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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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皇都の夜のお話(2)

 まだ日も昇らぬ、靄の掛かった京都市中、皇国首都ホテル三階。そこは戦場の様相を醸し出していた。


「伝令が足りひん、非番もなんも引きずってきぃ! 何でもええからここへ連れ戻せ、はよう!」


 堀川卿が声を荒げている。両の足で立ち、かぁと目を見開いて、撒き散らされた書類を髪で掴んでいる。

 彼女を知る者からすれば、正しく異様な光景であった。自室から出てくる事さえ稀な彼女が、今は他の誰よりも活発に動いているのだ。

 夜の闇に紛れて市中に散らばった兵士達による、仏寺を標的としての虐殺。その余波は早くも無辜の民を巻き添えに、碁盤の目を悉く、屍で溢れさせんと広がり始めている。部屋へと駆けこんでくる者の何人かは、顔の皮膚に焦げを作っていた。

 焼け落ちた皮膚の下から、血と混じった組織液が滲みだしている。鉄と膿の混ざった様な臭いに、顔をしかめる余裕さえ、堀川卿には残っていなかった。

 

「市中に派遣された者の内、まだ五十三人に連絡が取れません! 派遣場所から考えるに、恐らく焼き討ちに巻き込まれたかと……」


「そっちは諦める、生きてそうなもんだけ連れ戻させえ! 絶対に戦闘はさせるな、抵抗もあかん逃げる事だけは許す! ええな!?」


 夜の帳はまだ深い。日光が街を照らすまで、恐らく半刻以上は時間があるだろう。だのに京の街は赤々と照らされて、近くの看板ならば文字まで読める程であった。

 堀川卿は苛立たしげに壁を蹴る。非力な彼女の事ゆえ、足に痛みが返るばかりである。

 それでも尚、もう一度繰り返す。自分自身が下した決断が、あまりにも人の情を顧みず、利害ばかりに走るものだという自覚が有ったからだ。

 彼女が下した命令は、『京都市中の全構成員を一時帰宅させ、全ての戦闘行為の回避』である。大概の業務を引き受ける『錆釘』は、寺社に雇われて働いている者もいる。その構成員達にさえ、襲撃を受けた寺社には力を貸さず逃げて来いとの命令を下したのだ。

 勿論、伝達が完了するまでに時間は掛かる。命が伝わらず、身を張って戦う者も出るかも知れない。そうなれば――その時は仕方が無いと、堀川卿は諦めていた。

 長い目で見れば、有事には逃げだす集団だという評価を受けるのは損失となるだろう。だが有能な人材をあたら死なせてしまうのは、下の下策である。汚名は荊道の果てに晴らせるかも知れないが、死者の命は帰らないのだ。

 なればこそ、今は屈従こそが利を得る道。非道の政府に頭を垂れ、或いは虐殺の前線に立たされる事が有ろうとも――唇の端を噛み切りつつ、堀川卿は、己の決断を貫くと腹を据えた。


「……第一波が収まるまでは静観や。死体の回収を済ませた後、全構成員に休暇を出す。並行して精鋭を選抜せえ、荒事特化で五十人ばかりな」


 五丈の金髪を手の様に動かし、目は一時たりと一つに留まらず。両の耳でそれぞれ別な音を聞き、次に下すべき命令を思案する。ふと窓から外を見降ろせば、政府の兵士が重武装で駆けていくのが見えて――


