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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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明けの熊鷹のお話(1)

 九月九日、早朝。曇り空だが、雨の降る様子は無い。風が涼しく、外を歩くには良い気候であった。


「然しなぁ、どこまで足を伸ばしたものやら。毎日出歩いても飽きが来るが、然し京で引きこもるのも勿体無い。どうする? 寺を巡るか野山を歩くか、或いは無意味に街を歩くか」


「本当に無計画だよね、あなた。せめて事前にさ、見ておきたい所くらい決めとけばいいのに」


 ひゅう、ひゅう、と風斬音。皇国首都ホテル中庭で、桜は、日課の素振りを行っていた。

 刀を振り下ろし、適切な位置で止め、また振りあげる。これが正しい素振りのやり方だろうが、桜の場合、完全に自己流だ。背まで切っ先を回した黒太刀を、地面を斬るギリギリまで振り下ろし、また背にまで引き戻す。往復距離は、正しいやり方の倍以上。そして太刀自体の重量も、並みの刀の数倍以上。然し、桜にとって、たかが太刀の重さなど如何程の物でも無いようで、一呼吸に二度の割合を崩さず、澄んだ空気を切り裂いていた。

 小さなあくびを噛み殺し、村雨はその様子を眺めていた。日の出から始めてそろそろ四半刻。太刀を振り下ろした回数は、千を超えた辺りで数えるのが面倒になった。後は見るとも無し、ただ視界に入れていただけだ。


「……はぁ、気楽そうな奴」


 村雨は、思わず溜息を付いた。京の街を訪れてから、既に厄介事に二度巻き込まれた。どうにもこの旅、ただ楽しむだけでは終わりそうにない。だと言うのに、桜はまるで、深刻さなど感じさせず、日々の娯楽を堪能しているのだ。


「別に、気負う事も無いではないか」


「ん……そーお?」


 運動量に満足が行ったのか、桜は素振りを止め、黒太刀を鞘に納めた。


「観光然り、戦いも然り、なる様になるし、好きにもなせる。ああだこうだと思い悩むより、まず動いてみれば良かろう。意外にな、ぶっつけで世の中どうにでもなるぞ?」


 もう体に眠気は残っていない様で、桜の足取りは確たるもの。肩を上下左右何れにも揺らさず、村雨の元へと歩み寄る。


「……そりゃ、あなたはそうだろうけどさー。普通の人には準備ってものが必要なの、お金とか地図とか荷物とか。街に出るなら買ったものを宿へ運ぶ手段、外を歩くなら日避けの被りもの、夜を待つなら提灯とかね。人の苦労も考えなさい――何するかこの」


 桜の鼻に指を突きつけ、村雨は小うるさい姑の様な口ぶりで言った。桜は笑って、その指をぱくりと咥えようとする。あっさりと逃げられ、脛に村雨の蹴りが入った。


「おお、痛い痛い」


「平気そうなくせにー……大体ね、あなたの場合は、どうにかなってるんじゃないの。無理やりにどうにかしてるの。で、それでどうにかならなかった部分を、私があちこち走り回って埋めてるの。分かって、頼むから分かって」


「結果的にはどうにかなっているという事だな、うむ」


「ちーがーうー」


 別に、会話が食い違っている訳ではないのだ。桜は、十分に村雨の主張を理解した上で、あえて答えを外して戯れているだけである。村雨自身、それを薄々感づいている様で、また脛への爪先蹴りを放った。靴が骨にぶつかって、ごつんと鈍い音を出した。

 中庭に第三者が駆けこんできたのは、丁度その時である。自分がいるという事を隠しもしない、ぱたぱたと喧しい足音で現れたのは、堀川卿の部屋に居た案内役の子供であった。


「お取り込み中、お邪魔します。手紙と伝言を預かってきました」


「どうした、早朝から。急ぎか?」


 桜が前に進み出たが、子供はその横をするりと擦りぬける。小さな紙を二つ折りにしただけの簡素な手紙を、一歩だけ後ろで控える村雨に差し出した。


「私に手紙……って事は、また?」


「はい、召集の令状です。内容に関しては口答で」


 半ば無視される様な形になった桜が不満げな表情を見せる横で、村雨は手紙を開き、そして直ぐに閉じた。本当に何の変哲も無く、ただ召集発令の旨を記しただけの手紙であったからだ。また、これが堀川卿の直筆だという事は、経た人の臭い――子供の臭いと、その下に薄く広がる香水の臭い――から、十分に窺えた。


