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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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明けの熊鷹のお話(3)

 結局のところ、なんのかんのと楽しい時間であった。

 買い物をして、外食をして、贅沢な馬車に揺られて街を回る。徒歩の節約旅とはまた違った趣である。


「くー……、すー……」


 二条城への道中。馬車の座席に横になり、村雨は寝息を立てていた。腹が満たされ、心地好い振動と暗さ、暖かさ。眠気も襲ってこようというものだ。

 机を挟んで反対側の長椅子、桜は腕を組んでそれを眺めていた。

 微笑みを浮かべながら口を閉ざし、もうどれだけの時間が過ぎただろうか。寝返りも打たず眠る様子を、さも愉快な芝居でも見るかの様に、飽かず桜は楽しんでいた。


「……それにしても、無防備な」


 背中を少しだけ丸めて、膝を胸の内に抱え込む。なんとなく獣を思わせる格好だが、獣はもう少し眠る場所に気を配る――目を覚ます前に食い殺されては堪らないからだ。誰の前でも眠るのは、飼いならされた犬程度のものだろう。

 そう考えると、桜は一段と良い気分になった。

 この狼を飼い慣らせたとは、まだ思っていない。だが自分の目の前は安全な場所だと、その様には思われているのだろう。例えそれが自惚れに過ぎない思考だったとしても、気分の悪い事ではない。


「思えば短い付き合いだなぁ……まだ二月か」


 気紛れに雇い入れてみて、思ったより気骨が有ったから自分の物にしようとした。最初はその程度の、普段の遊びの延長だった筈だ。それが何時の間にか、代えの利かぬ存在に――手放したくないものになってしまっている。

 理由は何かと考える。容姿という点で言えば、可愛らしいが正直なところ、誰よりも飛び抜けている訳ではない。桜の二十年に満たない生の中で、村雨より美しい女は幾らでも見てきただろう。

 では、精神か? いいや、違う。村雨の心は強く出来ていない。軽くつつけば簡単に、生まれついての狂気に飲みこまれる程度のものだ。正義感は恐怖に飲みこまれ、いとも容易く霧消する。あの日、賊徒を殺す桜の前に立った時も、きっと一太刀浴びせれば泣いて逃げてしまっただろう。

 身も心も未熟で半端、取り柄といえば鼻と足くらいの平凡な少女――桜の村雨評はこんなものだ。だから桜は、自分がこうも村雨に惹かれる理由が分からず首を傾げ――


「……そんなものか、な」


 結局は、理由など無いのだと結論付けた。

 考えればその内、どこかで答えには行き当たるだろう。だが答えを得たとて何の意味が有ろうか、感情に理屈は要らぬのだ。そう己を断じて、不用意に正解を見つけてしまう、それだけは避けた。

 本当はきっと、狂った人間が獣に懸想している、そんなものなのだろう。戦いの為に戦いを望み、殺しの為の殺しを求める人狼の――禍凶まがつの本質に恋い焦がれているのだろう。

 凄惨な死体を前にして、村雨は何時も顔を曇らせて背け――同時に、目の奥に暗い光を灯す。あの光が美しいから、蛾のように誘われてしまった――それが桜の慕情の正体だ。

 随分と前から、桜はこの答えに気付いていて、そして気付かぬ振りをし続けていた。よりにもよって自分が村雨に惹かれた理由が、村雨自身の最も忌み嫌う一点だと有っては――


「――お前も難儀な奴だなぁ」


 桜は溜息と共に、村雨の寝顔に手を伸ばした。雪国育ちには見慣れた白い肌、まだ幼さの色濃く残る顔立ち、頬の柔らかさを指先で楽しむ。それからふと思い立った様に、その手をすうと下げ、首を伝わらせて鎖骨まで運び――


