皇都の夜のお話(3)
夜が明けるにつれて、皇都の惨状は誰の目にも明らかになっていく。
雲一つ無い青空を、立ち昇る煙が黒く汚している。洛中に多数存在する寺社が、ただの瓦礫へと帰している。
どれ程の人間が死んだだろう。焼け落ちた柱の下から、炭に成り果てた屍が引きずり出されて、荷車に載せられ運ばれていく。ただの一夜で、街は戦地と化していた。
「……酷いな、これは」
戦の愉悦に浮かれていた桜でさえが、酸鼻極まる光景を見て、吐き捨てる様に言う。
「兵士は……多分、もう戻ったと思う。近くに臭いはないから……うん」
精神、肉体の両面で披露を蓄積させ、村雨は漂う様に歩いていた。時折、道の脇にある瓦礫の中で、形が残っているものの傍に座る。そうした時は大概、そのすぐ近くに、人間だと辛うじて認識できる焼死体が埋もれていた。
「手伝って、私じゃこれ動かせない」
複雑に積み重なった柱と屋根の残骸は、村雨の力ではとても持ちあがらない。桜は摘みあげる様に無造作に、死体を覆う瓦礫を取り除いた。
そして、それだけ。どこかへ運ぼうとか、弔おうとか、行動を起こす訳でも無い。死体は幾らでも見つかるだろう、一つ一つ丁重に扱っている余裕は無いのだ。
「村雨、大丈夫か?」
「ちょっと火傷したくらいだから、平気」
「そうではない、阿呆が」
僅かに休憩し、また直ぐに歩き始める村雨を、桜は襟を掴んで引きとめた。振り返った村雨の顔は、寝不足に拠る隈が浮き出ていた上に、血の気も引いて青白く寒々としていた。
何が起こったかなど、まだ全容を把握してはいるまい。何か理不尽な事が起こって、大量に人が死んだと知らされただけだ。日が上って初めて、予想の数十倍もの人間が死んだと知らされ――村雨は、誰かの悪意の強さに押し潰されかけていた。
「さっさと帰るぞ、いいな」
「何処へ?」
桜は、己の行為を悔いていた。昨夜、喜悦に任せて刀を振るうのではなく、炎と刀から目を背けて京を出ていれば――こんな村雨の顔は、見ないで済んだのではないか?
そうだ、何事も度合いがある。死人が出たと聞けば不愉快だろうが、然し自分の目で見なければ耐えられもしよう。一つや二つの死体であれば、それは荒事も生業とする身、嫌悪を示せど直視は出来る。だが、数十数百と死体を見て、数千もの人間が死んだと聞かされるのは――死を忌み嫌う村雨には、重すぎる現実であろう。
「江戸へ、だ。今日明日で支度を整える、明後日に京を立つ」
「……うん、分かった」
もはや桜には、この街に留まる理由など無かった。そして村雨には、桜の言に逆らう理由が見つけられなかった。
日も高くなり始めた。まずは血と煤を落とそうと、宿への帰路に着いた時の事――
「勅命、ちょくめーい! 政府よりの公式発表であります、皆さま心するように!」
擦れ違う誰の顔も、微笑み一つ浮かべてはいないというのに、聞こえてきたその声はいやに明るかった。殺気さえ感じられる程に強い視線を、桜は声の方向へ向けた。
そこには高札が建てられていて、数十人ばかりの人だかりが出来ていた。皆、死人の様な顔である。が、そんな中にたった一人、晴れやかな顔をした少女が居たのだ。
「字が読めるならさあ読んだ、ついでにこれも一部どうぞ? 近代国家の礎は、正しき報道に有ると知りましょう!」
野暮ったい格好だ、と桜は思った。西洋人に特有の金髪は、男の様に短く切られている。起伏に富む体もだぶついた衣服で誤魔化され、色気など何処にも見えはしない。声は力強く――だから寧ろ、この場では鬱陶しく――静まり返った街に響いていた。
何事かと高札を見れば、刻まれているのは確かに、今上帝の錦の御紋。公の、つまりはこの国に生きるもの全てへの布告文は、おおよそ民権的な思考とは対極に走っていた。
一つ――信教の自由の剥奪。宗教は害毒である、人心を惑わし道徳を狂わす。国家に蔓延る悪しき慣習の、その殆どは邪教が広めたものである。故に皇国政府は、神道もしくは『聖言至天の塔教団』以外の全ての宗教に傾倒する者、全てを大逆の罪に問う。