「聞かせて、直ぐに準備をするから」


「うちの構成員が五人、殺害されました」


 あまりにも簡単に、数字が告げられた。桜はすうと目を細めて、心なしか重心を低くした様に見える。村雨は表情を強張らせ、一歩だけ後ろに下がった。


「発見は今朝。殺されたのは、恐らく三日くらい前――痛み方から判断したそうです。手紙が添えてあったらしく、それを見て直ぐ、堀川卿は村雨さんを呼ぶ事に決めました。心当たりは?」


「無い……とも、言い切れないのかな。すぐ行くよ、同じ建物だし」


「だな、荷物の用意は必要ない」


 いざとなれば、あれこれと思い悩む事は無い。優柔不断の性質とは無縁の二人であった。






「向こうも手が早いなぁ。耳も目も良く利くこっちゃ、おまけに見境は無いと来とる……あかんなぁ」


 堀川卿は相変わらず、平均四丈の金髪を掛け布団代わりにうつ伏せていた。が、目の下の隈は、以前村雨が見た時よりも一層濃くなっていた。

 桜と村雨が部屋に案内されて来ても、暫くは半分程眠っている様子で、二人にまるで気付いていなかった。目を覚ましてからも、体を起こしはせず、声にも力がこもっていない。


「……大丈夫なんですか?」


「ぜーんぜん。眠くて眠くてかなわへんよ……けど、もうちょい起きとらんとあかんのやね。話は伝えさせたやろ?」


 病人の様な顔の堀川卿を心配する村雨だが、その話題は長く続かない。堀川卿は事務的に、率直に用件に切り込んだ。村雨は一度だけ強く頷いて答える。


「今回やられたのは五人。共通点は無し、やらせてた仕事にも関係無し。ある者は地元商家の手伝い、ある者は荷運びの手伝い、ある者は寺社仏閣のちょっとした調査……つまり、ほぼ無差別っちゅうこっちゃね。運悪く夜に出歩いていた『錆釘』の構成員――殺された理由はそんな所やろな。

 それでな、据えてあった手紙やけど……ん、その前に、一つだけ確認しとくわ」


 堀川卿の髪が纏めて床を這い、背中側で一束になった。顔を隠す物は、今は何も無い。意識的に冷たく有ろうと心掛ける、指揮官の目が、そこにあった。


「前の件は、死人を増やさん為に、二人だけ切り捨てるのも止む無しっちゅう計画やった。結果的に、だーれも死なずに済んだ。本当に良い事や。

 けど、今回はもう五人も死んどる、これは明らかな意趣返しや。このままの状況が続くんやったら、向こうのやり口も、もうちょい過激になってくるやも知れへん。無道には腹も立つが、うちの好き嫌いで身内を殺される訳にはいかん――」


「まった、前提を端折り過ぎているぞ。一度落ち付け」


「――ぁあ、っと、そうやね。そうやった、これじゃなんにも分からへんわ」


 眠気が判断力を奪っているのだろうか。堀川卿の言葉は、説明が明らかに不足している。桜が指摘して漸く、本人もそれに気付いた様で、両目を擦って首を振った。

 構成員が殺害された、その事実は分かる。だが、それで何故、堀川卿がこれまでと反対の対応策を取ろうとしているのか、それが桜と村雨には知らされていない。末端の構成員二名を、いざとなれば躊躇なく切り捨てる計画を立てていた、冷徹な彼女らしさが見えていないのだ。

 更には、何故、ここに村雨を呼び付けたのか。何故、今回の殺人を『意趣返し』と判断したのか。開示されていない情報は、死体に添えられた『手紙』による物なのだが、それを読ませる前に、読んだ前提で語るから、意図が通じぬ言葉となるのだ。


「ふー……はい、これ。二人あてに五通、おんなじ中身で届いとる。半分くらいは汚れて読めへんやろうけど……合わせてみれば、分かるやろ?」


 赤ではなく、黒と茶。乾いた血液か、もしくはそれ以外の体液で汚れた手紙が五通。内容は全く同じものらしく、それぞれを照らし合わせれば、複雑怪奇な文章が――いや、文字の羅列が浮かび上がる。


「……読めん」


「うちの暗号だもん、そりゃ読めないよ。ええと、これは……」


 『錆釘』の中だけで通じる筈の暗号で書かれた文章。つまりは、内通者の存在をも示す物。事態が悪転していく気配を肌に感じつつ、村雨は暗号を解読していく。


「……『烏と狼の番いに面会を所望、十日にあの小屋の前で待つ』……? これって、まさか――」


「そう、あんた達をご指名っちゅう事や。桜さん、今回も巻き込んでしもうて、すいませんなぁ」


 狼、と解読出来た瞬間に、村雨の腹の底で、感情が何やらぐつぐつと煮えた。あの小屋、と読み取った時点で、この手紙は確実に、自分達を呼んでいる物だろうと察した。

 村雨を〝違う〟生き物だと知った――明確にでも、匂わせる程度でも――相手は、本当に数える程度しかいない。その中で、『錆釘』と敵対する可能性のある者はたった一人。先日の兵士達の統領、村雨自身は名を知らぬが、青峰儀兵衛だけだ。あの男から報告が登り、その結果、誘い出す為に五人が犠牲になったと言うのなら――