 ――ひぃ、と空気が鳴いた。

 堀川卿は、夜の黒が融解し、何かが零れ出すのを見た。

 黒の中から黒い影が、肩も揺らさず進み出る。兵士達は鎧を斬り裂かれ、刀を圧し折られてうつ伏せに倒れていた。

 倒れた兵士に追い打ちとばかり、頭への下段蹴りを打ちこんだ黒い影――それこそは、喜悦に顔を歪ませた雪月桜であった。


「さ――桜さん、村雨ちゃん!? あかん、戻りぃ! 今夜はあかん!」


 窓を開けて身を乗り出し、堀川卿は声の限りに叫んだ。石畳の上に立つ黒い影は、彼女を一瞥もせずに駆け去り、


「ごめんなさい、この人止めるの無理ですー!」


 灰色の少女が叫び返し、その後を追って走って行った。






「どこへ行くの、桜!」


「どこでも良い、寝て居られるか! 入れ食いだ、堀の鯉だ、これなら幾らでも食いついてくるぞ!」


 逃げ惑う人間か、追う兵士か。その他には誰の姿も見えない石畳を、桜は全速力で走っていた。

 馬鹿げた筋力が生む反動、それを支え切れる両足だ。加速こそはやや遅いのだが、いざ最高速へ達してしまえば、駿馬にも劣らぬ砲弾の如き速度となる。一歩ごとに石畳に罅を入れつつ、向かう方角は東であった。


「鉄の臭いが多すぎる、何人いるか分からない! 幾ら桜だって無理だってば!」


「雑兵のたかが百や千など如何程の事も有らん――そうら、第一波!」


 なぜならば――東には、寺社が多く集まっているから。即ち、空を焦がす火柱が、一際多くそびえ立っているからである。

 寺を焼き、炙り出された僧侶に止めを刺す為、政府の正規兵『皇都守護隊』は、二十名を一班として行動していた。桜が捕捉したのは、そのうちの一つであった。


「幾らか遅れて追って来い、巻き込んでしまうやも知れんからな……!」


「私の立場も考えてよ――ああもう、ほんとにもう!」


 俄かに下された虐殺命令に、兵士達は何れも神経を尖らせている。村雨は彼らに近付きたいとさえ思わず――桜は彼らへと、狂喜凶器を一切隠さずに迫った。

 兵士達の中で最も鋭いものが反応した頃には、桜は既に一人を殴り倒しつつ、一人を絞め落としていた。左手の指だけで気道と動脈を圧迫する、力任せの絶技である。

 誰か、と名を問う声に応える代わりとして、人間を無造作に投げた。地面と並行に飛んだ兵士は、数人の味方を巻き込んで倒れ伏す。


「てっ、敵しゅ――謀反人がぁっ!」


 数人が戦闘不能に陥って漸く、兵士達は自分が攻撃を受けている事に気付いた。

 その頃にはもう遅い。既に恐怖は蔓延し、そして襲撃者は蹂躙の愉悦に酔っている。切り捨てようと抜いた刀ごと、肋を折られて一人が崩れ落ちた。

 巨大な鎌で草を刈り取る様に、造作も無く兵士が散らされていく。殴られ、投げられ、峰打ちで吹き飛ばされ、踏みつけられ。誰一人と殺される事はなく、だが一人として無傷では逃れられない。戦線を離脱しようと企んだものから優先的に、桜は峰での殴打を食らわせていた。

 この夜に何が起きているのか――桜はまだ理解しきっていないし、理解する必要性を感じていない。内乱の類だろうとは思うが、それを突き詰めて考えようとしないのだ。

 理由はさておき、武装した兵士が、きっとただの市民をさえ殺そうとしている。ならばその渦中に飛び込めば、存分に蹂躙すべき的に出会えると思っていたのだ。

 二十人の兵士が全て地に伏すまで、数字を百も数えられなかっただろう。青痣一つ作らずに、桜はさも愉しげに笑っていた。


「ああ良いなぁ、京に来て良かった。まだいるぞ、まだまだ居る! まだまだ浴びさせてくれるのだ、嗚呼、嗚呼!」


 呵々大笑、夜天に響く。上命に背を押された兵士達よりも、それは残酷な声だった。

 留まっていたのは僅かな間。鋭敏な五感は直ぐに、次の獲物を見つけ出す。その集団が、今叩き潰した連中の二倍は集まっていて、かつ武装も上等であると見て取った瞬間、桜は嗤いながらまた飛ぶように馳せた。


「……冗談じゃないよ、もう」


 幸福の最中にある桜とは対極的に、村雨は震えを止められずに居た。

 風向きが幾度変わろうと、漂ってくるのは鉄の臭いと、肉が焦げる香りばかりなのだ。

 耳を澄ませば人外の聴力は、泣き叫ぶ童女の悲鳴を拾い上げる。咳き込む音が幾つか続いて、泣き声が止んだ。きっともう彼女は泣けないのだろうと思うと、恐怖より悲痛より困惑が膨れ上がった。