一つ――邪教の信徒は全て残刑に処す。また、信徒を匿った者、信徒に金子一文であろうと融通した者もまた同罪とする。
一つ――皇都守護隊に所属する部隊長以上の者に司法権を与える。
一つ――全ての瓦版の撤廃。正しき知識を持たず、風説に惑わされた者が書く瓦版は、民衆の目を曇らせる害毒である。故に皇国政府は、政府認可の印を得た販売者以外が、瓦版並びにそれに準ずる物を配布した場合、その者を残刑に処す。
「……呆れたな、二百年は遅れた話だぞ」
高札を全て読み終えた桜は、首を左右に振って嘆息した。その内容があまりに荒唐無稽で、とても政府の公的発表だとは思えなかったからだ。
この様な法を敷いて、国が保てると思う者など居るまい。これが真実、戯言でなく実行されると言うのならば、日の本は遠からず内側から崩壊する。国政を知らぬ桜であろうが、そう断言してしまう程に、非近代的な布告であった。
その思いは、この群衆達も同じく抱いたものであろう。呻く者、嘆く者、諦めを見せる者、何れにも力は無い。力無く項垂れる彼らの手に、少女は質の悪い紙を掴ませていた。
「そこのお二人さんもどうぞ、政府公認誌の第一号ですよ! 文明国家は民衆の知識の向上から、さあ読んだ読んだ!」
桜は正直なところ、早々にこの場を立ち去りたいと思っていた。思っていたのだが――渡された紙に映った絵姿が、どうも覚えのある姿だったので、つい受け取ってしまった。
「あ――あれ、え? これって……?」
その横では、やはり瓦版を押しつけられた村雨が、そこに印刷された絵姿――写真を見て、眠気に落ちそうな瞼を跳ねあげた。何せ映っていたのは桜の姿であったのだから。
写真は、大きな書体で書かれた身出しの下に張り付けられていた。夜に黒装、黒の長髪、人だと言われなければ気付かない者もいるだろう。だが村雨からすれば良く見慣れた背、見間違える事も無い。
「怖いでしょう、鬼の形相でした。政府軍を殴り倒す非道の反逆者、市民も兵士もお構い無しに塵殺する怪物ですよ」
「は? 何それ、どっから出た話――」
「まあまあ、政府公認誌は嘘を付きません。政府の言う事これ即ち正しい事、皆さんは素直に信じましょう。信じるものは掬われるんですよ? こう、無知な民衆の泥水溜りから、綺麗な池に移すために、網とか何かで」
高札を前に一人軽やかに歩く少女は、村雨の追及もするりと交わし、まだ瓦版を受け取っていないものの手に紙を押しつけていた。
「明らかに嘘じゃないこれ。何でよ、こんな時に良く作り話なんて出来るね?」
「何をおっしゃる。政府公認の私の記事を疑うのは、それ即ち政府の見解を疑う事になりますよ?」
木組みで刷られたのだろう記事は、政府の判断の賢明を称賛し、反抗的な市民を糾弾するもの。掲載された写真に関しても、『任務中の兵士を襲撃した、残虐非道の人斬り』と――事実無根とは言えないが、誤解を招く様な記述をしている。
政府の兵士が焼き打ちを仕掛けたのは、謀反に備えて銃器弾薬を溜めこんでいた寺社仏閣。炎が強くなったのは溜めこまれた火薬が原因で、家屋を無暗に巻き込まず火が収まったのは、やはり兵士の尽力が原因だと述べている。
事実は対極だ。兵士達は火を放った後、熱と煙に炙り出される者を狩る為だけに待機していた。隣接する家屋に火が移ろうが、それを消しとめようなどとはしなかった。
尽力したのは町人達であり、或る者は水の魔術を、或る者は風の魔術を、魔術を不得手とする者は建物自体を打ち壊し、己の危険と引き換えに街を救ったのだ。
火の粉を浴びながら逃げ惑った民衆が、この記事を完全に信じる筈は無い。が、京もやはり広いのだ。どうしても被害の少なかった地域は、対岸の火事とばかりに夜間の虐殺を知り――そして他人事のようにこの記事を読む事だろう。そうなれば、疑う事もなく受け取る者も、また現れるに違いない。
「本当の事を書かないの? どれだけの人が死んだって思ってるのさ?」
「それに関しては、まだ公式の発表が無いので分かりませんね。ですが私は事実だけ書いてますよ」