「何をするかこの」


「おのれ、鋭い奴め」


 指先が胸まで届く前に、村雨の靴が桜の顔面を捕えた。足の甲を使って額を打ち抜く、全く迷い無く良い蹴りであった。


「私、どれくらい寝てた?」


「さあてな。一刻か二刻か……少なくともほれ、もう真夜中だ。月が細いな」


 十分な睡眠を取った村雨は起きて直ぐ、明瞭な声で話し始めた。馬車の窓から外を見れば、雲は無いが暗い夜――夏の主役だった蛙は、いつの間にか虫に取って変わられていた。


「御者よ、この辺りで良い。後は歩いて行く……悪くない一日だったぞ」


「それはどうも。私も聞いているだけで楽しくなる一日でした、お嬢さん方」


 御者は桜達に背を向けたまま、京風の訛りを感じさせない、軟派な言葉で礼を返した。


「然し今は……夜の洛中は危ないですよ。馬の脚が無くてもよろしいので?」


「構わんさ。代金はここへ取りに来い、ほれ」


 馬車を降りながら、御者に渡してやるのは、宿の名前と部屋番号が書いてある小さな紙。桜の名前もそこに書きこまれていて、宿の者に見せれば直ぐ、誰の事か分かる様になっている代物だ。

 また懐が軽くなると思いながらも、もう村雨も文句は言わない。なる様になれと開き直り、夜気を肺に取りこんで背伸びをする、蹄と車輪の音が遠ざかり、鈴虫の声が少し近くなった様な気がした。






「気は休まったか?」


「まさしく気休め程度に……調子は悪くないね」


「そうか、行くぞ」


 二条城を左手に見ながら、桜と村雨は夜道を歩いていた。

 照明は持っていない。近くの建物から零れる灯りと、後は月明かりだけが供である。然し足取りに淀み無く、二人は目的地――先日焼き払われた、女郎小屋の跡地――へと向かう。


「堀川卿の部屋で何を見たか、知ってるよ」


「……だろうな、お前の鼻だ」


 村雨を追い出し、自分一人で死体検分を行った桜。然し、衣服に残った死臭を誤魔化す手段は無かった。今にして思えば、村雨の緊張の原因は、一つにこの死臭も有ったのだろう。


「死に方は? どんな風にやられてた?」


「全て、脳天から一直線に胴体を貫かれていた。傷跡は矢のそれに似ているが、鏃も木片も、死体の体のどこにも引っ掛かっていなかった……おまけに傷は地面に対して垂直だ」


 傷口から、遺留品から、加害者像を推測する事は、およそ争いごとでは常套手段である。


「どこにも……腹の中まで?」


「ああ、どこにも。堀川卿の話では、死体の近くに矢が落ちていた、という事も無いらしい」


 血生臭い話題を、共に表情も変えず続ける。これから敵地へ赴くのだと、頭を冷え切らせた二人である。もはやこの程度の話題で、心を乱す事も無かった。

 焼け焦げた木板は取り払われ、小屋の跡地に残るのは地下へ向かう階段だけだった。誰かが迷いこまないようにと、扉には厳重に金属の鋲が固定されていた。

 ここが、死体に添えられた書状で指定された場所。相手方の目的は分からないが、好意的な接触があるとは考えられない。


「で、向こうは何時出てくるのやら……時間の指定は無いからなぁ」


「義理は果たした、って事で。向こうの遅刻まで面倒見てられないし……暗い方が良さそうだし」


 大方、人目に付かぬが好ましい用件であろうと察しは付く。ならば夜目の利く村雨、火種を己の目に持ち合せる桜は、寧ろ夜間の戦闘こそが好ましい。瓦礫の上に腰掛け、二人はまた暫し身を休めた。


 それから、一刻も経過しただろうか。

 秋の夜風がひゅうと吹く。北からの風――その中に、多量の金属の臭いが混じっている事に気付き、村雨は低く身構えた。遅れて桜が、人の群れが近づいてくる気配に脇差を抜いた。


「そこな娘ども、何をしておる。女子供の出歩く時間ではないぞ」


 白い羽織を着た髭面の男が、同じ白羽織の集団を十五人ばかり引き連れていた。何れも刀を右手に抜いて、左手には二尺ほどの木剣を握っている。恐ろしく傲慢な口振りで、目の前の相手を弱者と決めつけている様な、そんな雰囲気が有った。


