓶の蓋を開けた。


「うっかり死ぬなよー、負けそうなら適当に逃げて来ーい」


 もはや周囲の声など聞いていないのだろうが、一応は村雨にそれだけ告げて、桜は月と酒盛りを始めた。

 未だに丸くならない、半端者の月であった。

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