死に直接触れる側に立つと、蚊帳の外から眺めているだけの人間には、無性に腹立たしさを覚えるものだ。村雨は掴みかからんばかりの勢いで、短髪の少女に詰め寄る。
「……悪くない記事だな。この国の瓦版とは違って微に入り細に入り、近くにおらねば書けぬ事だ。いや中々に読ませる文だぞ」
その気勢を削ぐように、桜はどこか呑気な声を出した。無理に押し付けられた瓦版、自分自身も悪鬼の具現とばかりに糾弾されている記事を読んで、桜は少女の文才を寧ろ称賛していた。
「ええ、そうでしょうそうでしょう、お目が高い! 私の発行する『新聞』は、いつもいつでも現場主義なんですよ! 聞きかじりだけで適当に書く前時代の遺物とは訳が違う、私ルドヴィカ・シュルツの書く記事こそ――」
「が、恐ろしく自己中心的だ」
己の著作を称賛されて、喜ばしく思わぬ者もいないだろう。然して彼女、ルドヴィカは過剰に浮かれ、鼻も高々と誇らしげに胸を張る。自惚れの絶頂に居た彼女を叩き落としたのは、変わらぬ調子の桜の声であった。
「お前の文章は癖が強いぞ。私は、私が、私に……『私』という単語が何回出て来る? これでは街を語っているのか、それともお前を語っているのか分からんではないか。お前は事実を知らしめたいのか、それとも自分を主役に読本でも書いているのか?」
「な――私の記事を、創作物扱いですって!?」
酒に火種を近づけたかの様に、ルドヴィカの感情は瞬時に発火し、色白の顔を真っ赤に染め上げた。どうやら桜の言葉は、何か彼女の触れられたくない部分に肉薄しているらしかった。
「いやまあ、大いに創作部分もあるのだろうが、そうでなくてな。お前の文章は自信過剰に過ぎる、と言っているのだ――ぅおう」
桜の指摘は途中で打ち切られる。手の中に会った安紙を、ルドヴィカに引っ手繰られたからだ。あまりの剣幕に呆れながらも、桜は特に抵抗もせず、奪われるがままに任せておいた。
「……ふん、非文明人には分からないんでしょう、真実の崇高さが! 良文が優れているのではありません、事実に即した文章が優れているんです!」
言い捨てて、背を向けて歩き去るルドヴィカ。足取りは荒々しいが、わなわなと震える肩は、寧ろ年齢より非力で幼いものにも見える。呆れたように見送る桜の横を――村雨が、すうと進み出た。
「これのどこが真実よ、自分で見てきたなら分かるでしょ!? 見ないふりなんてしないでよ、直ぐそこにだってまだ――」
遠ざかる背に叫び、やや離れた場所に有る瓦礫を指差す。若い男達が秋空の下、汗と涙を流しながら、焼け落ちた柱を取り除いていた。その下から突きでていたのは――焼け焦げた、人間の腕であった。
誰ももう、悲鳴など上げたりはしない。死体が市中に存在しようが、昨夜を境にこの街は、それを異常事態と思えない場所に変わったのだ。
法螺を撒き散らして振り向きもしない少女がやけに憎くなって、村雨はその背に追いすがろうとする――石畳を蹴ろうとした足が、体ごと持ち上げられた。
「ここで喧嘩始めんのかお前……馬鹿になったか?」
「え……? あ、いや……そんな事は」
村雨の襟を掴んで持ち上げていたのは葛桐だった。相も変わらず、人の群れに交じっても頭が突き出る男である。
「上が呼んでる、お前も来いとよ。金の臭いだ、逃がすんじゃねえぞ」
「上って……堀川卿? 私達を呼んでるって……何で?」
「知らねえ。給料は三倍出す、それだけ言われてんだ」
道端にゴミを捨てる様な気安い動作で、葛桐は村雨を後方へ放り投げる。空中で回転、姿勢を立て直し、村雨は足から着地した。丁度そこは、桜の隣であった。
「久しいな、いつぞやの噛み付き男か。私に招待状は無いのか?」
「あぁ? ねえよ、お前は部外者だろうが。……が、まぁ……無くても別に良いんじゃねえか?」
着地した村雨が勢いで一歩後退する。その背を抑えつつ、桜はゆるりと歩き始めた。
高札の周りの人だかりは尚も膨らみ続け、そしてその中の一人たりとも、その布告を歓迎していないのは明らかであった。