「何だお前ら藪から棒に。散歩か? それとも押し込み強盗か?」


「……無礼は聞き流してやろう、女。我等は神の死兵である。道を阻めば神罰が下るぞ」


 髭男はこれ見よがしに、刀の柄に括りつけた十字架を見せびらかす。が、どうにもその面構えは、信心という言葉から縁遠いものに見える。


「あー……嫌なのに会った。あれだよほら、寺社仏閣打ち壊して回ってるって、あれ」


 村雨はすぐ、この集団の正体に思い至る。『錆釘』で知らされた情報の一つ――京の街の夜、武士崩れが揃いの格好で、寺や神社を襲撃して回るらしいという話が有った。桜も村雨も京に来てからは、日の高い内にばかり出歩いていたことも有って――小屋での張り込みでは大きく動かなかった為――実物に遭遇するのは、これが初めての事だった。


「ほう、神の僕か。ならば横に避けて通れ、道は広いぞ」


「ますます無礼な! 貴様らは何を以て神兵の道に立ちはだかる。多神の邪教か、それとも仏に祈る者か?」


 恫喝する男には、荒事を楽しむ様な卑しい笑みが浮かんでいる。些細な事で因縁を付けるのはチンピラのやり口だが、どうにもこの羽織集団は、そういった分類に該当する存在らしい。

 桜は呆れたように首を振り、抜いた脇差を鞘に戻した。斬るまでも無い相手だとの判断だが、それがどうやら、男達を付けあがらせたらしい。


「神道、仏教はこの国を腐らせ、進展を数百年遅らせた諸悪の根源である。故に我ら神兵は、憂国の士と共に邪教の祭壇を打ち壊す。女、お前達もどうやら、正しき教えを知らぬ邪教の徒であるらしいな?」


「……狂信者ではなくゲラサの悪霊か。さっさと豚に取り付いて溺れ死ね」


 桜は右手で拳を作ったが、男達はそれにさえ気付いた様子が無い。集団の一人、頬のこけて目が細い男が、髭男の横にささと進み出た。


「俺達をあなどってますぜ、この女。ですがこいつ、目は冷たいが上玉だ。女衒に売り渡せば、使い古してからでも数両くらいには……なあ、親分?」


「親分じゃねえよ馬鹿野郎、隊長と呼べぇ。神の兵隊の部隊長様だぜ俺は……だからよ、何をしても神様の責任だもんな、いいんじゃねえか?

 ……ごほん。お前の如き不信心の悪魔は、我らが手により裁かれる必要が有る。跪き、その身を神兵への供物と為すが良い……へっへっへ」


 もはや語るに及ばず。髭男は木剣を腰の鞘に納め、下種な笑いと共に手を伸ばしてくる。十分に引き寄せ、一寸の距離で身を交わし踏み込み、桜は男の胸倉を掴む――桜の顔を、男の血が染めた。男の頭蓋の右半分が〝縦に裂けた〟のだ。


「な――ん、だこりゃ、ぁ……ぁが?」


「っひぃ……!? お、親分っ!? てめぇっ、コラァッ!!」


 割れた頭から脳が零れ落ちるまでの短い間、髭男は悲鳴も上げられずに驚愕して――やがて、胸倉を掴まれたままで死んだ。貧相な痩せ男が、桜に刀を向け――桜は茫然と空を見上げた。


「さ……桜、何を、一体――」


 村雨が、喉を引きつらせながら声を絞り出す。こうも呆気なく人が殺されたなら、それが悪人だったとしても、耐え難く感じるのが村雨だ。もしも桜が殺したのだと言うのなら――そんな思いさえ、彼女は持っていた。


「違う。私は何もしていない。私は――」


 空を見上げたまま、向けられる刀さえ意に介さず、桜は静かに否定する。驚愕の表情は既に薄れて消え去り、残るのは戦地に君臨する修羅の顔。


「――村雨、〝寄れ〟!!」


 髭男が頭蓋を割られる数瞬前、桜は確かに音を聞いた。風を斬り、何かが高速で飛翔する音を。今またその音が、幾つも幾つも聞こえた。男の死体を頭上に投げながら桜は叫ぶ。叫びながら、村雨の腕を引いた。