「――また会ったら、もう一回だけ殴っとこう」


「良い案だ、今は役に立たんがな。村雨、外出の用意を整えてこい」


 やや青白く褪めた顔で拳を握る村雨に、桜は手短に命令を出し、背中をぐいと押した。


「え?」


「良いから、行け。指定の日時は明日だ。今日は一日、気を休めるのに使う。財布を忘れるなよ、金が無ければなんにもならん。ほれほれ、早く」


 普段と然程変わらぬ調子で、桜は村雨の背を押し、部屋の外まで運んでしまう。押されている村雨は、あまりにいきなりの事で反論を忘れ、あっけなく部屋から押し出された。


「ちょっとー! こんな時に外出なんてー――」


 閉ざされた扉の向こうで、憤懣やるかたない声を出している村雨を放置し、桜は細い溜息をついた。


「……で、死体は?」


「見ます? 正直、見て楽しいものではありまへんえ?」


「構わん。病死ならいざ知らず、殺されたのだろう? ならば、な」


 堀川卿は立ち上がる代わりに、頭髪の一部で手の様な形を作り、部屋の奥を指差した。


「扉に鍵は掛けてません。好きに見て、好きに戻って来てくれればええどす」


「すまんな、壊しはせんよ」






 それから、一刻どころか半刻、いや四半刻も経たぬ頃合いの事。


「おい、そこの裾が長いのも一つ持ってこい。色は……そうだな、そっちの藍色で頼む」


「畏まりました。いやいや全く、店員冥利に尽きるお客様ですです、はい」


「……何がどうしてこうなった」


 三条大橋より西、煉瓦の建物が並ぶ街並みの、とある洋服店。桜の右手側には、大量の衣服が畳まれて積み重なっていた。

 長身の桜に合う丈の物は、その中に一着も無い。全て、骨格も華奢な少女向けの――つまりは、村雨の体に併せて選んだものである。


「あー、そうだな、あとはそっちの柄を散らしたのも欲しい。古着の布か?」


「はい、上等の振袖をほぐして、日の本の柄だけを西洋の意匠に――」


「ちょっと待たんかーい!」


 積み上がった衣服の数が三十を超え、試着回数も十に届きそうになった段階で、とうとう村雨の堪忍袋は、緒が切れるどころか破裂した。


「あなた、旅費も滞在費も全部使い尽くすつもり!? 江戸にも帰れないじゃないの! あと荷物増えすぎる運べない少しは頭を使おうってつもりはないのかこの馬鹿ぁー!」


 息を継がず、である。怒りのあまりに時折は噛みそうになりつつも、ただの一息で村雨は、己が主の愚かさを糾弾し尽くした。


「えー?」


「えー、じゃない! 一日一着だって多すぎるでしょうが! 大体ねぇ、私はこういう無駄にひらひらした服は嫌いなの!」


 積み重なった衣服の中から、白と桃色で構成された華やかな一着を手に取る村雨。和装の様に上下が一つの布で作られているが、閉じる部分は胸側ではなく背中側。従者などの手を借りなければ、正しく身に付けられない舞踏会の為の着物だ。跳ねたり馳せたりを常とする彼女には、全く無用の長物であった。


「むぅ、似合うと思ったのだがなぁ。まま、食わず嫌いをせず一先ず身につけるだけでも……」


「却下! 店員さん、全部片付けちゃってくれて構わないよ」


「なっ、待て待て、せめてこれとこれとあれとそれだけでも……」


「一着にしなさい!」


 駄々をこねる子供を叱る、母親の如き言葉である。が、結局のところ、店を出た桜の手には、四着の洋服が収まった袋が有ったのだった。


「さー、次は装飾品でも探すぞー!」


「えーかげんにせー!」


 まだ、日は中天に達していない。これから半日、こうして叱り続けるのかと思えば、村雨も気が気ではなく――暫くは、桜の衣服に染みついた腐臭、死体の臭いも忘れてしまう。

 街行く者は、黒衣の女を然り飛ばす西洋人の少女を、怪訝な目であったり、見世物を見る目であったり、何やら子犬子猫の仕草を見る目で見たりしながら通り過ぎていった。

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