 何故、この様な事が起こっているのだ。この国はもう五十年ばかり、蒸気船でも眠りの醒めぬ太平にあった筈ではないか? ましてここは皇国の首都、帝のおひざ元だと言うのに。

 だのに今この瞬間も、誰かが誰かを殺している。恐らくは然したる理由も無く、その近くに居たというだけで殺している。今宵この街は、誰も安らかには居られぬ戦場と化した。

 然し村雨は、自分が死ぬ可能性など考慮していなかった。獣の本能が、自分の死を嗅ぎつけていないのだ。鼻を狂わせる元凶は、返り血で赤く染まった雪月桜である。

 この女の横に――或いは後ろにいる限り、自分に死は訪れないだろう。死神も敢えてこの女の前に現れるまい、回り道をして別な魂を狙う筈だ。無条件で確信出来る程に、桜の戦力は狂気の沙汰であった。

 村雨が殺人を嫌うから――たったそれだけの理由で、桜は己の殺人剣を封じている。自らの術技に枷をしつつ、命を取りに来る敵を無傷であしらうのは、技量の隔たりが天地程も有るからこそ為せる芸当だろう。

 人は何を思えば、殺傷技術を斯くも高める事が出来るのか。村雨はまるで想像も出来ず、想像という行為さえ嫌うかの様に首を振った。凶行の影に隠れて安寧を図る己が、少し情けなく感じられた。

 何かをせねばならぬ、村雨はそう思った。こうも人が死ぬ夜に、ただ生きてはいられないと思った。そして幸いにも村雨の鼻は、人間の生死を嗅ぎ分けるなど容易い事であった。

 桜の後ろを追いながら、時折脚を止めて鼻をひくつかせる。まだ水気の多い煙と、生きた人間の臭いがした。迷わず村雨はその方角に走る。

 今ちょうど桜に蹂躙されている兵士達が、火を放ったばかりの寺であった。足の弱い老僧が、別な僧侶の肩を借りて歩いている。二人の頭上に、燃え盛る梁が落下して――


「りゃあああぁーっ!!」


 間一髪、村雨は僧侶二人に駆けより、腕を強く引きよせた。転倒する二人の後方で、梁は木床を割っていた。


「ぁ――あ、恩に着る、娘!」


「いらないから逃げて、邪魔!」


 村雨にしてみれば、その言はまさに本音であった。今は――そう思った理由はまだ分からないのだが――何でも良いから人を助けたかった。死にそうな人間が、死に易い場所に居ては邪魔なのだ。

 もう一度だけ礼が聞こえたが、村雨はそれを聞いていない。次に捕捉した臭いと声は、炎の中に誰か取り残されていると伝えていたからだ。自分の脚ならば炎に撒かれる前に、十分駆け抜けられるとも分かっていたのだ。



 命を拾った二人の僧侶は、去り際、炎を背にした二つの影を見た。

 小さいながらも馳せ回り、誰となく助かる事を強要する――捨てられた犬の様な灰色。

 修羅の巷に酔い詠い、人を殺す者を蹂躙する――大翼を広げた烏の様な黒。

 洛中全ての兵士を数え、また死者を数えてみたのならば、この場で行われた小競り合いなど、ほんの些細な事に過ぎない。たかが数十人の兵士がなぎ倒され、たかが数人が命を拾っただけなのだから。

 だが――例え当人の思惑がどうあろうと、救われたからには、倒されたからには、恐怖も憧憬も畏怖も抱こう。

 夜が明けるまでに桜は二百人以上の兵士を昏倒させ、三つの掠り傷を負った。村雨は十二人の命を救い、二つほど火傷を負った。

 その様をじっと、二つの目が観察していた。死も生も暴力も悲劇も全て、ただ観察しているだけの傍観者は、


「……見出しは決まりね、急いで刷らなきゃ」


 ひらひらと夜風に紙を晒して、らんと目を輝かせる。

 風に揺れる紙には黒い染みが広がって――燃え盛る寺社を前に嗤う、雪月桜の背を描いていた。

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