 夜天を赤々と炎が染める。ただ目視するだけで炎の壁を生む桜の眼――『代償』の力が発動し、そして即座に砕かれた。

 降り注いだのは矢の雨であった。桜を、村雨を、そして羽織の男達を目掛けて、一人につき一本の矢が〝垂直に〟落下する。


「ぎゃがっ……!? あが、痛え、痛えよぉおおおっ……!」


 炎の壁が威力を削いだ――その為だろうか。男達の幾人かは、即死出来ずに悲鳴を上げた。致命傷を負いつつも生きて、痛覚もまだ残っている。それが耐えられず、刀で己の喉を突く者も居た。

 無事に済んでいたのは村雨一人。桜が投げた死体は、落下してくる矢の勢いを削ぐ事に成功し――結果、二本の矢は、桜の左腕の骨に食い止められた。骨を貫通する威力を失っていたのだ。


「桜!?」


「っか、こういう事か……! 走るぞ、止まっていては死ぬ!」


 矢を引き抜く間も惜しみ、桜は南へ向けて走り始めた。夜とは言えど、京の街は碁盤の目。方角さえ過たねば、目的地には容易に辿り着ける。まるで迷わず、村雨もそれに追随した。

 数歩も走らず、桜の腕に刺さった矢は、氷が解けるかの様に消え去った。鏃に塞がれていた傷口から鮮やかな赤が溢れ零れた。

 痛みは相応に有るが、痛みだけで死にはしない。まずは出血を止めるべく、桜は懐に手を入れ、晒を解いて引きだした。袖ごと傷口に晒を巻き付け、右手と口を使って強めに縛り上げる。

 飽く迄応急処置、長時間このままでは腕が壊死しかねないが、宿まで逃げるだけなら持つだろう。桜の案はまず手当を済ませ、夜が明けてから敵を探す事だった。見えぬ位置、または距離に居る敵を探るには、昼間の戦闘こそが望ましいからだ。

 奇しくもそれは、桜と左馬とが夜陰に紛れて走った、あの夜と全く逆の策であった。


「桜、腕は!?」


 息も切らさず、村雨は走りながら問うた。その数歩後ろに矢が着弾し、石畳が砕けて散った。


「お前はどうだ?」


「大丈夫、掠りもしてない!」


「ならば問題無い、逃げ込め!」


 丁度進行方向に建物があった。夜間の事で扉を閉ざしているが、反物を扱う店らしい。躊躇わず桜は、扉を右肩で叩き壊し飛び込んだ。

 瓦屋根の建物。畳の上に土足で上がり込み、一度の深呼吸で心拍を整える。


「今のは、見えたか?」


「見えた。真上から矢が落ちてきて――人を、簡単に割った」


 灯りの無い反物屋の中で、村雨の眼が欄と光っている。死に怯え血に酔い、それは正しく獣の眼である。己の傷も軽く無いと言うに、桜は思わず口角を吊り上げた。


「下手人の臭いは有ったか?」


「分からない、手掛かりが薄すぎる。けど……近くに弓を持った人間は見えなかった」


「上々だ、見えない場所に――おう!?」


 桜の立つ位置から一歩だけずれた床に、天井を貫通した矢が突き刺さる。恐らくは瓦を砕いた際に軌道が歪んだのだろう――屋根の下でなければ確実に、桜の脳天目掛けて落ちていた筈だ。


「……安全地帯は無いな」


 再び二人は走り始める。矢が飛来する間隔は三十秒に一度程。立ち止まっていれば打ち抜かれるだろうが、動いていれば十分に回避出来る――動き続けていれば。

 如何なる手段かは分からぬが、敵は確かに遮蔽物越しに――それも、村雨の嗅覚の及ばぬ距離から二人を捉えている。見えぬ敵との戦いならば経験したが、然し手の届かぬ敵は初めてで――桜は冷や汗を掻きつつ嗤う。

 矢の飛来する間隔が狭まってきている事に気付くのは、そこから四分の一里も走った頃。獣のあぎとへ踏み込む真似になろうとは、まだ桜も村雨も自覚していなかった。

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